カテゴリー「国内旅行(島根)」の記事

2014年3月22日 (土)

島根・香川・愛媛・高知

<香川・塩飽本島の旅>  2006年7月15日〜16日 
 香川県丸亀市と瀬戸内海に浮かぶ塩飽本島・牛島への旅

 ■塩飽本島編
  ○塩飽(しわく)の休日 −塩飽勤番所など
  ○夕陽は海に沈まない −夫婦倉など
  ○静かな280年〜塩飽本島・笠島地区(重伝建地区)
  ○塩飽本島に暮らす   ○山寺の夏祭り

 ■塩飽牛島編
  ○塩飽牛島・栄華の跡

 ■丸亀市街編
  ○バサラの魂

<香川の島めぐりシリーズ>  瀬戸内国際芸術祭2013に合わせた香川の島の旅
 2013年4月13日〜14日  坂出・高松・女木島・男木島
              ・直島・宇野
     7月20日〜21日 伊吹島・観音寺・大島・宇多津
     8月17日     小豆島(坂手)
     8月31日〜9月1日 犬島・豊島
     11月2日〜3日  須田・粟島・志々島・善通寺
              ・高見島・佐柳島・多度津

 ■坂出編
 ○坂出人口土地 ○坂出の近代建築など ○坂出の商店街の近代建築 ○坂出のアーケード
 ■高松編
 ○高松の北浜アリー
 ■女木島編
 ○絶景の女木島
 ■男木島編
 ○男木島灯台へ ○男木島の斜面から
 ■直島編  ○直島サイクリング
 ■宇野編 ※岡山県玉野市
 ○宇野ターミナル
 ■伊吹島編
 (1)芸術祭の伊吹島へ  (2)伊吹島のいりこ工場跡  (3)ぐるっと伊吹島
 ■観音寺編
 (1)観音寺の倉庫  (2)観音寺の煉瓦工場跡  (3)観音寺の旧農事試験場
 (4)観音寺の銭湯ギャラリー  (5)観音寺の気になるもの  (6)観音寺の灯りツアー
 ■高松・大島編
 ○高松の大島
 ■宇多津編
 (1)宇多津の旧市街  (2)宇多津の波千鳥  (3)宇多津のディテール
 ■小豆島編
 (1)小豆島へ  (2)小豆島の醤油工場  (3)小豆島の洋館付き住宅・煉瓦
 ■犬島編
 (1)犬島精錬所跡へ  (2)犬島の路地を歩く
 ■豊島編
 (1)豊島へ  (2)豊島の甲生を歩く  (3)豊島の片山邸
 (4)豊島の片山邸ディテール  (5)豊島石の祠など  (6)豊島の唐櫃集落
 ■三豊(須田)編
 ○須田港に寄り道
 ■粟島編
 (1)旧国立粟島海員学校  (2)粟島散策
 ■志々島編
 ○志々島の路地
 ■善通寺・多度津編
 (1)善通寺の白い宿  (2)多度津から高見島へ
 ■高見島編
 (1)高見島の廃村  (2)高見島の斜面集落  (3)高見島N邸の情景瓦
 ■佐柳島編
 ○雨の佐柳島

<今治〜尾道 しまなみサイクリング>  2007年10月6日(土)〜7日(日)

  ○しまなみサイクリング(今治市など)−橋中心
  ○宮の浦と大山祇神社(今治市)

<愛媛・東予の旅>  2009年9月13日(日)〜15日(火)

 ■新居浜編
(1)中心市街地? −別子住友倶楽部など
(2)圧巻。山田社宅 (3)昭和通りを歩く
 ■西条編
 ○水と祭りの伊予西条

<四国みぎした旅行(高知編)>  2018年、2022年、2023年

 2018年5月3日〜5日 (徳島県)→高知市内→(徳島県)
 2022年5月5日〜8日 (徳島県)→甲浦・室戸岬・吉良川・室津・奈半利・田野・高知→(徳島県)
 2023年5月1日〜4日 (徳島県)→むろと廃校水族館・津呂・安芸・伊尾木・安田・夜須・高知・和食→(徳島県)

 ■高知市編(高知の旅2018)
 (1)近代の高知公園 (2)リゾート地種崎と種崎千松公園 (3)渡船で御畳瀬へ 
 (4)種崎の門扉 (5)五台山に登る (6)高知城周辺の近代建築など
 (7)高知あたご劇場で映画を (8)喫茶店でモーニング (9)比島交通公園 (10)沢田マンション ※ここまで2018年
 (16)高知市の東側を歩く ※2023年

