カテゴリー「国内旅行(富山)」の記事

2012年9月17日 (月)

北の玄関・伏木港(9)六渡寺へ

20120504rokudouji1
伏木を回った後、今度は小矢部川を越えて対岸にある六渡寺(ろくどうじ)に向かうことにしました。
以前は渡し船があったらしいのですが、今は上に伏木万葉大橋がかかっています。
渡船があったときの船着き場。建物は撤去されています。

 

源義経が奥州に落ちのびるとき、「如意の渡し」を渡るときに見破られそうになったため、弁慶が義経を打ちすえて難を逃れたというのがここだそうです。

 

<関連ブログ>
 まちかど逍遙「如意の渡し」・・・渡船のあった頃

 

20120504rokudouji2
伏木万葉大橋は平成21年開通。
十分な歩道もあります。
伏木でレンタサイクルを借りて対岸に渡るというのも手かもしれません。
歩くと結構遠いです。

 

20120504rokudouji3
橋の上から河口の眺め。
左が伏木で、右が六渡寺です。
この日は次第に雨が降り出しました。

 

20120504rokudouji4
対岸は吉久という集落で、江戸時代以来の町並みがあるそうですが、今回はパスして先を急ぎます。

 

六渡寺の南には、JFEマテリアルの巨大な工場があります。元々は日本鋼管富山製造所で、大正6年に設立された電気製鉄株式会社がルーツだそうです。
その敷地に労働組合の建物が建っていていい感じです。

 

20120504rokudouji5
JFEマテリアルの北に、路面電車の万葉線・六渡駅があり、駅前に近代建築が建っています。
(株)牧田組本社、旧南島商行本店があります。南島家は江戸時代から廻船業を営み、会社を近代化する過程で大正4年にこの立派な本店を建てました。煉瓦造かと思わせて、実は木造だそうです。

 

20120504rokudouji6
玄関部分です。
石のゲートになっています。

 

20120504rokudouji7
ここから運河の内川を渡ると六渡寺の旧集落になります。

 

120504port2 ※クリックすると拡大します。

 

前に紹介した昭和11年の地図を再び。
下に見える池は貯木場跡と思われます。

 

20120504rokudouji8
路地を抜けていくと、板張りの建物が並ぶ空間に出ます。

 

20120504rokudouji9
ここが六渡寺の集落で、中世の北陸道にあたる道筋だそうです。
対岸の伏木とともに北前船の湊町でもありました。
近くに貯木場があったので、製材関係の会社もあったでしょう。

 

20120504rokudouji10
よろず屋さん的なお店。
左右にショーウィンドウがあります。

 

20120504rokudouji11
石造の凝った祠。

 

20120504rokudouji12
木造の鉄工所。
裏は造船所ですので、鉄工所といっても船関係でしょう。

 

20120504rokudouji14
六渡寺の港から対岸の伏木を眺めます。
昔はここに船がずらっと停泊していたのでしょう。
左手前が運河の入口です。

 

20120504rokudouji15
北陸道の街道沿いに歩いて行くと、日枝神社がありました。
灯籠が街道に一列に並んで壮観です。

 

20120504rokudouji16
山王鳥居の凝ったものがあります。
瀬戸内海の御影石で江戸時代に建てられたものだそうです。

 

20120504rokudouji17
私には六渡寺で一番の収穫だったのが、運河に沿って並ぶ八嶋合名会社の倉庫群。
こういうものが残っているって素晴らしいですね。

 

明治25年創業で、「昭和7年に鉄筋コンクリート造倉庫を建設」となっているので、その頃の倉庫が残っているのではないでしょうか。政府米、肥料、海産物、セメントなどを収めたそうです。

 

20120504rokudouji18
倉庫の側面に回ると煉瓦の層が見えます。

 

20120504rokudouji19
六渡寺はここまで。
万葉線に乗って庄川を渡りました。

 

20120504rokudouji20
万葉線の電車です。
新湊出身という立川志の輔さんのアナウンスが流れていました。

 

20120504rokudouji21
終点の越の潟。
ここから先は渡し船ですが、今回は下見のみで、ここで引き返しました。

 

20120504rokudouji22
見上げると吊り橋の建設が進んでいました。
次に来るときにはまた様子が変わっているかもしれません。
今回、六渡寺までしかじっくり見られなかったので、次は新湊なども回ってみたいと思います。

