カテゴリー「公園」の記事

主に近代の公園・遊園地・動植物園の記事です

2026年1月 6日 (火)

再度公園の休憩所(神戸市北区)

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前回に続き、神戸市の六甲山地にある再度(ふたたび)公園の話です。
今回は修法ヶ原(しおがはら)池畔にある休憩所を取り上げます。写真多めに載せたかったので(ここが気に入ったので)別記事にしました。

これは休憩所を正面やや左から撮った写真です。

訪問日:2024年5月26日

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<神戸市「失業応急山地開発再度公園道路新設工事報告」(昭和12年)の付図の一部>

上の写真と見比べてほしいのですが、特徴がほとんど変わっていないことが分かると思います。
例えば、腰壁に石を貼り付けてあるところとか、柱に斜めの補強材が入っているところなどです。

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<神戸市「失業応急山地開発再度公園道路新設工事報告」(昭和12年)の表紙の一部>

さらには報告書の表紙にもこの休憩所が写っています。
注意すべきは、この写真を見る限り、奥の壁はありません。風除けのために後から塞がれたのではないでしょうか。
真ん中に白く四角いものは見えていますが、これは後でそれらしきものを説明します。

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ユニークなのは休憩所が左右非対称で、西側にアール型の突出があることです。
絵図には表現されていないんですが。

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入り口の様子。入り口まで石が敷かれています。
絵図に現れている基礎部分のコンクリートもあります。

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内部の様子。それほど広くはありません。
右側には新そうな石張りの壁があります。ここの造りを覚えておいてください。

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アールの突出部はこのようにぐるっと回るベンチになっています。
外の人と会話したり、池を眺められます。

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屋根の構造。部分的にトラスになっています。

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休憩所の東側から。このあたり、石の貼り方が面白いですね。
遊び心があります。

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問題の裏側。中央にずんぐりした煙突のような部分があります。
思い出してもらうと、内側は壁になっていて、煙突はありません。
報告書表紙に写っていたのは煙突ではないのでしょうか。
元々は火を焚いたりできるようになっていたのかななどと想像しますが、確証はありません。

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そして公園内にはもう一つ、西山の遊歩道上に、休憩所跡らしきものがあります。

「神戸市勢要覧第18回」(昭和13年)の再度公園に関する記載に「山の家風の四阿も森林逍遥路に添って各所に建設されてゐる」と書かれています。これがその痕跡ではないかと思います。

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見ると柱の跡やベンチの付いていた跡のようなものが見られます。

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反対側にも同様のものが観察できます。

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この遺構に続く道には石敷きがあり、今では普通の山道になりつつありますが、おしゃれな逍遥路だった名残が伺えます。

今回は再度公園で気になったポイントについて少し詳しく紹介いたしました。

以前訪ねた公園では枚岡公園の休憩所を思い出します(まだ残っているのかな)。

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2026年1月 4日 (日)

再度公園(神戸市北区)

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今回から数回、兵庫県の近代の公園について紹介します。まずは再度(ふたたび)公園。
六甲山地にある再度公園は、昭和12年に開設された公園です。
公共交通では、三宮から4/1〜11/30の土日祝のみ運行される神戸市営バス25系統・森林植物園前行きで行くことができます。

バス停から森の中を歩いていくと、再度公園の中心である修法ヶ原(しおがはら)池に到着します。
新緑の鮮やかな気持ちの良い日でした。

自然に囲まれた公園ですが、修法ヶ原池は堰堤のある元ため池ですし、向こうに見える再度山はかつて禿山でした。

訪問日:2024年5月26日

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<園内の看板より>

 公園開設以前の明治35年、薪採取のために荒廃していた再度山の北斜面で植林事業が始まりました。
この写真のように石積みをつくって土砂や水の流出を抑えた上で、植林がなされました。
昭和49年(1974年)に、この森の一部が「再度山永久植生保存地」に指定されています。

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また公園以前の歴史として、公園の奥には弘法大師が入唐の前後に修法したとされる場所に大師堂が建てられています。
修法ヶ原池の名前もこれにちなんでいます。

