カテゴリー「国内旅行(山形)」の記事

2011年9月22日 (木)

山形の旅(18)余目の倉庫群

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鶴岡と酒田の間に余目という駅があります。
酒田から山形に行くとき、ここで乗り換えましたが、山形から新潟に向かう帰りにもここで乗り換えになり、1時間弱の待ち時間があったので外に出てみることにしました。

 

ここは庄内平野の真ん中で、庄内町といいます。
平成17年に余目町と立川町が合併してできた新しい町です。

 

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(この写真は余目からではないですが)駅からは雪をかぶった鳥海山がきれいな姿を見せていました。
山形は山がきれいです。

 

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駅前にはどっしりした旅館があります。
交通の要衝だからでしょうか。

 

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前にも倉庫の記事で紹介しましたが、ここ余目には巨大な農業倉庫があります。
4階建てぐらいの高さがありますね。

 

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倉庫の事務所は下見板張りのレトロな建物です。

 

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隣の白い倉庫も味わいがあって、とくに「余目町農協」の太い文字がいいです。扉も渋い。

 

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巨大倉庫を横から見てみました。
山形の他の農業倉庫と同様、雨除けのひさしが大きく突き出ています。

 

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隣にも倉庫?と思ったら、これがなんと庄内町新産業創造館の賃貸オフィス。情報通信企業が入っています。
昭和12年(1937年)に土蔵造りで建てられた新堀農業倉庫雑品庫(床面積435平米)をきれいに改装、2008年にオープンしたものだそうです。

 

隣の巨大な倉庫は、新堀農業倉庫の本倉庫(床面積1350平米)で昭和9年(1934年)に建てられたものらしい。これも土蔵造り。両方とも旧余目町長の故高梨四郎さんが設計されたそうです。調べていくと、酒田の山居倉庫に対抗して農民自ら経営する倉庫として建てられたようですね。

 

本倉庫も観光案内所を併設する形で整備される方針のようですが、既に3年が経過。どうなっているのでしょう。

 

<参考>
 庄内日報「農業倉庫を改装 新産業創造館 賃貸オフィスが完成 情報発信のシンボルに」(2008年3月4日)
 「庄内町新産業創造館整備基本計画」(平成19年9月、平成21年2月)(PDF)

 

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また旅館のような建物がありました。これも古そうです。

 

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町の中心に向かって歩いて行くと、また別の倉庫がありました。こちらもかなりの規模です。
(取り壊し中の家ごしに撮っていますので、ちょっと不思議な図ですが)

 

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広々とした敷地。

 

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ずらりと並ぶひさし。

 

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裏側に回ると小さな蔵のようなものが建っていました。
それにしても広い敷地です。

 

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ちょっと変わったものを見つけました。
軒下の妻の部分に縄を吊っています。地元の人に聞けば分かるだろうと、通りがかりのおばあさんなどに尋ねるのですが、「さあ」という感じで、そんなに馴染みのあるものでもないようです。

 

電気屋さんで写真を見てもらってようやく、出羽三山で神事に使った引綱を、魔除けとして掲げているものだと分かりました。

 

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まちなかで見かけた蔵。とても凝った造りになっています。

 

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洋館付き住宅?

 

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1時間もない待ち時間は、あっという間に終わり、特急いなほで新潟に向かいました。

 

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車窓からは水を張って田植えを待つばかりの水田が続いていました。
もう日も暮れかかっています。

 

山形の記事はこれで終了。次は新潟に移ります。

 


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<関連記事>
 「酒田の百年農業倉庫」

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2011年9月20日 (火)

山形の旅(17)山形の旧県庁・議事堂

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山形市の霞城公園でゆっくりして、昼にそばを食べるともう残り時間はわずか。
時計を見ながら大慌てで自転車を飛ばしました。
ここだけはということで、行き先は山形県郷土館「文翔館」です。

 

通りの突き当たりに建つ立派な建物です。

 

