カテゴリー「国内旅行(岡山)」の記事

2024年5月25日 (土)

児島味野の近代建築など(岡山県倉敷市)

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倉敷駅でレンタサイクルを返した後、まだ日没まで時間がありましたので、児島の街(地名で言うとほぼ味野)を散策しました。
まずは下津井電鉄の児島駅跡のあたりに引き返します。

児島といえば、今はデニム・ジーンズの街として有名です。

繊維の町ですので、あちこちでノコギリ屋根の工場が見られます。

訪問日:2023年1月5日

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下津井電鉄跡に並行して北側に旧道が通っています。
旧道沿いの看板建築。

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建物はありませんが、古い門柱が残っていました。

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これもノコギリ屋根の工場。

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旧道を辿っていくと、庭園がありました。
看板が立っていて「野崎の記念碑」と書かれています。
解説によれば、この庭園は明治25年、野崎武左衛門の功徳を偲ぶ多くの人々により作られたものだそうです。

正面に見えるのが武左衛門翁旌徳碑(明治25年)。
石材は下津井沖の六口島六の谷から採石された花崗岩とのこと。設計者は土木技師の山田寅吉。
野崎武左衛門という人は、幕末の児島で塩田や新田を開き、塩田王と呼ばれた人物だそうです。
江戸時代までここから先、JR児島駅のあるあたりは海でした。そこを干拓していったわけです。

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庭園には一際高くそびえるビロウ樹。
野崎武吉郎(武左衛門の孫)が大正10年、知人からハワイ土産としてもらったものを植えたそうです。
ビロウ樹自体は九州・四国にも自生するようなのですが・・・

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かつてはここまで海水が来ていたという、庭園周囲の堀。

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旧道をさらに進むと変わった建物がありました。
旧片岡書店です。付け柱のコリント式円柱が華やか。

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さらに駒のような形で立ち上げて、書店の商標らしきものがあります。
デザインに楽譜が描かれているのは、楽譜も扱っていたのでしょうか。

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この旧道沿いには近代建築らしき建物が次々に現れます。
生地メーカーのアパレルブランドショップ、 BLUXE児島店。
看板建築のようです。

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旧安田銀行(のち富士銀行)児島支店。
いかにもな銀行建築。
今はWOMB BROCANTEというアンティークショップになっているようです。
この時は閉まっていましたが。お正月休み?
お店なのに看板とか取り付けていないのは、美意識なのでしょうか。

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Z-JEANSというアパレルショップの入っている看板建築。
尖頭アーチのような連続模様が付いています。
右隣も看板建築っぽい。

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ジーンズショップ「ダニア・ジャパン」の入る旧第一合同銀行味野支店。
ダニア・ジャパンというと以前、商船三井築港ビル(現中谷運輸築港ビル)に大阪店がありましたね。
こちらも近代建築だったことに感慨を覚えました。

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その向かいには旧野崎家住宅があります。
先ほど出てきた野崎武左衛門の建てた邸宅です。重要文化財。
野崎家や塩田についての展示がある公開施設ですが、残念ながら閉館時間を過ぎていました。
またの機会に。

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桃太郎ジーンズ味野本店は、旧味野郵便局。
陽も傾いてきたので、旧道歩きもこのあたりで引き返して駅に戻り始めました。

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旧野崎家別邸・迨暇堂(たいかどう)。
先ほどの野崎家の別邸です。本邸のすぐ近くにあります。
毎年ひな祭りの時期に公開されているみたい。

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大正橋。昭和7年頃に架設された2代目大正橋らしいです(初代は大正2年)。右隣に3代目の大正橋(昭和41年)もあります。(岡山デジタル大百科掲載の倉敷市立図書館回答より)

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名残惜しく、路地に入って行ったりします。
近代を感じさせるおたふく窓があちこちに付いています。

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3階建ての町屋も。表は散髪屋さんでした。

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これは新しいものですが、インパクトのあった建物。
屋根が太鼓橋になっているという斬新なデザインです。
旧瀬戸大橋架橋記念館(昭和63(1988)年)で、内部は改装されて児島市民交流センターの交流棟になっています。

外観のモデルは住吉神社の太鼓橋らしいです(設計者の上田篤オフィシャルサイトより)。

今回、児島の街並みはついでで、旧野崎家住宅には入れませんでしたし、東の方も回ってないので、改めて訪ねてみたいと思います。

<関連記事>
 「大畠の路地」(岡山県倉敷市)
 「下津井のアーケード」(岡山県倉敷市)
 「廃線跡の自転車道」(岡山県倉敷市)

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2024年5月24日 (金)

廃線跡の自転車道(岡山県倉敷市)

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2023年1月の岡山旅行の続きです。
この時は児島駅の観光案内所で電動自転車を借りて下津井を回りました。
通常の自転車は1日300円、電動自転車でも500円ととても手軽でした。

下津井を目指すときに利用できるのが下津井電鉄の廃線跡を利用した歩行者・自転車専用道、通称「風の道」です。
児島から下津井の間の鉄道は大正3年(1914年)に開通し、平成2年(1990年)末に廃線となりました。
廃線跡は他所でも自転車道になっていることが多いですが、勾配もカーブも緩いので走りやすいです。
ただ意外なほど高い場所を走っていました。

