カテゴリー「国内旅行(徳島)」の記事

2023年1月22日 (日)

四国みぎした旅行(1)高知県境の町へ

220505tokochi3

2022年のGWに高知まで旅行に出かけた記録です。
大阪からだと南海本線と南海フェリーがセットで2200円で徳島まで行けるとくしま好きっぷというチケットがあります。
便利なのでこれは何度か使ったことがあります。

220505tokochi2

さらに「四国みぎした55フリーきっぷ」というのがあって、徳島から列車、DMV(後で出てきます)、バス、列車を乗り継いで高知まで行ける、3日間乗り降り自由のチケットがあると知り、これを組み合わせれば大阪から高知まで、あちこち寄り道しながら行ける、ということで試してみたのでした。なかなか行きにくいところですので。しかも(今年4月以降は分かりませんが)通年販売で、当日購入も可能、1人でもOKということで使い勝手が良いです。

最初に全体の旅程を書いておくと

1日目 大阪(なんば)〜和歌山港〜徳島港〜徳島駅〜阿波海南駅〜甲浦〜室戸岬〜吉良川(泊)

2日目 吉良川〜室戸〜奈半利〜田野町〜高知(泊)

3日目 高知〜宍喰〜鞆浦〜徳島(泊)

4日目 徳島津田〜徳島港〜和歌山港〜大阪(なんば)

という移動でした。

なお、高知には2018年にも訪問していて記事にしていないので、この際、その話も盛り込もうと思っています。
全く別の記事(京都の公園とか)もはさみつつになると思いますが、書いていきたいと思います。

220505tokochi1

出発は南海のなんば駅から。

220505tokochi4

和歌山港駅に到着。
既に何回目かですが、いつも乗換ばかりで降りることがありません。
この周辺も歩いてみたいものです。

220505tokochi5

とても良いお天気で、淡路島の南岸を眺めながらの船旅です。

220505tokochi19

今回の船はフェリーかつらぎでした。2隻あるうちの古い方の船。
なぜかタイミングが合わなくて、新しい方のフェリーあいには乗ったことがありません(帰りも)。

220505tokochi20

徳島港に入港すると向かいに津田地区が見えます。
あのあたりに行ってみたいなといつも船上から見ていて、ようやく今回、帰りに寄ることができました。

220505tokochi6

徳島港のフェリーターミナルからはバスで徳島駅へ。
この区間のバス代210円は別料金です。

220505tokochi7

徳島駅に到着しました。
あまり時間の余裕がなくて、四国みぎした55きっぷを購入したり、お弁当を買ったりと慌ただしく。
55きっぷの購入者はアンケートに答えると何か当たるということで、回答すると後日、記念品が送られてきました。

220505tokochi8

徳島駅からJRで阿波海南駅まで。
GWとはいえ、ここまで来ると混んではいません。
途中お弁当を食べつつ。

220505tokochi9

途中の日和佐。山の上にお城が見えます。
ここも未訪問ですので、また来てみたいところです。
今の所、模擬天守は屋根瓦が傷んでいて休業中だそうです。

220505tokochi10

阿波海南駅に到着。
奥が駅舎で、緑の車が阿佐海岸鉄道のDMV(Dual Mode Vehicle)です。
元々は鉄道だったのですが、2021年12月25日からこの線路と道路の両方を走れる車両DMVを使って世界初の本格営業運転をしているとのことでした。私はそんなに興味があったわけではないのですが。

220505tokochi11

既に開業から半年たっているのですが、これを見に来ている人たちがいました。
車輪を引っ込めてタイヤで走るモードチェンジ中。

220505tokochi12

右奥の線路が道路につながっているのが分かりますでしょうか。

DMVへの地元の期待は大きいようで、様々なポスターが貼られていましたし、モナカだとかいろいろな関連商品を見かけました。

220505tokochi13

阿波海南駅で少し乗換時間があったので、周りを見ていると「四方原開拓の碑」(昭和60年)がありました。

内容は、寛永14年(1637年)にこの地の開墾が始まって350年になることを記念するものでした。
元々このあたりは礫石原と沼沢の地でしたが、寛永13年、視察に来た阿波第3代藩主・蜂須賀忠英が翌年お触れを出し、「どの国の者でもこの地を開拓する者には居屋敷を与え、公事を免除する」と伝えたところ、牟岐でそれを知った土佐の野村氏が香美郡小川村(現在はいの町)の同志郎党36人を率いて入植し、20年をかけた開墾の結果、明暦3年(1657年)には60町(約60ha)の田畑が開かれたとのことです。

