カテゴリー「国内旅行(山口)」の記事

2011年4月24日 (日)

唐戸の近代建築(下関市)

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下関にはいくつか中心地があるのですが、唐戸地区は明治から大正にかけての中心地で、近代建築が比較的コンパクトに集まっています。
下関に渡ったついでに、前回見逃していた近代建築をまとめて見て回りました。

 

まず、旧不動貯蓄銀行下関支店(昭和9年)です。
銀行らしい建物ですが、角が丸っこいので柔らかい印象を受けます。

 

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見逃せないのが山口銀行旧本店です。
もとは大正9年に竣工した三井銀行下関支店で、昭和19年に山口銀行本店となりました。
平成16年にしっかり保存修理が行われ、山口銀行創立時の姿に復原されているそうです。
設計者は日銀など銀行建築を多く手がける長野宇平治。
資料館のようになっていますので、ちょっと詳しく紹介します。

 

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入り口を入ると玄関室があって、まず鮮やかなタイルが目を引きます。

 

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内部は2階まで吹き抜けの大空間。
非常にきれいです。

 

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しなっとカーブする階段。
ケヤキの美しい階段です。こちらは使えません。

 

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もう一方の階段から上ります。
さきほどの階段ほどでもないですが、こちらも優美。使われているのは塩地という材らしいです。

 

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2階から見下ろしてみます。
営業スペースも展示室となっています。

 

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この建物はさりげなく耐震補強されています。

 

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所々、仕切り板のように付いているのが耐震補強ですね。
白く塗られていて目立ちません。

 

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この建物は石材も見所です。
こちらは白寒水石(白大理石)とのこと。

 

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こちらはモザイク状の大理石。

 

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常陸産の縞鼠石らしい。

 

修復への力の入り具合は相当なものです。

 

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再び、港の方に戻っていきます。
川の護岸を見ると、カラフルな石積になっていました。

 

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川を少し遡ると赤煉瓦の建物があります。
明治40年の旧宮崎商館です。「商館」という響きがよく似合う。
今はクリニックですが。

 

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有名な近代建築の旧逓信省下関電信局電話課庁舎。
旧下関市庁舎第一別館のときに保存されて、今は田中絹代ぶんか館です。
中までは入る時間がありませんでした。
塔屋の放物線のアーチが特徴的です。

 

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斬新すぎて古い建物と思ってもらえないところがあるようですが、細部を見てもかなりデザインに凝っています。

 

以上、ざっと駆け足で見逃していた近代建築を確認しました。
今回の門司・下関の旅行記事に関してはこのあたりにしておこうと思います。
実際には門司港レトロの建物も見たのですが、それはまたの機会に。

 


より大きな地図で 下関 を表示

 

<関連記事>
 2007年3月の訪問時の記事です。
  ○ターミナル・ホテル −旧山陽ホテル ※2011年3月解体
  ○煉瓦煙突の銭湯 −紅葉湯 ※2007年3月解体
  ○昭和の下関(細江町周辺) −大洋船具ビルなど
  ○明治の下関 −唐戸の近代建築
  ○2つの旧英国領事館(下関と長崎)   ○下関の石垣   ○見せる魚市場(唐戸)

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2011年4月21日 (木)

中は畳の旧秋田商会(下関市)

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門司への旅行のついでに下関にも渡りました。
関門海峡は川のようで、ほんの目と鼻の先です。
船は下関の旧市街である唐戸地区に着きます。

 

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以前来たときに見られなかった旧秋田商会ビルの中に入るのが一番の目的です。
出張ついでに寄ったものの、朝早すぎたのでした。
この右側の建物が旧秋田商会です。大正4年の建物。
西日本で最初の鉄筋コンクリート造事務所だとか。
左側は南部町郵便局です。

 

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1階は観光案内所になっています。
2階に上がる階段のところにはレリーフに縁取られた米国製の時計が。

 

秋田商会は主に木材の商社と海運業を営んでいました。

 

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階段の親柱は洋風ですが、毛利家の家紋が入っています。

 

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2階に上がると、外観は全くの洋館なのに、廊下をはさんで内側は全くの和室です。

 

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広々とした畳敷きの空間で、天井も和風です。

 

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中国製の円卓でしょうか。

 

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手洗いにはマジョリカタイルが。

 

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さらに屋上に続く螺旋階段があります。

 

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上がってみたいけど、この先は普段は入れません。
運良く塔屋に上がれた、まちかど逍遙のぷにょさんがこちらで紹介されています。

 

