新潟なつ歩き(16)宿根木へのサイクリング
「新潟なつ歩き(15)佐和田から小木へ」の続きです。
佐渡島南岸の小木に到着した後、小木の探訪は後回しにして、まず宿根木を目指しました。
小木も宿根木もかつて栄えた港町です。
宿根木は中世以来、小木は近世から明治まで、佐渡の金銀の積出と北前船で栄えました。
宿根木は歩いて行くにはやや遠く、バスの本数も少ないので、南佐渡観光案内所のレンタサイクルを利用しました。
ご覧の通り、電動アシスト自転車。数日後に値下げしたようですが、この時は2時間600円、以後1時間200円でした。
おまけに観光案内所で手荷物も預かっていただけました。
すぐ前がバス停なので非常に便利です。
<佐渡国小木民俗博物館のジオラマ>
今回、電動アシスト自転車で助かりました。
というのは、このあたりは台地が海まで迫っているんです。
手前の入り江が小木で、蛍光灯が映り込んでいるあたりが宿根木(分かりにくくてすみません)。台地をまたいでいくことになります。
出発してすぐに坂道を快調に駆け上がります。
登り切って、小木漁港を見下ろしたところです。
模型屋さんでしょうか。
どなたもおられませんが、塔の模型を製作中でした。
道は整備されていて、谷をまたいで走っています。
谷を見下ろすと谷に潜むように元小木の集落があります。
風を避けているんでしょうか。
台地に上がってしまえば、それほど起伏はありません。
道ばたにはお地蔵さん。遠くに見えるのは巨大な幸福地蔵さんです。
そこまで寄り道する時間はないので通過します。
洞窟などもあって気にはなったのですが。
水田の向こうに水平線が見えて、この季節はとてものどかです。
やがて大きな建物が見えてきました。
大きな扉が半ば開いていて船の姿が見えます。
ここは佐渡国小木民俗博物館の千石船展示館です。
(入館料は500円)
大きいでしょう。
平成10年に実物大で復元された512石積の白山丸です。
全長は24m。かつて、このような船が宿根木で建造されていました。
ちなみに大阪の「なにわの海の時空館」にある復元された菱垣廻船は全長30mだそうです。
中に入ることもできるんです。
引っ越し前の部屋と同じで、荷物がないと分かりにくい面はありますが、船内にいる感覚を体感することができます。この下にもう一層あります。
ところで、佐渡国小木民俗博物館の本館はこんな建物です。
実は大正9年に建てられた宿根木小学校の木造校舎を利用しています。
開館は意外に古くて昭和47年。民俗学者・宮本常一の提案で実現した博物館だそうです。
外観は小学校そのもの。
玄関の柱の礎石には柔らかそうな石が使われていました。
展示室にも収まりきらないぐらい、石臼がたくさん収蔵されています。佐渡は石臼の産地で、大正時代まで北海道に送られていたそうです。
資料によると、
「相川金銀山の開発によって、鉱石搗砕用の石磨(うす)をはじめ、多種多様な石製品が必要となり、播磨地方から石工が来島し、新しい石切場を開いた。佐渡では、鉱石用上磨・下磨、奉行所や寺社の石垣石や土台石、地蔵、粉挽き臼等製品ごとに石材の使い分けが行われ、それぞれの石切場群が存在する全国的にも希少な地域である。相川には石工専業の町が存在したほか、椿尾や小泊などの石工の村も出現した。」(新潟県・佐渡市『世界遺産暫定一覧表記載資産候補提案書「金と銀の島、佐渡 ―鉱山とその文化―」継続審議案件の検討状況報告』より、平成19年)
また、「佐渡には近世の石造物が数多く現存し、良質な石材を提供する石切場が島内各地に分布している。片辺や吹上といった 外海府海岸沿いの石切場では、主に鉱石粉成用の石臼の石材が切り出された。一方真野湾岸の小泊・椿尾一帯では、墓石や穀物用石臼の石材が産出された。」とも記載されています。
小泊・椿尾は半島の反対側です。
ここでも鉱山から派生した産業が生まれているんですね。
館内に入ると、廊下も小学校の廊下のままです。
ほとんどの教室はぎっしり生活用具などの展示品で埋まっていますが、一室だけ教室として保存されている部屋がありました。こういう配慮はありがたいですね。
裏には新館もあり、佐渡の漁労用具、船大工用具、農具などが展示されています。
ジオラマなどもあって、かつての南佐渡の生活を知るには役立ちます。
より大きな地図で 佐渡 を表示
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