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見た目にもお役所っぽいですけど、その通りで、旧山形県庁舎です。
大正5年(1916年)に完成した建物です。
時計塔がぬっと突き出しているのが独特ですね。
(その時はそんなこと考えている余裕がなかったのですが)

 

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この建物の面格子はなかなか立派です。
シンプルなようでいて芸が細かい。

 

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お隣にはこれも立派な県会議事堂が建っています。
見た目には違いますが同時期で、明治44年の大火で以前の県庁・議事堂が焼失した後、大正2年に着手、大正5年に完成しています。設計は田原新之助で、顧問が中條精一郎です。
中條精一郎はともかく、田原新之助の名前は知らなかったのですが、この建物の完成直後に40歳で亡くなっているそうです。そうでなければ、もっと名前を残した方だったのでしょうね。

 

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旧県会議事堂の面格子はシンプル。

 

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どちらを見学しようか迷って、時間がないので、さっと見学できそうな旧県会議事堂の方を見学しました。両館は昭和61年から10年がかりで修復されたそうです。

 

広い議場ホールはイベント会場にも使われています。
床はこれも天然素材のリノリウムです。日本では作られていないのでドイツ製で修復したという徹底ぶり。

 

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2階に上ってみます。
美しい階段の親柱。カーペットも復原されています。

 

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なぜか透かしがハートマーク。

 

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柔らかな光が差し込んでいて、いいですね。

 

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来賓室のシャンデリアもカーテンも復原。

 

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旧県庁舎と旧県会議事堂は渡り廊下でつながれています。
アーチ窓が連続していて、夕陽が差し込む頃が良さそうです。

 

名残惜しいのですが、これだけをささっと見て離れました。

 

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駅への道を急いでいると、ものすごくインパクトのある建物があり、思わずブレーキをかけました。
吉池小児科皮膚科医院となっていて、とても医院とは思えないのですが。
後で調べると、設計はなんと中條精一郎で、大正元年ですから県庁・議事堂の仕事より先です。中條精一郎は米沢出身らしいので縁があったのでしょうね。

 

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床下換気口の面格子がなかなか細かい細工です。

 

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敷地のずっと奥に建っていて、教会か何かのように思えます。

 

今回は柄にもなく、建築家の紹介などもしてしまいました。
山形市には他にもいろいろ見るべきものがあるのですが、今回は様子見ということで、ほんの一部だけの見学に終わりました。また改めて訪ねたいと思います。

 

<関連HP>
 山形県郷土館「文翔館」  
<関連記事>
 中條精一郎の設計では、
 「札幌農学校昆虫及養蚕学教室、図書館」などがあります。

 


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2011年9月19日 (月)

山形の旅(16)山形の擬洋風病院

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山形でレンタサイクルを借りて、まず霞城公園内にある山形市郷土館を見に行きました。
霞城公園は山形城の城址公園で、山形市郷土館は明治11年に建てられた済生館という病院を移築したものです。

 

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当時の県令(知事)・三島通庸が建てさせ、大工が西洋建築に倣って建てた擬洋風建築です。たった7ヶ月で建てたそうです。見た目には3層ですが、内部は4階です。とても風変わり。

 

病院として使われていたので改修の手も加わっていたのですが、昭和44年に移築する際、明治期の姿に復原されました。

 

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正面から見ると、扇形の色ガラスが連続して見えます。

 

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礎石や土台には柔らかそうな石材が使われています。

 

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下見板と鎧戸を近くから。

 

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山形市郷土館は無料で公開されています。

 

当初は医学校が併設され、教頭として招かれたオーストリア人のローレツが西洋医学を教えていました。そこで建物自身の資料はもちろんですが、医学資料を中心に、郷土資料が展示されています。

 

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建物はユニークな形をしていて、丸い中庭をぐるりと囲むように部屋が配置され、回廊がめぐっています。当初の復原なのか知りませんが、枯山水や和風の植栽の庭です。

 

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回廊がこのように。
風通しと日当たりが良さそうです。

 