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<公園内案内板>

再度公園のエリアは、公園および再度山永久植生保存地と外国人墓地からなっています。

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堰堤の側から修法ヶ原池を見たところ。
左に見える建物はカフェRE-encounterです。

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松林も後から植林されたものです。
季節が良いので、あちこちでテントやタープを張ってお昼寝している人がおられました。

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売店などもあります。とても便利。

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外国人墓地の方にも来てみました。
墓地自体は墓参者か一般公開(春秋の月1回・抽選)の参加者のみで、一般の人は入れません。
ただ、墓地を見渡せるエリアが公開されていて、ここには誰でも入れます。

見渡せるといっても、木々に埋もれていてよく見えませんが。

外国人墓地は神戸市街にあった小野浜墓地(慶應3年〜)や春日野墓地(明治31年〜)が手狭となっていたため、既に昭和5年からこの地への移転計画があり、昭和12年の再度公園計画にも組み込まれていました。しかし、阪神大水害や戦争によって計画が遅れ、ようやく戦後の昭和27年になって移転が始まったそうです。

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公開エリアには勇士の慰霊塔(大正10年)が建っています。
これは第一次大戦の時に祖国のために出征して戦死した英仏国人19名を慰霊しているそうです。

元々春日野墓地に建てられ、移転してきました。

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公開エリアには礼拝堂があって、ここが意外にも再度公園や外国人墓地に関するビデオやパネル展示がある資料館的な場所になっているんです。
興味のある方は行ってみてください。

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<神戸市「失業応急山地開発再度公園道路新設工事報告」の付図コピー>

ここのビデオで大事な資料の存在を知ることができました。
神戸市「失業応急山地開発再度公園道路新設工事報告」(昭和12年)です。
後日、図書館に資料を閲覧しに行きました。

地図が添付されていて、これが公園の当初の姿を知るのにとても役立つんです。もちろん本文も重要ですが。

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この資料を読んで分かったのが、どうも修法ヶ原池畔にある休憩所が当初の姿を留めているらしいということです。
じっくり紹介したいので、これについては別記事にします。少しお待ちください。

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また地図に出てくるものとして、修法ヶ原池の堰堤を降りていったところにある石の太鼓橋があります。

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ここに出てくる「しあん橋」(思案橋)だと思われます。
開設当初からある橋ということになるのでしょうか。

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それ以外についてはちゃんと特定はできていませんが、堰堤に続く園路の階段なども古いのかなと思います。

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こちらは時期はわかりませんが、公園内の橋です。

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これも公園内の別の橋。

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幅の広い階段。これも古いものかも。

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水路を渡る飛び石。

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修法ヶ原池畔の手水鉢。

地図を見て気づく現状との違いについて、現在は公園の東側を通過する自動車道が元は園内を通っていたこと、西側の園路については砂防工事でルートが変更されていること、北側部分の園路は外国人墓地内に取り込まれていることなどが分かります。もう一度地図を見ながらじっくり現地を歩いたら、もう少し気づくこともあるかもしれません。

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2024年6月14日 (金)

元代用公園の耳塚児童公園(京都市東山区)

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元代用公園の松原橋児童公園の後、同じく元代用公園の耳塚児童公園を訪ねました。
東には豊臣秀吉を祀る豊国神社があり、西側に耳塚(鼻塚)といって秀吉の朝鮮出兵の際に、戦功の証として首級の代わりに持ち帰った耳や鼻を埋め、供養するために作られた塚があります。秀吉関連の歴史エリアですが、この公園自体は耳塚の隣にあるというだけで、とくに関係はなさそうです。

12月のことなので5時の時点で既に薄暗くなっていました。
写真が見にくくてすみません。東側の門からです。

松原橋児童公園ほどではないですが、小さな公園です。
代用公園というのは、土地取得予算の制約などがあり、京都の街中で皇太子御誕生記念公園に続く児童公園の整備が進まない中、正式な公園の代用として寺院境内や道路の残余地などに遊具などを置いて公園化したものです。(参考:土井勉氏「京都市の公園形成史ー第二次大戦前までー」

