カテゴリー「国内旅行(北海道)」の記事

2018年12月29日 (土)

公会堂跡のときわ台公園(北海道根室市)

181124tokiwadai_1 『ラヂオ塔大百科2017』の情報によれば、根室にもラジオ塔があったという記録があります。
その場所は根室町公会堂前(または公会堂構内)となっています。
公会堂が現在どうなっているか調べると、公会堂跡がときわ台公園として整備されていることが分かりました。
根室まで来る機会もそうそうないので、見に行ってみました。

 

ときわ台公園のある場所は駅前通りを歩いて右に折れたあたりで、ここから元官庁街が東に続いています。

 

181124tokiwadai_1_4 落葉しているこの季節は、公園らしさはないですが、捜しものには最適。
公園の南側は林になっています。そこに古そうな石碑が2つ立っていました。

 

181124tokiwadai_1_2 一つは昭和十年のもの。タイトルに記念碑とだけ書かれていて、内容は根室は発展させてきた先人たちを顕彰しています。

 

181124tokiwadai_1_3 側面には「粗粒玄武岩 此碑石ハ根室国花咲郡歯舞村大字モシリ島産」と書かれていて、現在は北方領土の歯舞諸島で採れた玄武岩ということが分かります。

 

181124tokiwadai_1_1 もう一つは行幸記念碑。
昭和11年9月28日に昭和天皇が根室公会堂に行幸されたことを記念して建てられたものです。

 

181124tokiwadai_1_5 公園の中には案内板があり、ときわ台公園の来歴が説明されています。
大正15年に碓氷勝三郎氏(前回少し触れた酒・缶詰・味噌の製造、タクシー会社運営などをしていた実業家)から土地の寄附を受け、公会堂は昭和6年に完成。解体時期は分かりませんが、昭和52年にこのときわ台公園が整備されています。
公共用地として寄附者の趣意を尊重し、っていい言葉ですね。

 

181124tokiwadai_1_7 公園の北半分は芝生の広場になっています。
ここは昭和10年の地図を見ると町役場となっています。
年表を見ると根室町役場は明治41年(1908年)にできて、昭和48年(1973年)に市役所が新築されていますので、その間、65年にわたって町役場・市役所があったのでしょうか。

 

181124tokiwadai_1_8 公園の北の端は崖になっていて、その下に碓氷勝三郎商店の倉庫の屋根が連なっています。
町役場の土地も含めて一体が碓氷氏の土地だったのでしょうか。

 

181124tokiwadai_1_9 公園の中にはいろんなものが置かれています。
例えば、根室女工節の碑。缶詰工場の女工の労働が歌われています。

 

181124tokiwadai_1_10 モニュメント「ラクスマン 歴史の然」(1994年)。
1792年、ロシアから根室に来訪したアダム・ラクスマンの記念碑です。日露外交の始まりとして。
制作は池田良二さん。

 

181124tokiwadai_1_11 今は水がないですが、池と噴水の中にアントワーヌ・ブールデル氏の「力の胸像」(昭和58年(1983年)設置)があります。
アルゼンチンに解放と勝利をもたらしたアルヴェアル将軍の勇者の一人を描いているそうです。
市民と企業の寄附により設置されたとのことです。

 

181124tokiwadai_1_12 こういう動物の遊具なども。

 

181124tokiwadai_1_13 いろんな記念碑はあるのですが、結局、ラジオ塔の痕跡らしきものは確認できませんでした。
それでも、ここは根室市民早朝ラジオ体操会の会場になっているようです。歴史のつながりを感じます。

 

 

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 日常旅行日記「釧路湿原美術館を訪問」        「根室の建物」

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2018年12月28日 (金)

根室の建物(北海道根室市)

181124nemuro_1 釧路湿原美術館を見に行った翌日(もうそれで今回の旅の目的は果たしたのですが)、丸々一日あったので、前回は行かなかった根室まで足を伸ばしました。

 