220505tokochi14

駅前を見るとこのようになっています。

220505tokochi15

私の乗るDMVが来て乗車しました。
車内はバス寄りですね。四国みぎした55きっぷでDMVの自由席に乗れるのですが、もし満員だったら乗れず、旅程が大きく狂ってしまうので、安全策としてこの区間は指定席を取りました。予約しなくても席は空いていた模様。

ここから鉄道に変わるので、お囃子の賑やかな音楽が流れて車輪にモードチェンジします。

220505tokochi16

途中、左の車窓には深い入り江が見えました。
レールを走る時は結構ガタンガタンします。

220505tokochi17

高知県に入り、海の駅東洋町でDMVを降りました。
大きな駐車場を持つ道の駅で、現在は鉄道の甲浦駅に代わってここが交通の結節点になっています。

220505tokochi18

道の駅東洋町の目の前には海水浴場が広がっていました。

ここからようやく歩く旅が始まります

<四国みぎした旅行・高知編の目次>

 ■高知市編(高知の旅2018)
 (1)近代の高知公園 (2)リゾート地種崎と種崎千松公園 (3)渡船で御畳瀬へ 
 (4)種崎の門扉 (5)五台山に登る (6)高知城周辺の近代建築など
 (7)高知あたご劇場で映画を (8)喫茶店でモーニング (9)比島交通公園 (10)沢田マンション ※ここまで2018年
 (16)高知市の東側を歩く ※2023年

 ■東洋町編
 (1)高知県境の町へ (2)箱庭みたいな甲浦 (3)白い街並みの白浜 ※2022年

 ■室戸市編
 (4)室戸岬 (5)室戸岬灯台 
 (6)蔵空間蔵宿に泊まる (7)吉良川の街並みと近代建築
 (8)吉良川の石塀・石黒 (9)吉良川の2つの橋 
 (10)隆起する室津港 (11)室津の煉瓦塀 (12)室津のいろいろ ※ここまで2022年
 (25)津呂の港 (26)津呂の煉瓦塀 (27)津呂の白い町  
 (28)むろと廃校水族館 ※ここまで2023年

 ■奈半利町編
 (13)奈半利の南側 (14)奈半利の北側 ※2022年

 ■田野町編
 (15)田野町の街道を歩く ※2022年

 ■安田町編
 (24)安田中心部を歩く ※2023年

 ■安芸市編
 (20)野良時計と土居廓中 (21)岩崎彌太郎生家と旧街道の建物 ※2023年
 (22)安芸の旧市街を歩く (23)昔話のような伊尾木洞

 ■芸西村編
 (18)白と黒の和食 (19)極彩色の5月 ※2023年

 ■香南市編
 (17)夜須の手結内港 ※2023年

 

 

| | コメント (0)

2017年7月 3日 (月)

鳴門の石材

160911muyaishi_1 鳴門の記事の(たぶん)最後に鳴門で見かけた石を紹介します。
鳴門を歩いていると、緑がかった石をよく見かけました。
上の写真は撫養町斎田にあるお寺の裏の石垣です。

 

「和泉砂岩ではないか」と教えていただいて調べてみると、和泉砂岩系の撫養石(むやいし)ということが分かりました。

 

(日本シームレス地質図より)

 

凡例が被さってて見にくいですが、
鳴門周辺の地質をみると、グリーンのところが和泉砂岩ということになると思います。
撫養石の産地は大毛島の真ん中辺りにある三ツ石だとのことです。

 

160911muyaishi02_1 撫養石の石垣がよく見られたのが、撫養街道から一本南側の通りです。

 

160911muyaishi03_1 撫養街道側が高くて、裏通りには勝手口から階段を下りる形になります。
昔は水路が流れていたのではないでしょうか?

