カテゴリー「国内旅行(高知)」の記事

2024年4月17日 (水)

四国みぎした旅行(28)むろと廃校水族館(高知県室戸市)

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2023年GWの高知旅行のラストです。
実際はここが最初の訪問地でした。
ここまで読んでこられたら、いきなり華やかな場所で驚かれるかもしれません。
「むろと廃校水族館」と言って、ど真ん中とは言わないまでも観光地です。

室戸岬の東側にあり、前年の旅行の時は寄るかどうか迷ってパスした場所です。
本数の少ない路線バスの旅で、下車できる回数に限度がありますので。

訪問日:2023年5月1日

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「廃校」と付いている通り、廃校をリノベーションした水族館です。
具体的には「室戸市立椎名小学校」でした。
椎名小学校は明治7年(1874年)に創設され、昭和5年(1930年)に現在地に移転しました。現在の校舎は昭和59年(1984年)完成ですが、平成13年(2001年)に休校してそのまま平成18年(2006年)に廃校となりました。
そして平成30年(2018年)にむろと廃校水族館としてオープンします。

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小学校の建物を使ったというだけでなく、積極的に学校の要素を取り入れています。
例えば開閉館時間は始業・下校。

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普通の教室も残してあります。
卒業生にとっては、かつて通った学校が廃校になったとはいえ、このように見て回れる状態であるというのは良いことかもしれません。
そうでなければ、解体されたり、鍵がかかって入れない場合もあるのですから。

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展示の仕方もふるっています。
手洗い場を触れられる水槽にしています。黒板も活用。

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かと思えば、跳び箱に水槽を仕込むという仕掛けも。

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こちらはOHPを水槽に。
OHPとは何かという解説も書いてありました。
プロジェクターが普及するより前、原稿をスクリーンに投影する機械です。
(私は使ったことあります)

他にはAEDのケースも水槽になっていました。

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今風の展示も。
これはクラゲではありません。ビニール袋です。
他にもルアーなど海洋ゴミを「生態」展示していました。

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遊び心があちこちにあって、こちらはボラのエサをガチャガチャで売っているんですが、「花火で例えると線香花火のような風情です。迫力は求めないでください」とか書いてあります。

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これは「飼育員らくらくシステム」という水槽の窓拭きを来場者にやってもらうシステム。

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剥製コーナー。室戸の漁師は捕鯨やマグロ漁で世界の海に出かけた際、現地でお土産として剥製を買ったり、生体を捕獲して持ち帰ったりしたそうです。その意味で地域に根ざした展示です。ここには室戸市内の廃校から集められた剥製などが並べてありますが、個人宅にはカンガルーやコアラ、トラなどまであるそうです。ペンギンを飼っていた人もいたとか。

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これは室戸高校の生徒が作った廃校水族館の歌。
「歌作りました!」と持ち込まれた歌をこうして展示するあたり、地域との関係の近さが出ています。

そもそも水族館に展示されている生き物は、主に近隣の椎名漁港・三津漁港・高岡漁港の3ヶ所の定置網にかかった生き物を持ち込んでいるそうです。

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理科室には各種の標本。

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図書室には魚介の資料などの他に、郷土資料もあります。
時間が余ったらここで調べ物ができます。

他にも保健室、音楽室などそれぞれに活用されていました。

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昭和52年(1977年)に完成した屋外プールは、大水槽として使われています。

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雨天の屋外用に懐かしい黄色い傘。

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プールではウミガメが飼われています。

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プールの隣には昭和53年(1978年)完成の体育館。
こちらはバックヤードの作業場所や保管場所として使われています。公開はされていません。
天井も高いですし、作業にはぴったりですね。

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表の屋外にも展示があって、これは右から捕鯨砲、小型捕鯨三連銃、錨です。
地域の海の産業として展示されています。

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これは室戸岬水産高校で使われていた練習艇です。
室戸岬水産高校は平成11年(1999年)3月末に他の二校とともに閉校され、合併して、土佐市に県立高知海洋高等学校として開設されています。
もう一つの廃校のものも受け継いでいる訳です。

軽い気持ちで立ち寄った場所ですが、地域に根ざした展示内容の水族館になっていて興味深く見学しました。

ちょっと普通の魚介の写真が少なかったかな。
フォルダを見返してもほとんど撮ってませんでした。

以上で四国みぎした旅行の高知編は終了です。
続きとして徳島編も予定していますが、その前にいくつか寄り道をします。

<関連記事>
 「四国みぎした旅行(27)津呂の白い町」(室戸市)前の記事

 「四国みぎした旅行(1)高知県境の町へ」 シリーズ最初の記事

 

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2024年4月15日 (月)

四国みぎした旅行(27)津呂の白い町(高知県室戸市)

