カテゴリー「国内旅行(岐阜)」の記事

2016年8月 7日 (日)

瑞浪の近代建築など(岐阜県瑞浪市)

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先月、多治見市笠原にオープンしたモザイクタイルミュージアムを訪ねる機会があり、翌日、瑞浪の街を歩きました。多治見・土岐については2008年に訪ねていますので、今回は瑞浪を紹介します。瑞浪は周辺の街と同じく陶器の街のようです。

 

瑞浪の駅前は昭和の雰囲気も残しつつ、駅前広場は明るく整備されていました。

 

>日常旅行日記「多治見60年代」      「懐かしの土岐」

 

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駅前にある地図です。
瑞浪の街は中心部を土岐川が蛇行していて、街が分かれています。
昔の空中写真を見ると、旧市街は川の西側と、瑞浪駅の南側の半島状の地域、線路の北側を平行して通る旧街道のあたりのようです。

 

駅からは東に本町通り、南西に元町通り、新しく南へ公園通りが伸びています。
旧市街を意識しつつ歩きました。

 

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まずは東の方、駅前を東西に横切り、角度を変えて土岐橋に向かう、本町通りの周辺を紹介します。
こちらはタチ医院です。
診察室と後ろに続く自宅の2階が下見板張りです。

 

タチ医院HPの「ごあいさつ」によると、ここは昭和9年に建てられた大竹医院という眼科医院で、その後、外科の「桜井医院」の時代をへて、昭和42年からタチ医院となったそうです。
真新しく見えるのは、平成17年にバリアフリー対応改修をされたからで、それでも古い外観を維持されているのはありがたく思います。

 

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もう少し駅寄りで気になった建物に、犬養産業(株)瑞浪営業所があります。
これなどもサイディングを外せば本体は古いのではと思ってしまいますが、自分の目に補正をかけすぎかも。

 

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本町通りは、現在の幹線と分かれた後、角度を変えて、一直線に土岐川に向かっています。

 

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その道の先、土岐川の向こうに洋風建築と黒い建物があり、アイストップとして呼んでいます。
始禄というのはお酒の名前で、元禄時代創業の中島醸造という造り酒屋さんです。

 

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手前に架かる土岐橋は昭和5年竣工。
洋館とともに味がありますが、点検結果が良くなく、掛け替えが検討されています。

 

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この洋館も中島醸造さんの持ち物のようですが、使われている雰囲気ではなく、心配です。
こういう立地の建物は街の顔なので、風景として残ってほしいところ。

(追記)洋館は残念ながら土岐橋の架替工事に伴い、2021年に解体されました。この洋館は中島醸造の中島亥十郎が明治15年に創設した蘇東銀行本店として大正期に建てられた建物であったと言われています。解体にあたって一人の高校生の声により、一部のタイルが保存され、日本タイル工業株式会社の製品が使われていたことが判明したそうです。→モザイクタイルミュージアム・特集展示より。(2024.9.23記)

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壁には面白いタイルが使われていました。
アフリカで干上がった池の底のような。

 

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さらに先に進んでみました。
広大な酒屋の敷地を周りこむと、正門前からまたまっすぐ道が伸びて、きれいな水路があります。

 

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さらに歩いて行くと、古い公会堂がありました。
益見公会堂という看板がかかっています。
今も使われている様子。

 

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瓦は益見の「益」の字入りです。
益見というのは地区の名前です。

 

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街の東側はこれぐらいとして、次は街の中心部です。

 

古い町屋はたくさんありますが、寺河戸町のこの洋風住宅が気になりました。
煉瓦積みの塀があり、2階建ての洋風建築から和風の部屋が突き出しています。

 

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川の西側は元町という地名が見えますのでどうも古そう。
美濃窯業の2本の煉瓦煙突が目立っています。
奥が大正9年の角形煙突、手前が昭和10年の丸形煙突です。
東濃地方に残る最大級の煙突として、ともに登録有形文化財になっています。

 

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元町通り沿いの、たぶん元散髪屋さん。

 

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川の西側は河岸段丘になっていて面白い地形です。

 

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段丘の上には古い住宅もありました。
とくにこの建物、すごく良い洋館付き住宅です。
洋館部分だけが目立つことなく、和館の中に取り込まれています。

 

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和館にサンドされた洋館付き住宅も。
たぶん、右側の和館は後から建てられたものでしょう。

 

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戦後のものという感じですが、消防団の消器庫が下見板張りの建物でありました。

 

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玄関部分が下見板張りになっている建物もあります。
面白い構造ですが、なぜ玄関が2つ?