 ■東洋町編
 (1)高知県境の町へ (2)箱庭みたいな甲浦 (3)白い街並みの白浜 ※2022年

 ■室戸市編
 (4)室戸岬 (5)室戸岬灯台 
 (6)蔵空間蔵宿に泊まる (7)吉良川の街並みと近代建築
 (8)吉良川の石塀・石黒 (9)吉良川の2つの橋 
 (10)隆起する室津港 (11)室津の煉瓦塀 (12)室津のいろいろ ※ここまで2022年
 (25)津呂の港 (26)津呂の煉瓦塀 (27)津呂の白い町  
 (28)むろと廃校水族館 ※ここまで2023年

 ■奈半利町編
 (13)奈半利の南側 (14)奈半利の北側 ※2022年

 ■田野町編
 (15)田野町の街道を歩く ※2022年

 ■安田町編
 (24)安田中心部を歩く ※2023年

 ■安芸市編
 (20)野良時計と土居廓中 (21)岩崎彌太郎生家と旧街道の建物 ※2023年
 (22)安芸の旧市街を歩く (23)昔話のような伊尾木洞

 ■芸西村編
 (18)白と黒の和食 (19)極彩色の5月 ※2023年

 ■香南市編
 (17)夜須の手結内港 ※2023年

 

<出雲・松江旅行>  出雲・松江旅行の記事をまとめました。
 ※既出の日記のインデックスです。

 ■出雲市編
 (1)忘れられた鷺浦(島根県出雲市) (2)静かな出雲大社参道(島根県出雲市)
 (3)2つの門前駅(島根県出雲市) (4)出雲大社門前の楽しみ (5)出雲大社境内 (6)出雲市今市の用水路

 ■松江編
(1)来待石の町(松江市宍道町) (2)石州瓦と来待石 (3)松江モダン (4)夕陽の街・松江
(5)松江堀川めぐり (6)松江の銀行建築 (7)地元素材の擬洋風(松江・興雲閣)
(8)松江の洋風町家 (9)松江の医院建築

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2007年7月22日 (日)

松江の医院建築

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長々と出雲の建築を紹介してきましたが、
最後に松江の医院建築を紹介します。

 

街中を歩いていて、すぐに目に付くのが、こちら。
末次本町の浅野小児科医院です。
大正元年(1912年)の木造建築で、小道さんによれば、平成元年に外部の復元工事が行われているそうです。

 

いかにも品のあるお医者さんという風。
装飾のバランスがよく、窓の桟など美しい分割です。
ピンク基調ですが、ポイントでグリーンを配しています。

 

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入り口には白い円柱が3本×2。花崗岩でしょうか。
支えるのは地元の大根島石です。

 

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両脇にはうろこ状の装飾。

 

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道路との間にはシンプルなデザインが施された石柱(来待石?)が並んで、このスペースに石庭があります。
足下だけをみたら、全体とは違った印象を受けます。

 

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床下換気口のグリルには、「丸に違い鷹の羽」の紋。おそらく家紋なんでしょう。
この紋は大名の浅野家の家紋らしく、この医院も浅野小児科医院ということは、もしかして浅野家の関係?
そこまでは確認できていません。

 

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もう一つ、西茶町に気になった建物があり、帰ってから旧三原歯科医院と知りました。大正15年(1926年)の建築。
角の3本の円柱と2階まで伸びる窓、アーチ状の窓が印象に残ります。
アイストップになる場所で、場所がいいので、何かに利用してもらえるといいんですが。

 

(追記)
 うんせきブログさんの記事によれば、
 2009年に取り壊されたそうです。
 (2009.11.21)

 

松江にはまだまだ近代建築があり、文化的素養の豊かそうな街で、ストックを活用する民間の動きも見られましたので、これから近代建築も観光資源や商業・文化施設として活用が進むことを期待します。

 

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2007年7月 9日 (月)

松江の洋風町家

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松江の町を歩いていて、気になる町家がありました。
これです。場所は石橋町。なんとなくスケールが和風ではない気がします。
また側面のデザインも洋風です。

 

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もう一ヶ所、西茶町にも、同様の町家がありました。
側面に隣の町家の痕跡がありますが、こちらが通常のスケールのように思います。

 

洋風仕様で建てた町家という感じがするのですが、どうなんでしょう。

 