代用公園としては早く、昭和12年度に試みとして整備された2つの代用公園(もう一つは西本願寺前児童公園)の一つです。
この2つの公園の評価が高かったため、翌年から代用公園が追加で指定されていくことになります。

訪問日:2021年12月25日

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公園のほぼ全景。

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公園の西側境界。低い柵で囲まれています。
ここから見るといかにも道路の残余地という感じがします。右に耳塚があります。

2つの記念碑が気になりますので確認してみます。

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右の記念碑は「明治天皇御小休所下京第廿七区小学校趾」「明治五年五月三十日御小休」と書かれていて、明治5年に明治天皇が小学校で小休止されたことを記念しています。この時は西国巡幸の途上で、明治2年に京都を離れて以来、3年ぶりとなる京都訪問で、地元の思いは強かったようです。

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裏には「昭和十六年五月三十日 京都府 建之」と書かれています。
小休止から69年後の同日です。

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もう一つの石碑は上記の記念碑と同時期に建てられたもので、建碑の経緯が記されています。

まず明治天皇の足跡が書かれています。西国巡幸の途上、大阪の行在所をたって川船「紅梅丸」で淀川を遡り、伏見に上陸して乗馬で伏見街道を北上し、京都御所に向かう途中、藤森と大仏前で小休止をしたそうです。その大仏前の小休止場所が耳塚の北側にあった下京第廿七区小学校です。70年ほどが経過し、人々が集まって感激した当時の記憶が薄れることを恐れ、この碑を建てたと書かれています。

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裏には「昭和十六年六月 貞教学区民建之」と書かれています。

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柵はシンプルな四角いコンクリートの柱を鉄棒でつないでいます。

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敷地の片隅に鬼瓦が置かれていました。
学校の屋根瓦でしょうか。

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藤棚は四角い床の対角上にはみ出すように四角い藤の花壇が付くという、京都の古い公園でよく見る設計です。

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碁盤のようなテーブルとベンチの組み合わせは京都でよく見かけるもの。

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人研ぎの滑り台もありました。

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これは古くないと思いますが、ユーモラスなカバの遊具。

代用公園だったことを特に意識する必要もないのですが、今では通常の公園となっています。

<関連記事>
 ⚪︎他の代用公園
  「上柏野児童公園」(京都市北区)
  「睦児童公園」(京都市上京区)
  「松原橋公園」(京都市東山区)

 近代の公園目次

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2024年6月12日 (水)

元代用公園の松原橋児童公園(京都市東山区)

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2021年の年末、鴨川に架かる松原橋の東詰にある松原橋児童公園(松原橋公園)を訪ねました。
この公園は当初、代用公園で、昭和27年4月1日に正式に公園として指定されました。

代用公園というのは、京都市街の中心部に児童公園が不足する中、正式な公園を設置するには用地買収費用など市の予算が足りないため、社寺・道路・広場などを求めて代用としたものです。昭和13年6月に、まず耳塚と西本願寺前に開設し、非常によく利用されたため、昭和13年度に追加で10ヶ所が指定されました。(『(京都)市政概要 昭和14年』)追加で指定されたうちの1つが松原橋児童公園のようです。

代用公園については、土井勉氏の「京都市の公園形成史ー第二次大戦前までー」で知りました。
松原橋児童公園は買収によって用地確保されたらしいです。

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全景がこれだけという非常に小さな公園です。
それでも子どもたちによく利用されていました(写真はできるだけ子どもたちを避けて撮っています)。

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公園の北側から。京都でよく見かける人研ぎの滑り台があります。

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砂場。こんなに縁が太い砂場は見たことがないので、理由が気になります。

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藤棚は小さなものです。
藤棚でよく見かけるテーブル&ベンチはありません。

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コンクリートのベンチ。質感が滑り台に似ています。

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ジャングルジムとぐねぐねした雲梯。
パステルカラーで一体感があります。

とくに古い遺構などは確認できませんでしたが、昭和の公園の雰囲気はとどめています。

<関連記事>
 ⚪︎他の代用公園
  「上柏野児童公園」(京都市北区)
  「睦児童公園」(京都市上京区)
  「耳塚児童公園」(京都市東山区)

  近代の公園目次

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2024年5月30日 (木)

高原児童公園の改修前と後(京都市左京区)

 

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飛鳥井児童公園の後、高原児童公園を訪ねて愕然としたのは、工事中!