 

いつもながら、春の話を秋まで、長々とした話にお付き合いありがとうございました。

 

<関連ブログ>
 まちかど逍遙「万葉線と沿線の建築」

 


より大きな地図で 富山 を表示

 

<関連記事>
 北の玄関・伏木港
 (1)伏木駅  (2)北前船資料館  (3)伏木気象資料館  (4)港の風景  (5)メインストリート  (6)看板建築など  (7)工場建築  (8)気になるもの  (9)六渡寺へ(完)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年9月16日 (日)

北の玄関・伏木港(8)気になるものたち

20120504fushikietc1
伏木の街を歩いていて、細々と気になったものがいくつかありましたので最後に紹介しておきます。

 

その1:石材
写真は勝興寺という浄土真宗の名刹の塀です。
(お寺自体はパスしたのですが)
六角形に整えられた石できれいに組まれています。

 

20120504fushikietc2
たぶん凝灰岩だと思います。
いくら柔らかい石とはいえ、高い精度の職人仕事ですね。
どこ産なのか気になります。可能性としては、砺波の金屋石か福井の笏谷石かなあと思うのですが。

 

20120504fushikietc3
同様に伏木測候所の階段や玄関柱基礎部分にも、緑の凝灰岩っぽい石が使われていました。

 

20120504fushikietc6_2
その2:職人技
伏木では路上の祠の細工レベルが高いです。
寺院建築のミニチュアのように細かな彫り物が施されています。

 

20120504fushikietc5_2
これなどもすごいでしょう?
勝興寺に関わった職人が技を見せつけているという感じがします。
ちなみに瓦には普通の屋根瓦が載せられていました。

 

20120504fushikietc4_2
町中にあった、瓦師故吉久善右衛門君之碑。
伏木は明治時代には瓦産地で、明治42年に勝興寺が瓦葺きになった際、共同で瓦を寄進した中心人物だそうです。ここでもお寺と職人の関係が見えます。

 

20120504fushikietc10
明善寺の壁の漆喰細工。
非常に凝っています。
右は蓮の花、中央は一見普通の花頭窓ですが、よく見ると枠が龍になっています。

 

20120504fushikietc7
その3:存在感のある煙突
伏木浄化センターの隣にある、使われてなさそうな煙突です。
焼却場があったのでしょうか。

 

20120504fushikietc8
その4:ゲタのような地盤。
伏木の街の北の方では、ゲタのような地盤の上に建物が建っているように見えます。

 

20120504fushikietc9
こちらもそうですね。
どういう経緯でこういう構造になっているのかなと思います。

 

また次に訪れるときに分かることがあるかもしれません。
できれば再訪したいと思います。

 

 

<関連記事>
 ○2012富山旅行の記事の目次  北の玄関・伏木港
 (1)伏木駅  (2)北前船資料館  (3)伏木気象資料館  (4)港の風景  (5)メインストリート  (6)看板建築など  (7)工場建築  (8)気になるもの
 (9)六渡寺へ(完)

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月 7日 (金)

北の玄関・伏木港(7)工場建築

120504toa0
伏木の町を探訪中、カメラの電池を切らしてしまいました。
「町の南にコンビニがあるよ」と喫茶店の方に教えてもらい、ようやくレンタサイクルを借りて買いに走った次第です。しかし、そのおかげで収穫もありました。

 

町の南の鉄道沿いに、東亞合成(株)高岡工場(工場紹介PDF)があります。
看板が出ていて、どうも瞬間接着剤「アロンアルファ」を作っている工場らしい。

 

高岡工場は、大正7年に設立された北海曹達(株)の電解工場をルーツとしています。
北海曹達は、和歌山の南海晒粉(現南海化学)が立ち上げた会社の一つで、豊富な電力と港を求めての進出だったのかもしれません。欧米で盛んだった電気分解法による苛性ソーダ、副産物の晒粉製造が国内に普及する前に先手を打っての進出だったそうです。戦前までは軍需化学工場でした。
南海化学100年史  ※いろんな意味で面白い!