 

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これは何ともいいがたいですが、川沿いに目立つ洋風住宅がありました。
新しそうにも見えますが、気になるので参考に載せておきます。

 

とくにあてもなく訪ねた瑞浪でしたが、いい建物に出会えました。

 

 

<関連記事>
 日常旅行日記「多治見・土岐の記事一覧」

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2009年8月12日 (水)

東海(愛知、三重、岐阜)

<愛知探訪>  ■名古屋編  ○東山動物園の旧モノレール(2012年春)
 ○東山動物園の恐竜像(2012年春)
 ○東山公園・動物園(2012年春)
 ○東山植物園の温室(2012年春)
 ○名古屋のレジャーランド跡・道徳(2014年夏)
 ○道徳公園のクジラ像(2014年夏)
 ○七里の渡しの宿場町(2014年夏)
 ○鶴舞公園 明治編大正編(2015年冬)
 ○西町公園・白鳥西公園(2018年秋)
 ○港北公園と博覧会(2018年秋)
 ○配水塔の稲葉地公園(2018年末)
 ○里山公園(2018年末)
 ○日吉公園と茶ノ木島公園(2018年末)

 ■犬山編 ○明治村の換気口面格子 問題編解答編(2010年夏)

 ■岡崎編 
 ○家康ゆかりの岡崎公園(2016年夏)
 ○岡崎旧市街西部の建物(2016年夏)
 ○岡崎旧市街中心部の建物(2016年夏、一部2023年夏)
 ○岡崎旧市街東部の建物(2016年夏)
 ○県立農業大学校から東公園へ(2017年春)
 ○志賀重昂氏ゆかりの東公園(2017年春)
 ○六社神社の彫刻(2019年夏)
 ○岡ビルから南の建物(2019年夏、一部2016年夏、2017年春)
 ○再整備前の南公園へ(2023年夏)
 ○南公園の交通広場(2023年夏)
 ○柱公園とその周辺の建物(2023年夏)
 ○西尾鉄道の軌道跡など(2023年夏)

<三重探訪>

 

 三重県(とお隣の奈良、新宮)を探訪した記録。訪問時期はばらばらです。

 

 ■桑名編   ○つぶぞろいの石垣(木曽岬町、2007年夏)

 

 ■四日市編   ○諏訪公園と旧四日市市立図書館(四日市市、2008年秋)
  ○紡績で建った旧四郷村役場(四日市市、2008年秋)
  ○近代産業発祥の村(四日市市、2008年秋)
  ○四日市の鍾馗さん(四日市市、2006年秋)

 

 ■鈴鹿編   ○型紙の町・白子(鈴鹿市、2005年冬)
  ○芸術的な消耗品(鈴鹿市、2006年冬)

 

 ■津編   ○津偕楽公園(津市、2007年冬)−明治10年の公園
  ○伊勢竹原の駅前セット(津市、2008年秋)

 

 ■伊賀編   ○屋根の上の忍者たち(伊賀市、2007年冬)−瓦
  ○伊賀の持ち送り(伊賀市、2007年冬)

 

 ■初瀬街道・伊勢街道編   ○初瀬街道の近代−桜井(桜井市、2008年秋)
  ○初瀬街道の近代−大和朝倉〜長谷寺(桜井市、2008年秋)
  ○初瀬街道の近代−長谷寺(桜井市、2008年秋)
  ○初瀬街道の近代−榛原(榛原市、2008年秋)
  ○名張の水路(名張市、2007年夏)
  ○名張の街並み(名張市、2007年夏)
  ○名張のお店はもてなし好き?(名張市、2007年夏)
  ○初瀬街道の近代(津市、2006年春)
  ○止まれのある風景(津市、2008年秋)
  ○櫛田可動堰を渡る(松阪市、2009年秋)
  ○豪商の中万(松阪市、2009年秋)
  ○伊勢白粉の町・射和(松阪市、2009年秋)
  ○街道の交差点・相可(多気町、2009年秋)
  
 ■伊勢編   ○格子へのこだわり(伊勢市、2006年秋)

 

 ■離島編   ○答志島・答志の路地(鳥羽市、2009年春)
  ○潮騒の神島(鳥羽市、2009年春)