まさに大掛かりな改修工事中で、一足遅かったようです。
既に園内には入れませんが、外から見られるところは見ておこうと気を取り直しました。

工事は令和4年の3月31日までと書かれています。

訪問日:2021年12月4日

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高原児童公園も飛鳥井児童公園と同じ昭和13年の開園です。

工事中とはいえ、囲いは高くないので、工事の様子も分かります。

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工事の囲いには丁寧に再整備工事の完成イメージ図まで掲示されていました。

ワークショップで出た意見と、それに対応する整備内容が分かりやすく説明されています。
また、のちにやむなく変更された部分は朱書きで訂正が入っています。

その中でも個人的に気になったのは右に書いてある「土木遺産」という項目。
意見として「日時計・噴泉を復活してほしい」。それに対して「現位置で保存します」とあり、ほっとしました。

また外周部の「コンクリート壁の立ち上がり部分は撤去し」は朱で消されて、「現在のままを基本とし」に変更されていました。

他に気になるのは「ヒマラヤスギは伐採してほしい」という意見。
最近、根が浅くて倒れやすいという理由で、ヒマラヤスギの伐採が増えているようですね。仕方ないとはいえ、近代を感じさせる樹種なので、惜しむ気持ちがあります。

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公園南西の入り口。オリジナルのデザインかと思います。

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石の銘板に「高原児童公園」と右書きで書かれています。

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フェンス越しに見る工事風景。
中央のケヤキは残されます。

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日時計も見えました。噴泉はよく分かりません。

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公園南東の入り口。こちらもオリジナルの門柱が残っているようです。

そして記事にしないままに時は過ぎ、工事は終わりました。
左京区に行く機会があったので、雨の日でしたが、ふと思い出して立ち寄って見ました。

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ここからは訪問日:2023年5月13日

公園はすっきりしましたが、ケヤキやクスノキが残ったために寂しい感じもなく、予想以上にうまく改修されているなという印象を受けました。

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コンクリート部分はきれいにグレーに塗られています。公園名表示はそのまま。
私はあのざらざらした渋い感じのコンクリートの質感が好きなんですが、まあ少数意見でしょう。

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門柱に新たに「土木学会選奨土木遺産 2019 戦前竣工の京都市児童公園群」のプレートがはめられていました。
お墨付きです。このように評価されたことも日時計や噴泉、門柱などが残された要因だったのでしょう。

この土木学会の選奨については、近大の岡田昌彰教授の解説的な文章があります。
「戦前竣工の京都市児童公園群」(土木学会誌Vol.105 No.12、2020年)

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手前は土の広場。

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まず日時計。
表には下記の文章が書いてあります。
「平井高原土地区画整理組合は昭和六年八月、田中及北白川の両学区に跨る約五万七千坪の地域整理のため設立し、市当局の援助と組合員の協力により工費五万三千余円を以て昭和七年二月起工、同年八月竣工す。惟うに本地区は規模小なりと雖も近代都市構成に寄与する所、少ならざるものあり。茲に碑を建て、以て事業の完成を記念す」
 ※旧字体は新字体に直し、適宜句読点を追加しました。

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上部には新たに日時計が設置されています。

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もう一方の噴泉の方には、大きく「竣工記念」そして両脇に「平井高原土地区画整理」「昭和六年八月十八日組合設立 昭和七年八月廿九日工事竣功」と書かれています。(設立からわずか1年、早い)

日時計とセットで竣工記念碑になっているようです。

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また噴泉の正面には、組合関係者の名前(たぶん)が刻まれていました。

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土木学会選奨土木遺産の公園であるという解説までありました。
単に日時計や噴泉を残すというだけでなく、シンメトリーな公園設計も残しているのはありがたいことだと思います。