 

120504toa1
そんなことは後から知ったことで、その時に気になったのは工場建築です。
まず正門脇にある事務所。
モダンな佇まいです。木造でしょう。

 

120504toa2
玄関部分。

 

120504toa3
正門入って右にも切妻屋根の研修室があります。

 

120504toa4
そこに掲げられていた工場配置図。
鉄道をはさんでかなり広いです。
この記事では表から見えるところだけ紹介します。

 

120504toa5
向かいの駐車場に残っている建物。
どういう用途か分からないのですが。

 

120504toa12
外にあるので近くから見ることができます。
出窓の屋根が古いので、もともと出窓だったようです。

 

120504toa13
玄関部分。玄関扉の枠の部分は恐らく木製で古そうです。

 

120504toa11
床下換気口はコンクリートタイプの面格子。
これって豊岡の達徳会館と同じ

 

120504toa10
再び敷地の方で、正門より南側にある建物。
下見板張りです。

 

120504toa6
正門から北には何棟か古そうな建物が続いています。
まず事務所の裏に低い赤屋根の建物。

 

120504toa7
その隣に下見板張りの工場。

 

120504toa9
また隣に小さな倉庫のような建物をはさんで。

 

120504toa8
少し大きな工場。

 

中に入ると他にもあるのかなあ。
列車からも見えるはずです。

 


より大きな地図で 富山 を表示

 

<関連記事>
 ○2012富山旅行の記事の目次  北の玄関・伏木港
 (1)伏木駅  (2)北前船資料館  (3)伏木気象資料館  (4)港の風景  (5)メインストリート  (6)看板建築など  (7)工場建築
 (8)気になるもの  (9)六渡寺へ(完)

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月 6日 (木)

北の玄関・伏木港(6)看板建築など

120504kanban1
今までの記事にも少し登場しましたが、伏木では看板建築のような建物もあちこちにありました。
私は何でもかんでも看板建築と言い過ぎている気もして、私の言う看板建築は、「和風建築の正面の壁のみ洋風を装っているもの」ぐらいの感覚ですので結構ゆるいです。

 

トップ画像はあまり異論がないかもしれません。
銅細工で有名な高岡が近いからか、銅板で覆われた建物はたくさんあります。

 

120504kanban2
こちらも同じく銅板で覆われた建物。
看板建築と言うには微妙ですが。

 

120504kanban3
現在、駅に平行して幹線道路が伸びていますが、その1本陸側に旧道があります。

 

120504kanban4
そこにある愛美容室。狭い幅でぎゅっと洋風を表現しています。

 

120504kanban5
こちらは2軒並びの洋風意匠の建物。
左は表具屋さんです。

 

120504kanban6
右は堀田鮮魚店。
どちらの建物も同じようなデザインです。

 

120504kanban7
柱の上につく飾りは何かの花でしょうか。

 

120504kanban8
この建物も正面から見ると端正ながら、正面のみです。

 

120504kanban10
小さいながら看板風の建物。

 

120504kanban9
最後にこれは看板建築ではないのですが、金属板の使い方の面白い例。
遠目には金属板に覆われていることしか分からないのですが、

 

120504kanban11
近くで見ると場所ごとにいろんなパターンで金属板を貼ってあることが分かります。

 

120504kanban12
窓の上の部分はまた違います。

 

正面の飾り方を見ていると、富山の岩瀬で見た和風の構えと違って、伏木では洋風の装いをしている建物がたくさんあります。これも外国航路の影響でしょうか。
しかし、本格的な洋風の建築は少なく、この看板建築風の折衷の仕方が伏木らしさなのかもしれません。

 

<関連記事>
 ○2012富山旅行の記事の目次  北の玄関・伏木港
 (1)伏木駅  (2)北前船資料館  (3)伏木気象資料館  (4)港の風景  (5)メインストリート  (6)看板建築など
 (7)工場建築  (8)気になるもの  (9)六渡寺へ(完)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月 4日 (火)

北の玄関・伏木港(5)メインストリート

120504fushikimain0
伏木の現在のメインストリートは、駅前の南北の通りのようですが、かつて港が賑わっていた頃は、港から伸びる道がメインストリートだったようです。

 

上の写真でいうと、手前が港で、大正時代の地図によると、このあたりに税関がありました。

 

Fushikimap_t15 <「日本交通分県地図 富山県」(大正13年)より>
※クリックすると拡大します。青い線が今回取り上げた道

 

120504fushikimain1
この通りには今もレトロな建物が残っています。
港側から順に紹介していきます。
こちらは廣田石油(株)。看板建築っぽいですね。

 