 

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2007年7月 7日 (土)

地元素材の擬洋風(松江・興雲閣)

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今回ご紹介するのは、松江城二の丸に建つ、興雲閣です。
明治36年に工芸品陳列所としてオープンしましたが、その実、明治天皇の山陰巡幸の行在所として建てられたそうです。でも巡幸は中止になり、代わりに皇太子(のちの大正天皇)が滞在、それに合わせて改修されたそうです。
以後、展覧会場や教育委員会の事務所に使われ、昭和48年以降は松江郷土館になっています。

 

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入り口の車寄せ部分。
建築としては擬洋風建築で、県の技手が設計したと推定されるそうです。
石材などは地元のものが使われています。

 

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さらに拡大。柱を支えるのは、松江から近い、大根島の島石ー多孔質で黒色の玄武岩質安山岩です。こんなに穴だらけで大丈夫なの?と思いますが、壁や柱を支えているので、強度は十分なのでしょう。床面には来待石が使われています。松江らしい取り合わせです。

 

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床下の換気口は吉祥模様の分銅をかたどっているようです。
このあたりの部材も大根島石。

 

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こちらは2階部分。車寄せの真上です。ここは拝謁所として使われたそうです。

 

なお、郷土館には、昔の貴重な写真などが展示されていて、参考になりました。
白潟の大火や、のち住宅地になった競馬場の写真、橋の模型などを見ることができました。

 

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2階のベランダ部分。かなり密に持ち送りを入れています。
隣は松江神社。

 

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瓦屋根には千鳥破風。懸魚までぶらさがって和風ですが、換気口の○と波紋模様?は洋風ですね。

 

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さて、松江城まで来たので天守閣にも登ります。
天守閣は1607年の築城当時のものらしいです。

 

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天守閣は他のお城と同様、博物館になっています。街歩きする人に参考になるのが、昭和34年当時の街並みを記録した巨大なジオラマ。映画館の位置や当時残っていた建物などが分かり、非常に参考になると思います。
江戸時代のジオラマもあります。

 

県立博物館は出雲に移転してしまいましたので、松江の街歩きの参考になるのは、松江郷土館と松江城天守閣の2ヶ所だと思います。

 

 

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2007年7月 2日 (月)

松江の銀行建築

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今回は銀行建築です。
お堀越しに建つこの建物は、旧日本銀行松江支店。設計者は長野宇平治なので正統です。昭和13年に建てられました。

 

平成12年からはカラコロ工房として、体験型の観光スポットになっています。

 

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もうちょっと近寄ってみましょう。
窓の格子の模様などかなり幾何学的。

 

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内部は銀行の空間そのままに、工房や店舗をはめこんでいます。窓口などもそのまま。

 

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2階からみるとこんな感じになります。

 

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階段室。大理石が張り回されています。
大理石はまだぴかぴか。あまり使ってなかったのでは?

 

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地下の金庫室も見ることができます。
さすがに分厚い扉。
内部はギャラリーに使われています。

 

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金庫はアメリカ製でした。
運んでくるのがたいへんそう。

 

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続いては山陰合同銀行北支店(旧八束銀行本店)です。
角の丸みや窓と窓の間の飾りなど、親しみやすく感じるのは、大正15年という時代のせいか、民間の銀行のせいか。たぶん両方なんでしょうね。

 

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大正らしい窓間の飾りです。

 

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次はしまね信用金庫旧本店。
駅前の通りにあります。
こちらは昭和元年の建築です。
「おいしそう」と思う感覚は間違っているでしょうか。
左上の窓がアンバランスに大きいのは頭取室なのかも。

 

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拡大してみました。
窓の間に控えめに花の模様が入っています。
大正から昭和への過渡期という感じがします。

 

(追記)うんせきブログさんの記事で、2007年10月にしまね信用金庫旧本店が解体されていたことを知りました。好きなタイプの建物だったので残念です。(2008.7.7記)

 

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最後にこれも銀行建築です。
明治35年に土蔵造で建てられた旧第三国立銀行松江支店(かげやま呉服店)です。
むしろ呉服店の方がぴったりのような気がします。

 

まだ他にも銀行建築があったそうで、かつての豊かさがしのばれます。

 

 

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2007年7月 1日 (日)

松江堀川めぐり

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今回はいつもと違って(?)表の観光です。
松江といえば水の都。堀川めぐりを紹介しないといけません。
松江城の内堀、外堀をぐるっと回る形で屋形船が運航されていて、途中3ヶ所の発着場があります。料金は1,200円ですが、1日乗り放題というありがたい設定。