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中心軸上から噴泉を見通してみました。
噴泉の両脇の花壇はヒマラヤスギこそ伐採されましたが、花壇の形を保った上で、サクラに植え替えられています。
こういう花壇や園路の形を残すというのは遊具を残すような安全性の問題が少ないので、他でもやってもらえると良いなと思います。

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外周はこのようになっています。
グレーに塗り直されてはいますが、形はそのままです。

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最後に南東側の入り口も確認しました。
ここも門柱の形はそのままで、電話ボックスもそのままの位置にあります。
トイレなどは新しく和風の建物に変わっています。

この改修方法が他の公園でも行われると良いなあと思いましたが、ストリートビューで他の公園の改修状況を見る限り、高原児童公園は特異な例なのかもしれません。ストリートビューでは細かいところは確認できないので、以前訪ねた南部公園や北町公園、北白川公園、内野公園など他の改修済公園がどうなったのか実地に確認してみたいと思います。

<関連記事>

 「近代の公園 目次」

 ⚪︎近隣の公園
  「飛鳥井児童公園」(京都市左京区)

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2024年5月28日 (火)

飛鳥井児童公園(京都市左京区)

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しばらくぶりに公園の記事です。

2021年12月、京都市左京区の公園を2つ回りました。
まずは飛鳥井児童公園です。京都の公園の中でも比較的早く、昭和13年にできました。
大正時代まで田んぼで、昭和初期に宅地化しています。近代京都オーバーレイマップを見ると、公園の東1/3には田中変電所が建っていたようです。

まずは南側の門から。近代のデザインの門です。

訪問日:2021年12月4日

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もう少し近づいて見ます。
丸みを帯びたデザインで、曲線部に短い3本のスリット、足元も少し削っています。

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公園名は銅板で、右から「飛鳥井児童公園」と書かれています。

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西側の門にも同じ書体の公園名表示がありますが、傷もなくきれいで何だか作り直したみたいです。

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右側の門柱は後から同じデザインで作り直したものに見えます。
このあたり京都の公園は元のデザインを踏まえた改修をしていて良いなあと思います。

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外周の柵は、低いコンクリートの柵の上部に何か取っ払ったような痕跡があります。
鉄パイプの柵は後付けのもので(それでも結構年数経ってそうですが)、元々はコンクリートの上に何らかの柵がついていたものと思います。

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外周にはヒマラヤスギが植っています。

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園内の西側にはプラタナスなど。
昭和25年のジェーン台風の被害で、ヒマラヤスギやプラタナスの倒木が記録されていますので、当時からある樹種のようです(『昭和二十五年九月三日ジェーン台風災害誌』(昭和26年))

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園内の北東側にはジャングルジムなどがあります。

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園内の南側は広場になっています。

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園内の北西側。ベンチや遊具があります。
ただ、この公園には藤棚がなくて、古い公園では珍しいなと思います。元々はあったのかも。

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砂場は将棋の駒の形です。

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京都でよく見る人研ぎの滑り台もあります。

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抽象化された汽車の遊具も。

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公園の北西隅には地蔵祠もありました。
京都の公園ではよく見かけます。

と一通り見たかなと思ってふと見ると。

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スチール製の倉庫の裏に石柱が建っていました。
危うく見逃しそうでした。
「中飛鳥井町」と書かれています。

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側面には「紀元二千六百年記念」の文字も見えます。
昭和15年ごろに立てられた国旗掲揚台でしょう。

まだ紅葉が残っていて、良いタイミングでの訪問でした。

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続いては高原児童公園に向かいました。その途中にある瓦屋さん。

この後、高原児童公園を見て愕然とすることになります。

<関連記事>

 「近代の公園 目次」

 

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2024年4月30日 (火)

明田児童公園と殿田公園(京都市南区)

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御霊児童公園を見た後、近くの明田(あけた)児童公園と殿田(とのだ)公園を訪ねました。
隣り合う公園ですが、明田児童公園は憩いや遊戯の公園で、殿田公園は野球・ソフトボール場という違いがあります。殿田公園は昭和15年、明田児童公園は昭和16年の開設です。