 

160911muyaishi04_1 こちらも同じく。
石垣が表面がきれいに揃っています。
階段の色が違うのは耐久性重視で花崗岩を使っているのかもしれません。

 

160911muyaishi05_1
同じ並びに市杵島姫神社があって、ここの石垣も撫養石。

 

160911muyaishi06_1 一方、県立の鳴門高校の校門では阿波青石(緑泥片岩)が使われていました。
徳島=阿波青石ということで、地域の素材として使ったのだと思いますが、どのスケールで考えるかですね。現在撫養石は入手しにくいのかもしれませんが。

 

 

160911muyaishi07_1 他に、撫養川の東側(林崎のあたり)で、こういうカラフルな石垣がありました。
赤い石はチャートでしょうか。

 

160911muyaishi08_1 さらに塩田の町、鳴門町高島に行くとこんな美しい石垣がありました。
絵画作品みたいです。

 

160911muyaishi09_1_1 同じく高島の撫養石の石垣。
塀のカーブがきれいです。

 

160911muyaishi10_1 撫養町小桑島のあたりでしょうか。
石造のお地蔵さんの祠で、これも撫養石だと思います。

 

地元の石材が使われていると、町の色合いが出て良いですね。

 

 

<関連記事>
 「鳴門の近代建築など(1)」  「鳴門の近代建築など(2)」  「鳴門の渡船に乗る」
 
「大毛島から高島へ」  「隠れた名所・小鳴門公園」

 

 「加賀石の里めぐり(1)鵜川石切場跡」  「来待石の町」  「竜山石を訪ねて(1)石切場めぐり」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年6月30日 (金)

鳴門の近代建築など(2)

160911narutoeast01_1

 

近代建築などを中心に、鳴門の記事の続きです。
これも2016年9月11日の記事です。

 

まずは撫養川に架かる文明橋から。
この橋、昭和13年に架けられたもので、渦潮のデザインが良いです。
この頃から既に渦潮を推してたんですね。

 

160911narutophoto 出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
   「鳴門海峡」USAーM263-23 昭和22年米軍撮影 を加工

 

位置を確認します。
前回は撫養川の西側を紹介しましたが、今回は撫養川の東側から撫養港まで近代建築などを中心に紹介します。
お遍路さんの通り道である、撫養街道に沿う地域です。

 

160911narutoeast02_1 橋の欄干はアーチの連続です。

 

160911narutoeast19_1 橋の東側はちょっと広がって渦巻く装飾がありました。

 

160911narutoeast03_1 文明橋から撫養川に沿って少し北上すると、美奈登橋があります。こちらは昭和10年。「湊橋」と書けばよいところ、少し気取った漢字を当ててます。

 

160911narutoeast04_1 橋の下には雁木の荷揚場がありました。
左側の岸壁もアールの付いた縁石を使っていて古そうです。
ちなみに対岸右手に見えている丘は、これから向かう方向にある妙見山です。
その向こう側に撫養港があって、港の目印になる山です。

 

160911narutoeast05_1

 

撫養川を渡って、林崎の集落に入りました。
養老湯の跡を確認するためです。
ここには事前確認して行きました。
2009年末に廃業されたとのことで、緑の侵食を受けつつありました。

 

160911narutoeast06_1 2階の窓には色ガラスが使われています。
洋風の雰囲気です。

 

160911narutoeast07_1

 

この時はレンタサイクルでの移動なので、寄り道していると、北浜集会所というのがありました。昭和20〜30年代といったところでしょうか。潮風に色あせて味が出ています。

 

160911narutoeast08_1 撫養街道に沿って進んでいくと、モダンな住宅がありました。
古いようなのですが、かなりきれいにしています。

 

160911narutoeast09_1 玄関周り、水平、垂直の線で構成されていて、とてもシュッとしています。

 

160911narutoeast10_1 妙見山が近づいて来ました。
左側から回り込みます。

 

160911narutoeast11_1 港のすぐそばまで来ました。
これは元料亭などでしょうか。

 

160911narutoeast12_1 撫養港の周辺には今も旅館がありますが、関西方面から船でやってくるお遍路さんで賑わった昔は、もっとたくさんの旅館があったのでしょう。朽ちかけています。

 

160911narutoeast13_1 緑に埋もれている建物は、水の旅館の旧館です。
2棟のうち1棟は戦前の建物だそうです。
右に新館が建っています。

 

160911narutoeast18_1 小屋裏の換気口はちょっと変わったデザイン。
中を見学できれば良いのですが。

 

160911narutoeast15view_1 水の旅館の前で撮ったパノラマ写真です。
左に大毛島、遠くに淡路島が見えています。
ここが撫養の港です。

 