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2023年GWの高知旅行の続きです。そして津呂の3話目です。
今回は津呂の町の様々な建物について。白いペンキ塗りの建物が印象に残りました。
そんな建物を好んで撮るので、そこまで多かった訳ではないかもしれません。
東洋町の白浜や和歌山県の南部も白いペンキ塗りが多い印象があります。

まず、バスを降りた室戸営業所バス停から南に歩いて出会った元お風呂屋さん。

訪問日:2023年5月1日

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前面の道から一段低くなっているので、数段の階段があり、左右の扉に分かれています。
階段を降りるとひさしの下で、ベンチなどもあり、ちょっと良い空間になっています。

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真ん中にはタイル画。
梅にウグイスのようです。

こんなタイル使いなら、浴室も期待するところです。

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こちらは煉瓦塀と一体化したような白いペンキ塗りの小屋。
灰出し口のような煉瓦、配管、排水管があるので浴室でしょうか。

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こちらもレトロな洋風を感じさせます。

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再びバス通りへ。現在国道55号線は海岸寄りを通っていますが、ここは旧国道なのでしょう。
バスはこちらを通ります。緩やかな坂に白い雨戸の建物が並んでいます。

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両脇にショーケースらしきものがあり、商店なのでしょうね。

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ちょっと細い路地を山手にも入ってみました。
そんなに奥深くはないですが、細い路地が入り組んでいます。
軒下には丸い街灯。

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港の南側へ。
ほとんど波板で覆われていますが、色ガラス入りの変形おたふく窓が顔をのぞかせています。

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道端にあった記念碑は「昭和九年颱風海嘯記念碑」(昭和11年)
ここ室戸岬町では、室戸台風が起こした高さ40尺(約12m)の高潮に3度襲われ、死者63名、負傷者310余名、流失・全壊家屋550戸、半壊家屋678戸、流失・全壊船舶200艘という大きな被害があったことが記されています。
「海水天を蹴って怒号吼鳴し、風力猛烈に触るるもの皆摧(くだ)く。須臾<わずかの間>に大海の激浪、高40尺轟然海岸に襲来する3回」と凄まじい描写です。

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まだ南に歩いていきます。
この建物、梁の端に市松模様が入っておしゃれです。

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集落の外れに大きな医院がありました。
正面には立派なフェニックスやワシントンヤシが植わっています。

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医院の建物は昭和中期でしょうか。
大きな玄関です。

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向かいがたぶんお医者さんのお宅で、岬を借景に豪快な石積とソテツが出迎えるお屋敷です。

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このお屋敷は非常に広くて、白い石灰岩の石垣が延々と続いています。

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この屋敷の隣に祠があり、ここにも室戸台風の高潮が押し寄せたという記念碑が立っています。

このあたりで引き返します。

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川の側の製材所。2階の正面が全面銅板張りで見事です。
1階は作業用にレールが敷かれています。

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王子宮は津呂の氏神です。左端に立っている石柱は、室戸台風の高潮到達地点を示す柱です。

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南極捕鯨船団一同の寄進があり、クジラの町でもあったことが分かります。

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津呂にも高知でよく見かける装飾的門扉を見ました。

津呂は観光地ではありませんが、港や路地をじっくり歩いて味わいたいような町です。

<関連記事>
 「四国みぎした旅行(25)津呂の港」
 「四国みぎした旅行(26)津呂の煉瓦塀」

 「四国みぎした旅行(4)室戸岬」 室戸岬は津呂の南です(ここから下は2022年)
 「四国みぎした旅行(5)室戸岬灯台」

 「四国みぎした旅行(10)隆起する室津港」室津は津呂の北です
 「四国みぎした旅行(11)室津の煉瓦塀」
 「四国みぎした旅行(12)室津のいろいろ」

 「四国みぎした旅行(1)高知県境の町へ」 シリーズ最初の記事

 

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2024年4月 5日 (金)

四国みぎした旅行(26)津呂の煉瓦塀(高知県室戸市)

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2023年GWの高知旅行の続きです。前回に続き、津呂。
津呂では至る所で煉瓦塀を見かけました。
前に室津(室戸市)でも多くの煉瓦塀を見かけましたが、室津では上部を広げたり、斜めに並べたりと装飾的な積み方が多かったのに比べると津呂では至ってシンプルです。

津呂の煉瓦で一番気に入った場所をまず紹介します。
それは参道の先に津呂港(室戸岬港)を望む八坂神社です。

訪問日:2023年5月1日

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参道入口の鳥居から両脇に煉瓦塀が連なり、拝殿の前まで繋がっています。
上部が屋根のように広がって、派手ではないですが美しい煉瓦塀です。

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鳥居をくぐってしばらくは平坦な道です。

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最後に階段となり、レンガ塀は階段の上に達すると両側に分かれ、ゆるくカーブを描いています。

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階段に入るところの流れるような煉瓦積み。

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この両脇の煉瓦塀で多く見かけたのは、大阪窯業の刻印でした。

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入口近くの塀では、菱形にSの刻印があります。
四国産業製と推測されている煉瓦です。

関西地方の刻印煉瓦「菱"S"刻印(四国煉瓦→四国産業)」

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上部に透かしの入った煉瓦塀。
これはまだ装飾的な方で、

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裏側を覗き込むとK4の刻印。Knの刻印は兵庫県系と考えられています。
他の刻印もあったように思います。

関西地方の刻印煉瓦「Kn」

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平坦部の町の煉瓦塀。

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ここでも菱にSの刻印が確認できました。

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不鮮明で分かりにくいのですが、これはひょっとして丹治煉瓦(堺市)の刻印?