外を歩くと寒いだろうし、列車に乗って暖かい車内から景色を眺めるのも良かろうという考えもありました。
実際その通りで、釧路から根室までは列車で約2時間半、途中、小さな谷や湿原、海、丘陵と移り変わる景色、シカや丹頂鶴などの動物など、景色の素晴らしい路線でした。私と地元の人以外に、乗っていたのはほとんど鉄道ファンだったと思います。
あまりいい写真が撮れなかったので、そこの話は思い切ってカットします。
でもかなりお勧めです。

 

さて、根室駅到着です。
ここで到着した観光客は、駅で記念グッズを買い求めたり、記念写真を撮ったり、納沙布岬行きのバスに乗ったりするのですが、私は街を見に行きます。あとラジオ塔の確認と(それは別記事で)。

 

181124nemuro_1_1 駅前にはさっそく古そうな商店がありました。
サイディングで覆われていますが、たぶん下見板張りだったのではないかと思います。

 

181124nemuro_1_17 訪れた街がイメージしていたものと違うというのはあることで、根室の場合、まさにそうでした。
もう少し暗い街をイメージしていたのですが(すみません)、何より、街が高台にあって、至るところから青い海が見え、さらにその向こうには雪をかぶった知床半島と国後島の山並みが延々と連なるスケール感。建物も思ったより低く、開放感があります。

 

181124nemuro_1_2 大きな通りに面したこちらの建物、Mさんによると元郵便局らしいです。
現在は選挙事務所と天理教教会に使われています。

 

この向かいにかつてラジオ塔があったという、ときわ台公園があります。

 

181124nemuro_1_3 ときわ台公園をめぐった後は、その横の坂を下っていくことにしました。
すると見えてきたのがこちらの立派な赤煉瓦の倉庫。
明治20年創業の酒造メーカー、碓氷勝三郎商店です。ブランド名は「北の勝」。
今は酒造だけですが、昔の地図を見ると建物は缶詰工場や味噌工場などにも分かれています。

 

181124nemuro_1_4 逆光ですが、広がりは分かりますでしょうか。

 

181124nemuro_1_16 倉庫の上部はこのように連続的な装飾になっています。

 

181124nemuro_1_5 さらに下って海辺の段丘のへりに出ます。
大きな倉庫付きの古そうな建物があります。

 

181124nemuro_1_6 さらに段丘の崖をくだって、赤煉瓦の倉庫。
かなり煉瓦の摩耗が進んでいますが、青空に映えてきれいです。
漁業倉庫とかなんでしょうか。

 

181124nemuro_1_7 再び段丘の上へ。
本町の通りにあたります。
このあたり、古そうな建物が固まっています。昔は海産物問屋が軒を連ねていた通りらしいです。

 

なお、近くの鳴海公園に根室市平和祈念の碑」というものがあり、根室空襲というものがあったことを知りました。
1945年の7月14日・15日に空襲を受け、発生した火災により、市街地の約8割が焼失。現在の北方領土に向かうために停泊していた船を含め、被害者は355人、行方不明者39人という被害だったそうです。

 

このあたりの建物は火災を免れたのでしょうか。
それともその後の建物なのでしょうか。
この建物は軒下の飾りなど古そうですし、正面の窓や壁面は更新されていますが、側面の窓は縦長の古そうなものです。

 

181124nemuro_1_8 隣にある玄関上がハーフティンバーの住宅。

 

181124nemuro_1_9 こちらはかなり原型を留めているようです。
下見板張りの建物。

 

181124nemuro_1_19 持ち送りのような木製の軒下飾りもあります。

 

181124nemuro_1_10 また隣にモルタルの倉庫・・・と思ったのですが、所々破損した部分から煉瓦が顔を出しているので、煉瓦の倉庫の上からモルタルを塗ったものみたいです。

 

181124nemuro_1_11 この建物、分かりにくいですが、奥の窓に格子がはまっています。

 

181124nemuro_1_12 またこの建物も複雑な屋根の構成で、隣の駐車場に医院の札がかかっていたので、診療所っぽいのかなと思うのですが、どうでしょう。この左手前に、花咲学校跡の碑が立っていました。

