カテゴリー「国内旅行(長崎)」の記事

2009年8月10日 (月)

山口・長崎

<下関散歩>  2007年3月10日。下関市内の朝の散歩。

 

  ○ターミナル・ホテル −旧山陽ホテル ※2011年3月解体
  ○煉瓦煙突の銭湯 −紅葉湯 ※2007年3月解体
  ○昭和の下関(細江町周辺) −大洋船具ビルなど
  ○明治の下関 −唐戸の近代建築
  ○2つの旧英国領事館(下関と長崎)   ○下関の石垣   ○見せる魚市場(唐戸)

 

 ■車窓編   ○煙突のある風景(周南市、2007年3月9日)

 

<長崎・佐世保をさるく>  2006年8月20日(土)〜21日(日)

 

 ■長崎さるく博編   ○長崎をさるく −丸山界隈、長崎港
  ○長崎流・土地の使い方   ○戦前倉庫の四段活用 −長崎港
  ○抜け道市場   ○出島復元中   ○柔らかな石畳 −下浦石
  ○2つの旧英国領事館(下関と長崎)

 

 ■佐世保編   ○佐世保の教会 −三浦町教会、聖心幼稚園
  ○佐世保のランチなら 
  ○日本一元気な(?)商店街 −させぼ四ヶ町商店街など
  ○旧海軍凱旋記念館

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2007年4月22日 (日)

2つの旧英国領事館(下関と長崎)

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下関の唐戸地区には明治39(1906)年に建てられた旧英国領事館があります。現存最古の領事館建築として、重要文化財に指定されています。
現在はギャラリーとして、家具なども昔の様子を再現するような形で公開されています。
設計者は英国政府工務局上海事務所建築技師長のウィリアム・コーワンという人だそうです。
コーワン氏は翌年、長崎の領事館も設計しているのですが、ちょうど昨年、長崎に行ったときに訪ねていますので、ついでに並べて紹介してしまいます。(前に紹介したと思ったのですがしていませんでした)

 

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こちらが旧長崎英国領事館。明治41(1908)年に完成しています。このときは、長崎市野口彌太郎記念美術館として公開されていましたが、建物の老朽化が激しく、この4月から閉鎖され、改修工事に入ってしまっているようです。

 

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下関の執務室。シンプルです。
プライベートの部屋はもっと生活感があります。

 

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長崎の場合、普通に撮ると美術品を撮ってしまうので、こんな写真だけ。

 

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下関の暖炉。ここからしばらく暖炉ばかりです。

 

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下関の暖炉のタイル。レリーフが入っています。

 

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下関の暖炉その2。
やはりレリーフのタイル。

 

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下関の暖炉その3。
これもレリーフ入り。

 

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長崎の暖炉。
シンプルなタイルを使っています。

 

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長崎の暖炉その2。
こちらもシンプルなタイル。
並べてみて、下関の暖炉の方が豪華に見えます。

 

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ついでに裏も比べてみましょう。
下関の裏。小さな建物です。裏の付属建物は喫茶店として使われています。お茶したかったのですが、営業時間前でした。

 

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長崎の裏にあるのは、職員住宅。
長崎の領事館の方が、建物も中庭も大きく、前庭があり、規模が大きい領事館です。
江戸時代から領事館が置かれていた格の違いでしょうか。

 

同じような時期に建てられた2つの領事館は、戦争の影響により、下関は昭和16年、長崎は昭和17頃という、こちらも似た時期に閉鎖され、その役目を終えました。

 

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おまけです。
下関の領事館の階段の柱は、こうやって見ると、人間みたい。
ユーモラスに見えます。

 

 

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2006年9月 7日 (木)

柔らかな石畳

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長崎の街を歩いていて気がついたのは、石畳が明るいことです。柔らかい石らしく、よく欠けています。その欠け方がまた、ぽこっと柔らかい。
近頃はやりの南欧風の石ともちょっと違います。

 

気になっていろいろ検索してみたら、どうも天草上島の下浦石という砂岩らしいと分かりました。
関西で見慣れた御影石の威厳ある感じとはずいぶん違います。

 

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石畳だけでなく、蔵や建物の壁材にも使われています。
この建物は南山手乙27番館(南山手レストハウス)。幕末の元治元年(1864)〜慶応元年(1865)頃の建築だそうです。

 

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有名な旧グラバー住宅(文久3年(1863))にも使われています。サンルームの壁と軒下の石畳に。

 