160911narutoeast14_1

 

昔は船が着いたのですね。
フェリー待合室が閉め出されてトマソン化しています。

 

160911narutoeast16_1 前に「渡船の記事」で紹介した岡崎渡船
の隣に元幼稚園らしき廃屋がありました。
下見板張りです。

 

160911narutoeast17_1 左側の建物。
下足箱があるので、幼稚園かなと思ったのですがどうでしょう。
気になります。

 

鳴門で気になった主な建物は以上です。
よほど生育環境が良いのか、植物の強さが印象づけられました。

 

 

<関連記事>
 「鳴門の近代建築など(1)」  「隠れた名所・小鳴門公園」  「鳴門の渡船に乗る」
 
「大毛島から高島へ」  「鳴門の石材」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年6月29日 (木)

鳴門の近代建築など(1)

160911narutomodern01_1 随分間が空きましたが、鳴門の記事の続きです。
訪問日は2016年の9月11日。
鳴門の近代建築などを紹介します。

 

160911narutophoto 出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
    「鳴門海峡」USAーM263-23 昭和22年米軍撮影 を加工

 

鳴門を訪ねるにあたって、事前に空中写真で旧市街を確認しました。
写真を見ると東西に延びる市街地と南北に延びる市街地があります。
その交点が上の写真の場所です。
道路元標を置くならここしかないという場所ですが、道路元標は見あたりませんでした。

 

まず東西の道は撫養街道です。関西方面から船でお遍路さんに来るとまず上陸したのが撫養港で、そこから撫養街道をたどって札所を目指したそうです。
南北の道は渡船場につながっていて、その先は高島です。

 

160911narutomodern02_1 まず南北の道を北上しました。
すぐに現れたのがこのピンクの建物。
とても目立っています。
窓の桟や水平線も主張しています。

 

160911narutomodern03_1
玄関脇にはダイヤの窓も。

 

160911narutomodern04_1 途中で裏道に入って、造り酒屋の花乃春酒造さん。
登録有形文化財のプレートを掲げておられました。
創業文化11年(1814年)で、正面に見えている仕込み蔵と左手にある瓶詰め蔵は昭和18年のもの。
お酒の販売もされています。

 

160911narutomodern05_1 撫養小学校の裏門。
元は正門だったのではないかという重量感があります。

 

160911narutomodern06_1 小学校の向かいにある斎田集会所はそこそこ古いのではないでしょうか。
サイディングに覆われていますが、後ろに回ると下見板張りです。

 

160911narutomodern07_1 撫養街道まで戻ってきました。
ダルマヤ薬局の磨りガラス文字。

 

160911narutomodern08_1 医院の建物に隣接してピンクに塗られた下見板張りの建物がありました。
元は医院関係で使われていたのではという気がします。

 

160911narutomodern11_1 またこちらも裏通りにある、住宅にしては立派な建物。

 

160911narutomodern12_1 玄関上の破風部分に亀甲模様が入っていたり、漆喰細工のようなものがあったり、凝っています。

 

160911narutomodern13_1
再び撫養街道に戻って、西に向かいます。
初めて見るとインパクトのあるおたふくさんの鏝絵看板。

 

160911narutomodern14_1
洋風付き町家。
町家で部分的に洋風なのが面白いです。

 

160911narutomodern15_1 これはたぶん銭湯跡でしょう。
屋根が落ちていて残念です。

 

160911narutomodern16_1 西に歩いて行き、三拍子酒造の煙突に誘われていくと、レトロな浜田煙草店がありました。大正9年の建物だそうです。

 

160911narutomodern17_1
玄関脇のこの小窓は何でしょう。
たばこの販売窓口?
このあたりで引き返しました。

 

160911narutomodern20_1 鳴門市街中心部に戻ってレンタサイクルを借りた後、渡船をめぐって、小鳴門海峡の北の入口にある北泊まで走りました。その途中にあった、瀬戸小学校の門柱。左側の門柱には「瀬戸幼稚園」と書かれています。

 

160911narutomodern21_1 堂浦の集落にあるよろず屋。
漁村にしっくりきます。

 

160911narutomodern22_1 玄関上の磨りガラスと桟が凝っていました。

 

160911narutomodern23_1 モダンデザインの塀。
建物がかなり傷んでそうで気がかりです。

 