 

 ■東紀州編   ○オープンガーデンがいっぱい(熊野市、2007年春)
  ○木本・本町通り散歩(熊野市、2007年春)−近代建築
  ○寄らされて新宮、西村伊作邸(新宮市、2007年春)

 

<岐阜探訪>

 

 ■飛騨編   ○高山の昭和9年(高山市、2007年冬)
  ○下呂温泉のタンク(下呂市、2007年冬)
  ○下呂の鉄橋(下呂市、2007年冬)

 

 ■東濃の陶都編   ○多治見60年代(多治見市、2008年秋)
  ○多治見の昭和町(多治見市、2009年2月)
  ○多治見散歩(多治見市、2009年2月)
  ○懐かしの土岐(土岐市、2008年冬)
  ○瑞浪の近代建築など(瑞浪市、2016年夏)

 

 ■岐阜市内編   ○岐阜の小さな公民館(岐阜市、2008年8月)
  ○中山道・加納宿のあたり(岐阜市、2008年8月)

 

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2009年3月26日 (木)

多治見散歩

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多治見の昭和町を見た後も、多治見の市街を散歩しました。
そこで見かけた、コンクリートブロックサイズのタイルを貼ったブロック塀、なんでしょうか。ちょっとおしゃれなブロック塀です。

 

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古びたビルの1階がトンネル路地のように、向こうの路地に続く不思議な通り。

 

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アーケードのある銀座商店街には、大きなお屋敷もあって、歴史を感じさせます。石組みが美しい。

 

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これは少し離れた場所ですが、屋号の入った丸い門灯です。
上のお屋敷も含めて、あちこちで見かけました。

 

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小路町に出て、洋品店のみの周さん。
クリーム色のタイルが年代を経てきた雰囲気です。

 

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この青白の磨りガラス、木製桟の分割パターンは、ショーウィンドウでも見かけるものです。どこかの時代の流行かと思いますが、まだ分かりません。

 

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お向かいも似たような感じの下廣商店さんがあります。
こちらは化粧品・石けん・洗剤のお店だそうです。

 

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テラコッタらしき飾りが2ヶ所付いています。
解像度が悪くて何の図案かよく分かりませんが。

 

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多治見は蔵がたくさん残っていて、なおかつ活用されています。
この場合は飲食店になっていました。

 

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これはなんだか不思議な蔵でしょう?
写真に撮っていたら、そばにいた方に声を掛けられたんですが、実はその隣にいた方がオーナーさんで、これは蔵を改造したチャペルなんだそうです。3月にオープンとおっしゃってましたから、もうオープンしているでしょう。ある意味、現代版擬洋風の感がないでもない。

 

伝統的町家から70年代建築まで、多治見は散歩して楽しいところです。
また5月か6月に出かけようと思います。

 

 

 

 

 

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2009年3月16日 (月)

多治見の昭和町

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多治見の出張最終日。
あいにく雨の日でしたが、仕事が終わる頃に雨も上がり、日も長くなりましたので、少し町を歩きました。

 

多治見の真ん中を北東-南西に土岐川が流れています。元々の多治見の町は川の南側(写真の右側)で、多治見駅のある川の北側は昭和9年に合併するまで豊岡町という別の町だったようです。

 

この写真は駅前通の陶都大橋から撮っています。向こうの橋は昭和橋で、右に渡ったところは昭和町です。多治見は面白いことに昭和町、大正町、明治町が揃っています。
今回は旧の多治見町側にある昭和町を紹介します。

 

右手にこんもりしたヒマラヤ杉が見えますでしょうか。

 

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近づくとこういう洋館があります。
Reverie(レヴェリ)という、雑貨店、レストラン、ギャラリー、英会話教室の複合施設です。
ホームページによると、元は大正末期から昭和初期にかけて建てられた演劇場らしく、その後、税務署、裁判所、陶器関連の会社事務所などに使われ、空き家になっていたところを活用されているそうです。

 

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陶器の町・多治見だけあって、タイルがふんだんに使われています。
とくに玄関の柱はびっしりと豆タイル。

 

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廊下はずっとこの市松模様です。
下にはギャラリーが入っています。
お話でも聞こうと思ったのですが、無人でした。

 