上の写真は風の道ではなく、鷲羽山下電ホテルの前に保存されている車両です。
鉄道ブログではないので、詳しい解説はできません。

訪問日:2023年1月5日

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16時30分までに自転車を返却する必要があるので、下津井駅跡には行く時間がありません。坂道を登り、ショートカットして出たところは東下津井駅跡でした。

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ここから下津井駅跡に向かって緩やかな下り坂になっています。
(そちらには行ってません)

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鷲羽山駅跡の近くからは、同じ高さで瀬戸大橋が見えました。
その下に下津井の集落があります。

ここからなら鷲羽山に登るのも楽そうです。

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少し走ると、午前中に立ち寄った大畠の集落も眼下に見えます。

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途中は切り通しの道になっています。

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旧琴海駅もしっかりプラットホームの石積みが残っています。

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児島ボートレース場を見下ろす。こんな海の一部のような会場なんですね。
住之江のボートレース場とは随分違います。

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そこから先はだんだん高度が下がっていきます。
所々架線の柱が残されていました。

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すっかり低くなり、街中に入ってきました。
木の柵が鉄道跡らしさを感じさせます。

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なぜかここに来て未舗装。
阿津駅跡です。

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阿津の集落にはノコギリ屋根の元工場の建物がありました。
現在は駐車場になっています。

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阿津のアーケードのある売店。

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途中、大きな道を渡れなくて迂回。
和風の住宅なのに洋風の門柱が立つお屋敷がありました。

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隣のブロックには白いペンキ塗りの洋風の建物。

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玄関の上をよく見ると、ガラスに白いペンキで右から「児島赤崎郵便局」と書かれています。

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ここは郵便局と言いつつ、大きなお屋敷の一部のようで、裏には蔵がありました。
見ると剥落した部分が墨塗りに見えます。

これはひょっとして戦時中に戦時迷彩が施され、戦後に漆喰で塗りつぶされたのではないのでしょうか。乾いてからの重ね塗りなので密着度が低くて剥落しているとか。あくまで想像ですが。

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再び鉄道跡に戻ります。街中とは思えない未舗装の道がまっすぐ伸びていて、備前赤崎駅跡のプラットホームがあります。

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やがて児島駅跡に到着。
ここは上屋が掛かっています。
自転車道はここで終了。

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ホームの中に夕陽が射し込んでいました。

<関連記事>
 「大畠の路地」(岡山県倉敷市)
 「下津井のアーケード」(岡山県倉敷市)

 ⚪︎廃線跡の出てくる記事
 「廃をたどる」(兵庫県播磨町)
 「夜須の手結内港」(高知県香南市)
 「飾磨の物流風景」(兵庫県姫路市)

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2024年5月21日 (火)

下津井のアーケード(岡山県倉敷市)

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2023年1月の岡山旅行の続きです。大畠の後、電動自転車で岬を回り、瀬戸大橋をくぐって下津井の町に入りました。
鷲羽山をはさんで、大畠の反対側に当たります。

下津井は北前船の寄港地として知られていますので、以前から行ってみたい町でした。
『北前船 寄港地と交易の物語』では、下津井では廻船問屋が争いを仲裁するための一種の自治制度があったと紹介しています。また下津井の問屋は積極的に迎えに行くスタイルで、西は白石島(笠岡市)まで出迎えたそうです。競争が激しかったのでしょう。下津井の賑わいはとくに江戸時代中期以降、備前・備中で干拓が進んで、棉・菜種・イグサなど商品作物の栽培が盛んになり、中でも棉には大量の肥料が求められたことが一因だそうです。

そういう港町のイメージに浸ろうとしつつも、否応なく目に入るのは瀬戸大橋(下津井瀬戸大橋)の存在です。

訪問日:2023年1月5日

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メインの通りは、港のカーブに沿って、くるんくるんくるんと何度も曲がりながら続いています。
下津井はただ1つの港があるのではなくて、東から田ノ浦、吹上、下津井、下津井西と4つの港が連なっています。

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途中気になったのはこの洋風の建物です。
中央にYとNを組み合わせたロゴマークが入っていて、事業所のようです。

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こちらの建物もちょっと変わっていて、蔵のような作りにアーチの窓が付いています。

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彫刻の入った持ち送り。

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海鼠壁の蔵も見られます。

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通り過ぎてないか不安になりかけた頃に、むかし下津井回船問屋に着きました。
館内の説明によれば、ここは江戸時代に廻船問屋への金融業と倉庫業で財を成した荻野家の分家、西荻野家に始まり、それを明治9年に廻船問屋の高松屋(中西家)が購入したものです。大正時代に入って廻船が廃れると足袋製造業に転業、昭和になると学生服の製造・販売業を営んだそうです。

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建物は明治時代のもので、資料館になる際に廻船問屋時代の形に可能な限り復元されています。

