北の玄関・伏木港(9)六渡寺へ
伏木を回った後、今度は小矢部川を越えて対岸にある六渡寺(ろくどうじ)に向かうことにしました。
以前は渡し船があったらしいのですが、今は上に伏木万葉大橋がかかっています。
渡船があったときの船着き場。建物は撤去されています。
源義経が奥州に落ちのびるとき、「如意の渡し」を渡るときに見破られそうになったため、弁慶が義経を打ちすえて難を逃れたというのがここだそうです。
<関連ブログ>
まちかど逍遙「如意の渡し」・・・渡船のあった頃
伏木万葉大橋は平成21年開通。
十分な歩道もあります。
伏木でレンタサイクルを借りて対岸に渡るというのも手かもしれません。
歩くと結構遠いです。
橋の上から河口の眺め。
左が伏木で、右が六渡寺です。
この日は次第に雨が降り出しました。
対岸は吉久という集落で、江戸時代以来の町並みがあるそうですが、今回はパスして先を急ぎます。
六渡寺の南には、JFEマテリアルの巨大な工場があります。元々は日本鋼管富山製造所で、大正6年に設立された電気製鉄株式会社がルーツだそうです。
その敷地に労働組合の建物が建っていていい感じです。
JFEマテリアルの北に、路面電車の万葉線・六渡駅があり、駅前に近代建築が建っています。
(株)牧田組本社、旧南島商行本店があります。南島家は江戸時代から廻船業を営み、会社を近代化する過程で大正4年にこの立派な本店を建てました。煉瓦造かと思わせて、実は木造だそうです。
玄関部分です。
石のゲートになっています。
ここから運河の内川を渡ると六渡寺の旧集落になります。
前に紹介した昭和11年の地図を再び。
下に見える池は貯木場跡と思われます。
路地を抜けていくと、板張りの建物が並ぶ空間に出ます。
ここが六渡寺の集落で、中世の北陸道にあたる道筋だそうです。
対岸の伏木とともに北前船の湊町でもありました。
近くに貯木場があったので、製材関係の会社もあったでしょう。
よろず屋さん的なお店。
左右にショーウィンドウがあります。
石造の凝った祠。
木造の鉄工所。
裏は造船所ですので、鉄工所といっても船関係でしょう。
六渡寺の港から対岸の伏木を眺めます。
昔はここに船がずらっと停泊していたのでしょう。
左手前が運河の入口です。
北陸道の街道沿いに歩いて行くと、日枝神社がありました。
灯籠が街道に一列に並んで壮観です。
山王鳥居の凝ったものがあります。
瀬戸内海の御影石で江戸時代に建てられたものだそうです。
私には六渡寺で一番の収穫だったのが、運河に沿って並ぶ八嶋合名会社の倉庫群。
こういうものが残っているって素晴らしいですね。
明治25年創業で、「昭和7年に鉄筋コンクリート造倉庫を建設」となっているので、その頃の倉庫が残っているのではないでしょうか。政府米、肥料、海産物、セメントなどを収めたそうです。
倉庫の側面に回ると煉瓦の層が見えます。
六渡寺はここまで。
万葉線に乗って庄川を渡りました。
万葉線の電車です。
新湊出身という立川志の輔さんのアナウンスが流れていました。
終点の越の潟。
ここから先は渡し船ですが、今回は下見のみで、ここで引き返しました。
見上げると吊り橋の建設が進んでいました。
次に来るときにはまた様子が変わっているかもしれません。
今回、六渡寺までしかじっくり見られなかったので、次は新湊なども回ってみたいと思います。
いつもながら、春の話を秋まで、長々とした話にお付き合いありがとうございました。
<関連ブログ>
まちかど逍遙「万葉線と沿線の建築」
より大きな地図で 富山 を表示
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北の玄関・伏木港
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