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この建物でもう一つ面白いのが2階に上がる階段です。
ジェットコースターのような階段です。
ちなみに床は天然素材のリノリウムだそうです。

 

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正面から見たときは見えませんが、実はここに階段があります。

 

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振り返るとこんなルートです。
とても長い階段。

 

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公開部分は2階までですが、さらに上に螺旋階段が伸びています。

 

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階段も装飾的で、和風の細工が施されています。

 

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天井のシャンデリア。

 

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廊下の照明。植物の実を思わせるかわいらしい照明です。

 

展示物の撮影は禁止だったので撮っていませんが、展示も建物のかつての様子や山形市内の写真・地図などがあり、参考になりました。

 

<関連HP>
 山形市HP「山形市郷土館」(みどころ解説あり)

 


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2011年9月17日 (土)

山形の旅(15)山形市内をサイクリング

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酒田を午後に出て、列車を乗り継ぎ、夕方山形市に到着しました。
山形国際ホテル泊で、この写真はホテルからの眺めです。
山形は遠く山に囲まれた盆地です。

 

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山形駅はメタリックな駅ビルです。
県庁所在地らしい立派な駅。

 

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駅前からイオンショッピングセンター行きの無料シャトルバスが出ているのが今風でしょうか。

 

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街並みはすっきりしていて、きれいという印象です。
一部しか見られませんでしたが、街路はいたるところ、きれいに整備されています。

 

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今回、山形市内で使える時間は半日だけでした。
あまりに時間が短かったかも。

 

「城下町やまがた観光レンタサイクル」があるので、これを利用しました。
観光客は無料で利用できます。山形駅観光案内所など、8ヶ所の貸出返却ステーションのどこで借りても返してもいいシステムです。

 

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山形市内中心部の七日町に社会実験の自転車道があってびっくり。
思い切った実験をしています。
反対もあるようですが。

 

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新しい山形については以上ですが、私はもちろん古い街の方に興味があって、それに関しても山形市は力を入れているようでした。
「城下町やまがた探検地図」というものがあり、これは街の看板ですが、大判のマップやウェブでも配布されています。
 →HP「城下町やまがた探検地図」

 

江戸時代の城下町だけでなく、近代の街もカバーされています。

 

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香澄町で見かけた立派な洋館。

 

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和風の古そうな住宅。

 

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街中にも石造の蔵があります。

 

今回、山形市に関しては少ししか回れなかったのですが、2回に分けて紹介します。

 

 

 

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2011年9月 3日 (土)

山形の旅(14)酒田の2つの商家

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酒田の記事の最後に、江戸時代の2つの商家を紹介します。
北前船のことを考える上でも大事な場所です。
まず最初は、酒田のみならず、戦前には日本一の大地主だったという本間家の旧本邸。

 

本間家は佐渡を支配した本間氏の流れで、江戸時代の初期に酒田に移り、「新潟屋」の屋号で商売を始めたようです(向かいの別館「お店」の場所)。
海運業が主業で、金融業も営んでいたのですが、稼いだお金で代々田地を買っていったことで大地主となりました。また、砂丘への植林や港の整備など公益事業や、藩への資金援助なども積極的に行っていたそうです。

 

この本間家旧本邸は三代光丘(1733-1801)が幕府の巡見使を迎えるための本陣宿として明和5年(1768年)に建て、藩主酒井家に献上した建物です。役目を終えると建物は再び本間家に与えられ、本間家の屋敷となったため、武家屋敷と商家が一体の珍しい建物になりました。

 

四代目の光道(1757-1826)が6隻の船を造って北前船交易を行ったことは日和山公園の記事で紹介した通りです。

 

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非常に立派な門構えです。

 

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植わっている松なども立派なもの。
玄関から入ります。

 

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玄関周りや壁の石垣には福井の笏谷石(しゃくだにいし)が使われているようです(違いが分かりませんが)。

 