 

181124nemuro_1_18 根室市立花咲小学校のドット画のような校門門柱。
花咲小学校は明治9年、道内で3番目にできたという歴史ある小学校らしいです。当初の名称は花咲学校。

 

181124nemuro_1_14 ほとんど下調べなく歩いたのですが、ここは調べていきました。
ここ明治公園には、開拓使根室牧畜場跡のサイロが3基残っています。
中央が第一サイロ(昭和11年)、右が第二サイロ(昭和7年)、左が第三サイロ(昭和11年)だそうです。

 

181124nemuro_1_20 手前の柱の説明文。
このような標柱は根室のあちこちに立っていて、これを読んで回るだけでも、かつての根室の街の様子がイメージできてきます。これは文章だけですが、かつて建っていた建物の古写真も入っています。

 

明治公園は柵外にももこもこした丘陵が続いていて、とても広々した公園です。

 

181124nemuro_1_15 最後にスケールの大きなY字路。
左のY字路の先にはアイストップに教会、そして遠くに海と知床の山々が見えています。

 

冬の入口とはいいつつ、昼間は比較的暖かく、見通しがきくので歩いて気持ちの良い街でした。

 

 

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 日常旅行日記「釧路湿原美術館を訪問」

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2018年12月23日 (日)

釧路湿原美術館を訪問(北海道釧路市)

181123kushiro_1_1 かなり久しぶりの更新になります。

 

11月の終わりに釧路に行ってきました。
釧路には2009年の6月に訪ねて以来、9年ぶりです。
目的は釧路湿原美術館を訪ねること。その経緯は後ほど触れます。

 

今年ピーチの関空ー釧路便が就航したのも大きなきっかけで、かなり行きやすくなりました。
本当は9月に行くはずだったのですが、台風の直撃を受けて延期、ようやくこの日を迎えました。

 

この日の大阪は風がありますがよいお天気。
LCCも初めて、第2ターミナルも初めて。いろいろ初めてです。
連休の初日ということで、ほぼ満席でした。

 

181123kushiro_1_2 大阪から岐阜・長野までは晴れ間がありましたが、そこから先は延々と曇り空で、青森の三沢を過ぎて、ようやく晴れてきました。
北海道の端、襟裳岬をかすめます。岬の先は見えず。

 

181123kushiro_1_3 大樹町のあたり。
一面の雪景色です。

 

181123kushiro_1_4 そして無事、たんちょう釧路空港に到着しました。
前回は列車で来ましたので、この空港は初めてです。
ここで現地のまあちゃんさんが迎えてくださいました。

 

181123kushiro_1_5 目的の釧路湿原美術館は、空港から市街地とは逆方向(阿寒湖の方)に向かいます。
途中、吹雪いてきて、やはり北海道だと感じさせられました。
数日前に初雪が降ったところだそうで、どうせ寒いのなら、雪が降っていた方が良いかもと前向きに考えました。

 

181123kushiro_1_6 釧路湿原美術館に到着。
(指が写っていてすみません)
美術館の高野理事長が迎えてくださいました。

 

181123kushiro_1_7 この釧路湿原美術館、館内を北緯43度線が通っていて、その線に沿って建物が設計されています。
かつて北緯43度美術館として、世界の北緯43度の地域の美術などを紹介していたようですが、閉館後、故佐々木栄松さんの作品を展示する美術館として再出発しています。

 

佐々木栄松さんは、大正2年、北海道の置戸町に生まれ、釧路で働いていました。
釧路の空襲で奥さんと幼い娘さんを亡くしています。
1960年代、50代の時に釣り竿を持って世界旅行に出かけ、帰国後、独自の作風を開花させたようです。
釣り師としても有名で、釧路湿原に釣りに出かけたり、絵を描き続けました。
開高健さんがイトウ釣りに来られた時に案内されたのも佐々木栄松さんだそうです。
孤高の画家として釧路に住み続け、2012年、98歳で亡くなりました。

 