柔らかな印象を与える明るい石は、長崎のイメージによく合っていると思います。
伝統的に使われてきた石でまとめられた街はいいものです。
(なお、路面電車の敷石は強度の関係か花崗岩のようでした)

 

長崎のお話はひとまず終了。次回は大阪に戻ります。

 

 

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2006年9月 6日 (水)

出島復元中

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もう少し長崎。今回は出島です。
何が何やらな写真ですが、手前にあるのが出島の模型、その向こうは明治10年の旧出島神学校(左)と明治36年の旧長崎内外クラブ(右)、さらに向こうは出島の外にある現代の建物です。
そんな混沌とした出島では復元計画が進行中でした。

 

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これが復元された西側の一角です。
通りをはさんで、左に一番船船頭部屋、一番蔵、二番蔵、三番蔵とならび、右にヘトル部屋、カピタン部屋とならんでいます。意外と和風なんですね。青いベランダを除いて。
平成8年度から19世紀初めの建造物25棟の復元計画が進められていて、10棟が完成しているそうです。

 

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部屋の中も復元してあります。
こちらは一番船船頭部屋の2階。オランダ船(一番船)船長や商館員の居宅だったそうです。これも意外と和風でちょっと違和感。

 

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こちらはカピタン部屋の2階。もう少し、家具の入った食堂や居間があるのですが、その写真を撮っていません。
何でしょう、この感覚は。

 

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出島では建物の復元だけでなく、四方に水面を確保する長期計画まであるそうです。時期は示されていません。既に市街化しているので大変なこととは思います。
例えば、この道路。出島の境で舗装を塗り分けています。左が出島で、右は海。ここは海に戻すわけです。

 

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出島と長崎の街をつないでいた橋の跡。向かいが長崎の街です。当時はこんなに距離はなくて、この半分の距離まで出島があったそうです。ここは埋めます。

 

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明治期の洋館が建っていることで分かるように、復元といってもどの時点に復元するかというのは難しいことですね。もちろん、明治期の洋館はそのまま生かします。でも出島の南側のこういう建物は? ここは道幅半分ぐらい、堀にすればOKか。でも線にかかってたらあっさり除かれそうです。

 

 

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2006年9月 3日 (日)

抜け道市場

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引き続き長崎です。
これも土地の有効活用といえるかもしれません。
長崎の市場は、(大阪の私にとって)ときに不思議な形態をしています。
この市場などそう。坂の途中のこの市場は細長い市場で、斜めに通路を下ると向こうの道に出ます。いわば、抜け道の市場です。屋根部分の建物は手作りみたいですし、この市場の成り立ちに興味をひかれます。

 

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非常に暑い日でしたので、端のパン屋さんで、アイスを買いました。
シロクマなどのアイスに並んで、見慣れないアイスが。大胆にシンプルな包装です。
高尾冷菓という地元のメーカーですし、店のおばちゃんも「おいしいよ」というので、試してみました。見た目から想像するのは、かき氷の白みつなんですが、実際は爽やかなカルピス風で、予想外においしく思えました。わずか50円です。でもメーカーの名前で検索しても引っかからないのは、地元でもマイナーなのかなあ。

 

 

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2006年9月 2日 (土)

戦前倉庫の四段活用

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長崎港に並ぶ7つの倉庫。
戦前からあり、被爆もしたレンガ倉庫だそうです。
いまは4種類に活用されています。
左から1、3、4番目は基本形の日通倉庫です。
2番目は・・・答えはこの記事の最後で。

 

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5番目は鮮魚直売所。
倉庫と魚は合うと思います。
改造しすぎているようですが。

 

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6、7番目はレストランバー。
こういうレンガ倉庫の使い方は多いですね。

 

 

 

さて、左から2番目の建物は何か分かりました?
モデルルームだそうです。それでマンションを買う参考になるのでしょうか?