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2階建てでギャラリーは地下室なのかと思うと、裏から見ると3階建て。違う建物に見えます。
表は土岐川の堤防に面して建てているので、2階が入り口になっているのですね。

 

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ちなみに、Reverieさんが入られたときに敷かれたのかと思いますが、玄関前には耐火煉瓦が敷かれています。焼き物の窯にたくさんの耐火煉瓦が使われているので、その再利用だと思います。KTK、TRC、STR、YRKなどと刻印がありますが、何という会社の略号なのか分かりません。

 

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また近くに旧昭和橋郵便局があります。
昭和9年頃の建物らしい。
残念ながら今は使われているふうではありません。

 

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すごいのがタイルで埋め尽くされているところで、軒裏にもびっしりタイルです。
一部スクラッチタイルも使用。

 

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昭和町から少し外れます。
町家もまたびっしりとタイルが貼られています。

 

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こんな感じです。
右端は改築部分のようです。

 

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上は浴室用タイルのような気がしないでもないですが。

 

昭和町はその名の通り、昭和レトロの雰囲気ある町でした。

 

 

 

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2008年12月31日 (水)

懐かしの土岐

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<土岐市駅前の東西の通り>

 

部屋の片付けもありますが、年内の記事は年内にということで・・・
今年は仕事で何度か岐阜県の土岐・多治見を訪ねる機会がありました。
多治見は名古屋から30分で快速の本数も多いことから、マンションが建ち、名古屋のベッドタウンになっているようです。川を越えるとちょっとレトロな街並みがあります。

 

土岐は一駅向こうにあるだけなのにずっと静かです。駅前から既に、多治見より一時代古く、懐かしい街並みがあります。住む人には分かりませんが、旅人には魅力的なところです。
出張の前後に土岐の街を歩きました。

 

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駅前からまっすぐ伸びる商店街を歩いていると、右手に古そうな建物が目に入ります。

 

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近づいてみるとお医者さんで、森川歯科と書かれています。
1936年(昭和11年)に建てられたものだそうです。
切妻の角がちょこっと折り込まれているのが洋風です。

 

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壁面はボードのようなものが打ち付けられています。
なんだろう。

 

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住宅の玄関に向かっては、お庭を通ってきっちりした石畳が敷かれています。

 

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一方、医院の入り口は建物よりは新しそうで、全てタイルで仕上げられています。土岐も美濃焼の産地ですので、土岐らしい素材。

 

日が暮れてからもう一度通りがかったところ、この建物は裏側からも眺めることができ、出窓などがありました。

 

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もう少し歩いていくと、左手にヒマラヤ杉が目に留まり、その下に下見板の和洋折衷の建物が建っています。
左右対称で、両翼に車庫と倉庫が張り出す個性的な構えです。
グレーの色合いは先ほどの森川歯科と同様。

 

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こちらは山森清水商店と書かれていました。
陶器商さんらしいです。今は傷んでいますが、瀟洒な雰囲気があります。

 

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旧道には古い建物が並び、2階には干し柿。

 

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夕暮れの土岐川を南に渡ります。

 

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民家の壁に残る「衛生伍長」のプレート。
電話番号だって3桁しかありません。

 

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県道69号にかかる明楽寺橋。1939年(昭和14年)に架けられた橋です。
欄干のアーチは普通ですが、親柱にくらげのようなインベーダーのようなデザインが付いています。

 

このあたりに近代建築の土岐津陶磁器工業協同組合の建物があったはず、と思って見ましてみましたが、見つかりません。ようやく気付いたのは、向こう側にコンビニの看板が立っていて、重機が整地をしていること。取り壊されていたんです。2ヵ月前に、ちゃんとあることを確認していたのに!

 

対面にあったという土岐郵便局も既にありません。
時が止まっているように見えても確実に時間は経過しています。

 

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気を取り直してさらに南へ。
すると下街道にぶつかりました。下街道というのは中山道と名古屋を結ぶ脇街道で、上街道=中山道に対する下街道です。善光寺参拝に使われたため、善光寺道とも呼ばれました。明楽寺橋の上流側に、これも古そうなコンクリート橋が架かっています。欄干のアーチが広く、こちらの方が私好み。残念ながら橋の名前も建設年も分かりません。

 

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欄干は宝石風? 丸い珠を4つの爪が支えています。
大正時代の橋などで時々見かけるデザインです。

 