晩年、身の回りのお世話をされていたのが理事長の高野範子さんなのですが、この作品群を散逸させてはならないとNPO法人を立ち上げ、2013年に開館したのが現在の釧路湿原美術館です。

 

美術館開館に当たって募金を募っているという話を、ブログのコメント欄でやりとりしていた、まあちゃんさんから聞き、私も少しだけご協力したことから、一度訪ねないとと思っていました。
開館から5年がたっており、かなり遅くなりました。

 

181123kushiro_1_8 作品を見ないと言葉では分からないと思います。
作品は撮影禁止だったので、代わりにこれを。
釧路湿原国立公園の三十周年で使われた釧路湿原の絵です。

 

非常に鮮やかで、赤、黒、青、黄、白といった色が入り混じりつつも、濁らない描かれ方をされています。
素直に美しいと思います。

 

作品を高野さんは丁寧に解説してくださいました。
まず、作品は釧路湿原を観察し尽くした知識(例えば丹頂はどう眠るのか、イトウはいつ浮かんでくるのか、どの季節にどの渡り鳥がいるのか、水辺にはどんな植物が生えているのかなど)をベースにしながらも、心象風景を描いていて、決して現実ではないこと。例えば、あえて丹頂の頭の赤を描かなかったり、いくつかの季節を混在させたり。

 

また、作品にはたびたび空襲で失った娘さんが、大人になった姿で描かれていたり、海外旅行で出会った人物が描きこまれていたりもします。
そしてどんな絵にもどこかに生き物が描かれているのが特徴だそうです。

 

ぱっと見た目にもきれいなのですが、解説を伺うことで、描かれているものの奥深さを知ることができました。

 

作品は大きなものが多く、引き込まれますので、皆さまもぜひ機会を作って見に行っていただければと思います。

 

181123kushiro_1_9 さて、ゆっくり見せていただいた後、外に出ると青空が覗き始めていました。
道東の冬は寒くても青空が続くのが特徴だそうです。

 

美術館の前にあるこれは、丹頂鶴を寄せるための餌場だそうです。

 

181123kushiro_1_10 館長の高野さん(旦那さん)に、電線の黄色いカバーは、丹頂鶴がぶつからないための目印ということを教えていただきました。

 

美術館の裏には、阿寒国際ツルセンタータンチョウ観察センターがあり、冬場の給餌場として、このあたりには冬になると多くのタンチョウが飛来します。

 

181123kushiro_1_11 この後、宿泊地の釧路へ。
途中、写真には収められませんでしたが、間近に数羽の丹頂鶴や鹿の群れを見ることができ、印象深い訪問になりました。

 

高野ご夫妻とまあちゃんさんには大変お世話になりました。

 

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 日常旅行日記「2006年の北海道旅行目次」

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2009年9月 6日 (日)

初めての北海道(24)圓山開村記念碑(札幌市)

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北海道庁旧本庁舎を見た段階で持ち時間は残り1時間ほど。ここで切り上げようか迷いましたが、最後に圓山開村記念碑を見に行くことにしました。円山山麓には近代の郊外住宅地があると聞いていたので、記念碑をとりあえずの目的地にしてそのあたりの住宅を見ようということです。

 

地下鉄の円山公園駅から地上に上がると、きれいな町ですが、古いものは見当たりません。
あまり時間もないので、まっすぐ記念碑を目指します。

 

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すると目の前に古そうな形の木造住宅が期待に違わず。
きれいに補修されています。

 

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大型の下見板木造住宅も。今、駐車場になっているところにも立ち並んでいたのでしょう。

 

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この一角には木造住宅がまとまって残っています。

 

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そしてその一角の向かいに圓山開村記念碑はありました。

維明治三年開拓使移庄内之民三十戸于□営
円山下称円山村明年又移岩手及札幌之民各
六戸皆賜土地宅舎給糧食田器以辟草菜恩眷
甚厚爾来移家者益多加戸六十余得田四百五
十町以今茲廿期村民相謀建石供開村之記念
実廿三季五月
  紀元二千五百五十年

※旧字体は新字体に変更しました。

 