160911narutomodern24_1 再び市街地に戻ってきて、古い排水施設。

 

160911narutomodern18_1 今では鳴門で唯一の銭湯となってしまった東浜温泉。
1965年の開業だそうです。
私も入りました。たぶん開業時の雰囲気が今も残っています。

 

160911narutomodern19_1

 

最後にもう一つ。
鳴門市役所の建物がかっこいいなと思ったら、1963年に完成した増田友也設計の建物だそうです。
docomomo Japan選定。
鳴門は増田友也の建築がたくさん残っているそうですが、この時の旅行ではそこまで回る余力はありませんでした。
ご興味のある方はこちらもどうぞ。

 

「鳴門の近代建築など(2)」に続きます。

 

 

<関連記事>
 「隠れた名所・小鳴門公園」  「鳴門の渡船に乗る」
 
「大毛島から高島へ」  「鳴門の近代建築など(2)」  「鳴門の石材」

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年2月15日 (水)

大毛島から高島へ(鳴門市)

160911ogetakashima01
(訪問日:2016年9月11日)

 

前回、鳴門の渡船の記事で省略した、大毛島から高島までのサイクリングについて紹介します。
大毛島の北端は鳴門公園で、大鳴門橋が架かり、大塚国際美術館もある観光地ですが、そちらには行かず、小鳴門海峡沿いを走りました。

 

土佐泊の渡船場に着いたところから。
渡船はすぐに引き返し、タラップだけが残されます。

 

160911ogetakashima02
土佐泊の集落で写真を撮っていると、近くで作業中の漁師さんに声をかけられました。
有名な鳴門わかめの養殖をされていて、今は網の手入れ中だそうです。
太いロープにビニールのひもをくくりつけたりされていました。

 

160911ogetakashima03
別の家の前にはたくさんのブイ。

 

160911ogetakashima04
徐行の手描き標識。
左上に少し写っているのはイカリ?

 

160911ogetakashima05 ※クリックすると拡大します

 

前回も紹介した徳岡造船。
今も現役の造船所で、この時も船を建造中でした。

 

160911ogetakashima06 ※クリックすると拡大します

 

海辺にはわかめの水揚げ・加工設備が並んでいます。

 

160911ogetakashima07
収穫してきたら、浜ですぐゆでてしまうということもしているようです。

 

160911ogetakashima08
穏やかな海辺の道を走ります。
車も来なくて快適。

 

160911ogetakashima09
こちらは大毛島ですが、本土とは3本の橋で結ばれています。

 

160911ogetakashima10 ※クリックすると拡大します

 

船溜まりがあるのは狭い海峡で、ここを渡れば高島です。

 

160911ogetakashima11
島のお地蔵さん。
松明のような台座が面白いなと思います。

 

160911ogetakashima12
鳴門の「鳴」の瓦?

 

160911ogetakashima13
高島は島の名前であり、その中心の集落の名前でもあります。
高島は製塩業の集落で、塩水の水路に囲まれて、古い街並みが残っています。

 

この石垣のカーブなど美しいですね。
緑泥色の撫養石(大毛島の三ツ石で産する和泉砂岩・鳴門砂岩)と思われます。

 

160911ogetakashima14
またこういうカラフルな石垣もありました。

 

160911ogetakashima15 ※クリックすると拡大します

 

蔵もあります。

 

160911ogetakashima16 ※クリックすると拡大します

 

最後に、鳴門塩田公園に塩田の遺構が残っていると知り、それも訪ねてみました。
集落のすぐ近くにあるのかと思ったら意外と離れていて、見つけるのに少し手間取りました。
江戸時代末期の塩田屋敷(福永家住宅)が塩田とセットで残っていて、重要文化財に指定されています。
煙突は製塩用の煙突。

 

160911ogetakashima17 ※クリックすると拡大します

 

すぐ脇は水路で、向こうはすぐ海です。
見えているところは製塩作業場です。
右の茅葺き屋根は鹹水溜、その裏に釜屋でいずれも復元、左の小屋は塩納屋です。

 

160911ogetakashima18_2 ※クリックすると拡大します

 

海側から見たところ。居住スペースと蔵。
美しい石垣に囲まれて水に浮かんだようなお屋敷です。
公開されることもあるようなので、見てみたいなと思います。

 