訪問日:2021年4月3日

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<国土地理院HP・昭和21年米軍撮影空中写真に文字・枠追加>

先に戦後すぐの空中写真を見ておきます。
両方、名前に「田」が付くように、大正の初めまで田んぼの広がる場所で、大正の後半から都市化が進んだエリアのようです。
殿田公園は戦後すぐには畑にされていたような様子がうかがえます。

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明田児童公園の公園標示は独特です。
スタンドに支えられたコンクリートの板に「明田児童公園」と書かれた石がはまっています。

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公園の塀もまた少し変わっていて、頭でっかちな柱と低い煉瓦の塀が交互に続いています。
そんなに古いデザインにも見えません。

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ただ煉瓦を見ると、江州煉瓦の丸にGの刻印に17(他には20なども)の刻印が添えられています。
江州煉瓦は滋賀の守山市に工場があり、昭和47年頃まで製造されていたそうです。

(参考)関西地方の煉瓦刻印HP「江州煉瓦」

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この塀がぐるっと公園の南・西・北面を囲んでいます。

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公園内に入ります。植栽の多い公園です。

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真ん中に砂場があり、ハスのような造形物が置かれています。

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何でしょう。この形には噴水が似つかわしい気がします。
元は砂場ではなく、池だったりしないでしょうか。

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北側の門も南側と同じデザインです。
同じく明田児童公園の名前が書かれた板が掲げられています。

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遊具は公園の北側に固まっています。
すっかり見慣れた京都の人研ぎ滑り台もあります。

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公園の北西隅には扇型の砂場があります。
断面がかまぼこ型で、これは戦前からのものかもしれません。
昭和21年の空中写真でも同じ位置に同じような形の枠が写っているように見えます。

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ベンチはシンプルなコンクリートのベンチです。
戦中〜戦後期でしょうか。

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続いて隣の殿田公園です。
東側に開く門の形は、御霊児童公園と似ている気がします。
門柱はこちらの方が少し凝っています。

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殿田公園の標示は大理石風で縦書きです。

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公園の南東側から。ほぼ前面が野球・ソフトボールのグラウンドとして使われていますので、探索する余地はほとんどありません。

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もう少し内側から。フェンスで囲まれています。

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少し気になるものとしては、公園北東のコンクリート門柱です。
時期は分かりませんが、年季を感じさせます。

この日はスタートが遅かったので、この3つの公園だけ回って帰りました。

<関連記事>

  御霊児童公園

  目次・近代の公園

 

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御霊児童公園(京都市南区)

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再び京都の近代の公園めぐりです。

この時は南区の公園を回りました。JR京都駅の南の方、地下鉄九条駅の周辺です。
最初に訪ねたのは御霊児童公園で、昭和14年に開設されました。

最初の写真は南側の入口です。

訪問日:2021年4月3日

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公園のコンクリートの門柱は昭和初期にしてはシンプルすぎる感じです。
大理石に左から御霊児童公園と刻まれていて、新しくはないものの戦後のようです。
車止めもちょっと気になります。

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西側の門も同じ形式で、こちらの方が全体の形が分かりやすいと思います。
外に向かって開いたハの字です。

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公園を南西側から。
柵は低いコンクリートの角柱がシンプルに丸管でつながれていて、見通しの良い柵です。

ここで昭和21年の空中写真を見てみます。
下の黄色で囲んだ部分が御霊児童公園です。

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<国土地理院HPより昭和21年米軍撮影写真>

解像度の問題で分かりにくいですが、現在の配置と似通っています。
具体的に見ていきます。

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まず敷地の一部(ここでは東側)が一段上がっているという昔の公園でよく見る設計です。
ただ、一段上がった所に藤棚があって全体を見渡せるようにするという設計にはなっていません。藤棚は段の下です。

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段差にはコンクリートの階段があります。
奥には京都でよく見かける人研ぎの滑り台があります。
これは戦後のはずですが、空中写真でもこの位置に滑り台らしきものがあるので、同じ位置で更新されたのかもしれません。

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こちらが藤棚です。全方位に目が届くという意味でこの位置なのかもしれません。
藤の周囲は一体的にコンクリートで四角く囲まれています。