つまり、
明治3年に庄内から30戸が移住して円山村を開き、
明治4年に岩手と札幌から各6戸が移住、
明治23年までに60戸余り増えて、
計450町(450ha弱)の田を開墾したということのようです。

 

ちなみに圓山村は明治39年に山鼻村と合併して藻岩村、昭和13年円山町に改称、昭和16年に札幌市と合併します。

 

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また、隣には「善徳翁」の碑があります。
ちょっとこの写真では分かりにくいですね。
ついでに全文を載せておきます。(□の文字は読み取れませんでした)

          善徳翁

 

上田善七翁は南部藩士中村甚四郎の三男にして安政元
年四月盛岡に生る明治四年募に応じて兄萬平と共に円
山村に移住し開拓の端を啓く十六年円山村伍長となり
爾来円山学校世話係学務委員村会議員消防組頭等の公
職に従ひ公共事業に尽瘁すること四十六年其の功績偉
大なり官屡其の功を賞し又大正十三年紺綬褒章を授く
翁資性公明任侠父母に事へて至孝兄を輔けて□人を益
し世を救ひ事に当りて熱誠能く人を動す其の徳□□の
能たり今年村会の議に依り碑を建て其の功徳を□□す
 昭和三年八月
  北海道札幌師範学校長正五位勲三等柴垣則義記す

※旧字体は新字体に変更しました。

 

圓山開村記念碑とは関連していて、明治4年に岩手から移住した6戸に上田萬平・善七兄弟があり、彼らの功績が大きかったということのようです。

 

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時間もないので、碑を見るとすぐに戻り始めました。
こんな建物もありました。入口が2つあるのは元銭湯?

 

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現在の円山はおしゃれな雰囲気のある街で、パン屋さんなどがあちこちにあります。
こういうところが古い郊外住宅地の生活文化かなと思います。
こちらのブルクベーカリーというお店(本店らしい)のパンがおいしそうで、パンを買って帰りました。

 

あとは時間的に結構ぎりぎりで、急いで札幌駅に戻り、新千歳空港行きの快速に駆け込みました。

 

今回の旅行は北海道の広さを感じる目的で、列車の移動が中心でした。おおよその雰囲気はつかむことができたと思います。次はもっと近代建築のある、函館や小樽そして札幌の他の地区にも出かけてみたいと思います。

 

「初めての北海道」はこれで完結です。
またまた日記を逸脱した長い記事にお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

 

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2009年9月 2日 (水)

初めての北海道(23)北海道庁旧本庁舎(札幌市)

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赤煉瓦の北海道庁旧本庁舎にも出かけました。
庁舎の正面にまっすぐ道路が延びていますので、遠くからもとても目立ちます。

 

090607docho2庁舎の前には札幌市の道路元標があります。ここが一つの基準点、というのがよく分かります。

 

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天井が高いとはいえ、2階建てでこの堂々とした建物です。
明治21年(1888年)に建てられました。
現在は重要文化財です。

 

上に八角ドームが乗っていますが、これは竣工後数年で撤去され、昭和43年に復元されたものだそうです。理由は設計変更で後から載せた無理のため。(さっぽろ文庫23『札幌の建物』)。でもこのドームがあってこその姿ですね。

 

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正面には壁の大きな車寄せ。破風には開拓の象徴・五光星(北極星)。
本体はもちろん赤レンガですが、建物の土台石・窓枠には安山岩の札幌硬石が使われているそうです。

 

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車寄せの中から。
まっすぐに視界が伸びていきます。

 

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中に入って正面階段。
私は軽やかな印象を受けました。

 

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木製の階段は側面にも線刻が施されています。

 

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もう一つの階段の親柱。

 

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廊下が一本、まっすぐ通っています。
館内は北海道立文書館、歴史ギャラリー(開拓記念館の出張所のようなもの)、樺太関係資料館などが入り、ちょっとした博物館です。

 

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北海道庁長官室は記念室として保存されています。

 

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天井には花のシャンデリア。
その土台は透かし彫りの磁器のようです。

 