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床は土間ではなくて石敷き。

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ぐるっと回って帰ろうとした時に、「あれ、ぷにょさんが『日本全国タイル遊覧』でタイルを紹介してなかったっけ?」と思い出し、回り込んで確認できました。本業タイルに染付便器。縁側の先にあったので危うく見逃すところでした。

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むかし下津井回船問屋は、広い敷地を生かして、展示施設の他、レストラン、土産物店、貸館もある複合施設になっています。
なお私はランチタイムを逃して、レストランで食べ損ねました。

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裏側に出ると昔の海岸線を示す防潮堤の跡が残っています。

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むかし下津井回船問屋の展示によると、下津井は四国の金比羅さんと児島の瑜伽さんを結ぶ信仰のルート上でもありました。
私は初めて知ったのですが、この2ヶ所を対で回る風習があったらしいです。
また児島八十八ヶ所霊場(島四国の一種なのでしょう)の古い看板もあり、多様な目的の人が行き交う場所だったようです。

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さてようやくタイトルのアーケードの話になります。
海岸から一本入ったメインの道から直交して何本もの道が背後の山に伸びています。その道ではあちこちに建物ごとのアーケードが見られました。

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このように右から左からそれぞれに差し掛けられるアーケードが変化に富んだトンネルを作っています。

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こちらはタバコ屋さんのアーケード。

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このように大掛かりなものもあります。

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アーケードはここで尽きていました。

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集落の中にある共同井戸のある広場。

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何に使われたのか大型の倉庫もありました。

こういたところを彷徨っていると、陽も傾いてきました。
レンタサイクルは便利なのですが、時間内に返さないといけないのは制約です。
旧下津井駅まで足を伸ばす時間はなくなり、まっすぐ丘の上のサイクリング道を目指しました。

<関連記事>
 「大畠の路地」(岡山県倉敷市) 前の記事

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2024年5月16日 (木)

大畠の路地(岡山県倉敷市)

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山口県ではなくて、岡山県の大畠です。
2023年の年明け早々に訪ねた時のことを書きます。

この日、児島の観光案内所で電動自転車を借り、下津井を目指して下津井電鉄跡の自転車道を走っていました(この自転車道については別記事にします)。廃線跡は結構高いところを通っているので、海辺の大畠は通りません。
昔の空中写真を見た時、大きな集落である大畠が気になりました。
せっかく電動自転車なんだしと、道を外れ、海岸への坂道を下っていきました。

最初に入ったのが、この階段のある路地です。
階段の上にはお寺があり、路地の向こうに海が見えます。

集落の道は狭いので、邪魔にならない場所に自転車を停めて歩き始めました。

訪問日:2023年1月5日

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階段のある路地。通りにはバッタリ床机(京都などで見られる、作り付けの畳める腰掛け)があります。
集落は2階建の住宅が建ち並んでいて、時にベランダが迫り出しているので、谷底を歩いているようです。

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路地に水路をまたぐ石橋が架かっていました。
水路の分岐点にはたぶん水神さんなんでしょう、とてもかわいらしい祠が置かれていました。

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細い道には蔵なども建っています。それほど多くはないのですが。

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ハッとしたのはこのお風呂屋さん跡です。
既に営業はされていませんが、正月飾りがあって、管理されていることが分かります。
タイルにガラスに歯飾りなどと、あれこれ装飾的で中もきっとすごいはずととても気になります。

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玄関上の型板ガラスの格子。
色付きのガラスもあり、模様もバラなど様々。
左上の等高線のような模様は初めて見た気がします。

輸入品でしょうか。

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お風呂屋さんの建物は側面から見るとこうなっています。

この先で買い物帰りの地元のおばあさんに出会い、長い時間話し込むことになりました。
どうも最初私のことをお店の物件探しに来た人と思われたようです。
その方は長らく大阪に出ていて、昨年数十年ぶりに戻ってこられたそうで、昔のことなどいろいろ教えていただきました。
ここと海寄りにももう一軒お風呂屋さんがあったそうです。このお風呂は中が広かったというお話でした。

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集落には洋風を感じさせる建物もあり、例えばこの建物です。
木製の上げ下げ窓が付いています。
敷地に合わせて曲げた建て方は船大工の手によるものでしょうか。

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四角い2階建洋館付きの住宅もあります。
控えめながら、連続模様の装飾もあります。
2階からは海が見えたのでしょう。

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大畠で中心性を感じたのはこの三角の小さな広場です。
井戸があり、よろず屋さんがあります。

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逆の方向から。向こうが海です。
秤りは何用なんでしょうね。

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よろず屋さんはもう一軒あり、こちらは生鮮品の野菜や果物を扱っています。
表通りにはいけすのある魚屋さんもありました。
基本的な食材は集落で買えるようです。

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路地に置かれていたタイル張りシンク。

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井戸は先ほどの三角広場以外にも何ヶ所か公共のものがあり、歴史を感じさせます。

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集落最上部のこちらにも井戸があります。
覗き込むと金魚が泳いでいました。

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集落の上の方には広場があります。
広場の一角に記念碑がありました。明治22年、大畠村・田ノ浦村が合併して長浜村が誕生し、初代村長の永山久平氏が当時の30円を寄付して、この地に長浜尋常小学校を設置したことが記されています。