 

・・・と用途はバラバラですが、何より、レンガ倉庫を残して使っているということが大事ではないでしょうか。一時的に不似合いに思えるテナントが入ることがあっても、テナントが入らなくて壊されてしまうよりはまし。
どんどん活用してもらいたいと思います。

 

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2006年9月 1日 (金)

長崎流・土地の使い方

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長崎というのは驚くほど平地のないところなんですね。
坂が多いという話は聞いていても、実際に目にすると驚きます。ロープウェイでも家の間を通っていくみたい(とまで言うとオーバーですが)。
それほど山の上まで住宅になっています。

 

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それは海側でも同様。
扇形の出島の絵図は皆さん、見たことがあると思います。
今回出かけるまで、出島がいまどうなっているのかって考えたことはありませんでした(もうないのかと思ってました)。でもちゃんとあるんです。街なかに。

 

博物館では、1570年、長崎港が開かれた頃の海岸線を知ることができました。出島どころか、今の市街地の中心部はすべて海の中です。山を切り開くか、さもなくば海を埋めてできた街なんですね。

 

いまの長崎の中華街は、元は倉庫街として、出島同様、隔離された島だったそうです。

 

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だから土地の有効活用に関しては、日本で一番考えてきたんじゃないでしょうか。
この建物、よく見ると橋の上に建っています。いったん橋を壊さないところが面白いですね。この川は暗きょになっていて、この先ずっと市場になっています。

 

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発想として、こういう線路をまたいだ建物というのも、長崎ならすんなり出てくるのではないでしょうか。

 

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平地がなくて立体的なことは、土地の有効活用とともに、”眺める”意識を強めるのではないかと思います。
この写真はどこか分かりますでしょうか。海辺にある長崎県美術館の屋上です。眺めるために高い塔を建てるのではなくて、代わりに開放的な屋上を用意するところに、”眺め”ながらも”眺めを邪魔しない”、長崎流を感じました。

 

 

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2006年8月30日 (水)

長崎をさるく

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<思案橋付近>

 

“さるく”というのは、長崎弁で「歩く」の意味だそうです。
知っている人は知っているのですが、いま長崎では、「長崎さるく博」という、まち歩き博が開かれています。
今回の旅行の目的は実はこれです。一体どんなことが起こっているのか、確かめてきました。

 

まず、まち歩きの基本的な仕組みですが、 定番コースをボランティア・ガイドの案内でまわる「長崎通さるく」、自分でまわる「長崎遊さるく」、専門家がガイドする特別コース「長崎学さるく」の3種類があります。このほかに、体験やイベントなども。

 

「長崎通さるく」は週末に集中的に開催され、平日は少しずつ開催のようです。
週末なら朝夕2回の時間設定がほとんど。一部、夜景を見るコースなどがあります。

 

各コースは定員15人ぐらい(予約制)。でも多いと2班出したりしています。案内は、ボランティアのガイドさんとサポーターさんの2人が付きます。

 

私は、
通さるく「文人墨客も思案した? 〜丸山巡遊〜」
通さるく「長崎港水辺散策 〜出島ワーフ・長崎水辺の森公園〜」
の2つに参加しました。

 

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まず夕方の丸山コース。参加者は2班で25人ぐらい。
丸山は、江戸の吉原、京の島原と並ぶ花街だったとか。
(・・・とおっしゃってました)
道の突き当たりにかわいらしい丸山交番が立っています。
このあたりに明治期まで大門があったそうです。

 

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こちらは史跡料亭花月の石畳。
ここは、丸山を代表する妓楼「引田屋」だったそうです。かなり広い。

 

ほかにも長崎検番、梅園身代わり天満宮、中の茶屋、料亭青柳などまわりましたが、ガイドツアーなので、あまり写真を撮れませんでした。

 

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翌日朝の水辺散策コース。
まず川に蓋をして作られた市場の見学から始まります。
右が市場の背中。手作り感のある市場で、鮮魚が売られています。

 

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港を眺めながら散策します。
海岸にはショッピング施設や美術館が建ち、新しい観光・ショッピングゾーンとして開発が進んでいます。

 

いずれのコースも、コース中間で休憩と飲み物のサービスがあり、途中でミニガイド(料亭の女将さんや税関職員など)があるなど、工夫がありました。
クリアファイルに昔の写真を入れていて、現地で見せていただきながらの説明もあります。

 

このイベント、どんな人が参加しているのか、気になりません?
私が参加した2回は、そのほとんどが長崎市民(!)です。東京の大学に行っている娘さんが帰省した機会に家族で参加、というパターンもあるようです。私のようなよそからの観光客は少数派。驚くのが、非番の(?)ボランティアさんまで参加していることです。

 

それでもいいんじゃないかなと思うんです。
コースは街中に張り巡らされています。長崎市民自身が長崎のことをよく知って、「ここの石をなでると頭が良くなるんだよ」などという話をできるようになれば、お客さんが来たときに「面白いもの」を案内することができます。それは観光都市にとってとても大きな効果です。

 