120504fushikimain2
凝灰岩を組み合わせた門柱が面白いです。持ち送りも立派。
屋根が銅板張りなのは銅細工の盛んな高岡が近いからでしょうか。
後日紹介しますが銅板張りの建物は伏木にもたくさんあります。

 

120504fushikimain3
現在は丸進商事(株)となっている建物。
道路拡幅でセットバックした建物によく見られる形です。
実際のところどうなのでしょう。

 

120504fushikimain4
伏木のシンボルといえるのが、この高岡商工会議所伏木支所、かつての伏木銀行です。
明治43年に建てられました。当時は黒漆喰塗りの土蔵造りでしたが、後にスクラッチタイルが貼られたそうです。

 

120504fushikimain5
玄関部分。ギリシャっぽい柱です。
屋根は和風で和洋折衷ですね。

 

120504fushikimain6
背面から見たところ。

 

120504fushikimain7
分銅を3つ組み合わせた床下換気口の面格子。
分銅というと銀行ですから、伏木銀行のマークでしょうか。

 

120504fushikimain8
その向かいには松岡旅館があります。

 

120504fushikimain9
戸袋に扇子の絵と松岡旅館の文字が残っています。

 

120504fushikimain10
銅板張りの看板建築。

 

120504fushikimain11
もう一つ、交差するメインストリートとの角にこれも看板建築っぽい建物があります。
尾山フォートという写真館で、納得。
この場所にぴったりですね。

 

120504fushikimain12
ここで右に曲がるとやや上り坂で、正面に伏木福祉会館/高岡市役所伏木支所があります。
大正5年の地図を見るとここに伏木公会堂が建っていました。
洋風のかっこいい建物だったようです。

 

120504fushikimain13
福祉会館前の植え込みにひっそりと「皇太子殿下御野立所」の碑が建っています。
ここでいう皇太子は後の大正天皇で、明治42年に伏木に行啓されたそうです。
実際には今の岸壁のあたりに御野立所があったらしく、昭和9年の伏木港第2期拡張工事の際、移されたそうです。この場所も、行啓の際に休息所となった場所らしいので、ゆかりの地です。

 

今は静かな通りなのですが、丁寧に見ていくと、伏木の賑わいをしのぶことのできる通りだと思います。

 


より大きな地図で 富山 を表示

 

<関連ブログ>
 まちかど逍遙「伏木の近代建築」

 

<関連記事>
 ○2012富山旅行の記事の目次  北の玄関・伏木港
 (1)伏木駅  (2)北前船資料館  (3)伏木気象資料館  (4)港の風景  (5)メインストリート
 (6)看板建築など  (7)工場建築  (8)気になるもの  (9)六渡寺へ(完)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月27日 (月)

北の玄関・伏木港(4)港の風景

120504port1
前に書きましたが、伏木を訪ねたのは大陸への窓口だった伏木港の名残を求めるためです。
海側を埋め立てて新たな岸壁ができたこともあると思いますが、今はちょっとさびしく思える岸壁です。

 

120504port2 ※クリックすると拡大します。

 

北前船資料館に、昭和11年の伏木港の様子が分かる地図が展示されていました。
上が小矢部川左岸にある伏木の町で、下が右岸の六渡寺という町です(訪ねたので連載の最後に紹介します)。両岸合わせて伏木港ということで、むしろ対岸の方がたくさんの船が着いたようですね。旅客は伏木側かと思いますが。

 

これに合わせて「伏木港の特長」という説明文も展示されていました。
水深の深い良港であること、軍事的な優位性がPRされています。
当時の雰囲気を知る上で興味深いので全文掲げますが、興味のない方は読み飛ばして下さい。

 


伏木港の特長

 

一、港内水深く○も静穏にして四時安んじて荷役
  を為し得るの特色あり。即ち河口水深平均3
  0尺(9m)、優に1万トン級船舶の出入及
  び接岸荷役可能なるのみならず、一時に1千
  トンないし6千トン級の船舶19隻の接岸荷
  役を為し得る。
  本港において昭和6年外国船「アジア」号1
  万トン級の接岸荷役を為し得たる実例あり。

 

二、本港は能登半島の障囲あり。かつ小矢部川の
  河口港にして外港、俗称「藍がめ」の深海に
  連なり、巨船の出入り極めて便なり。

 