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下街道に沿って東の方へ歩いてみました。
このあたりは街道沿いの古い集落だと思います。
すぐに遠山医院というお医者さんがありました。
和洋折衷の雰囲気があり、窓にダイヤモンド型の桟が入っているのが変わっています。

 

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木製の文字の雰囲気がいいのですが、日も暮れて撮影は限界。

 

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引き返して近くを歩いていると懐かしい感じの蔵がありました。

 

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床下換気口を覗き込むと、繰り返しパターンの面格子がはまっています。明治時代ぐらいのものかもしれません。

 

今回はここまで。
いずれプライベートで訪ねてもいいなと思います。

 

 

 

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2008年11月 5日 (水)

多治見60年代

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出張で多治見へ。
あまり時間はありませんが、駅前の下街道(善光寺道)を少し歩きました。
中山道=上街道に対する下街道というネーミングだそうです。

 

通りには多治見ながせ商店街と表示されています。
この通りには60年代の匂いを感じました。
商店街の店舗数のピークが昭和40年代だそうですので、その頃に建築・改修された建物が多いのでしょう。

 

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レトロな雰囲気ですが、売り物になっていないレトロ。

 

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古そうな陶器屋さんですが、きれいにされています。
上の窓には型板ガラスがはまっています。

 

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左が下街道で、右から別の道が合流しています。
間の壁面を装飾されていて、ガラスブロックがやはり60年代風です。

 

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そちらの道に入ると、全面、型板ガラスのはめられた町家がありました。中から洩れる光がとってもきれい! 
よくこれだけ割れずに残っていることと思います。

 

型板ガラスは1960年代半ばに大流行しますが、今はほとんど使われません。
時代を特定するのに役立つ化石を示準化石といい、ある時期に急激に増えて、急激に滅んだものが適していますが、型板ガラスなどそれに近いかもしれません。

 

今回初めて知ったのですが、大阪板硝子販売(株)さんのページで、型板ガラスのデータをまとめておられます。これは便利。
ここで、今まで時々見かけたこの型板ガラスが1964年製造の「のみち」という型だと知りました。名前と時代が分かってなんだかとってもすっきりしました。ありがたいことです。

 

多治見にはまた行く機会があるので、もう少し歩いてみたいと思います。
土岐川の南には古い街並みがあるようですし、明治町、大正町、昭和町も揃ってます。

 

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2008年8月23日 (土)

中山道・加納宿のあたり(岐阜市)

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岐阜に出張に行ったついで。
仕事が早く終わったので、中山道の加納宿あたりに立ち寄りました。
上の写真は街道筋ではありませんが。

 

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街中なのにちょっと大きなお屋敷などもあります。
朽ちているようなのが残念。

 

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加納桜道から江戸に向かう街道に入り、しばらく歩くと唐突にこの建物。旧加納町役場です。武田五一の設計で大正15年に建てられました。
シンメトリーをかなり崩したデザインです。玄関のアーチやディオクレティアヌス窓(半円を2本の柱で分割した窓)にも目が行きますが、それよりも建物全体の発する古び方の凄みに圧されます。

 

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玄関脇には登録文化財の表示が立っています。

 

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でも老朽化の問題で立ち入り禁止。あまり近づくこともできません。
建物の無事を祈ります。

 

(追記)
 残念ながら解体が決まったそうです。
 →中日新聞「旧加納町役場解体へ」(2015.1.2記)

 

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加納は城下町でもあります。
大手前通りで街道は北に折れ、この広井橋で小さな清水川を渡ります。この広井橋は昭和27年の橋で、まだこの頃の橋は味わいがあります。

 

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中山道と御鮨街道の分岐で、再び中山道は東に折れています。東の中山道を見たところ。
御鮨街道という言葉を私は初めて聞きました。江戸の将軍家に長良川の鮎鮨を運んだルートだそうです。鯖街道と似てますが、こちらは鮨にしてから運んでいたようです。
もっともそんなに頻度のある話ではないでしょう。

 

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私は御鮨街道を北に逆走します。
名鉄の線路を渡ると花街の名残らしき3階建ての町家。

 

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銅の戸袋、名前入りの瓦など凝っています。

 

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加納東広江町のあたりは古い町家が残っていました。
2階建てで、両袖の木の壁が出て、前のめりでという特徴は共通しますが、なぜか高さ、出方がばらばら。今、気付きましたが、菱の穴あきコンクリートブロックが合ってます。