室津の煉瓦では日本煉瓦(堺)の四弁花の刻印を多く見かけたのですが、津呂では見かけません。
なおかつかなり種類がバラバラです。これは煉瓦の流通ルートの違いによるものでしょうか。

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津呂の町は海岸線に並行する国道55号線から斜面に向かって住宅が立ち並び、細い路地があちこちにあります。
路地を歩くとこのように煉瓦塀を眺めながら歩くことになります。

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これはセメントレンガでしょうか。

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平坦部から上の町並みを眺めたところ。
レンガ塀が連なっています。

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これも路地と煉瓦塀の組み合わせ。

 

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煉瓦造の蔵もありました。

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こちらも外壁に煉瓦を使い、表はコンクリートで化粧されています。

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これも魅力的な、階段とともに流れるような煉瓦塀。

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最後、岬屯所のバス停近くの家にも煉瓦塀がありました。
凹型のカーブが滑らかです。

室津とはまた少し違った煉瓦塀の風景に浸ることができました。

<関連記事>
 「四国みぎした旅行(11)室津の煉瓦塀」(室戸市)
 「四国みぎした旅行(25)津呂の港」(室戸市)

 「四国みぎした旅行(1)高知県境の町へ」 シリーズ最初の記事

 

 

 

 

 

 

 

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2024年4月 4日 (木)

四国みぎした旅行(25)津呂の港(高知県室戸市)

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2023年GWの高知旅行の続きです。
この時の旅行で一番印象深かった町は室戸市の津呂(つろ)でした。

そのうち今回は港を紹介します。現在では室戸岬港と呼ばれる港です。
以前訪ねた室津よりも南、室戸岬寄りにあります。

旧港はこの写真に収まるぐらいで、切り立った斜面に囲まれ、港口の漁協の建物が異様に存在感を放っています。
前年にも日が傾いてからこの港の脇を通り、そびえ立つ建物が印象に残っていました。
手結(てい)港よりは広く、室津港よりは狭い港です。

津呂には高知東部交通の営業所があるので、ここを始発・終点とするバスもあり、比較的行きやすい場所です。

訪問日:2023年5月1日


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<昭和22年米軍撮影空中写真 国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より>

戦後すぐの室戸岬港の様子です。
直近の昭和東南海地震で隆起したため、岩礁が顔を出しているようです。
その時、港内は掘り下げられました。
津呂の旧港は写真で一番右奥に当たります。
いかにも岩盤を掘り込んだという印象を受けます。

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港の北東には「昭和九年海嘯襲来地点」の標石が立っています。
昭和9年とは室戸台風のこと。海面からは結構高さがあるのですが、この高さまで高潮が押し寄せたということです。
同様の標石は集落の何ヶ所かで見かけました。

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港の南には、相似た2つの記念碑が並び立っています。

右が「紀貫之朝臣泊舟之處」、左が「野中兼山先生開鑿之室戸港」(ともに昭和3年)です。
まず紀貫之というと土佐日記。平安時代、土佐国司としての任期を終えた紀貫之が船で京へ戻る途中、この港(その頃はこんなに立派ではないですが)に10日間停泊したことを記念しています。

野中兼山は江戸時代、土佐藩の家老として藩政改革に取り組み、各地で土木工事も行ったのですが、港湾開発では先日取り上げた夜須の手結港を整備しました(1655年完成)。日本最初の掘り込み港と呼ばれる港です。
その後、この津呂港を港口を締め切っての掘り込み工事で寛文元年(1661年)に完成させました。すぐ次に室津港の工事に取り掛かったのですが、間もなく失脚したため、工事は後任者に引き継がれました。

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記念碑の脇には解説板が立っていて、紀貫之や野中兼山について解説されています。

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記念碑の脇には津呂村道路元標があります。
ここが町の中心ということになります。

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その間には遍路道の道標もありました。

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近くにあったレンガ積みの遺構。何なのかは不明。

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この港は西に開けていますので、西陽を浴びて情感が増しています。
1台の自転車が走っていきました。

隆起によって港は壁に囲まれるようになり、箱庭のような印象も受けます。

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この港で面白いのは南東部分が切れ込んでいること。
この部分の道路は高架になっています。

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その真下には水が流れ込むらしく、水場が設えてあります。
ここで漁具や魚を洗ったりしたのかもしれませんね。