160911ogetakashima19 ※クリックすると拡大します

 

こちらは入浜式塩田の跡。
水中にあるコンクリート製の構造物は沼井(ぬい。濃い塩水を抽出するための設備)で、大正時代のもののようです。

 

江戸時代の塩田屋敷と入浜式塩田がセットで残っているのはここだけらしいので、鳴門に来られたらぜひ見学をお勧めします。レンタサイクルと渡船を使えば、それほど行きにくくはありません。

 

鳴門塩業HP「これまでの製塩法」

 

 

<関連記事>
 「隠れた名所・小鳴門公園」  「鳴門の渡船に乗る」
 
「鳴門の近代建築など(1)」  「鳴門の近代建築など(2)」  「鳴門の石材」

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年2月 5日 (日)

鳴門の渡船に乗る

160911tosen01 ※クリックすると拡大します
(訪問日:2016年9月11日)

 

鳴門に行く下調べをしていたとき、鳴門に市営渡船があることを知り、ぜひ乗ってみたいと思いました。
渡船は橋が架かったり、利用者が減るなどして廃止されていきますので、あるうちに乗っておかないと。

 

鳴門市営渡船は現在3本あり、全て小鳴門海峡を渡る船です。
黒崎・島田渡船は昭和22年に民間から、岡崎渡船は昭和37年に県から運航を引き継ぎ、市道扱いとして、昭和31年から無料で運航されています。コスト削減のため、平成15年から運航が民間(といっても母体は漁協)に委託されて現在に至っています。

 

渡船は駅からも相互にも離れていますので、観光協会のレンタサイクル(なると街なかレンタサイクル)を借りました。鳴門駅近くのなると物産館で借りられて、1日500円です。名前はらっきょ号(笑)。

 

最初に向かったのは岡崎渡船です。
結論から言うと、ここが一番雰囲気があってお勧めです。
本土側の岡崎と大毛島の土佐泊を結んでいます。

 

上の写真は岡崎の乗り場です。
のどかでしょう?

 

160911tosen02
こちらは待合室。
早い時間からおじいさん、おばあさんが時間待ちをしていました。

 

160911tosen03
待合室の中はこんな感じ。人が写るので撮ってませんが、左側にテレビもあります。
暑い日でしたが、ここはクーラーが効いています。乗務員の控室も兼用になっているみたいです。

 

160911tosen04
こちらは時刻表です。
朝6時40分から晩は19時50分まで、朝夕は20〜30分ごとに1日24往復です。
私は昼時に行ったのでちょっと不便な時間帯。

 

160911tosen05 ※クリックすると拡大します

 

時間が来ると、船の前をタラップにつけて乗船です。
自転車ごと乗り込みます。

 

160911tosen06
舳先を上げることなく走って、3分で対岸の土佐泊に到着。
乗客、船員から船、周りの風景まで、のどかさに溢れています。

 

160911tosen07
土佐泊の待合所は簡易で、バスの待合所程度。

 

160911tosen27 ※クリックすると拡大します

 

ここからは自転車で次の渡船に向かいます。
大毛島については改めて紹介したいと思いますが、自転車で走るには気持ちの良い道です。

 

こんな造船所(徳岡造船)のクレーンの下を回り込むように走り抜けます。
まさに船を建造中でした。

 

160911tosen11_2 ※クリックすると拡大します

 

左手に穏やかな小鳴門海峡を見ながら、橋を次々くぐっていくこの道は車も通らず、サイクリングロードのようです。

 

160911tosen17
細い水路を越えると大毛島とほぼ地続きの高島。
いろいろ高島で寄り道しましたが、それは別の記事で。

 

やがて黒崎渡船の高島の乗り場に到着します。
黒崎渡船は、四国側の黒崎と高島を結んでいます。
桟橋が長くて、半分渡ってしまっているのでは?と思うぐらい。
航空写真を見て分かったのですが、桟橋のある部分は浅瀬なんです。

 

160911tosen21
先端まで行くと待合所があります。

 

160911tosen20
振り返ったところ。
向こうは高島。

 

160911tosen18
対岸から渡船が到着。
学生でいっぱいです。
高島には鳴門教育大学があり、その学生が渡船の主要なお客さんのようです。
おかげでこの渡船が一番賑わっていました。

 

160911tosen26
船の最後尾。

 