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集落の上の方まで行くと開けていて、車道も通っています。
瀬戸内の島々も眺められます。

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海辺にも行ってみました。
この建物どこかで見たようなと思うと、『岡山懐古紀行』で紹介されていた映画館跡の一つでした。

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県道沿いにある木造工場は昭和24年創業のユニフォームを作っている会社らしいです。

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岬に向かう道から振り返ると大畠の集落と港が一望できました。
手前のクレーンは造船所です。中央右の人工島はガザミやクルマエビなどの中間育成施設らしいです。

いろいろお話を聴かせていただいたこともあり、下津井に行く前にかなり時間を使ってしまいましたが、下津井とはまた違った魅力のある集落でした。

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2020年1月12日 (日)

笠岡の海辺の建物(岡山県笠岡市)

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時系列では笠岡住吉のりばから笠岡諸島に向けて出発する前になりますが、笠岡の街の山陽本線より南側をぐるっと回りました。
線路の北側は、前に来たときに回っていたためです。>「笠岡駅前の建物など」 など
線路の南側は、江戸時代以来の干拓地・埋立地で、近代の倉庫などが建ち並ぶ港の風景です。

笠岡駅から港へはいったん線路沿いに東に進んだ後、地下道をくぐっていきます。
地上に出た後、最初に気になったのは、国道2号線に面する住吉理容院でした。
レトロな散髪屋さんらしい扉と窓です。

住吉はこのあたりの地名ですが、ふと思い返すと住吉神社を見た覚えがありません。
あれ?と思って調べてみると、もともと江戸時代に干拓された時にその先端に勧請されたのですが、恐らく明治時代に移転させられて、現在は古城山の麓の神社に合祀されているとのこと。道理で記憶にないはずです。
>(参考)かさおか遊歩さんの記事

干拓地に住吉神社というのは大阪と似ていますね。

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旅客船のりばのあたり、板張りの建物が多いです。
例えばこちらとか。アパートのようです。

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看板建築っぽい商店。
たばこの自販機やペプシコーラの看板があるので、雑貨店でしょうか。

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こちらも古い商店のよう。富士産業と書かれています。
灯油を扱われていたみたい。

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港に古そうな塔がありました。
燈台というには小さいですが、照明用ではありそうです。
石積の雁木もあります。

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港に板張りの事務所がありました。
笠岡渡船の待合所です。磯渡しや海上タクシーで今も営業中です。

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さらに西に進むと2つ近代の建物が並んでいます。
左の和風の建物が駒口肥料店の店舗(昭和12年?)、右が関藤商店店舗(昭和4年)です。
駒口肥料店の方は岡山県の近代化遺産総合調査報告書では住所が違っているのですが、そちらの住所に別にあるのか、誤記なのか不明。

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フォントの大きさがインパクトの大きい関藤謙治商店。
石炭・セメント・煉瓦・土管と書かれていて、明治29年創業の建築資材卸会社です。
現在も関藤商店(株)として、セメント販売を中心に営業されています。

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その関藤商店のすぐ裏には赤煉瓦倉庫がつながっています。
こちらは昭和14年らしいです。意外に新しい。

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そして関藤商店の向かい、跨線橋の下が笠岡市交通公園(現在は西ノ浜北児童遊園地)になっていて、保存車両が1台置かれています。
日本道路公団の立神弘洋夫妻が横浜で交通事故で亡くなられたのを悼み、ご遺族の寄附により昭和43年にできた公園です。
ということは笠岡にご縁のある方なのでしょうか。

保存車両は、車内の解説によると旧井笠鉄道のホジ9号です。
昭和7年に大阪の梅鉢鉄工所(のちの帝国車輌工業、東急車輌に合併)で製造されたそうです。堺ですね。
ガソリンエンジンで、前後に鮮魚台という荷台が付いているのが特徴だそうです。

旧井笠鉄道跡については、前に記事にしました。
>日常旅行日記「井笠鉄道跡」

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中にも入れます。
車窓から関藤商店を眺めながら弁当を食べられるかな、などと妄想。

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その先にある前川製材所事務所。古そうですが詳細不明。
笠岡はかつて桐下駄や家具などが特産だったそうで、それと関係があるのでしょうか。

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前川製材所はかなり広い敷地でたくさんの倉庫が並んでいます。
こちらもその一つで現在は貸倉庫になっています。
岡山県近代化遺産総合調査報告書で、明治45年の木造倉庫があるという記載ですが、どれがそれにあたるのか分かりません。

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ちょっと笠岡市郷土資料館にも立ち寄りました。入館料50円。
1室だけですが、販売の地図や資料などが充実しています。
屋外には江戸時代、笠岡港の船積み・荷揚に従事する浜仲仕が鍛錬し、力を競ったという力石を展示しています。
それで給金が決まったといいますから真剣勝負。