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この部分にはむき出しの岩盤が露出しています。
(他の部分はほとんど石垣を積むか、岩盤をコンクリートで覆っています)

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港を通る道路と船が係留されている犬走りの間は何ヶ所か階段で結ばれています。
ほとんどは直線の階段ですが、この階段は岩盤の上を折れながら下っています。

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横から見るとこうなります。
コンクリートで固められた岩盤が張り出していることが分かります。

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下に降りてみると船を係留する係船柱があり、いくつかはコンクリートを充填された陶管です。
同様のものは室津港でも見かけました。

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こちらも同じく陶管の係船柱。
摩滅して味わいが出ています。

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港の周囲は低いコンクリート柵で囲まれています。

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港の海側には頑丈そうな建造物がありました。
冷蔵倉庫とかでしょうか。

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やがて日も暮れたので、もう歩き回るのはやめて岬屯所前のバス停でバスを待ちました。

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すっかり暗くなった港を日の名残りが淡く染めています。

この後来たバスで安芸に向かいました。

<関連記事>
 「四国みぎした旅行(10)隆起する室津港」(室戸市)
 「四国みぎした旅行(17)夜須の手結内港」(香南市)

 「四国みぎした旅行(1)高知県境の町へ」 ※シリーズ最初の記事

 

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2024年3月28日 (木)

四国みぎした旅行(24)安田中心部を歩く(高知県安田町)

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2023年GWの高知旅行の続きです。
伊尾木洞の後、東の安田町に移動しました。
土佐くろしお鉄道の安田駅は高架の上、トンネルを抜けてすぐの場所にあります。
安田町は周辺の安芸や田野・奈半利に比べると狭い平野です。
駅からは早くからこの地域で取り入れられたビニールハウスが見渡せました。

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駅から安田の町までは500mほど。
安田の集落に入ったあたりに「南」「玉の井」ブランドの日本酒を出している南酒造場があります。
また後で出てきますが、高知県最大手の土佐鶴酒造もあります。
安田川の伏流水を利用した酒蔵の立地だそうです。
この小さな町に有名な酒蔵が2つもあるのはすごいこと。

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南酒造場の蔵。水切り瓦が付いています。

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向かいには乗光寺。
この門は大正末期のもので、登録有形文化財だそうです。
安田町には登録有形文化財が多く、現地に解説が掲示されています。
三菱との交流で鉄筋コンクリート造が採用され、鉄製の扉は戦時中に金属供出されたと書かれています。

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こちらも同様に登録有形文化財の南商店。
洋服や食料品、雑貨などを扱う商店で、大正中〜後期の建築だそうです。
昔盛んだったお伊勢参りを通じて三重の建築様式が伝わったと書かれていますが、私にはどのあたりがそうなのか、よく分かりません。
(土佐の水切り瓦に目が行ってしまうので)

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向かいの商店のモザイクタイル。
懐かしさを感じさせる貼り方です。

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海沿いの道路は高くなっていて、そこから散髪屋さんの勝手口に私設の橋が架かっていました。
2階の高さです。

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その道路脇には安田川橋の親柱(大正14年12月)と災害復興記念碑が立っています。
記念碑は室戸台風からの復興記念碑でしょうか。裏には回れませんでした。

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旧道を歩いていくと、公開されている旧柏原家住宅(右の和風建築。昭和前期)と旧市川医院(左の洋風建築。大正2年)があります。
ともに開業医でした。残念ながらこの日は休館日で入れませんでした。

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こちらが旧市川医院(大正2年)です。
開いていれば企画展などが見られます。

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向かいの並びには安田町お試し滞在施設がありました。
将来の移住希望者が最大1ヶ月滞在できるそうです。

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こちらは土佐鶴酒造の本社。昭和の現代的デザインです。

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裏に回るとコンクリートの建物。

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大きな蔵も並んでいました。

土佐鶴の酒蔵はここだけでなくて、東の丘の上に平成8年・12年に大規模な酒蔵を建設しています。

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旧道をもう少し西に進みました。
浄土真宗・誓願寺の赤煉瓦塀が見えます。

右手前の胸像は安田鰹鮪船主開館の前に立つ坂田秀継翁像(昭和36年)です。
漁業関係に功績のあった方らしいです。

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その先には山本○吉氏頌徳碑がありました(昭和7年?)。
これも漁業関係者の記念碑のようです。
裏に碑文があるのですが、自然石の表面そのままに刻まれていて、木で隠れている部分もあるのでよく分かりません。

このあたりでそろそろ引き返します。

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古い住宅という訳ではないですが、飾り瓦に凝ったものがありました。
これは鷹です。

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こちらは梅にウグイスの飾り瓦。

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帰りは海岸沿いを歩きました。遠くに見えるのは羽根岬でしょうか。