 

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こちらはゆったりした家。塀に品があります。
このあたりでも石垣は丸石です。

 

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こんな穴あきコンクリートブロックもあるのかということで。花に雲の図案化でしょうか。

 

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清水川をたどって岐阜駅に出ました。
自然の河岸を再現した川で、岐阜の街中を流れながら、とてもきれいです。

 

岐阜駅の表は表で、60〜70年代の建築群に見どころを感じますが、岐阜駅の裏の加納地区も戦前の風情があっていいものです。

 

 

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2008年8月22日 (金)

岐阜の小さな公民館

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岐阜に出張でした。
岐阜市というのはどうも車型の街で(中心部は違うけど)、縦横に立派な道路が走って街が拡散しています。寄り道しようにもとっかかりがなく、地図で見つけた近くの旧集落に飛び込んでみました。

 

長良川沿いの下奈良という集落です。
そこにあった丸石積みに高野槙の石垣と古そうな建物。

 

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地図には旧下奈良公民館と書かれていました。
和風屋根ながら、2階の半分まで下見板張りです。
懐かしさあふれる建物。

 

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妻部分に梁が飛びだしたようになっていて、そこに屋根がかけてあるのがかわいらしい。滋賀、岐阜、三重で見かけますが、いまだ名前と意味を知りません。

 

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窓の桟に一工夫があります。
こういうところも味のある建物の隠し味になっているんでしょうね。

 

 

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2008年3月18日 (火)

下呂の鉄橋

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下呂温泉の街を旧街道に沿って南に向かうと、古い鉄橋がありました。
六ツ見橋といいます。鉄骨に「株式会社大阪鐡工所製作 昭和6年」のプレートが溶接されています。(大阪鐡工所は今の日立造船)

 

高山の話をしたときに、鉄道の開通が昭和9年と書きましたが、下呂まで鉄道が来るのは一足早く昭和5年です。翌年に架かった鉄橋なわけで、鉄道の到来に合わせて開発が進んだのでしょう。

 

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当時の橋柱も残っています。
時代の雰囲気濃厚なデザイン。

 

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当然、橋に続く道路は主要な道路だと思われます。
面白いのが、街路樹に桜が植えられていて、アーチを描くように道をまたいでいることです。
お辞儀をしているようにも見えます。

 

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あと一つ、近代の雰囲気を持つものに、下呂市森の牧医院がありました。
これも旧街道沿いです。外壁に縦の板が貼られて、白いペンキを塗っています。
庭木でよく見通せません。

 

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窓はこんな感じ。壁は白、窓枠や柱は茶色にすっきり塗り分けられています。軒下が板張りで白いペンキ塗りなのが洋風らしい感じ。でも屋根は瓦です。

 

温泉街とはまた違った、下呂の落ち着いた風景です。

 

 

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2008年3月 1日 (土)

下呂温泉のタンク

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このところ仕事で何度か下呂温泉に出張しました。
下呂の町は、北から南に飛騨川が流れ、その両岸にせまる山に這い上がるように温泉街がそびえています。

 

下呂温泉は発見が平安時代の天暦年間(947~956年)に遡るという古い温泉。(延喜年間(901~ 923年)発見説もあるそうですが)このときの温泉は山の中腹だったそうです。鎌倉時代中期の1265年に突然出なくなり、飛騨川の河原で再発見されたとのこと。
(以上、下呂市観光サイトの説明を参照)

 

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今も河原に源泉の名残(とその復元モニュメント)があります。
手前のものが本物でしょう。
河原にあるために飛騨川に洪水がおこると泉源が埋もれてしまってたいへんだったようです。

 

下呂温泉は飛騨街道の宿場町でもあり、湯之島宿と呼ばれました。川の中州に湯が湧いているという意味なんでしょうね。

 

日本中どこでも深く掘れば温泉が湧くといいながら、伝統ある下呂温泉は無理がない気がします。あちこちの噴水などにも温泉を使っています。

 

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さて、そんな湯の町らしさを感じさせる景観は、温泉のタンクだと思います。
町中あちこちに温泉のタンクがあります。
河原にもタンク。

 

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山の中にもタンク。

 

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湯量が豊富なので、駅前には温泉スタンドがあって、市民が利用できるようになっています。

 

ほとんど温泉一色のような下呂の町です。

 

 

 

 

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