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また違った透かし彫りのパターンも。
これは植物柄です。

 

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天井の壁紙は型押しされた細かなパターンで埋め尽くされています。

 

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カーテンレール頂部の飾り。

 

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窓枠の植物模様。

 

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再び外に出て、周囲の柵にも五光星が読み込まれています。

 

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南側から見た庁舎。
こちらから見てもちょっとした建物の正面に見えますね。

 

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ついでながら、北海道庁旧本庁舎から南に歩いていくと、北海道立文書館の別館があります。
元は大正15年に建てられた北海道庁立図書館です。
植物意匠がふんだんな赤れんが庁舎を見た後では、随分デジタルな印象を受けます。
残念ながら非公開です。

 

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北海道立文書館別館の入口。

 

このまま歩いていけば大通公園へ。
時間がなければこれだけでも十分観光になりそうです。

 

 

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2009年9月 1日 (火)

初めての北海道(22)大通公園の聖恩碑(札幌市)

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札幌の大通公園について書こう、と思ったのですが、今回は一部しか歩いていませんので、さわりと聖恩碑の紹介にとどめます。

 

全国的に有名な札幌の大通公園は、明治4年(1871年)に設けられた都市計画の火防線を由来とする公園です。明治42年(1909年)には、公園設計で有名な長岡安平を東京から招き、整備計画を依頼。逍遥地としての顔が整えられました。

 

大通公園は東西1.5km、南北(幅)65mの細長い公園で、東の端には内藤多仲が設計した、さっぽろテレビ塔(1957年)が立っています。

 

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芝生や花壇の連なる美しい公園。

 

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その公園の東寄りに巨大な聖恩碑が立っています。
西面にはめられた碑文によると、昭和11年に北海道で開催された陸軍特別大演習に昭和天皇が行幸されたのを機に、明治・大正・昭和3代の天皇の北海道開発へのご恩に感謝する意味で、昭和13年に建てられたものだそうです。

 

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ユニークなのは、北・東・南の各面にお面のような吐水口があることで、南北(北は未確認)が王冠をかぶったライオン、東が蘭陵王の面(たぶん)です。蘭陵王の面は中之島公会堂にもありますね。

 

蘭陵王というのは調べてみると、中国・北斉時代の美形の王で、兵士たちが見とれて士気が上がらなかったため、いつも恐ろしい面をかぶって出陣したという話だそうですね。
それは大演習に臨む昭和天皇の姿に重ね合わせていたのでしょうか。あと2頭のライオンは明治・大正両天皇を表しているのか。そこまでは私は分かりません。

 

大通公園についてはいずれ再訪したときに。

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2009年8月30日 (日)

初めての北海道(21)北海道開拓記念館(札幌市)

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このところ、新しい街に行くと歴史博物館に行く習慣になっています。
今回の旅行でも、北海道開拓記念館に出かけました(天気が悪かったので屋内観光にしたというのも理由ですが)。
北海道開拓記念館は、昭和46年に北海道開拓百年を記念して開設された北海道立の歴史博物館です。札幌東郊の道立野幌森林公園内にあります。

 

野幌森林公園には、札幌の街からも神々しいまでによく見える「北海道百年記念塔」があって、目印になります。北海道開拓百年を記念する高さ100mの塔で、昭和45年に完成したもの。ともに大阪万博世代の建築なんですね。地元の方の評判はどうなんでしょう。

 

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私は電車移動なので、まずJRで札幌駅から森林公園駅まで行きました。
駅裏に出てみるとこんな感じ。マンションの建つ郊外住宅地のようです。この空き地には何か建てるつもりだったのでしょうか。駅前で食事でもと思ったあては外れてしまいました(駅表に小さなスーパーはあります)。

 

頼みの開拓記念館行きのバスは少なく、ここで待つのも無駄ですし、歩くのも自信がなかったのでタクシーに乗りました。

 

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これが北海道開拓記念館です。
かなり大きな建物です。入館料は500円。

 