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再び駅に戻ってきました。
この時に知ったのですが、安田駅の南側、安田町文化センターに無料のレンタサイクルがあるようです。
安田の中心部なら徒歩で良いですが、安田川左岸の魚梁瀬森林鉄道の跡をたどったりするならレンタサイクルが便利かなと思います。

コンパクトな町ながら、農業、畜産、木材、漁業、酒造など様々な産業があり、その分、様々な歴史が蓄積していることが感じられました。
映画館の大心劇場も訪ねてみたいところです。

安田町の隣町が田野町で、ここで前年の旅行とつながりました。
次の話は室戸市に飛びます。(実際の旅程ではこの後に夜須に行きました)

<関連記事>
 「四国みぎした旅行(23)昔話のような伊尾木洞(安芸市)」 前の記事

 「四国みぎした旅行(15)田野町の街道を歩く(田野町)」 東の隣町

 「四国みぎした旅行(1)高知県境の町へ」 シリーズ最初の記事

 

 

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2024年3月26日 (火)

四国みぎした旅行(23)昔話のような伊尾木洞(高知県安芸市)

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2023年GWの高知旅行の続きです。
安芸の街を歩いた後、列車で1駅移動して伊尾木(いおき)駅へ。

前年の旅行の時に、SNSでOさんにお勧めいただいた伊尾木洞を見学するためです。

線路に並行して旧道を東へ少し歩きます。

訪問日:2023年5月2日

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旧道が小さな川を越えるところに欄干のとても低いコンクリート橋があります。

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昭和二年と書かれた古い橋です。橋の名前は「洞川橋」でしょうか。
アスファルト舗装した時に埋もれてしまったようです。

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この川の先に伊尾木洞があります。

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入口には観光案内板が立っていました。
だいたいの位置関係を把握しておきます(列車の時間があるので)。

観光ガイドや無料の長靴貸出もあるようですよ。
詳しくはこちら→安芸市HP「伊尾木洞」

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さて入口。入場ゲートなどはなくて、そのまま入っていけます。無料です。
この洞窟は海食洞、つまり波に削られてできたものらしいです。
その後、川にも侵食されています。

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ちゃんと整備された遊歩道になっています。洞窟はそんなに長くはなく(40mほど)、すぐ向こう側に出ます。
洞窟は縦に細長くて、天井は結構な高さがあります。
高さ5mほどといいますが、体感的にはもっと高いです。

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振り返るとこんな感じ。荒々しい岩肌です。

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その先は両岸が切り立っています。
シダが群生し、光が射す、とても美しい情景です。

約40種類のシダが群生しているそうです。

伊尾木洞は前日泊まった旅館の方にも勧められました。
ちょうどNHKの朝ドラで牧野富太郎が取り上げられ、そこに出てくるので観光客が増えているという話でしたが、混んでいるという程でもありません。

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だんだん崖は低くなっていきます。
人も少なくなっていきます。

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だんだん道も狭くなり、丸木橋を渡ったり木のはしごを降りたり。

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最後には滝にたどり着きます。
ここからまた引き返す人が多いようですが、私はこの先の道を登るコースにしました。
ここまでのような特別感はなく、ただ山道を登っていきます。

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崖の上に上がるとそこはのどかな田園風景。
なんだか狐に化かされたようです。

普通に農家の建物も並んでいます。

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そんな建物を覗き込むと、え、人形?

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農作業をしているのも人形。

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ベンチに座っているのも人形。

農作業をされている普通の人間もおられたので、まだ現実感がありましたが、人形だけだとゾッとします。
この流れは日本昔話のようです。別に驚かすつもりはないのでしょうが。

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やがて田んぼが広がり、その向こうには海。
広々した景色です。

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とここでもう一段の驚きがあります。
やはりここは崖の上だったのです。

元の集落に戻るにはこの坂を降りないといけません。

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こんな風に景色がくっきり分かれています。

下から眺めた斜面の上にまさかこんなのどかな世界が広がっているとは。

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下の集落に降りて、少し旧街道を歩きました。
駅の近くのこの建物が気になりました。

再び伊尾木駅まで戻って約50分。
列車はだいたい1時間に1本なので、ちょうどいい時間です。

わずかの時間でとても不思議な体験ができました。
教えていただいたOさんありがとうございました。

<関連記事>
 「四国みぎした旅行(22)安芸の旧市街を歩く」 前の記事

 「四国みぎした旅行(1)高知県境の町へ」 このシリーズ最初の記事

 

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2024年3月20日 (水)

四国みぎした旅行(22)安芸の旧市街を歩く(高知県安芸市)

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2023年GWの高知旅行の続きです。
安芸駅前で無料レンタサイクルを借り、郊外の土居廓中や岩崎彌太郎生家などを回った後は、安芸旧市街に入って一気に海岸まで出ました。
海岸にはしらすの天日干しの風景が広がっていました。(後で昼ご飯にしらす丼を食べました)。