三、本港には日本鋼管、佐賀造船所、吉村造船所、
  日産化学工業、北海電化、北海曹達、レーヨ
  ン曹達、王子製紙、伏木板紙、樺太木材紙料、
  日本曹達、日本高周波重工業、鉄工所、鋳造
  所等多数の大工場有り。軍事的にこれを見る
  も頗る重要なる地位にあり。

 

四、本港の最近接地には水面165万平方米の放
  生津潟(水上飛行発着可能)と面積26万5
  千平方米の陸上飛行場(倉垣飛行場)あり。
  この点よりするも本港は軍事上重要なり。

 

五、本港の両岸には臨港鉄道、省線、伏木、新湊、
  中伏木、吉久の4駅あり。船車連絡に頗る便
  なるのみならず、その南部には高岡市、右岸
  に新湊町を控え、大部隊の宿営輸送に至大の
  便益を有す。

 

六、本県は本邦有数の水電圏(?)にして臨港工
  場に豊富かつ低廉なる電気を供給し得る外、
  本港の補助港として近接地に港内50万平方
  米を有する東岩瀬の良港を有す。

 

七、本港の付近には暗礁なく、夜間の航行自由な
  ると干満の差、極めて少なく、平均僅かに4
  3センチなり。

 

八、本港出入貨物トン数は遙かに敦賀を凌駕し、
  新潟と伯仲し、なかんずく対満(州)、対
  (朝)鮮貿易において最優位を獲得しつつあ
  り。

 

九、大正9年高田師団を「シベリヤ」派遣の際、
  新潟より乗船の計画なりしも港口水深不足の
  ため、○に予定を変更し、7千トン級の東郷
  丸ほか数隻を本港に回航し、輸送を完了した
  る事実あり。

 


 ※旧字体は可能な限り新字体に変更しました。
  またカタカナもひらがなにしています。

 

120504port15
伏木駅から港に向かって貨物線が伸びています。
背中側が海です。

 

120504port4
1本の線路がまだ残されていました。

 

120504port14
突き当たりに日中友好之碑が建っています。
日中平和友好条約の締結を記念し、戦時中の港湾荷役作業で亡くなった17人の中国人の慰霊として1979年に建てられたものです。

 

120504port3
港にある県営左岸2号上屋。
建物は戦後かもしれませんが、戦前からこの場所に上屋がありました。

 

120504port13
岸壁は広々としています。

 

120504port5
曇り空の下だとさびしい感じがします。

 

120504port6
岸壁の先の方。右は県営左岸4号上屋です。

 

120504port12
港にある派出所。
港を見渡すためか、3階建てになっています。

 

120504port7
貨物線に面して、昔ながらの土蔵造りの建物が残っています。

 

120504port11
こちらは2階の窓が面白いでしょう?

 

120504port8
看板には伏木米穀株式会社と書かれています。

 

120504port9
これになると全く蔵のようですね。

 

120504port10
窓から覗いてみると昔のカウンターらしきものがまだ残っているようです。

 

120504port16
少し陸側に入ったところに、古そうな建物がありました。
木製の桟やコンクリート表面に施されて模様など凝っています。

 

120504port17
玄関にかかっていた看板には、読みにくいですが、「日本興油興業株式会社(現在の日清オイリオ)脱脂大豆 植物油粕」などと書かれていますので、肥料を商っていたのでしょう。

 

120504port18
もっと駅よりの棚田家の並びにも古い建物があります。
地図で見ると金物屋さんだったようです。

 

120504port19
植物風の面白い換気口面格子がはまっていました。

 

120504port20
窓の格子や持ち送りなどもモダンです。
全体に洋風の要素が入るのは外国との取引があったためでしょうか。

 

次回紹介する旧伏木銀行など、一部は観光の対象としてマップに載っていますが、このようにひっそりと残る建物も多く、港の賑わいを伝えています。

 


より大きな地図で 富山 を表示

 

<関連記事>
 ○2012富山旅行の記事の目次  北の玄関・伏木港
 (1)伏木駅  (2)北前船資料館  (3)伏木気象資料館  (4)港の風景
 (5)メインストリート  (6)看板建築など  (7)工場建築  (8)気になるもの  (9)六渡寺へ(完)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年8月13日 (月)