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外から眺めると屋上はこうなっています。
大正4年の建設時からあった非常に古い屋上庭園で、とても興味をそそられます。
春・秋の一般公開には屋上庭園に入れるようですので機会のある方はぜひ。

 

意外性の多い建物です。
私が見学した後に2階以上はこの3月まで改修されていたようなので、もう少しきれいになっているかもしれません。

 

(追記)
 旧秋田商会ビル屋上庭園の、2011年春の一般公開は、
 4月29日(金・祝)10:00~16:00です。無料。
 詳しくはこちら  (2011.4.27記)
 

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2009年8月10日 (月)

山口・長崎

<下関散歩>  2007年3月10日。下関市内の朝の散歩。

 

  ○ターミナル・ホテル −旧山陽ホテル ※2011年3月解体
  ○煉瓦煙突の銭湯 −紅葉湯 ※2007年3月解体
  ○昭和の下関(細江町周辺) −大洋船具ビルなど
  ○明治の下関 −唐戸の近代建築
  ○2つの旧英国領事館(下関と長崎)   ○下関の石垣   ○見せる魚市場(唐戸)

 

 ■車窓編   ○煙突のある風景(周南市、2007年3月9日)

 

<長崎・佐世保をさるく>  2006年8月20日(土)〜21日(日)

 

 ■長崎さるく博編   ○長崎をさるく −丸山界隈、長崎港
  ○長崎流・土地の使い方   ○戦前倉庫の四段活用 −長崎港
  ○抜け道市場   ○出島復元中   ○柔らかな石畳 −下浦石
  ○2つの旧英国領事館(下関と長崎)

 

 ■佐世保編   ○佐世保の教会 −三浦町教会、聖心幼稚園
  ○佐世保のランチなら 
  ○日本一元気な(?)商店街 −させぼ四ヶ町商店街など
  ○旧海軍凱旋記念館

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2007年4月23日 (月)

見せる魚市場(下関・唐戸)

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ここはどこか分かりますでしょうか。
向こうに見えるのは関門海峡、そして関門橋。
そして、ここは・・・唐戸市場の屋上です。

 

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唐戸市場は魚主体の卸売市場なのですが、今や観光地となっています。
下関には他に有名な南風泊の市場があり、ふぐ(ふく)の卸売はそちらだそうです。
昭和8年に始まり、平成13年に建て替えられたこの市場は、2階がこのようにガラスの通路になっていて、市場が眺められるようになっています。一般客が買い物をすることもできますし、2階には観光客向けの食堂街もあります。
仕事先の方に、「下関に泊まるなら唐戸市場で朝ご飯を食べたらいいよ」とお勧めいただいて、ここに来たのでした。
すごく流行っている店があったのですが、朝ご飯に並ぶ気が起こらず、隣の空いている店でカレイの煮付けなどをいただきました。おばちゃん2人で切り盛りしているお店です。朝日を浴びながらごはんを食べていると、他のお客さんは渡ってくるとき寒かったなどという話をしていましたので、門司側から通っている人もいるみたいです。

 

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もともと行政地区だったこの唐戸は、今は門司と一体的に観光地化しています。
行政地区の名残としてまだ留まっている市役所は、JR下関、新下関、幡生(JR下関と新下関の間)などに移転の話があるそうで、地元では反対運動をしていました。
私は回れませんでしたが、昔の中心地なので、唐戸にはまだたくさん歴史ある建物があるようです。
観光地として整備されるにしても、せっかくある遺産は活かしてほしいと思います。

 

下関の紹介はここまで。
見逃したものもたくさんありますし、門司も行ったことがありませんので、ぜひ再訪したいものと思っています。

 

 

 

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2007年4月22日 (日)

2つの旧英国領事館(下関と長崎)

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下関の唐戸地区には明治39(1906)年に建てられた旧英国領事館があります。現存最古の領事館建築として、重要文化財に指定されています。
現在はギャラリーとして、家具なども昔の様子を再現するような形で公開されています。
設計者は英国政府工務局上海事務所建築技師長のウィリアム・コーワンという人だそうです。
コーワン氏は翌年、長崎の領事館も設計しているのですが、ちょうど昨年、長崎に行ったときに訪ねていますので、ついでに並べて紹介してしまいます。(前に紹介したと思ったのですがしていませんでした)

 

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こちらが旧長崎英国領事館。明治41(1908)年に完成しています。このときは、長崎市野口彌太郎記念美術館として公開されていましたが、建物の老朽化が激しく、この4月から閉鎖され、改修工事に入ってしまっているようです。

 

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下関の執務室。シンプルです。
プライベートの部屋はもっと生活感があります。

 