訪問日:2023年5月2日

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振り返ると道路の反対側には加工場が並んでいます。

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その背後には古そうな木造の倉庫が並んでいました。
福祉施設に転用されているものもありました。

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自転車なので一走りで旧市街の西の端まで。すぐそこは安芸港です。
カリヨン広場に石を貼り付けたような変わった建物があります。
実はこのあたりにかつて土佐電気鉄道安芸線の終点・安芸駅があったそうです。
駅舎は路線廃止後もバス待合所として使われていましたが、解体されて、その後に作られた安芸線の記念モニュメントがこれです。

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内部の壁面には安芸線に関する様々な古写真や資料が貼られていました。
安芸線は後免から始まって安芸まで。

ちょうど夜須で歩いたサイクリングロードが安芸線の廃線跡で、ここが終点ということになります。

ちなみにモニュメントの向かいには高知東部交通の本社があり、バスがたくさん止まっていました。

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安芸港に出てみると「日本一高い防波堤 海面より16.0m 安芸漁港」と書かれています。
海が見えません。台風の高潮に(地震による津波にも?)備えているのでしょうね。

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その後はまたゆっくり旧市街の北側を走っていきました。
旧市街を歩くとすぐわかるのですが、海に向かって細長い丘が続いています。
これは元砂丘で、安芸市街は海岸砂丘の上に東西に長く伸びているということになります。

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安芸平野の西側を北から南へほとんどまっすぐ流れてきた江の川は、旧市街の手前で急に東に大きく曲がり、旧市街を巻くように流れて安芸川の河口付近に流れ込んでいます。砂丘に行く手を遮られたためです。

ここで一旦、自転車を返して、後は歩きで回りました。

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実際に歩いたルートはあっち行き、こっち行きなのですが、それだと分かりにくいので本町通りを西から東に紹介します。
本町通りはこの町の古いメインストリートで、砂丘の一番高いところからは一筋だけ海寄りを通っているようです。

「本町四丁目」のバス停が立っているのは喫茶田園の前です。
このあたりはとても静かです。

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少し歩くと道をまたいで通されているパイプがゲートのようです。
この両側は菊水酒造です。

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本町通りにも古い倉庫のようなものがありました。

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カトリック教会聖母献身会と書かれていて、前村記念博物館ブログによれば、司祭館で昭和26年築だそうです。

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煉瓦塀と煉瓦壁の建物もありました。天理教赤野分教会の一角です。

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さらに進むと元旅館・東陽館。阪神タイガース安芸キャンプの宿舎だったそうです。
黒い戸袋に漆喰で「東陽館」の骨太の文字が残っています。
水切り屋根のつく伝統的な建物。
「売物件」の張り紙が貼られていました。

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こちらは松本外科。洋風の診察室でしょうか。

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旧街道は町の東でいったん北に折れます。
その途中にある洋風看板建築。軒蛇腹が入ります。
元々は窓手すりが付いていたようですね。

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古い町家をぶち抜いたようなげいようハイヤーの建物。
端に簡易郵便局も入っています。

旧街道はこの門でまた東に折れます。

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やがて旧市街の東の端に来ました。
迂回してきた江の川を渡るところに梶橋が架かっています。
上の写真は渡った先から旧市街を振り返ったところです。
達筆な文字で「昭和十七年二月架換」と書かれていました。

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橋の欄干にまた橋の形が入ったようなかっこいいデザインです。

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親柱には鉄の格子が入り、機械を思わせるような装飾です。
昭和17年にしてはデザインにゆとりを感じます。

ここまでで旧市街の探訪は折り返しました。

今回の記事は旧街道の建物について近代建築寄りに紹介しましたが、かなり端折っています。
水切り瓦の蔵や瓦塀など、伝統を感じる町並みがありますので、機会あれば歩いてみてください。

<関連記事>
 「四国みぎした旅行(20)野良時計と土居廓中」(安芸市)
 「四国みぎした旅行(21)岩崎彌太郎生家と旧街道の建物」(安芸市) 前の記事

 「四国みぎした旅行(1)高知県境の町へ」 このシリーズ最初の記事

 

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2024年3月14日 (木)

四国みぎした旅行(21)岩崎彌太郎生家と旧街道の建物(高知県安芸市)

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2023年GWの高知旅行の続きです。
土居廓中(かちゅう)を見た後、安芸平野を西に横切って、岩崎彌太郎生家を訪ねました。
三菱グループの創業者です。

このあたりの集落は、等高線に沿うように山裾を南北に通る旧街道から下る斜面に連なっています。

この茅葺屋根の建物は、岩崎彌太郎の曽祖父が江戸時代の1795年に建てたものを修復保存しています。
外観は撮影OKですが、建物内部の撮影・上がることはNGでした。

左側に見える「岩崎彌太郎生誕之地」の記念碑は、三菱グループが1963年に建てたものです。

生家の向かいにはボランティア観光ガイドの詰所があって、数人のガイドの方がおられました。
ここでフラフのことなども教えていただきました。

訪問日:2023年5月2日

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庭の石組みは日本列島を模したもので、十代の岩崎彌太郎が作ったという説明がありました。
これを眺めては雄飛を志していたようです。