展示は北海道全体の歴史について、自然史から、アイヌ、蝦夷地、近代の開拓、戦後の暮らしまで一通り眺めることができます。とくに近代については詳しく、私にとって興味深い内容でした。できるだけめりはりを付けて回ったつもりだったのですが、それでも時間が足りませんでした。
普通の博物館の図録は1冊だと思いますが、ここは展示室ごとに図録があって(8冊ぐらい?)、その点でもかなりの充実ぶりです。

 

もう一つ充実しているのは、売店の本の品揃えで、北海道で出版されている北海道に関する本はほとんどあるのでは?と思わせるほどでした。

 

でも観光ルートを外れているのか、お客さんは少なく、レストランも営業していませんでした(ここに行く方は食料の確保にご注意)。惜しいですね。

 

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バスで帰るつもりで、ぎりぎりまで観覧してバス停に向かいましたが、行けども行けども森の中。道を間違えて森林公園の奥に入り込んでしまっていたのでした。
出かける方は交通ルートの確認にご注意下さい。

 

結局、公園の入口まで出て、新札幌駅行きのバスに乗り、地下鉄で札幌に戻りました。
森林公園駅から開拓記念館も歩けない距離ではないので、JR+徒歩でも良かったのかもしれません。
野幌森林公園には、明治村のような北海道開拓の村もあるので、また来ることになりそうです。

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初めての北海道(20)札幌軟石の蔵

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札幌の街を歩いていて、ビルの間にふっと小さな建物があります。
例えばこんな蔵。北海道大学の近くにありました。
特徴的なのは蔵が石造であることで、恐らく素材は札幌軟石です。この日は雨に濡れて色も沈んでいますが、乾いているときはもっと暖かみを感じる石です。

 

札幌軟石は、札幌市の南部・石山で産する溶結凝灰岩(火山灰が固まったもの)で、明治6年に地質調査に訪れたお雇い外国人によって発見されたそうです。明治中期から大正にかけて盛んに採掘されました。今は1社しか採掘していないようですが、石切場跡が石山緑地として整備されているそうなので、次の機会には訪ねてみたいものです。

 

札幌軟石の蔵は、遥か彼方の道東でも見かけましたから、札幌にはたくさんあって当然ですね。

 

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この家も北海道大学の近くです。
出窓があって洋風の要素もあります。
そこそこ古いのでしょう。

 

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反対側に回ってみると石造の蔵がありました。

 

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大通公園の近くでもこんな蔵がひょっこり現れます。

 

石造の蔵というと洋風に聞こえますが、屋根は和風で、屋号の入るのも和風。和と洋が混ざり合っているのが北海道らしいのかなとも思います。

 

 

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2009年8月20日 (木)

初めての北海道(19)札幌市時計台

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札幌観光では定番の札幌市時計台も見に行きました。
ガッカリ名所に挙げられることもありますが、そんなこともないと思うのですけどね。古い建物好きには。

 

この建物は、明治11年、札幌農学校(のちの北海道大学)の演武場(軍事教練室、今風に言うと体育館)として建てられました。講義や卒業式にも使われたそうです。1階は研究室など。最初は時計台ではなくて、鐘楼が乗っていましたが、明治14年に時計が取り付けられて時計台になりました。

 

明治36年に札幌農学校が今の北大キャンパスの位置に移転すると、演武場は札幌市に譲られ、明治39年に現在地まで曳屋されたそうです。

 

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ここでも開拓のシンボル、赤い北極星が2つ。
鬼瓦の位置に植物の模様も見えます。

 

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中に入る前に周囲をぐるぐる回ってみました。
白い下見板、赤い屋根は新緑とよく似合います。

 

090607tokeidai4床下の換気口。木製でかわいらしい。

 

 

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玄関の車寄部分。
こういう軒下の穴あきぎざぎざは、古い駅で見かける気がします。
ちなみに背後では中国人観光客が盛んに記念撮影をしていました。
人のとぎれたところを狙って撮影。

 

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軒下にもさりげなく北極星があります。

 

入館料は200円。1階は展示室になっていて、時計台や札幌農学校についての展示が詰まっていました。一通りのことは分かります。

 