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再び西の浜に戻って、高野山真言宗の光明山遍照寺。
以前、街中で多宝塔とイチョウの木だけが残されているのを見たお寺です。
>日常旅行日記「笠岡駅前の建物など」
昭和52年に土地区画整理事業によりこちらに移転。
多宝塔を移築する予定なので、余裕のある境内です。
山門には仁王像もあって立派なお寺です。

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西の浜は江戸時代から昭和50年までという長い期間をかけて埋め立てられました。
おそらくこの堤防はその途中の名残でしょう。

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残されていた煉瓦塀。
竹原の吉名煉瓦らしき刻印がありました。

この向こうに旧井笠鉄道の関藤社長のお宅があったということで、隣の洋風住宅とともにグーグルストリートビューでは今も見られますが、残念ながら解体されていました。

>(参考)ぼっけえ笠岡「西の浜・倉庫群」

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このあたり土壁板張り、煉瓦、漆喰土蔵と様々な様式の倉庫がたくさん残っています。

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こちらは煉瓦と土蔵の倉庫が並んでいます。ともに第一金属倉庫で、煉瓦が大正10年、土蔵が昭和6年だそうです。

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最後に旧中備素麺同業組合事務所(昭和5年)。組合から笠岡市に寄贈され、現在はNPO法人ハーモニーネット未来(旧子ども劇場笠岡センター)が入居されています。
立ち寄りたかったのですが、船の出発が迫っていたので今回はあきらめました。

西の浜には、街の北側とはまた違った港らしい倉庫・建物の風景が広がっていました。

今回の笠岡の記事は以上です。
読んでいただきましてありがとうございました。

<関連記事>

 日常旅行日記「笠岡諸島へ」
       「古城山公園」
       「笠岡駅前の建物など」
       「隅田川沿いの建物など」
       「井笠鉄道跡」

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2020年1月 5日 (日)

北木島の金風呂(岡山県笠岡市)

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岡山県の笠岡諸島の旅で北木島の話の続きです。
(写真は実際回った順とは異なります)
豊浦からさらに先の金風呂(かなふろ)集落を目指します。
この両集落の間が最も盛んに採石が行われていた地域のようです。

この池、何かなと思ったのですが、バイパス(手前の道)ができたために海が区切られてできた池だそうです。
北木島のトレビの泉という別称まで付けられているらしいです(どれだけ広まっているかは不明)。
捨て石の浄化作用で水が澄んでいるのだとか。

他に今回通らなかった場所で、北木島のベニスと呼ばれる船溜まりもあるらしいです。

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バイパスではなくて山手の道を取ると採石場の前を通って行きます。
こちらは馬城採石場。

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建物の向こうに採石場跡と丁場湖(地下深く掘り進んだ穴に水が溜まったもの)が見えます。

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さらに隣に北木の桂林(今岡丁場跡)という場所があります。
わざわざ書いてあるので一応観光地となっているようです。

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なお、なぜ桂林かというと、削り残されている岩が屹立して、中国の観光地の桂林を思わせるからだそうです。
ここにも丁場湖があります。水深は40mあるそうです。

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別の入口から。
丁場跡には立入禁止のロープが張られています。
逆にいうと、ロープの手前までは行ってもいいのかなと判断しました。観光ののぼりも立っていますし。

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道の脇にはこんなものも。
採石の島らしく、削岩機の店があったのですね。

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さてここから金風呂の集落。
この写真は通り過ぎてから振り返って撮っています。
左手の大きく山肌が削られているあたりがさっき通ってきたところです。
そして右側の湾奥が金風呂の集落です。

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ここには現役の鶴田石材さんの採石場があります。
しかも、奥に階段が見えていますが、観光用に展望台まで設置されています。
ツアーに申し込まないといけないのかなと思って私は今回はパスしていたのですが、予約するか昼休みの12〜13時なら見学できるらしいです(有料)。機会あればぜひ見たいと思います。

>詳しくはこちら→ 鶴田石材HP

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現地に看板があって、実は裏から見るとこんなことになっています。
奇観ですね。

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この方が社長さんでしょうか。
北木石が使われている建物の一部が紹介されています。
大阪だとこの中央公会堂の他に、北浜の証券取引所や南海の難波駅などにも使われているようです。

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現役の採石場なので、こういう標識も出ています。
数字がちょっとイメージできません。

と、以上の採石場(跡)を衛星写真で見ると、こんな風に穴ぼこだらけです。

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さて、金風呂の集落についても少し。
金風呂はなぜか空襲を受けているそうです。
私は通り過ぎてしまったのですが、このストアーつるたの向こう側に昭和20年代後半から昭和42年まで営業していた木造の映画館を転用した「光劇場」があって、上映施設として利用されているそうです。

予約すれば見学できるらしいですよ。
>詳しくはこちら→笠岡市HP

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現在の北木小学校には石の二宮尊徳像がありました。
背面に「紀元二千六百年記念 昭和十五年四月建之 金風呂青年團」と刻まれています。

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せっかく自転車なので、金風呂からもう少し足を伸ばしてみます。
途中、石材の置き場などもあって、「ああ、山羊の石像などもあるのか」などと思っていたら本物で少しびっくりしました。