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母屋の裏には三菱の紋が入った蔵があります。
彌太郎の没後に建てられたものだそうです。
蔵がいくつもあって豊かに見えますが、生家の元々の敷地は母屋の幅ぐらいで、もっと狭かったとか。

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広い裏庭には祠などもありました。裏庭には入れません。

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敷地の境界には竹垣がありました。
ほんとに元々竹垣だったんでしょうか。

彌太郎が暮らしていた頃よりかなり立派になっているような。

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生家から坂を下ったところに岩崎彌太郎像がありました。

元々は市街地の江の川上公園に昭和61年に建てられ、平成27年にこの場所に移築されたそうです。
視線の先には安芸市街地と太平洋があるのでしょうか。良いロケーションです。

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生家の近くには一宮神社があります。
この狛犬は岩崎彌太郎が寄進したそうです。

この後は街道に沿って安芸市街を目指しました。
小高いところを等高線に沿うように続くので眺めもよく、快適な道です。

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途中気になったのが、このように青い壁の住宅を見かけること。
「群青漆喰」と言われ、安芸市周辺で昭和初期まで使われていたという情報がありました。
古民家ホステルの東風ノ家さんに関する情報がほとんどなのですが。

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こちらも1階に群青色の壁があります。

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水切り瓦の蔵も多いですね。
こちらは湯気抜き・煙抜きというのか換気用というのか、小さな屋根が乗っていて、どういう使われ方をしていた建物なのか気になります。

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水切り瓦の付いた蔵は次々現れます。
なお、右奥に見える山は妙見山と言って山頂に星神社があり、彌太郎がよく登っていたそうです。
北極星を崇める妙見信仰は高知にもあるんですね。

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さらに水切り瓦の蔵。

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途中、工事中の高架橋脚がありました。
建設中の南国安芸道路です。

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こんなふうに、旧街道の脇には水切り瓦の蔵がたくさんありました。
しかも1階は平瓦を貼っていたりします。目地を盛り上げたなまこ壁のもありますが、むしろ目地が沈んだものの方が多い気もします。
何と呼ぶんでしょう。

古い集落を見ながら走るとそのまま安芸市街に入りました。
このあたり、自転車で走るのに良いところです。

<関連記事>
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2024年3月 6日 (水)

四国みぎした旅行(20)野良時計と土居廓中(高知県安芸市)

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2023年GWの高知旅行の続きです。
この日は安芸に泊まり、中心部を回るより先に、野良時計、安芸城址、武家屋敷の土居廓中(どいかちゅう)などのある土居地区を訪ねました。
上の写真は野良時計です。説明は後ほど。

訪問日:2023年5月2日

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中心市街地からは少し離れるので、安芸駅ぢばさん市場の無料レンタサイクルを借りました。
平坦なので、普通の自転車で問題ありません。

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土居地区の集落は水路に沿って連なっているので、その末端部分である安芸川の近くをまず目指し、そこから水路を遡っていくことにしました。
安芸川の近くの集落にあった住宅の洋風部分。

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安芸川には、昔、船が着いたらしき場所があります。

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ここから古い道をたどっていくと、祠や井戸があります。

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水路沿いに建つ水切り屋根の蔵。

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水路の分岐部分。これは下流を向いていますが、上流側でも2つに分かれていました。
水路の交差点?

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売りに出ていた農業倉庫。売物件はちょくちょく見かけました。

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水路は、登録文化財の森澤家住宅の敷地に沿って折れています。

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その斜向かいには、美しい瓦塀がありました。

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その近くに野良時計はあります。
私はトップページのような風景をイメージしていたので(実際そう撮ることはできるけれど)、こんな大きな道路に面しているとは思いませんでした。せせらぎまで作ってあります。野良時計の見学は外観のみです。

野良時計は、明治5年、地主の息子だった畠中源馬少年が11歳の時にアメリカ製の八角掛時計を買ってもらい、それを何度も分解しては組み立てて構造を学び、明治20年頃といいますから26歳の頃に分銅や歯車などの部品から自作して作ったものらしいです。村人が農作業の際に時間を見ることができるように、3面に時計が付いています。

>結構少しずつ違う情報が出回っていますが、ニッポン旅マガジンの「野良時計」の記事を参照させていただきました。

120年余り動いていたのですが、平成16年(2004年)にお孫さんの畠中秀雄さんが亡くなると止まってしまったという話は、まるで「おじいさんの古時計」ですね。その後は動かせる人が常時はいないので、時々動かされているそうです。(参考:Web高知「野良時計」