北の玄関・伏木港(3)伏木気象資料館

120504sokkosho2
伏木の近代を語る上で欠かせない場所が、高岡市伏木気象資料館(旧伏木測候所)です。
駅から真っ直ぐ歩いて行くと、崖の上にコンクリートの塔屋が見えます。昔は階段も使われていたようですが、今は坂の上から回ります。

 

120504sokkosho3
門は凝灰岩でできているようです。

 

120504sokkosho4
庭には「越中国守館址」の碑が建っていて、万葉時代の史跡でもあります。ここから船の出入りを見ていたのでしょうね。750年に大伴家持もここに赴任してきました。

 

120504sokkosho
これが伏木気象資料館(旧伏木測候所)の全景です。
本体は明治42年に建てられたので明治風ですが、塔(測風塔)は昭和13年です。

 

旧伏木測候所を最初に設立したのは国や県ではなく、民間人の藤井能三という人です。
能三は江戸時代の弘化3年(1846年)、伏木の廻船問屋能登屋三右衛門の長男として生まれました。明治2年、加賀藩の仕事で神戸に出た際、蒸気船で賑わう神戸港を見て衝撃を受け、近代化しないと伏木は取り残されてしまうと危機感を持ちます。

 

伏木に戻った能三がまず手がけたのは伏木小学校の設立でした。明治6年のことで、富山県初です。
続いて藤井女児小学校も開きました。

 

次に手がけたのが伏木港の近代化です。
三菱汽船の岩崎弥太郎に掛け合い、伏木に寄港してもらえるよう頼むのですが、積み荷を集めること、積み荷が半分に満たない場合の補償、燈台の整備の3条件を提示されました。燈台は間に合いませんでしたが(明治10年完成)、明治8年、三菱汽船の船が伏木と北海道、東京、大阪などを結びました。

 

それにとどまらず能三は明治14年、地元の船問屋とともに北陸通船会社を設立します。
この会社は三菱汽船との激しい競争の末、明治18年に倒産しましたが、能三はその後も伏木港の近代化に力を尽くし、のちに外国航路が開かれるきっかけになります。

 

伏木測候所については、明治16年、伏木燈台の一室に「私立伏木測候所」を置いたのが始まりです。
のち県営に移管し、明治25年には大字臥浦町字亨田に移転、海に近すぎたため、明治42年に現在地に移転しました。

 

非常に大きな功績があった人なのですね。

 

(参考)
 (社)日本埋立浚渫協会「海拓者たち 日本海洋偉人列伝 藤井能三」

 

120504sokkosho5
さて、玄関です。
軒下のひらひら(飾り)や透かし彫りなど、車寄せ部分には装飾がたくさん入っています。
階段や柱の基礎には緑色の凝灰岩らしきものが使われています。福井の笏谷石でしょうか。もっと地元の石かもしれませんが。

 

120504sokkosho6
床下換気口の面格子を見ると、唐草模様が使われています。

 

120504sokkosho7
入館料210円を払って中に入ります。
館内も凝っていて、玄関ホールと廊下の間にはアーチが掛けられています。

 

120504sokkosho9
現在、各室は気象観測機器の展示などに使われています。

 

120504sokkosho15
表には今も使われている観測機器があります。

 

120504sokkosho8
天井には空気穴が。
きれいですが、こんな色使いだったのでしょうか。

 

120504sokkosho10
2階は公開されていませんが、階段を上ることはできます。
階段の親柱。

 

120504sokkosho11
階段の踊り場。

 

120504sokkosho12
階段の手すり。花のような模様が透かし彫りされています。

 

120504sokkosho13
ドアノブはいつのものか分かりません。

 

120504sokkosho14
こういう真鍮のドアノブ、懐かしいですね。

 

旧伏木測候所には当初、望楼があったのですが、昭和13年に測風塔が建設された際に取り壊されました。
その望楼の復元工事が2013〜2014年度に行われるそうです。楽しみですね。
北日本新聞「伏木気象館「望楼」復元へ」(2011.5.12)

 

また見に来る機会があればと思います。

 


より大きな地図で 富山 を表示

 

<関連ブログ>
 まちかど逍遙「伏木の近代建築」

 

<関連記事>
 ○2012富山旅行の記事の目次  北の玄関・伏木港
 (1)伏木駅  (2)北前船資料館  (3)伏木気象資料館
 (4)港の風景  (5)メインストリート  (6)看板建築など  (7)工場建築  (8)気になるもの  (9)六渡寺へ(完)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月 9日 (木)