内部撮影禁止でしたので、写真はここまで。
本間家旧本邸は、昭和20年まで本間家が住み、昭和24〜51年まで公民館として使われ、今は観光施設として有料公開されています。
本間家旧本邸ホームページ※音が出ます

 

広い屋敷内はガイドの方が、武家屋敷部分と商家部分の作りの違いなど、見所を案内して下さいます。
昭和51年の酒田大火のときには屋敷の蔵が火を食い止めて、類焼を免れたそうです。

 

酒田には旧本邸以外にも、今は本間美術館となっている本間家別荘「清遠閣」・庭園「鶴舞園」などがあります。

 

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続いて同じ通りの旧鐙屋へ。
旧鐙屋は酒田を代表する廻船問屋で、井原西鶴の「日本永代蔵」にも登場するそうです。
現在は市が管理する観光施設として公開されています。

 

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展示されていた旧鐙屋の屋敷図です。
現在公開されているのは左のピンク色の部分で、元々は4倍の敷地でした。
現在の建物でもかなり広いですよ。

 

現在の建物は弘化2年(1845年)の火災直後に再建された建物を修復したものだそうです。

 

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こちらは内部撮影もOKだったので、紹介します。
入口を入ると帳場があって、商売の様子が再現されています。

 

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土間がずっと奥まで続いていて、土足で行き来できます。

 

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奥行きが長いでしょう?

 

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庭も眺められます。明かり取りは十分。

 

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見事な桟の細工です。

 

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台所では昔の料理なども再現されていました。

 

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旧暦の大の月の看板?

 

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釘隠の金具はやはり凝っています。

 

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土蔵が資料館になっていて、取り外された金具などが展示されていました。
縁起物です。

 

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庭に出てみました。
奥の建物がさっきまでいた建物です。
ゆったりしています。

 

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庭の敷石も緑っぽいので笏谷石かも。
屋根には石が乗っていますでしょう。

 

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この地方特有の石置杉皮葺屋根という形式の葺き方です。
同じものを鶴岡の丙申堂で見ましたが、風が強いからかもしれませんね。

 

酒田については、旧花街の料亭なども見どころなのですが、今回は回る時間がありませんでしたので、またの機会としたいと思います。

 


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2011年8月13日 (土)

山形の旅(13)酒田の日和山周辺の建物

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酒田の日和山周辺には、他にもいろいろ興味深い建物があります。
例えばこの4階建てのビルのような建物。
旧白崎医院の目の前に建っています(この裏が旧白崎医院)。

 

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旧白崎医院側から見るとこんな感じ。
4階に、屋上に出る外階段があります。

 

旧白崎医院の事務所の方に「これは何の建物ですか?」と尋ねると、「それを聞かれるのは3人目です」と笑いながら、料亭で屋上にお客さんを上げていたことを教えて下さいました。

 

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4階部分には凝った装飾が施されています。
後で調べたところでは、「割烹はら」の洋館というのが正式な名前で、昭和10年の建物だそうです。

 

日和山公園の北には「新町」の町名案内板が立っていました。料亭・割烹などの建物が斜面に集まっていて、海を望む遊興の地であることが分かります。大阪も新町は旧花街ですね。

 

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建物にはめこまれた色ガラス。
夜にはぼんやりと光ったのでしょうか。

 

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また、日和山の東側(市街地側)には、旧割烹小幡があります。奥に見える和館部分も。
昭和元年頃の建物だそうです。

 

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映画「おくりびと」で葬儀社・NKエージェントの事務所として使われ、今は観光施設となっています。(時間がなかったので内部はパスしましたが)

 

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旧割烹小幡の側壁に、旧白崎医院で見たような型押しの鉄板が使われていました。

 

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これは日和山公園に西にあった理髪店の廃墟。
タイル張りの柱が面白かったので。

 

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日和山の隣にある元砂丘の上には下日枝神社が鎮座しています。
日枝神社は酒田の鎮守で、現在の社殿は、砂丘の植林などを行った本間家の本間光丘が天明4年(1784年)に建立しています。