 

上の写真はカラコロ広場発着場です。
船は15分間隔で運行されています。

 

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船には靴をぬいで乗り込みます。大阪のアクアライナーと比べると、船も小振りなら、水路も小振り。しかしながら、同様に屋根が下がる機構がついています。ここまで下がるので、床に伏せないといけません。ちょっと楽しい。

 

路線の東半分は民家の裏を通ります。昔は「裏」ではなかったはずですが、船を通すことになったときは反対もあったそうです。今は、船から見えるように、窓際にぬいぐるみをディスプレイしている家もあります。

 

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到着したのは大手前の発着場。ここから松江城に入れます。

 

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こちらは路線の西側。緑豊かな水路を走っていきます。

 

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そして、もう一つの見所がここ。
狭い水路をくぐり抜けます。
ほんとうに狭いでしょう?

 

堀川めぐりは今年で10周年を迎えるそうです。
神戸出身の市長が、この堀川を生かさないのはもったいない!と始めたそうです。
細々と始めた遊覧船も今ではかなりの船が走っています。

 

また、楽しいのが船頭さんの解説。
報酬は出るようですが、ボランティア的に運営されていて、例えば、最初に乗ったときの船頭さんは居酒屋のご主人でした。基本的な解説はあるものの、それぞれ方の個性的な解説が入り、特技の歌を披露する方もいたり、何度も乗る楽しみを用意してくれています。

 

次に来たときもきっと乗ってしまうと思う堀川めぐりでした。

 

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2007年6月24日 (日)

夕陽の街・松江

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松江は宍道湖の東岸にあります。
逆にいうと、松江の西には宍道湖が開けています。
なので、松江は夕陽の街として知られるそうです。

 

湖岸の島根県立美術館も夕陽を意識していて、閉館時間は日没後30分に設定されています。これはいいシステムだと思います。閉館時間を覚えていなくても、日の高さを見て、まだ間に合うとか判断できるわけですから。

 

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大阪も西に開けた夕陽の街ですが、海との違いを感じたのは、この湖面を見たときです。えもいわれぬ色合いは、ここに住む人の美的感覚にも影響しているのではないでしょうか。

 

 

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2007年6月23日 (土)

松江モダン

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松江の街といえば江戸時代の城下町。
そして明治の小泉八雲。
それだけでも十分観光できてしまいます。
カラコロ工房という旧日本銀行の建物はありますが、昭和初期というのは、ここではほとんど観光の対象ではありません。

 

そんな松江で昭和初期のモダン建築が立ち並ぶのが白潟本町。
城下町の中心部からは川向かいで、宍道湖の東岸にあり、江戸時代は廻船問屋が建ち並んでいた商人の街でした。
昭和2年に白潟の大火があり、その後、耐火建築に建て替えられたために、鉄筋コンクリートの建物が並ぶことになります。

 

最初に紹介するのは尾原ビル(旧尾原呉服店)。昭和7年の建築です。最上階にはかつて宍道湖を眺めるカフェがあり、屋上庭園が今も残っているとのこと。

 

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松江で最初のエレベーターが付いた、当時かなりモダンなビルだったようです。

 

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中に入る時間はなかったのですが、入り口のステンドグラスは、微妙な色合いが美しいです。宍道湖の色を思わせます。

 

※追記
 この尾原ビルが既に取り壊されたことを知りました。
 5月の連休明けに取り壊しになったとのこと。旅行が4月だったので、1ヵ月ほどで消えてしまったことになります。次に行ったときには中も・・・と思っていたのに。はかないものです。(2007.7.10)

 

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次いでは山陰合同銀行旧本店営業部。
こちらは戦後建築で、昭和28年のものです。

 

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現在は白潟ギャラリーとして、天井の高いスペースが展示スペースに活用されています。

 

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そしてこちらが昭和12年の出雲ビルディング。
最上階は増築されているようですが、味があるビルです。
2階にはバルコニーがあります。

 

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2階以上の部分です。
簡略ながら、ところどころ装飾があります。

 

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メインの階段。狭いです。
いろんな素材を使っています。
左にある緑色のものは何か分かります?