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長崎の場合、普通に撮ると美術品を撮ってしまうので、こんな写真だけ。

 

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下関の暖炉。ここからしばらく暖炉ばかりです。

 

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下関の暖炉のタイル。レリーフが入っています。

 

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下関の暖炉その2。
やはりレリーフのタイル。

 

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下関の暖炉その3。
これもレリーフ入り。

 

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長崎の暖炉。
シンプルなタイルを使っています。

 

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長崎の暖炉その2。
こちらもシンプルなタイル。
並べてみて、下関の暖炉の方が豪華に見えます。

 

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ついでに裏も比べてみましょう。
下関の裏。小さな建物です。裏の付属建物は喫茶店として使われています。お茶したかったのですが、営業時間前でした。

 

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長崎の裏にあるのは、職員住宅。
長崎の領事館の方が、建物も中庭も大きく、前庭があり、規模が大きい領事館です。
江戸時代から領事館が置かれていた格の違いでしょうか。

 

同じような時期に建てられた2つの領事館は、戦争の影響により、下関は昭和16年、長崎は昭和17頃という、こちらも似た時期に閉鎖され、その役目を終えました。

 

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おまけです。
下関の領事館の階段の柱は、こうやって見ると、人間みたい。
ユーモラスに見えます。

 

 

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2007年4月19日 (木)

明治の下関

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<下関南部町郵便局(左・明治33年)と旧秋田商会ビル(右・大正3年)>

 

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<旧英国領事館(明治39年)>

 

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<関門ビル(旧関門汽船(株)ビル・昭和6年)>

 

唐戸交差点の近代建築群。

 

レトロな下関観光の中心は、明治の開港後に栄えた唐戸地区です。
その名前からして、外国(唐)への戸ということで名付けられたとか。
門司港レトロの向かい側にあたります。
中でも唐戸の交差点にかかる陸橋からは、明治、大正、昭和の建築がぐるりと見渡せます。

 

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その中から、下関南部町郵便局(旧赤間関郵便電信局)をクローズアップします。
とってもきっちりデザインされています。

 

ここは現役最古の郵便局だそうです。残念ながら朝早くて入れませんでした。
郵便局の前には丸ポストが立っています。実は、この近くに住んでいた俵谷高七さんという発明家が丸ポストを発明したのだそうです。他には郵便切手やハガキの自動販売機も発明。地方の発明家が考えたものが、全国的に採用されたというのは面白いことです。

 

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細かいところまできっちりつくってあります。
口もただの四角ではないという。
そういうきっちりしたところが明治らしさなんでしょうか。

 

 

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2007年4月18日 (水)

下関の石垣

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下関では海沿いを歩いていても、丘が迫り、大きな石垣が立ち上がっています。
この石垣は唐戸地区の亀山八幡宮という神社の石垣です。角の部分は平たく積み、間の部分は、何重にも弧を描くように石が積まれています。赤っぽい石が多いのですが、適度に白から赤までばらつきがあり、きれいです。

 

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これは別の場所ですが、ビルの間の空き地には石垣、そして高台に住宅。
こちらも同じ積み方です。
石垣にも街の表情が現れています。

 

 

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2007年3月31日 (土)

昭和の下関(細江町周辺)

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<都市機能の移り変わりのイメージ>

 

下関の話の続きです。
下関の町を見て思ったのは、核がたくさんあること。
おおまかに図に落としてみたのが上の図です。
江戸時代は長府が城下町で、古来の港町は唐戸のあたり、18世紀後半に北前船が走るようになって港は下関駅より西の伊崎に移ったようです。明治になると唐戸のあたりが開港して賑わい、明治34年に旧下関駅と関門連絡船、明治38年に関釜連絡船が運行されるようになると賑わいは旧山陽ホテルのある細江町のあたり、昭和17年に関門トンネルが開通して今の下関駅に鉄道駅が移転しています。当然、中心地もそちらへ。一方、九州側も今、門司港レトロと言われている地区が明治22年から戦前まで賑わっていたようです。その後も昭和50年に山陽新幹線が通ると一部都市機能は新下関へ、そして商業機能などは小倉などにも引っ張られているのではないかと思います。

 

そういうわけで、中心地が移動したために、建て替えがあまり行われず、各時代の遺物が違う地域に残るという、観光客にはありがたい結果になっているのですが、行政はたいへんでしょうね。

 

出張の翌日、朝の2時間ほど、下関駅から唐戸まで散歩(途中はバス)しました。
今回は昭和初期から30年代ぐらいに出来ていると思われる細江町のあたりの紹介です。
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まず気になったセントラルビル。
ちょっとかっこいい感じがしませんか。
給水タンクのカバーにもデザインが行き届いています。