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ここまで来ると目の前に白石島が見えます。
その向こうに見えるのは本州です。これぐらい近い。

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白石島との海峡は川みたいです。

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こんな標識があって何かと思ったら、海底の水道管がここを通っているという表示でした。
うっかり切ったら大変なことですものね。

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最後にもう一つの丁場湖。
ここは手前が金網になっているので見やすくてお勧めです。
石を吊り下げたのか、簡易なクレーンのような遺構もあります。
自転車でないとちょっと遠いですが。

北木島及び笠岡諸島の記事としては以上です。
この後、大浦港まで戻り、定期旅客船で笠岡に戻りました。
今度は真鍋島まで行ってみたいなと思っています。
次回、笠岡の話が少し続きます。

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北木島の豊浦(岡山県笠岡市)

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笠岡諸島の北木島を訪ねた記事の続きです。
レンタサイクルで北木島の西海岸に回り込むと、テクノスケープというのか、採石・加工関連の施設が増えてきます。しかも今まで見てきたものよりも新しく見えます。山も採石による崖が目立ちます。


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こんな風に海岸に工場が並んでいます。
外周道路と海の間には広い空き地があり、ここに石材を積んであったのでしょうか。

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内側にも細い道があって、こちらを自転車で走りました。
工場の裏はすぐ丁場(採石場)です。

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石切場はどこもこんな感じで、崖の手前に池があります。
地下に掘り進んだところに水がたまったもので、すごく深いのではないでしょうか。

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ぽつんと立っていた鳥居。

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豊浦の集落に入るとすぐ、鮮やかな水色の近代建築が目に入りました。

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「公会堂」と書かれた古い額が掛かっていて、ここは豊浦公会堂(昭和9年)です。
現在も使われているようです。

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その隣には旧豊浦幼稚園があります。
見た感じ昭和20〜30年代の建物に見えるのですがどうでしょう。
現在は、NPOのかさおか島づくり海社が入っています。

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広いグラウンドがあって、片隅に備前焼の二宮尊徳像がありました。
刻印を見ると、伊部窯元の興楽園となっています。
大浦の神社で見た備前焼狛犬と同じ窯元です。

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ここには北木島小学校豊浦分校がありました。
明治15年開設で、昭和16年の古い校舎がありましたが、学校統合に伴い平成13年3月末で廃校となり、校舎は解体されて写真左に見える集会所が建てられています。
>出典「想いでの校舎 笠岡市立北木小学校豊浦分校」

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隣接して八幡宮があります。
ここの石灯籠がかなり巨大。

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さらに集落に入っていくと洋風な住宅がありました。
洋館付き住宅の一種と言っていいのでしょうか。

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逆の方向から。
独立した玄関があって事務所っぽいです。

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さらに北木島郵便局。古く見えますが、1957年(昭和32年)らしいです。
>(参考)文化遺産オンライン

出典が昭和32年に撮られた写真ということでもないのでしょうか。

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階段にも石材が使われています。
玄関ポーチ支柱の束石も。

この郵便局、島にとっては大事な意味を持っていて、後で出てくる畑中平之丞という人が、石材を全国に売って行くには郵便局が必要ということで明治31年に郵便局を作り、初代局長になったそうです。

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集落を歩いている面白い塀がありました。
これは舗装に使われるインターロッキングではないでしょうか。
実際、入口にはインターロッキングを敷いています。
こういう風景を見ると産地らしいなと思います。

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共同井戸とポンプ室らしきものもありました。

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港には畑中平之丞(天保14年〜昭和5年)の像というものがあります。
北木石の採掘と販路開拓の祖と呼ばれる方なので、こういう形で昭和54年に顕彰されています。
碑文によると児島湾干拓にも北木島の石が使われたのですね。
彼の尽力により、日本銀行本店、横浜正金銀行、靖国神社大鳥居など数々の有名建築に使われています。

>(参考)北木ノースデザインプロジェクトHP「北木石の先人達」

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最後に豊浦港の遠景。
この港には笠岡からのフェリーが入ってきますので、豊浦に来るならそれが便利。
海岸にある豊浦公会堂の空色は遠くからも目立っています。

豊浦は島の中でも近代建築的には一番見どころが多いと思います。

 

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2020年1月 4日 (土)

北木島の楠へ(岡山県笠岡市)

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年を越してしまいましたが、瀬戸内海の笠岡諸島の旅の話を続けます。
前回紹介した北木島の大浦集落を回った後、島の西海岸にある採石遺構を見に行くため、大浦の旅客船待合室でレンタサイクルを借りました。
1日500円だったと思います。保証金の代わりに帰りの船のチケットを買うことが条件という合理的なシステムになっています。

訪問日:2019年9月8日

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ちなみに帰りの切符。行きの船の切符と違って、昔、国鉄で使っていたような厚い硬券です。
何で違うんでしょう。

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走り出してすぐ石材工場が現れます。
海岸沿いに点々と工場がありました。
前回も触れたように、北木島は国会議事堂などにも使われている花崗岩「北木石」の産地です。
今は輸入石材を加工しているようです。