 

酒田の街の構造として、西側の松の丘(旧砂丘)に下日枝神社など神社が並び、街の北側に寺町が連なって、東の端に上日枝神社があり、南側は最上川から入り込んだ水路に面していたようです。

 

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下日枝神社の社殿は、神使のサルの彫刻が目を引きます。
生々しい。

 

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下日枝神社の参道の一つはそのまま街の軸になっています。

 

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この丘には、大正14年に本間光弥が建てた私設図書館である光丘文庫もあります。その後、市立図書館としても使われ、寄贈されて現在は市立光丘文庫となっています。

 

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光丘文庫からは酒田市街が眺められます。

 

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丘の東側にあった下見板張りの建物。

 

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同じく丘の東側にある洋館。

 

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法律事務所で、とてもいい雰囲気の洋館です。
周辺には他にもあるのかもしれません。
こんなところも新潟と似ていると思ったりします。

 

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少し離れますが、丘の北東には日本基督教団酒田教会があります。
赤いトンガリ屋根が目印。大正13年(1924年)の建物です。

 

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酒田日本基督教会のプレートが玄関上にはまっています。

 

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向かいにも洋風下見板張りの建物がありました。

 

日和山の周辺には華やいだ建物が多く集まっているようです。

 


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2011年8月 6日 (土)

山形の旅(12)酒田の大正医院 〜ディテール編〜

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前回、酒田の大正時代の洋館である旧白崎医院を紹介しました。
今回は旧白崎医院のディテールを紹介したいと思います。
白い世界です。

 

まず玄関の照明器具。当時は珍しい国産らしいという話でした。

 

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診察室の表札。ホーローでしょうか。
墨で書いたような字体に味わいがあります。
ここだけでなく、手術室など、それぞれの部屋の入口に部屋の名前が留められていました。

 

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手術室の洗面台。年代物です。

 

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手術室の照明。
そのままの状態で壁に付いていました。

 

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前回の記事でも書きましたが、天井にはドイツ製ではないかという模様入りのプレス鉄板が張られています。
北九州の門司麦酒煉瓦館(旧サッポロビール門司工場事務所棟)でも同じようなものを見ました。

 

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これが部屋ごとに違うんです。

 

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それぞれに違いますでしょう。

 

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さらに拡大。

 

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部屋の隅の部分には帯状に模様が入っています。

 

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ちょっとした留め金にまで模様が入っています。

 

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部屋の角を覆う鉄板。
模様を石を思わせます。

 

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ドアノブはどら焼き風。

 

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階段の手すり金具も丸みを帯びたデザインで、渋く光っています。

 

細々したところまで、よく昔の状態で残してきたものだと思います。

 

 

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2011年8月 5日 (金)

山形の旅(11)酒田の大正医院

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酒田の日和山公園裏の松林に白い洋館が立っています。
大正8年(1919年)に建てられた旧白崎医院(外科医院)です。
元々はまちなかの本町通りに建っていたのですが、昭和51年の酒田大火後、復興土地区画整理のため、昭和55年に移築されました。

 

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油問屋を営んでいた白崎敬之助氏が、遠くまで(横浜ではないかという話)洋館を視察に行き、自ら設計したそうです。棟梁は小松友治郎氏。

 

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建物に入る前に。向かいにも小さな付属建物があります。
小さいながら、手前から便所、供待所、人力車庫と部屋が並んでいます。

 

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持ち送りや軒の装飾なども丁寧です。

 

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床下換気口面格子も忘れずにチェック。
シンプルなタイプです。

 

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この建物は酒田市の所有で、入館は無料です。
中では管理の方が丁寧に解説してくださいました。
玄関を入ると真っ直ぐ廊下があり、突き当たりが手術室です。
左は手前から薬局、診察室。右は手前から控室、看護婦控室。手術室の右に消毒室があります。
それにしてもきれいに移築してあるものです。

 

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玄関には往診用のそり(!)が展示されていました。
さすがは雪国ですね。