 

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ちょっと面白い郵便受です。
がばっと開いて、裏から取り出すようになっています。
ビルの使われ方は大阪などと同じく、ちょっとしたライブハウス&スタジオなどが入っています。

 

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正面に戻ります。
松葉菱に“I”のマーク。
もちろん、“I”は出雲ビルの“I”で、松葉菱は松江ということではないでしょうか。

 

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同じ通りに松江バザールというお店があります。
こちらは松葉菱に“B”。同じ空気を共有しています。

 

尾原呉服店のネオンにしてもそうですが、かつての繁華を想像させる華々しい字体です。今は寂しい商店街ですが、いずれこの資産をもとに復活してもらえばと期待します。

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2007年6月17日 (日)

石州瓦と来待石

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来待石についてもう一つ。
島根県は、日本の三大瓦産地の一つ、石州瓦の産地で、赤い瓦が特徴的です。(あと2つは愛知の三州瓦と淡路瓦)
倉吉や津和野など日本海側の街並みを彩る赤瓦が、来待石の粉を釉薬に使っているというのは、今回初めて知りました。来待石そのものよりも広く行き渡っているわけです。

 

それとともに、島根県内を旅行して気になったのは、鬼瓦に福の神がレリーフされていること。顔の部分だけ来待釉薬がかからず、肌っぽいので生々しくてどきっとします。しかもそれぞれの棟の先に付いていますので、顔がいっぱい。鬼瓦というと、入ってくる邪を払うものと思っていましたが、ここでは逆に福を呼び込むという、発想の違いが面白く思えます。

 

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軒瓦の端には、よく太陽のような模様が入っていますが、太陽ではなくて唐草らしいです。

 

 

 

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2007年6月 4日 (月)

来待石の町(松江市宍道町)

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出雲旅行のつづきです。
出雲市から松江に移動する途中、松江市宍道町の来待(きまち)に立ち寄りました。ここは宍道湖南岸で、出雲石灯籠の石材である来待石の産地です。来待石は、凝灰岩質砂岩で、非常に柔らかい石材です。

 

その採石場跡地のひとつを利用して、平成8年にモニュメント・ミュージアム来待ストーンがつくられました。石切場跡、博物館、体験工房、陶芸館(来待石は石州瓦の釉薬にも使われる)などからなる施設です。

 

博物館には右下に見えるトンネルをくぐって入る演出があります。(私は知らずに、裏から回ってしまったのですが)

 

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来待石のトンネルを抜けるとこうなっています。
左に見えるのが「三才谷の大岩」と呼ばれた石切場跡。右に見えるのが博物館の建物です。
この石切場では、明治25年頃から昭和30年頃まで、10軒の採石業者によって来待石が切り出されていたそうです(解説板より)。今、広場になっている場所も、元は石山でした。左の壁の高さは約25m。

 

博物館は来待石の解説から、県内の他の石材まで展示してあって、石好きには参考になりました。
館長さんは熱心な方らしく、自筆の資料がたくさん置いてあります。

 

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片隅には石切用の機械も置いてあります。
大谷石用のチェンソーを改造したものだそうです。

 

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採石場跡の壁。四角い石材を縦に切り出していくので、このような形になります。表面にマサカリの跡がついています。この写真ではスケールが分かりませんが、間近で見上げると迫力があります。

 

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来待石の採れるのは、このような低い丘陵地です。
普通は車で訪れるところ、私は来待駅から歩きました。こういう道は、距離以上に遠く感じられます。

 

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来待石は江戸時代、松江藩で重用され、採石は来待、加工は松江、と分けられていました。明治以降、来待に松江の石工が呼ばれ、来待にも加工業が根付いたそうです。来待石は今も掘られていて、来待のあちこちに石材店があります。

 

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水辺に近いというのは、石材産地にとって有利な条件です。来待石が積み出された痕跡を見たいと、宍道湖岸を歩きましたが、ちょっと場所を間違えたようです。恐らくこの写真の右手の方。この写真の中央より左方向が松江です。

 

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宍道湖のしじみ漁の船がたくさん浮かんでいました。

 

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来待の集落。
来待石が塀として積まれています。

 

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地蔵堂にも来待石が使われていました。
来待石なので柔らかみがあります。夕陽が射してなお暖かみがプラス。出雲石灯籠はもっときっちりしてますが、この石灯籠は愛嬌があって、子どもみたいです。

 

石材産地では、石材がこのようにゆるく、ふんだんに使われていて、町の魅力になっています。
合併によって松江市の一部になりましたが、来待石の資源は、うまく活かしてほしいと思います。

 

 

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