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石材の加工場跡。
石材を吊すフックが残っていました。

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スナックがあるのも賑わいの証拠でしょうか。
隣の表札には富士真珠株式会社の北木養殖場と書かれています。
真珠の養殖産業もあったのですね。少し調べてみると東京の会社で、元々の養殖場は三重にあったのですが、そちらの品質低下により、新たな養殖場として昭和35年に北木島と宇和島にも養殖場を開設したという流れらしいです。北木島では養殖だけでなく加工も行われていました。

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こういう採石の作業小屋?の跡も所々に見られます。

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これは石切場の跡のよう。
現在、採石が行われているのは金風呂の1ヶ所のみとのことなので、ここは休止しているはずです。

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海沿いの道は、採石遺構とともに、瀬戸内海の島を眺めながらのサイクリングになります。
二つ並んでいる左の島は大島。その右側に一部見えているのが今度行きたいと思っている真鍋島。その向こうが佐柳島(2013年に行きました)。左奥に見えているのは小手島で、その向こうの大きな島が広島のようです(そちらも石材の島)。

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走っていくと岬が見えてきます。
もともと島だったものが陸続きになったように見えます。
その付け根に楠集落と漁港があります。
ここに寄港する旅客船もあります。

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かつての旅館などもあります。
営業中の旅館は前回の天野屋旅館のみと聞いていますので、ここはやっておられないはず。

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楠集落の中心部。漁船が引き揚げられています。

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この中心部は帰りに寄ったのですが、映画のシーンに出てきそうな風景でした。

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こちらの商店などとても雰囲気ありますでしょう。
入ってみたかったのですが、誰もおられない様子だったので(また帰りの船の時間も迫っていたので)、様子を見ただけで立ち去りました。

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中心部には蛭子神社があって、その隣にはまた商店というセットのような風景です。

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行きの時は楠では立ち止まらず、先を急ぎました。岬の反対側も入江になっています。
湾口に杭が並べてあるのは、ネットで調べたところ、一時期金網を張ってフグ養殖をしていた跡だそうです。
出典(聞き書き)
砕石がまかれてあって、ここにも石材産地らしさを感じました。

 

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2019年10月27日 (日)

石の島・北木島の大浦(岡山県笠岡市)

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初秋の笠岡諸島の旅の続きです。
白石島から次は北木(きたぎ)島に移動します。
今度は高速船のニューかさおかに乗ります。
ニューかさおかは2012年建造の比較的新しい船です。

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すぐ隣の島で、定期旅客船でもたいして時間は変わらないので割高感がありますが、直近の便ということで高速船の利用になりました。

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北木島の大浦港に到着。
名前の通り、開けた湾です。
定期旅客船・高速船は島の東側の大浦港(と楠港)に停まり、フェリーは島の西側の豊浦港・金風呂港に停まります。

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こういう形をしています。(右上方向が北なので注意)
右上に白石島が一部見えています。
この地図で言うと下の大きく凹んだ湾の奥が大浦です。

今回の目的は花崗岩「北木石」の石材の島として有名な北木島の採石産業遺構を見ることで、それはこの地図でいうと上側の海岸に集まっています。
その前に漁業集落の大浦を歩きました。

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さっそく大浦の集落を歩き始めます。
ここにもアーケードを持つ食料品店がありました。
味噌づくり用の糀を売っているのがちょっと特色かも。

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この集落には大きめの諏訪神社があります。
漁業の神様としてでしょうか。

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ここで備前焼の狛犬一対を確認。
伊部の興楽園の刻印があります。


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戦前っぽいデザインの忠霊塔もあります。

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屋根の棟の飾り瓦は左に龍、右に二頭の虎がにらみ合うような構図で、見事です。
白石島の鯛の瓦と同様、龍は波の中に体を沈めている立体的な表現です。

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小川に架かる小橋。石柱や石を切る丸鋸刃の使用済のものが置かれていて、石材の島らしさが出ています。
この丸鋸刃は井戸の蓋とか、あちこちで鉄板代わりに使われていました。
石についても端材らしきものが、家や畑の脇にごろごろしています。
漁業集落とはいえ、石材産業は大きな産業ですので大きく影響が及んでいます。

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シュロの並木に誘われて見に行ったところ、社宅のようなものが2列に並んでいました。
どこかの石材会社のものでしょうか。
サッシは木製のようでしたので、昭和30年代とかかなと思いました。

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こういう面白いものも。
一見、普通の木製の小屋ですが、よく見ると扉の上に「操舵室」と書かれていて、船の操舵室を移築(?)したことが分かります。
陸に上がっても、海上での仕事を懐かしむ気持ちがあったのでしょうか。

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また、歩いていて目立ったのが門柱。
工夫を凝らした石の門柱が多かったのは、やはり石材の島ならではかなと思いました。

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この鉄杭もなんとなく採石場で使われるもののような。

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石塀にはめ込まれた戎・大黒さんの石のレリーフ。
見たのはここだけだったので、風習まではいかないのかな。

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海岸近くの鳥居くぐりの松。

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集落の中心部。消防倉庫のようです。
これも昭和30〜40年代の雰囲気。