北の玄関・伏木港(2)北前船資料館

120504akimoto1
富山の伏木は古代からの港町ですが、大阪と北海道を結んで交易を行った北前船の時代にもたいへん賑わいました。その名残が現在、北前船資料館として公開されている旧秋元家住宅です。

 

秋元家は江戸時代の文化年間(1804〜1818)以前からこの地で海運業を営んでいました。当初は船頭や水主(かこ)などの宿泊施設(小宿)だったのが、時代が下るにつれて、長生丸、幸徳丸といった船をもつ廻船問屋となったそうです。(パンフレットより)

 

120504akimoto4
敷地はこのようになっています。
主屋は明治20年の大火で焼失して、元通りに立て直されたといわれるもの。土蔵は江戸時代後期のものとされていて、望楼が乗っています。

 

120504akimoto19
伏木の町は段丘の上下に広がっていて、この旧秋元家住宅は段丘から張り出すように建てられています。

 

120504akimoto2
入場料210円を払って、中に入ります。

 

120504akimoto3
岩瀬で見た森家と比べてモダンさを感じさせる室内です。
水色の壁がユニーク。南方風のふすまもあります。

 

120504akimoto8
手すり付きの廊下。
夏には開け放していたのでしょう。

 

120504akimoto7
繊細な模様の桟が入った障子。
かなり細いです。

 

120504akimoto9
これも南方風?
網代の扉です。

 

120504akimoto5
七宝飾りの引手に、南方の繊維を使ったふすま。

 

120504akimoto10
千鳥の引き戸引手。

 

120504akimoto11
これも繊細なふすまの引手。

 

120504akimoto12
石も各地から集められたものだったりするのでしょう。
(確認していませんが)

 

120504akimoto13
明治を思わせる色ガラス。背後の土蔵へと続く廊下です。

 

120504akimoto14
庭から見た主屋。

 

120504akimoto18
土蔵を見上げたところ。
右が調度蔵、左が衣装蔵、左に少し離れて米蔵があります。
現在は、北前船関連や引札などの資料が展示されています。

 

展示を見た後、望楼に登ります。

 

120504akimoto15
梯子のように急で狭い階段を登ります。

 

120504akimoto16
階段室の半円の天井。

 

120504akimoto20
望楼は、茶室のような2畳ほどの狭い空間です。

 

120504akimoto17
開け放した窓からは、家並みの屋根越しに海が見えます。
風の通る心地よい空間で、資料館にいらっしゃったら、というより伏木にいらっしゃったら、必ず上がってみてください。

 

廻船問屋の当主の気分が味わえます。

 

120504akimoto21
伏木にはもう一つ、登録文化財の棚田家が公開されています。
こちらは要事前予約です。ぜひ合わせてお訪ねください。
私は行ってから気付いたので入れませんでした。

 

<関連記事>
 ○2012富山旅行の記事の目次  北の玄関・伏木港
 (1)伏木駅  (2)北前船資料館
 (3)伏木気象資料館  (4)港の風景  (5)メインストリート  (6)看板建築など  (7)工場建築  (8)気になるもの  (9)六渡寺へ(完)

 


より大きな地図で 富山 を表示

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月 7日 (火)

北の玄関・伏木港(1)伏木駅

120504fushikieki1_2
高岡から氷見線に乗って伏木駅に着きました。
ここが今回の旅行で一番の目的地です。

 

なぜ伏木かというと一枚の地図がきっかけです。
うろ覚えなのですが「日本海の時代」(?)と題された戦前の地図で、敦賀や新潟などとともに、伏木から大陸に伸びる航路が描かれていました。
関西の私があまり聞くこともない地名「伏木」が大陸への玄関として描かれている・・・とても気になりました。

 

さらに北前船の港町でもあることを知り、必ず行ってみたい場所となりました。

 

伏木駅は今はローカルな駅で、ゴールデンウィーク中にもかかわらず、降りたのは数人です。

 

120504fushikieki2
高岡からまっすぐ日本海を目指して走る氷見線は、伏木の駅から急カーブして海岸に寄り添います。
まっすぐ港に進む貨物線も残っています。

 

120504fushikieki4
駅舎は昭和4年頃なのでしょうか。
もともとは明治33年、中越鉄道の終着駅として開業したそうです。
中越鉄道は、砺波の地主が地元の米や肥料(干鰯)を積み出すためにつくった鉄道で、今の城端線、氷見線、JR貨物・新湊線にあたる富山初の民間鉄道です。