160911tosen19
わずか2分で対岸の黒崎に到着します。

 

160911tosen22
脇には待合所がありました。

 

160911tosen28 ※クリックすると拡大します

 

ここから今度は小鳴門海峡の西岸を北上します。
向かいの高島には、かつて塩田が広がっていました。

 

160911tosen23
途中、紛らわしい船着き場に迷いながら、ようやく島田渡船の堂浦の乗り場に到着。
ここは四国側の堂浦と島田島(面白い名前ですね)の島田を結んでいます。
他の2つの渡船と違って拠点が島側にあります。
向こうからやってきて、向こうに戻ります。

 

しかし、船が来る気配がない。

 

160911tosen24
乗り場を見ていると注意書きがあり、なんと、船が来ないときはこのボタンを押して下さいと書いてあります。あくまで島田島の人の足なんですね。
さすがに渡船に乗りたいからという理由だけで来てもらうのもはばかられ、乗るのはあきらめました。

 

浮いた時間で北泊まで走り、帰りに小鳴門公園を見つけたのだから良しとします。

 

160911tosen25
最後に市営渡船ではないのですが、面白い渡船がありました。
島田島にある鳴門シーガル病院に渡る病院渡船です。
病院に通うために専用渡船というのもすごいですね。
すごく興味ありましたが、面白半分に乗るものでもないので、これもあきらめました。

 

鳴門シーガル病院アクセス

 

上の地図で赤い線が市営渡船、緑の線が病院の渡船です。

 

昔の航空写真を見ていて、どういう場所に渡船があるのかなと確認すると、街道の先にあるのですね。
鳴門から北と東に街道が延びていて、岡崎・黒崎の渡船はその先にあります。
渡船は「道」だということがよく分かります。

 

繰り返しになりますが、とくに岡崎渡船がお勧めです。
気候のいい時にレンタサイクルを借りてぜひ。

 

<関連HP>
  鳴門市HP「渡船」

 

<関連記事>
 「隠れた名所・小鳴門公園」  「大毛島から高島へ」  「鳴門の近代建築など(1)」  「鳴門の近代建築など(2)」  「鳴門の石材」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年1月14日 (土)

隠れた名所・小鳴門公園(鳴門市)

160911konaruto01 ※クリックすると拡大します

 

昨年9月に鳴門を訪れました。
観光案内所でレンタサイクルを借りて旧街道を走り、古い建物を探したり、市営渡船に乗ったりと走り回ったのですが、その中で印象深い場所に出会いましたので紹介します。

 

それはほぼ見たい場所は見て、小鳴門海峡の北の入口にある北泊の漁港まで走った帰りでした。
道の脇に煉瓦の不思議なモニュメントが立っているのに気付きました。
それは唐突にあって場に不似合いなぐらい立派。
右から小鳴門公園と書かれています。
が、その向こうはすぐ森で、公園という感じではありません。

 

160911konaruto02
何か解説板などないかと探しましたがありません。
ただこの門があるのみ。
門の中に、説明板があったような痕跡は確認できました。
(もしかして、金属供出された?)

 

160911konaruto03
見上げると木組みが見えます。

 

160911konaruto04
裏側に回るとまた文字があります。
右から「美妙」と書いてあるのでしょうか。

 

後で『徳島県近代化遺産調査報告書』のリストを調べると、昭和30年以前のものとされています。

 

しばらく門を眺めていると散歩で通りがかった方がおられました。
「この上に何かありますか?」と尋ねると「広場になっていて、忠魂碑がある」とのこと。
何もないように見えた森ですが、右に登っていく坂道がありました。
それならと、せっかくだから登ってみることにしました。

 

160911konaruto05
落ちている枯れ枝を拾い、蜘蛛の巣を払いながらこんな道を登っていきます。
登山道みたいですね。

 

160911konaruto06
果たして、ぱっと視界が開け、忠魂碑のある広場がありました。
忠魂碑には大正8年と書いてあります。
意外と古い。

 

160911konaruto07
そしてもっと私には興味をひくもの、公園の記念碑がありました!
こちらは昭和4年です。

 

読んでいる時間はないので、写真に収めておきます。
後で書き起こしてみました。
写真にちゃんと撮れていなくて、判読に難儀しました。
もっとたくさんに分けて撮っておくんだった。

 


 御大典紀念
 阿波十五景之一
 徳島日日新報社選

 