 

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廊下を反対側から。

 

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廊下の窓越しに控室をのぞきこむ。畳敷きです。

 

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手術室。実際にこの手術台で外科手術をしていたそうです。
想像はやめておきましょう。

 

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2階への階段。とても急です。
手すりも当初から付いていたもので、輸入品では?とのこと。
壁の角が鉄板で保護されています。石積み風?でしょうか。

 

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階段の途中から振り返って見上げたところ。
天井にもドイツ製らしいという装飾入り鉄板が使われていて、ここからだと間近に見ることができます。

 

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2階の階段の手すり。ここは洋風です。

 

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2階は家族の住居だったそうです。
奥は一段高い物置。左右は居間です。

 

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2階は和風で畳敷きです。住むのは和室なんですね。廊下をはさんで居間が並びます。

 

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物置の窓は足元から立ち上がっています。

 

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居間の窓からは松林越しに海が眺められます。
いい場所に移築したものです。

 

素人の設計で建てたとは思えない、しっかりした建物です。他にお客さんもいないので、私はゆっくり写真を撮りながら楽しみました。

 

次回はディテールを紹介したいと思います。

 


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2011年8月 3日 (水)

山形の旅(10)酒田の日和山公園

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酒田の日和山公園は、今回の旅行で押さえておきたかった行き先の一つです。
日和山は天候で出航の判断をするために船乗りが上った小高い山で、港の近くにあります。さらに日和山公園は明治6年に指定された最初期の公園の一つでもあります。さらに言うと、既に江戸時代から藩の土地でありながら庶民に開放されていた、公園的な場所だったようです。

 

日和山の位置に行くとさすがに見通しが良く、現在も港を眺めることができます。
正面に見える灯台は後で紹介します。

 

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ここには寛政6年(1794年)に設置された最古(と解説には書いてある)の方角石が据えられています。

 

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日和山公園には常夜灯もあります。(公園内ではないようですが)
文化10年(1813年)に船頭や廻船問屋が航海安全を願って設置した「灯台」です。

 

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日和山にある神明神社。
他に航海の神様の金比羅神社もあります。

 

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この神明神社から港に下る階段は、神明坂といって、文化14年(1817年)に本間家が船頭や人夫が荷物を運ぶ便を考えて作ったそうです。港の機能の一部と言えますね。

 

本間家は別の記事でお屋敷を紹介しますが、農地改革で解体されるまで全国一の大地主だったそうです。この文化14年の頃は四代目で、北前船の事業に乗り出し、6隻の船を持っていたそうです。それ以前、砂丘に植林をしたのが三代目だとか。

 

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日和山六角灯台(宮野浦灯台)までやってきました。
江戸時代以来の灯台は常夜灯でしたが、明治27年の庄内大地震を機に、明治28年、対岸の最上川河口に建てられた洋風灯台です。大正12年にこちら岸に移され、昭和33年に新しい灯台ができたときに、「町内会連合会の熱意で」公園に移設されたそうです。
港に働く人たちにとってシンボルだったということでしょうか。

 

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こんな記念碑もありました。
石井虎次郎という人の紀功碑です。
石井は千葉県の松戸出身でオランダ人技師ファン・ドールンに学びました。明治18年に酒田港の改修工事が始まると工事監督に当たり、故郷の工法にオランダの工法、独創を加え、熱意をもって工事を進めました。明治34年に完成。その後、洪水被害がなくなったそうです。

 

記念碑は明治34年に建てられています。
このように労に報いることは大事なことですね。

 

110502hiyoriyama13 ※クリックすると拡大します。
詳しいことを知りたい方はこちらの案内板をお読み下さい。

 

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雨こそやんでいましたが、あいにくの空模様。
日和山公園の入口からの眺めです。
右奥に灯台が見え、奥が日和山です。

 

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酒田といえば、河村瑞賢。
高い台座から海を眺めるように、きりっと立っています。
河村瑞賢は寛文12年(1672年)、出羽の国の幕府米を酒田港から大坂・江戸に送るため、西回り航路を開発しました。