街中をぞろぞろ歩くので、歩行者やバイクなど、道を譲らないといけません。そんなとき、サポーターさんは「お世話になってます、さるくですー」と声をかけています。それが半年間、続くのですから相当な存在感だと思います。

 

長崎の路面電車は100円。多くの観光施設が、今は長崎市民には無料。観光地のメリットを長崎市民が受けられる仕組みになっています。市民が観光を楽しめる延長に、さるく博もあるような気がします。その効果は会期終了後も、じわじわと効いてくるのではないでしょうか。

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2006年8月27日 (日)

旧海軍凱旋記念館

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正式名称は、旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館という長くて、ものものしい名前です。第一次世界大戦での佐世保鎮守府所属艦船の武勲をたたえるため、九州・四国各県の寄付によって建てられ、大正12年に開館しました。鉄筋コンクリート2階建てで、建設費は86000円だったそうです。

 

その後、第二次世界大戦では、海軍合同葬の会場、戦後は駐留米軍に接収されて、劇場や映画館として使われ、今は佐世保市民文化ホールという、至って平和な余生を送っています。有形登録文化財。

 

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全景はこんな感じです。自衛隊や米軍基地に向かう道路の脇にあります。
道沿いにはほかにも旧海軍関係の建物が残っています。

 

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真っ白な外観と対照的に、内部は青と水色が基調。米海軍の趣味なんでしょうか。海をイメージさせます。

 

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2階へと上る階段。手すりは木製で、アールデコ風?のシンプルな装飾です。

 

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入り口の壁の一部にはこんなタイルも控えめに使われていました。ラーメン模様?というよりも、波頭のイメージなんでしょうね。

 

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表に出て、側面に数ある出入り口を見ると、ひさし部分がこうなっています。ここにも波頭の連続模様。

 

シンプルな海のイメージに満たされた建物のようです。

 

(由緒の説明は解説板によりました)

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2006年8月26日 (土)

日本一元気な(?)商店街

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佐世保の商店街は日本一元気な商店街(中心市街地)といわれています。
今回、佐世保に出かけた一番の理由は、この商店街を見ることでした。どんなところか気になりますでしょう?

 

駅前から伸びる幹線道路を行くと、正面に商店街の入り口が見えてきます。幹線道路はぶつかる手前で右に避けて、付かず離れず、商店街と平行して走っています。この四ヶ町商店街と三ヶ町商店街が一直線につながって、全長1kmの日本一長いアーケードになっているそうです。(日本一ってあちこちで聞くんですが、つながったアーケードとして最長という意味なんでしょうか。天神橋筋商店街のアーケードもかなり長い気がするので)

 

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入ってみると人は結構歩いています。また所々、ベンチやテーブルがあって、座っている人が結構おられます。
今日は日曜日なので、普段の人出とは違うはず。女子高校生があちこちで通行量調査をしていました。

 

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商店街の真ん中あたりに来るとぱっと開けて広場があります。広場では、長崎県各地の特産品を売る屋台が出ていて、隅の舞台では太鼓の演奏が行われていました。広場は幹線道路までつながっていて、バス停があります。

 

私なりになぜこの商店街が元気なのか、考えてみました。
相当、営業努力はされているはずですが、それ以外に元々の条件は大きいと思います。
○佐世保の街は海と基地、反対側は山が迫り、商店街が通路のようになっている。
○大きな道路で商店街が分断されていない。
○大きな道路がつかず離れず、平行している。
○山だらけなので、郊外型大型店は立地しにくい。
○山にはたくさんの住宅がある。
○米軍基地と自衛隊基地がある。
○そして、アーケード内はクーラーが効いていて涼しい!
   (歩くならアーケード。暑い夏に実感)

 

かなり特別な街かなと思いました。

 

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この街にはもう一つ変わった商店街があります。それはこのトンネル横丁。
なんと防空壕を転用した商店街だそうです。上は小学校の運動場で、見事な立体利用です。結局、土地が少ないからなんですね。
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日曜日で開けているお店が少なかったのですが、魚屋さんが開いていたので写真を撮りました。ドーム型になっているでしょう? 天井は低くて、奥行きがあります。もう1軒、もっと防空壕らしいお店があったのですが、写真を撮りづらい雰囲気だったので、やめました。酒場もあるようで、それは面白いかも。

 

すべては山がちなところにたくさんの人が住むことから始まっているようで、その結果として、あちこちに面白みのある街の景色ができあがっているような気がします。

 

 

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