 

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大洋船具のビル。
昭和12年(1937年)の建物。
十字の線と丸窓の配置が、非対称でありながらバランスをとったデザインです。
船具の会社は大阪の川口あたりにもありますが、戦前を感じさせます。

 

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すっきりしたデザインの医院。
窓枠は木製でした。

 

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山口県銀行協会の下関手形交換所。

 

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窓の金属の装飾が特徴的です。

 

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ここまで来ると下関駅と唐戸の間ぐらい。
大通りに面した岬之町に気になる建物がありました。
増築に増築を重ねてという感もあります。
近寄っていないのでビル名も含め、詳細は不明です。

 

細江町周辺は、1960年代、70年代の建物も多く、ついつい時間を取ってしまいました。

 

 

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2007年3月19日 (月)

煉瓦煙突の銭湯(下関)

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旧山陽ホテルからほど近い豊前田町。下関は大陸に渡る人たちの前泊地だったためかどうか、旅館が目に付く気がします。
豊前田商店街を歩いていると、ぱっと煉瓦の四角い煙突が目に入りました。

 

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紅葉湯という銭湯だそうです。帰ってから調べてみたら、最近まで営業していたものの、残念ながら既に営業はしていないとのこと。映画「チルソクの夏」に登場するらしいです。・・・観たのに覚えてません。下関でも一、二の古い銭湯のようです。

 

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下関の町はすぐ近くに丘陵地が迫っているのですが、ゆるやかな谷筋の道が伸びているのを見ると温泉町のような風情を感じます。このあたり、遊郭があった場所なんだそうです。

 

いろいろと関連情報をネットで調べていたら、紅葉湯の解体が始まったという情報が。
観光利用もできそうですし、それが無理でも、せめて双葉温泉のような見送る機会があれば良いのに。

 

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2007年3月15日 (木)

ターミナル・ホテル(下関)

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下関への出張が決まってから簡単に下調べをして、まず行ってみたいと思ったのが、ここ旧山陽ホテルでした。
明治35年(1902年)に日本初のステーションホテルとして開業、皇族が泊まるほど格式が高かったそうです。火災で焼失後、大正12年(1923年)に再建されたのが、現在の建物です。設計は辰野葛西建築事務所。
今は建設会社が入っています。

 

(追記)

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<営業時の姿> (2010.11.22記)

 

 

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建物そのものも、もちろんなのですが、かつての下関駅という場所、ここから船に乗って大陸に旅立って行った場所が見たいと思いました。下関駅は、明治34年に馬関駅として開業した山陽鉄道(神戸〜馬関)の終着駅です。翌35年に下関駅と改称し、昭和17年に現在の下関駅の位置に移転するまでここにありました。
上の手描きの地図は絵はがきからすると、こんな位置関係かなという推測です。
最初の写真でいうとホテルの左手前あたりでしょうか。

 

ちょっと写真多めに紹介します。

 

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まず目をひくのが、角にある車寄せ。
当初の面影を残してくれています。

 

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近寄るとこんな感じ。細い鉄骨で構成されています。ところどころ渦巻きのような飾りが入ります。

 

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建物の側面。こちらにも入り口があります。
また、地階に降りるスロープがあるのですが、埋め立てられたのか、もともとスロープだったのか。

 

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側面入り口の柱の拡大です。
正面ほどではありませんが、ちゃんとデザインが施されています。

 

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1階部分と地階部分のあたり。
建物の南西角です。

 

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地階の面格子。
ここにも渦巻きのモチーフ。

 

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壁面はこんな感じ。どこかで見たような、ですね。
大阪の大阪屋ビル(ひろさんの記事)崎山ビル、京町ビルのような。
窓と窓の間の四角い飾りはセセッション・スタイルだと、海野弘さんの『モダン・シティふたたび』で知りました。

 

この旧山陽ホテルの位置からは今も海が見えます。
周辺はそれほど開発されているわけではありません。
早々に鉄道から切り離されたことでホテルの経営は傾いてしまったようですが、かえって今に残ることになったのかもしれません。

 

(追記)

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<絵葉書 下関駅埠頭>

※右端に見えているのが旧下関駅舎ではないかと思います。その裏にある山陽ホテルは見えません。(2010.3.10記)

 

 

(追記)

旧山陽ホテルの解体が決定したそうです。@roadexplorerさんから情報をいただきました。

JR西日本のプレスリリース 解体工事2011.1.14〜3.20。 一部を大阪・弁天町の交通科学博物館に収める。

(2010.12.27記)

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