瑞浪の近代建築など(岐阜県瑞浪市)
先月、多治見市笠原にオープンしたモザイクタイルミュージアムを訪ねる機会があり、翌日、瑞浪の街を歩きました。多治見・土岐については2008年に訪ねていますので、今回は瑞浪を紹介します。瑞浪は周辺の街と同じく陶器の街のようです。
瑞浪の駅前は昭和の雰囲気も残しつつ、駅前広場は明るく整備されていました。
駅前にある地図です。
瑞浪の街は中心部を土岐川が蛇行していて、街が分かれています。
昔の空中写真を見ると、旧市街は川の西側と、瑞浪駅の南側の半島状の地域、線路の北側を平行して通る旧街道のあたりのようです。
駅からは東に本町通り、南西に元町通り、新しく南へ公園通りが伸びています。
旧市街を意識しつつ歩きました。
まずは東の方、駅前を東西に横切り、角度を変えて土岐橋に向かう、本町通りの周辺を紹介します。
こちらはタチ医院です。
診察室と後ろに続く自宅の2階が下見板張りです。
タチ医院HPの「ごあいさつ」によると、ここは昭和9年に建てられた大竹医院という眼科医院で、その後、外科の「桜井医院」の時代をへて、昭和42年からタチ医院となったそうです。
真新しく見えるのは、平成17年にバリアフリー対応改修をされたからで、それでも古い外観を維持されているのはありがたく思います。
もう少し駅寄りで気になった建物に、犬養産業(株)瑞浪営業所があります。
これなどもサイディングを外せば本体は古いのではと思ってしまいますが、自分の目に補正をかけすぎかも。
本町通りは、現在の幹線と分かれた後、角度を変えて、一直線に土岐川に向かっています。
その道の先、土岐川の向こうに洋風建築と黒い建物があり、アイストップとして呼んでいます。
始禄というのはお酒の名前で、元禄時代創業の中島醸造という造り酒屋さんです。
手前に架かる土岐橋は昭和5年竣工。
洋館とともに味がありますが、点検結果が良くなく、掛け替えが検討されています。
この洋館も中島醸造さんの持ち物のようですが、使われている雰囲気ではなく、心配です。
こういう立地の建物は街の顔なので、風景として残ってほしいところ。
(追記)洋館は残念ながら土岐橋の架替工事に伴い、2021年に解体されました。この洋館は中島醸造の中島亥十郎が明治15年に創設した蘇東銀行本店として大正期に建てられた建物であったと言われています。解体にあたって一人の高校生の声により、一部のタイルが保存され、日本タイル工業株式会社の製品が使われていたことが判明したそうです。→モザイクタイルミュージアム・特集展示より。(2024.9.23記)
壁には面白いタイルが使われていました。
アフリカで干上がった池の底のような。
さらに先に進んでみました。
広大な酒屋の敷地を周りこむと、正門前からまたまっすぐ道が伸びて、きれいな水路があります。
さらに歩いて行くと、古い公会堂がありました。
益見公会堂という看板がかかっています。
今も使われている様子。
瓦は益見の「益」の字入りです。
益見というのは地区の名前です。
街の東側はこれぐらいとして、次は街の中心部です。
古い町屋はたくさんありますが、寺河戸町のこの洋風住宅が気になりました。
煉瓦積みの塀があり、2階建ての洋風建築から和風の部屋が突き出しています。
川の西側は元町という地名が見えますのでどうも古そう。
美濃窯業の2本の煉瓦煙突が目立っています。
奥が大正9年の角形煙突、手前が昭和10年の丸形煙突です。
東濃地方に残る最大級の煙突として、ともに登録有形文化財になっています。
元町通り沿いの、たぶん元散髪屋さん。
川の西側は河岸段丘になっていて面白い地形です。
段丘の上には古い住宅もありました。
とくにこの建物、すごく良い洋館付き住宅です。
洋館部分だけが目立つことなく、和館の中に取り込まれています。
和館にサンドされた洋館付き住宅も。
たぶん、右側の和館は後から建てられたものでしょう。
戦後のものという感じですが、消防団の消器庫が下見板張りの建物でありました。
玄関部分が下見板張りになっている建物もあります。
面白い構造ですが、なぜ玄関が2つ?
これは何ともいいがたいですが、川沿いに目立つ洋風住宅がありました。
新しそうにも見えますが、気になるので参考に載せておきます。
とくにあてもなく訪ねた瑞浪でしたが、いい建物に出会えました。
<関連記事>
日常旅行日記「多治見・土岐の記事一覧」
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
最近のコメント