公会堂跡のときわ台公園(北海道根室市)
『ラヂオ塔大百科2017』の情報によれば、根室にもラジオ塔があったという記録があります。
その場所は根室町公会堂前(または公会堂構内)となっています。
公会堂が現在どうなっているか調べると、公会堂跡がときわ台公園として整備されていることが分かりました。
根室まで来る機会もそうそうないので、見に行ってみました。
ときわ台公園のある場所は駅前通りを歩いて右に折れたあたりで、ここから元官庁街が東に続いています。
落葉しているこの季節は、公園らしさはないですが、捜しものには最適。
公園の南側は林になっています。そこに古そうな石碑が2つ立っていました。
一つは昭和十年のもの。タイトルに記念碑とだけ書かれていて、内容は根室は発展させてきた先人たちを顕彰しています。
側面には「粗粒玄武岩 此碑石ハ根室国花咲郡歯舞村大字モシリ島産」と書かれていて、現在は北方領土の歯舞諸島で採れた玄武岩ということが分かります。
もう一つは行幸記念碑。
昭和11年9月28日に昭和天皇が根室公会堂に行幸されたことを記念して建てられたものです。
公園の中には案内板があり、ときわ台公園の来歴が説明されています。
大正15年に碓氷勝三郎氏(前回少し触れた酒・缶詰・味噌の製造、タクシー会社運営などをしていた実業家)から土地の寄附を受け、公会堂は昭和6年に完成。解体時期は分かりませんが、昭和52年にこのときわ台公園が整備されています。
公共用地として寄附者の趣意を尊重し、っていい言葉ですね。
公園の北半分は芝生の広場になっています。
ここは昭和10年の地図を見ると町役場となっています。
年表を見ると根室町役場は明治41年(1908年)にできて、昭和48年(1973年)に市役所が新築されていますので、その間、65年にわたって町役場・市役所があったのでしょうか。
公園の北の端は崖になっていて、その下に碓氷勝三郎商店の倉庫の屋根が連なっています。
町役場の土地も含めて一体が碓氷氏の土地だったのでしょうか。
公園の中にはいろんなものが置かれています。
例えば、根室女工節の碑。缶詰工場の女工の労働が歌われています。
モニュメント「ラクスマン 歴史の然」(1994年)。
1792年、ロシアから根室に来訪したアダム・ラクスマンの記念碑です。日露外交の始まりとして。
制作は池田良二さん。
今は水がないですが、池と噴水の中にアントワーヌ・ブールデル氏の「力の胸像」(昭和58年(1983年)設置)があります。
アルゼンチンに解放と勝利をもたらしたアルヴェアル将軍の勇者の一人を描いているそうです。
市民と企業の寄附により設置されたとのことです。
いろんな記念碑はあるのですが、結局、ラジオ塔の痕跡らしきものは確認できませんでした。
それでも、ここは根室市民早朝ラジオ体操会の会場になっているようです。歴史のつながりを感じます。
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