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こちらは戎さんの祠です。
囲む壁が煉瓦になっています。
刻印は四弁花でした。

戎さんが多く祀られているのは漁業集落らしいといえます。

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大浦の漁港の船溜まり。正面奥に三階建ての建物が見えますでしょうか。

 

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天野屋旅館といって木造三階建の現役の旅館です。
明治初年の創業で、戦後すぐに三階建てになったらしいです。
このあたりで泊まるならここがよさそう。

だいたい見て回ったので、次の集落に移動します。

ちなみに大浦の北木中学校には、北木石記念室があり、採石産業に関する展示があるそうです。
平日のみ入れますので、平日に訪ねる方はよろしければ。

 

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2019年10月23日 (水)

観光の白石島(岡山県笠岡市)

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笠岡諸島を訪ねた旅の続きです。
最初の目的地、白石島に上陸しました。

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港の前には白石島回漕店と書かれた建物があります。
中は雑然とした感じだったので写真は遠慮しましたが、右手に切符売場のようなガラス張りのスペースがあり、元々はこちらで船の切符なども売っていたのかもしれません。今は小さなプレハブ小屋が切符売場です(白石島に関する郷土史的な調べ物が貼られていますのでぜひご覧を)。

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入り口に「味附海苔と島パンツのお店」とか、「本日おすすめ 白石島特産 桑の実たっぷり マルベリー&ブルーベリーシャーベット販売中」とか書いてあって気になったのですが、誰もいなくて買えませんでした。
お土産ものなどは置いてありました。
島おこしのような活動が行われているようです。

山にほとんど木がなくて、石のごろごろしていた昔の山上での集合写真なども飾ってありました。

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その隣には島の案内地図や記念碑、「名勝白石島」の石柱があります。
とくに石柱は昭和18年と書かれていて、戦前からの観光地だったのですね。

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次の船が来るまでの間に、集落を散策します。
白石島は芸術祭「笠岡諸島アートブリッジ2019」の会場になっていて、この松浦邸のカラフルな糸は展示作品のようです。

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ここで気になったのが棟の瓦です。
瓦のタイ?が泳いでいます。水から頭と尻尾が出ている表現が面白い。

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歩いていくと下見板張りの白い建物が見えてきました。
白石島郵便局の斜め前にあって、旧白石島郵便局(昭和4年)だそうです。

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洋風の瀟洒な建物。明るい島に似合います。

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集落は漁村とはちょっと違う雰囲気の建物が並びます。
切符売場の展示の中に、白石島は江戸時代の瀬戸内海航路の中で、良質の水を産するため、水の補給地点となっていたとか、海の本陣という説明がありました。伊能忠敬も測量の旅の途中、立ち寄ったそうです。

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部活動の合宿中らしき学生とすれ違いながら歩いて行くと、あまのストアという食料品店が。

食料品店は島ではとても存在感がありますね。
食品に限らず必要なものが売られていて、卒塔婆の販売を始めましたという張り紙がありました。

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その向かいにあって心ひかれた理容院。
もう営業されていないと思います。
食料品店前の分かれ道にあって、階段を上がっていく特別感のあるアプローチです。

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腰壁のタイルとかもいいですね。
古い木製の扉も残っています。
これだけでも満足していたのに、

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その先にあった素敵な苅田理容院。
旧白石島郵便局にも似通う窓の白い桟、そして何より現役というのが驚きです。

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その先まで、船の時間まで行けるところまで進んでみました。
高台の小学校に続く道、振り返っての写真。
左手の湯気抜きのある建物は何の建物なんでしょう。

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この道は昭和6年に改修されたということで、道路改修記念碑が立っていました。

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このあたりから白石島の石がごろごろしている山が見られます。
この石が白く輝く様子が白石島の名前の由来だそうです。
時間があったら登ってみたかったところ。この日は次に北木島に行く予定があるので、眺めるだけにしました。

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その山の下に開龍寺があります。
神仏習合の跡か、境内に荒神様、四社明神様など神社も混在しています。

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この狛犬とてもシュッとしてます。お見事な腕前です。
開龍寺や神社を歩き回る時間まではありませんでした。


後ろの看板は、阿波徳島23ヶ所霊場の案内図です。
この鳥居から山上を巡ってまたお寺に降りてくるコースになっています。
四国八十八ヶ所のうちの阿波23ヶ所にちなんだ祠か石仏が配されているのだと思いますが、なぜ阿波徳島だけなんでしょうね。
大正末期1925年に建て始めて、70年の空白を経て平成8年に完成と書かれています。

船が途中に寄った神島には江戸時代に島四国八十八ヶ所霊場が開かれています。

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まだ船の時間があるので、低い峠を超えて西側の浜にも出てみました。
途中で見かけた瓦の塀。

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瀬戸内海を望む白石島の海水浴場。
この日もバーベキュー客などで賑わっていました。

あまりのんびりするわけにも行かず、海水浴場を見たら急いで港に戻りました。
白石島は笠岡諸島の中では観光客の多い島で、訪ねやすいと思います。

 

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