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碁盤のようなテーブルとベンチは京都の公園でよく見かける組み合わせです。
コンクリートの質感が違いますので、V字に凹みのあるベンチの方が後から更新されているのかもしれません。

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公園の北東隅には砂場があります。
空中写真でも同じような位置に形が写っているので、もしかしたら昔からのものなのかもしれません。

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つぼみのようなベンチ。

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公園遊具としては一般的なブランコやジャングルジムがあります。
でもこういうジャングルジムもあまり見かけなくなってきたような。

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不思議なのがこの遊具。どういう遊び方が想定されているのでしょうか。
子どもは立って歩きそう。

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公園の北側にも入口があって、こちらは車止め程度です。
出た所にある4軒長屋は空中写真にも写っていて、戦前からの建物かと思います。

御霊児童公園はデザイン的に目立つものはありませんでしたが、今どきの公園には改修されておらず、まだ昔の趣きを留めているようです。

次は明田児童公園に向かいました。

<関連記事>

  明田児童公園・殿田公園

  目次・近代の公園

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2024年3月17日 (日)

4月から改修の西宮中央運動公園(兵庫県西宮市)

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高知の旅の話の途中ではありますが、急いだ方がよい記事がありますので、先に取り上げます。
先日、近代の公園の探訪で西宮中央運動公園を訪ねました。
西宮運動中央公園(西宮市民運動場)は、昭和17年の開設です。

上の写真は公園東南側の歩道橋から撮ったもので、右に見えるグラウンドは野球場です。
左奥にスポーツセンターや体育館が見えます。

訪問日:2024年3月9日

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<国土地理院空中写真・米軍1948年撮影>

元々公園エリアの真ん中を江戸時代には西国街道が突っ切っていました。
街道は明治時代にはもう少し東寄りのルートに変わったようですが。
これを見ると現在の公園の範囲は(戦後の食糧難で?)ほとんど田畑になっているように見えます。
現在のテニスコートの場所には小さな建物が立ち並んでいます。
これが1949年になると現在の陸上競技場の原型となるトラックが確認できます。

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公園に行って初めて知ったのですが、4月から公園を通り抜けられなくなるという張り紙がありました。
期間はなんと5年間。

西宮市のHPに情報がありました。

西宮市HP「西宮中央運動公園再整備事業について」

リンク先を見ていただくとわかるのですが、第1期として陸上競技場・野球場・遊具広場が解体されます。
その後、新体育館・新武道館、新陸上競技場(これは現位置に)が建設され、完成後に第2期の現中央体育館・西宮スポーツセンター解体工事が始まります。野球場はなくなるようです。公園の様相が大幅に変わりますので、今のうちにお伝えしておく必要があると感じました。気になるものがありましたら、3月中に見に行ってください。

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現在の様子を紹介します。
まずは南側にある門。丸石を貼り付けた門柱が立っています。
両脇にも小ぶりな門柱が添えられています。

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右側の門柱を拡大しました。
いつ頃のものかは分かりません。少なくとも昭和40年代以前だろうなとは思います。

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南門から続く中央の通路には屋根のないアーケードのようなモニュメントがあります。
この通路は西国街道の代替ルートという趣きもあります。

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北門には片側の門柱だけ残っていました。
南門の脇の柱ぐらいのサイズです。

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北門の近くにコンクリートの手洗い場がありました。
木材で芯が作られています。
時期は分かりません。

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遊具エリアを見てみます。
円形の砂場と円弧状の藤棚がありました。

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藤棚の真ん中には寄り添う幼児の像。
尼崎市の公園でも似たような像を見ます。

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遊具で異彩を放っていたのはこの宇宙船のような滑り台です。
この近未来感は1960〜70年代の遊具でしょうか。

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土管型遊具の発展形もありました。

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砂場には擬木の遊具。

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遊具公園脇には別のデザインの水飲み場がありました。
なんとなく1960〜70年代を思わせる人研ぎの水飲み場です。

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こちらは陸上競技場です。

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西宮市立中央体育館(昭和40年(1965年))。
上から見ると八角形の屋根の形をしています。