 

(参考)砺波野.jp「砺波野を知る 中越鉄道」

 

120504fushikieki3
味のある伏木駅の駅名標。

 

120504fushikieki5
懐かしさを感じさせる改札があります。

 

120504fushikieki6
これとは別に、臨時改札もあります。
どんな時に使われたのでしょう。

 

120504fushikieki7_4
駅の待合室は駅の大きさの割に広く、壁にボーダータイル(棒状のタイル)が貼られているので古いものと分かります。

 

120504fushikieki8
レトロな色調のタイルでしょう?

 

120504fushikieki9
(しばらく街を歩いた後)駅にレンタサイクルがあると聞いて、伏木駅に戻りました。観光案内所で貸してくれるのかと思うと、駅の窓口が受付。
自転車は駅の中に停めてあって、自転車を押して改札を出るのがなんだか面白いです。

 

観光案内所で地図などをもらい、街に出ました。

 


より大きな地図で 富山 を表示

 

<関連記事>
 ○2012富山旅行の記事の目次  北の玄関・伏木港
 (1)伏木駅
 (2)北前船資料館  (3)伏木気象資料館  (4)港の風景  (5)メインストリート  (6)看板建築など  (7)工場建築  (8)気になるもの  (9)六渡寺へ(完)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月 1日 (水)

高岡の看板建築など

120504takaoka1
1時間ちょっとの駆け足で回った高岡から、看板建築などを紹介します。
まず三番町にある大村三書堂印房というハンコ屋さん(昭和9年)。銅板で覆われていて、まさに看板建築。
高岡は銅器で有名ですので、銅を扱う職人さんはたくさんいたことと思います。

 

120504takaoka17
細部を見ると、窓の上の花模様、窓のアーチ枠まで銅でつくられていて、とても手が込んでいます。

 

120504takaoka2
隣は至ってシンプルな和田屋さんですが、これも近代建築。

 

120504takaoka3
山町筋の裏の通りに入ります。
福祉施設の「ひかり一番町」は、洋館付きの町家です。
洋館部が側面に付くのは珍しいのでは?
組み木細工のような見た目、浮遊感のある中2階で、中がどうなっているのか気になります。

 

120504takaoka4
隣にあるのは宮崎商店(昭和10年)です。
本体は切妻の日本家屋で、看板建築であることが分かります。

 

120504takaoka5
軒飾りは植物ですが、窓上の飾りなどには、金属的なデザインが使われています。

 

120504takaoka6
隣も宮崎商店なので、同じお店なのでしょう。

 

120504takaoka7
吹きつけたような、赤さび色のべったりとしたタイルが面白い。

 

120504takaoka8
これも薄型の看板建築。
「手作りの店」と書かれていて、工芸品を売っているようです。

 

120504takaoka9
脇道で型押し鉄板を張った建物を見かけました。
型押し鉄板がいつ頃の流行なのか、のちのサイディングにつながるのか、この頃気になっています。

 

120504takaoka10
再び三番町で、室崎商店(昭和10年)。
これも和風建築の前面だけを洋風にしています。

 

120504takaoka11
木下歯科医院は、中庭付きの町家を縦に引き延ばして、前面を洋風にしたよう。
ユニーク。大正12年の建築だそうです。

 

120504takaoka12
窓上の意匠は、ツリガネソウでしょうか。

 

120504takaoka13
駅に戻る途中、道の向こうに古そうな建物が見えました。
明治38年に建てられた高岡ホテルという料亭のようです。

 

120504takaoka14
大手町まで来て、交差点にベージュ色の近代建築が向かい合っていました。
片方は明治33年築の福尾商店。
「うるし」の文字の木製看板が掛かっています。

 

120504takaoka15
向かいには内田寝具店。
同様のデザインで、「綿卸商」の木の文字があります。
綿卸から布団屋さんに移行したのでしょうか。

 

交差点を挟んで統一的にデザインされたように見えます。

 

120504takaoka16
最後にこれも看板建築の町家。
目立たないですが、窓の上部に連続の飾りが入っています。

 

最後は息を切らすぐらいの駆け足でしたが、意外と収穫は多く、高岡は改めて歩きに来たいと思います。
伏木編に続きます。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)