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さらに進むとノコギリ屋根の工場もありました。

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このあたりから土居廓中(かちゅう)と呼ばれる武家屋敷の町並みに入ります。
江戸時代の町割を留め、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
戦国時代につくられた安芸城の周辺に、江戸時代、土佐藩家老の五藤家により町並みが整備されました。

→参考:安芸市HP「安芸市土居廓中伝統的建造物群保存地区」

上の写真は寺村家住宅長屋門ですが、戦時迷彩が残っているようです。
同じ屋敷の蔵にも戦時迷彩らしきものがありました。
明治半ばに寺村家は医院を開院し、現在の建物はその時に建てられたもので、長屋門は患者の入院施設として使われたそうです。

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土居廓中の特徴はこの生け垣です。
ドヨウダケ、ウバメガシ、ナギなどが使われ、石を並べて側溝が作られています。

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その土居廓中で一軒、江戸末期の武家住宅である野村家住宅が無料公開されています。
畑のある庭に向かって開放的なつくりになっています。

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とそんな江戸時代の住宅ですが、江戸時代の便所とともに、近代に作られた便所もあります。
ここに興味をひかれました。窓ガラスが小紋ガラスです。

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便所は扉が閉まっていたのですが、内装が気になって、「開けて良いですか?」と確認して開けさせてもらいました。
そこに染付の小便器と大便器があったのにびっくり。大きなアシダカグモが2匹いたのにも怯みましたが。
大便器の写真は汚れがあるので自粛します。

私はすごいと興奮していたのですが、案内されている方は、「これは新しいよ」(江戸時代のものに比べたら)という反応でした。

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そのまま歩いていくとお堀があって、安芸城跡がありました。
そんなに高くも、広くもなくて、ちょっと古墳みたいな雰囲気です。

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城の中に入ると、五藤家安芸屋敷があります。
これは明治になって取り壊された後、明治20〜30年代に建てられたものという解説板がありました。

このほか、城内には歴史民俗資料館、書道美術館などがあります。
歴史民俗資料館で気になったのは、天体望遠鏡やプラネタリウムを製造する五藤光学研究所の創業者・五藤齊三氏がここの生まれということです。
何かものづくりの気風があるのでしょうか。

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安芸城跡の詰からの眺め。手を伸ばして撮りましたが。
眼下に土居廓中が広がり、遠くにビニールハウス、そして海が見えます。

今はすっかり郊外になってしまいましたが、城下町だったころの様子が少し伺えます。

<関連記事>
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2024年3月 3日 (日)

四国みぎした旅行(19)極彩色の5月(高知県芸西村・安芸市他)

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2023年GWの高知旅行、「白と黒の和食」の続きです。
前回、芸西村和食(わじき)のことを書きましたが、その中で触れなかったことがあります。
それがこの旗です。

撮影日:2023年5月3日

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拡大してみましょう。
鬼退治後、宝物を得て凱旋する桃太郎が描かれています。
遠くには富士山でしょうか。

鯉のぼりとともに掲げられているので、しかも時期が5月初めなので、端午の節句の飾りであることが分かります。
しかも家紋や男の子の名前が書かれています(プライバシー保護の観点から、今回の写真では判別できる名前は消しました)。

岩崎彌太郎生家のボランティアガイドさんに教えていただいた話では、これは「フラフ」と呼ばれ、男の子が生まれると親族から贈られるものだそうです。語源は英語の「フラッグ」またはオランダ語の「フラハ」、つまり「旗」です。大漁旗をイメージされていて、高知県東部の風習だそうです。ちなみに西部は幟だとか。

(参考)高知市HP「フラフ(土佐の手づくり工芸品)」

 かなり手間のかかる製造工程ですね。

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この図案は京の五条の橋の上での、牛若丸と弁慶の戦い。

気付くと気になるもので、姿が見えると記録したくなります。風が一定していないと撮るのが難しいですが。
昔はもっとたくさん上がっていたらしいです。

高知の青空に映えて鮮やかです。鯉のぼりを圧倒する主役感がありますね。

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こちらも図案は違いますが、五条大橋での牛若丸と弁慶の戦いです。

ここまでは芸西村のもの。

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ここから安芸市です。

撮影日:2023年5月2日

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龍になろうとする巨鯉をつかむ金太郎の図案です。

富士山と海はお約束みたいですね。

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馬に乗る若武者?兜はかぶってないようですし、竹をムチにしています。何の場面なんでしょう。

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こちらは風が吹かなくて図案が確認できませんが、2つ並んでいました。

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これは主従の武者が描かれています。
何の場面でしょう。

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撮影日:2023年5月3日

このフラフのデザインは、高知市のはりまや橋の商店街でも使われていました。
その元ネタが分からなければ、理解できないところです。

2022年も同時期に旅行したのに記憶にないのはどういうことでしょう。

5月初めだから見られる高知らしい極彩色の風景です。

<関連記事>
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