令和9年からの第2期工事で解体されます。

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隣には西宮スポーツセンター(昭和45年(1970年))。
これも令和9年から第2期工事で解体予定です。

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大きめの木としてはこの松の木がありました。
外周にはサクラやキョウチクトウなどが植えられています。

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公園の北西にある壁打ちテニスコート。
壁打ちのテニスコートは残りますが、このままなのかは不明です。

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テニスコートのクラブハウス。
戦前とまではいかないかもしれませんが、そこそこ古いと思われる下見板張りの建物です。
色遣いにもレトロ感があります。

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屋根から大きな木製のひさしが伸びていて、その下が通路になっています。

テニスコートは工事の計画に入っていないようです。
個人的にはこのクラブハウスは残ってほしいなと思います。

最終的にどう変わるのか、確認できるのはまだ先のことになります。

<関連記事>
 「再整備前の南公園へ」(愛知県岡崎市)※同様に2024年4月から大規模改修

 近代公園のインデックス

 

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2024年2月21日 (水)

モダンベンチの紫野宮西公園(京都市北区)

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睦児童公園の後は、北上して紫野宮西公園(宮西児童公園)を見に行きました。

紫野宮西公園は、昭和10年に開設された公園です。
土地区画整理事業で整備された初期の公園で、昭和8年に設計案が作成され、昭和10年1月都市計画児童公園として認可、5月に開園したそうです。ほぼ同時に整備された公園に下鴨森ケ前、下鴨膳部、紫野柳公園があります。(土井勉「京都市の公園形成史-第二次大戦前まで-」

これら公園には当初のデザインが残っていて、土木学会関西支部の土木遺産「戦前竣工の京都市児童公園群」に認定された公園に含まれています。

訪問日:2019年9月29日

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敷地の北東側から。境界がヒマラヤスギに囲まれています。

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西の方はカイズカイブキが植わっています。

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公園の中央には広場が取られています。
南西隅には木々に囲まれて藤棚や地蔵堂。

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そして北東隅にはこちらも木々に囲まれて、ベンチがあります。

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このベンチ!デザインや質感からみて昭和戦前期のものではないでしょうか。
4分の1の円弧のような形をしています。

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それに背面を等分するように水平のスリットが5段。

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スリットの下から2段目・3段目の幅で座面が設置されているのでしょうか。
いいベンチです。

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この公園はコンクリート遊具が充実しています。
これは幅広い人研ぎのすべり台と砂場を持つプレイマウント。

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裏にも回ると土管も付いています。
穴が山を貫通しているのはよく見ますが、ここの場合は山の斜面に乗っけた土管です。

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他にもレーシングカー型のコンクリート遊具。
タイヤが本来のものとして使われています。
これ、ハンドルが背中合わせに付いてますが、どういう想定なんでしょう。

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こちらはオーソドックスにゾウの遊具。

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座面の凹んだタイプのコンクリートベンチ。昭和中期でしょうか。

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藤棚は古くはなさそうです。

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この公園でもう一つ見ていただきたいのがタイルの地蔵堂です。
縁取るような市松のモザイクタイルが鮮やかです。
タイルの柱が立っているのも面白い。

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卍もモザイクタイルで描いています。

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クリーム色の地のタイルは、普通に貼っている部分と四半張りになっている部分があり、凝っています。

公園施設とは言いにくいですけどね。(京都の公園では多いけど)

デザインに見どころの多い公園でした。

ちなみに紫野宮西公園の近くには紫式部・小野篁の墓所があるようです。

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本題は以上なんですが、ちょっとおまけ。
止まれの足型のある風景が好きで、見かけると記録しています。

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京都のこのあたりにはいい雰囲気の止まれの足型がたくさんありました。

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こういうのも味わいがあります。

この日の公園めぐりはここまで。

次回から2023年の高知旅に戻ります。

<関連記事>
 ※同時期の公園
 「下鴨森ケ前児童公園」
 「紫野柳児童公園」
 「あおい公園/旧下鴨膳部公園」

  目次・近代の公園

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