 

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1/2サイズの千石船(日吉丸)も池に浮かべられています。

 

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公園の駐車場には河村瑞賢庫跡のモニュメントが立っています。
この場所に天領米の御米置場(通称、陣屋)があり、その広さは150m×82mあったそうです。
川船で運ばれてきた米はいったんこの蔵に納められ、海路の船に積み替えられて送られました。

 

日和山公園に来ると、酒田の港の歴史を濃厚に感じることができます。

 


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2011年7月31日 (日)

山形の旅(9)酒田の百年農業倉庫

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酒田市立資料館を見た後、少し先にある山居(さんきょ)倉庫を見に行きました。
山居倉庫というのは、明治26年から30年にかけて建てられた農業倉庫で、百年以上たった今でも14棟のうち12棟が残り、9棟は現役の農業倉庫(JA)として使われています。

 

現在2棟は「酒田夢の倶楽(ゆめのくら)」という観光物産館、1棟は庄内米歴史資料館として利用されています。

 

倉庫は酒田市街の南、新井田川をはさんだ対岸にあり、もともと中州(山居島)だったそうです。ここに杭を打ち、高い盛り土をして建てられています。

 


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山居倉庫は、当初は酒田米穀取引所の付属倉庫でした。
興味深いのは、この倉庫を建てたのは旧庄内藩主の酒井家で、働いていたのも士族だったとのことです。江戸時代の生き残りのようにも感じられます。

 

かつて、庄内平野の米が酒田に集められ、北前船などに積み替えられて、遠くは大阪まで運ばれていったという機能が引き継がれた形です。もちろん輸送手段は船から、鉄道、トラックへと移り変わっているのですが。

 

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倉庫は所々に通路を開けつつ、一列に並んでいます。
この倉庫を設計したのは、以前に紹介した鶴岡の旧西田川郡役所、旧鶴岡警察署などを建てた高橋兼吉で、自然をうまく利用しつつ、米を保管する工夫が凝らされています。

 

ご覧のように、屋根は二重になっていて、太陽の熱を遮り、風通しをよくしています。

 

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倉庫の入口や通路の上にも屋根がかけられ、濡れずに行き来できるようになっています。

 

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壁も二重で、間に空間があります。

 

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裏側にあたる西側は有名なケヤキ並木で、強い海風と西日を遮っています。
NHKのドラマ「おしん」のロケ地でもあるそうですが、記憶にありません。

 

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同じような倉庫が並んでいながら、所々の庇がリズムを与えています。
大きく張り出した庇。

 

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斜めから見るとこんな感じです。

 

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こちらは大きな庇がない倉庫。

 

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倉庫には番号がふられています。

 

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当初は川船で米が運び込まれていました。
その記憶として、小鵜飼船(こうがいぶね)が復原展示されています。
長さ13〜15m。支流や近距離輸送用で、積載量は50俵程度だそうです。
前方に帆をかけて風も利用しました。
(案内板より)

 

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山居倉庫裏には、元々あった山居稲荷に藩主酒井家、徳川家からもお稲荷さんが勧請・合祀されて、三居稲荷として、倉庫の鎮守になっています。

 

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倉庫としては以上なのですが、敷地内には、大正15年建設の「東宮殿下行啓記念館」があります。皇太子(のちの昭和天皇)が行啓された記念に建てられたようです。

 

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川側からみると、より立派な建物に見えます。
川面と倉庫はこれぐらいの高低差があります。

 

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ついでながら、庄内を列車で回っていると、駅前に大きな農業倉庫があります。
これは鶴岡駅前の農業倉庫です。

 

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大屋根を持つ大きな倉庫が並んでいました。木の壁も趣きがあります。

 

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余目にも巨大な倉庫があります。
こちらは改めて紹介します。

 

鶴岡や余目では観光利用されていないようですが、産業観光資源としても面白いなと思いました。

 

 

 

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