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奥の階段から2階へ。

 

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2階はうってかわって広い空間。
「明治32年札幌農学校卒業生として初めて博士号を授与された佐藤昌介、南鷹次郎、宮部金吾の学位授与祝賀会の時の講堂の情景を再現」しているというのは後で知りました。
それで大きなリースが飾ってあったのですね。
体育館というより、教会を思わせる空間です。
ベンチに腰掛けて、明治の札幌に思いを馳せるのが正解かもしれません。

 

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2009年8月16日 (日)

初めての北海道(18)清華亭と札幌初の公園

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北海道大学から道をはさんで、南につながるように小さな木立があります。
史跡の清華亭です。このあたりにかつて、偕楽園という公園があり、清華亭はその中に建てられたのでした。しかも偕楽園ができたのは明治4年。計画的につくられた日本で最初の公園とうたっています(だんだんどれが日本で最初なのか分からなくなってきました)。少なくとも札幌では最初の公園でしたので、そう聞けば行かないといけません。

 

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<清華亭内に展示されている偕楽園の模型>

 

この模型の一番奥にあるのが清華亭です。
園内をサクシュコトニ川が蛇行しています。
畑などがあり、ただの公園ではありません。開拓大判官の岩村通俊が、明治4年に製物場(工業試験場)、育種場(農業試験場)、さけ孵化場、博物場、花室、競馬場などをつくり、「偕楽園」と命名したものだからで、産業試験場 兼 公園のようなものだったとのことです。当初は8万坪もあったそうです。

 


より大きな地図で 北海道 を表示 しかし、試験施設が廃止・移動しはじめた明治19年頃から偕楽園は存在意義を失い、寂れていったそうです。偕楽園の敷地は、清華亭部分を除き、住宅地になってしまいました。

 

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では門から中に入ります。
現在、清華亭は札幌市の管理で、無料で入れます。

 

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清華亭は下見板張りの和洋折衷の建物で、南側に出窓が張り出し、ガラス戸の廊下がめぐるなど庭が眺めやすい造りです。屋根の破風部分には開拓使のシンボル「北極星」(五光星)がくりぬかれています。

 

清華亭は明治13年(1880年)、明治天皇の北海道行幸を前に、偕楽園を視察される際の小休所として建てられました。このとき、行在所として豊平館(昭和32年に大通公園から中島公園に移築)が建てられています。2棟は関連する建物で、庭園はともにドイツ系アメリカ人のルイス・ベーマーが手がけました。

 

役目を終えた清華亭は明治30年に民間に払い下げられますが、昭和初期に保存会が買い取って札幌市に寄付、昭和53年に復元工事が行われて現在に至っています。

 

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清華亭の東に立つハルニレの木は、偕楽園時代のものらしいとか。

 

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正面玄関は西側にあります。
雨宿りも兼ねて亭内に入ります。

 

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中に入ると、管理人のおじさんが出てこられました。簡単な説明を受けます。
洋風の玄関から廊下が伸びています。
小さな建物なので、観覧部分は右手の洋間と右奥の和室1室ずつだけです。左手は管理人さんのスペース。
客は他に誰もおらず、1人静かに観覧しました。

 

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出窓のあるのは16畳の洋間です。
ここが清華亭と偕楽園に関する展示室になっていました。

 

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カーテンレールの一部。
隅に植物の彫り物などもあって、格式の高さが表れています。

 

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シャンデリアの付け根には、しっくいの円盤があり、鏝細工で桔梗が描かれています。

 

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和室は15畳で、外に廊下がめぐらされています。明るい。

 

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札幌軟石でできた庭の飛び石はよく見ると洋風で斬新なデザインです。
庭の眺めは明治天皇も気に入られたとか。

 

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一度失われてしまった偕楽園ですが、一部取り戻すように公園が整備されていました。

 

開拓初期の札幌を記憶する場所として、ぜひ生かしていってほしいと思います。

 

○参考
 さっぽろ文庫 第15巻「豊平館・清華亭」

 

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