阿州の地古来勝景に富む。此処小鳴門峡神燈岩に立つ若葉の鼻より北泊口に至る十八町、処として奇勝ならざるなく絶景ならざるはなし。試に長江此の道に立って眺めるが、俯して千○の碧潭に涖(のぞ)み、仰いで古蹟鐘懸の高峰に対し、左は島田の翠巒遠く連り、右は遥に塩焼く煙騰る竹島を望む。影浦は波穏にして○乎たる六神の社を蘸(ひた)し、船泊間に白鴎と眠る。而して源平の旧址船隠を擁する○霧湾は峡中第一の勝景にして、松翠に水清く、晩岩聳え、錦鱗常に碧淀に○る。若し夫れに潮の満○らんか春○の鼻の近、大小の塩渦洶湧し、波激しては白○を噴き、響轟いては萬雷一時に落つ。忽ち見る一葉の扁舟、矢の如く駛(はし)り来って岩際を掠むるや、瀾跳(なみおど)り舟舞い、将に覆るを免るるを。而して此処を過ぐるは海上已に平遠、一碧萬頃、唯漁○相望み、○乃互に答え、山水愈緑なるを覚ゆるのみ。蓋し潮流の激迅にして盤潮の千変萬化なる他に其比を見ざる所。而も観潮は何れの季として佳ならざるなく、春暁よく秋夜よく雨日亦よし。昭和三年秋、徳島日日新報社広く県下の勝景を募るや、地峡即十五景中の三位に当選す。○つに碑を山上に建て以て之を紀念せんとし、予に嘱して文を撰ぜしむ乃景を○し由来を証して以て之に与うと云う。

 

 徳島県立中学校長
 従五位勲六等中原宇三郎撰
    勲八等中瀬○太郎書
 昭和四年十月    

 


 ※旧字体はできるだけ新字体に変更しました。
  ○は判読できなかった文字です。
  カタカナをひらがなに改めました。
  適宜、改行や句読点を追加しています。
  たぶん読み取り間違いがありますので参考程度にご利用下さい。

 

 要するに、昭和天皇の即位御大典を記念して、徳島日日新報社という新聞社が昭和3年秋に、徳島県民対象に徳島の名所を募り、十五景を選んでその3位に入ったのがこの小鳴門峡だったということです。

 

公園といってもこれだけかなと、それほど見通しの良くない広場を見渡して、周囲を歩き回ると、裏に下っていくもう一つの道と、忠魂碑の右手奥に続く道がありました。
まだ奥があるのか、と忠魂碑の右手の道をたどっていきます。

 

160911konaruto08_2 ※クリックすると拡大します

 

するとコンクリートのベンチが。
「御料理 日之出旅館 仕出し」と広告が刻まれています。
花見弁当の宣伝でしょうか。

 

160911konaruto09
他にもベンチはありますが、広告は入っていません。
ちょっといい眺め。

 

160911konaruto10
突然、鮮やかな赤いベンチが現れた時はびっくりしました。
真新しさが怖いです。

 

公園には誰一人いない割には整備されていて、後で調べると地元のボランティアの方が毎年草刈りをされているようです。ありがたいことです。

 

160911konaruto11 ※クリックすると拡大します

 

そしてその先にぱあっと目の前が開けて、眼下に小鳴門海峡を見下ろすベンチがありました。
ここは岬の先端です。絶景ベンチ。

 

160911konaruto12
視線を右に転じると小鳴門海峡がカーブを描いています。

 

160911konaruto13
帰り道からは海峡の出口も見えます。
以前は周囲の木が低くて、もっと海峡が一望できたのかもしれません。

 

地図で確認すると、小鳴門海峡の真ん中あたりに突き出している岬がこの小鳴門公園です。
近代の公園好きとしては、貴重なものを見ることができました。
普通に景色を眺めてもいい場所です。
記念碑の碑文の撰者が褒め称えるようなことを味わうにはもっとゆっくり過ごさないといけない気がします。気軽に訪ねられる場所ではないですが、再訪する機会があればと思います。

 

 

<関連記事>
 「鳴門の渡船に乗る」
 
「大毛島から高島へ」  「鳴門の近代建築など(1)」  「鳴門の近代建築など(2)」  「鳴門の石材」

| | コメント (0) | トラックバック (0)