青島旅行記のつづきです。
八大関を歩き回ったあと、歩き疲れたので東海国際大厦発の214路(系統)のバスに乗りました。終点の雲南路はどこか分からなかったんですが、途中の地名で西に行くことは分かったので深く考えずに乗り込みました。
ここで困ったのがバス料金が分からないこと。
とりあえず乗り込んで他の人が払うのを見よう、と思ったのですが、みなICカードで支払うので分からない・・・。
バスはそう混むこともありません。八大関をひとめぐり、海沿いの道を走り、江蘇路から弧を描くように上海路、小港をへて、結局、青島駅の裏手(西側)にある雲南路に到着しました。ここならホテルから徒歩圏です。
結局、到着すると女性運転手はさっさと出ていってしまうし、適当に払ってバスを降りました。
青島駅はオリンピックに向けて大改修中(この日は5月25日)。上の写真がそうです。
随分大がかりやなあと感心して工事中の写真を撮っていると、地元のおばさんに声を掛けられました。この方、青島駅の拡張工事で立ち退きさせられた方で、工事中の写真を撮っている私も同じ境遇と思われたようです。「せっかく持ち家だったのに移転させられて・・・」とご不満そうでした。
旅行者なんですというと、中山公園と小青島公園を勧めてくださいました。理由は「タダだから」。高い公園料金にやはり市民は不満のようです。時間があったら行くのですが、残りは半日です。「案内しましょうか」ともおっしゃってくださいましたが、お礼を言って辞退しました。
行きたいところは線路の向こう側です。
幸い、この場所に鉄道をくぐる地下通路がありました。
通路の両側は小商店街になっています。
線路の東側の通りを歩いていると、お茶屋さんがありました。
青島東泰茶葉有限公司という名前です。
品揃えの半分は地元の嶗山茶、後の半分は鉄観音、ジャスミン茶、龍井茶など全国ブランド。嶗山というのは青島の東にある観光地です。中国の茶産地としてはかなり北の方。もしかしたら青島の霧が茶に良いのかも。嶗山茶の2番目ぐらいのを買いました。50gで36元(540円)。
新しい青島駅の駅舎はほぼ完成しているようでした。
やはりドイツ風で、かなり長い建物。駅前のホテルも建設中です。
それにしても霧がひどい。全景が分かりません。
東に向かうと、湖北路にある青島市公安局が霧の向こうに見えてきました。もとは警察署と地方裁判所の建物です。時計塔の目立つ変わった建物。ネオ・ニュルンベルグ派とのこと。1904年から1905年にかけて建てられました。この街区は六角形をしていて、いかにも重要な場所という印象を受けます。警察署以前は清軍の兵営があったそうです。
河南路と中山路には古い銀行の建物がたくさんあります。
河南路にあるこの建物、右は旧中国実業銀行、大きなアーチのある真ん中は旧青島銀行同業公会、左は旧金城銀行です。青島銀行同業公会とは、1931年に中国系8銀行で成立した同業組織だそうです。1932年に青島市政府は第四公園の土地を売却することを決め、中国系7銀行が共同でこの土地を買い取りました。当時館淘路にあった外国金融区に対抗するため、1934年に中国金融区として中国系7銀行と銀行公会が集まり、青島のウォール街と呼ばれました。それがこのブロックです。
そのまま中山路側に出ました。
中山路は古い繁華街です。
ここには旧大陸銀行があります。右隣は先ほどの旧金城銀行です。大陸銀行も1934年に建設されました。設計者は中国人の羅邦傑、施工は新慎記営造廠です。角を正面として階段状に高くなる装飾がありますが、全体にシンプルなデザインです。
ちなみに大陸銀行は1919年に天津で設立された銀行で、青島には1923年、最初は天津路に進出したそうです。青島支店は預金・信託・外貨兌換・貸付など商業銀行の一切の機能を持っていました。
さらに大陸銀行の左に旧上海商業貯蓄銀行(1934年)、旧山左銀行(1934年)、旧中国銀行(1932年)と並んでいます。上海商業貯蓄銀行は中低所得者を顧客としていたので、お客さんが入りやすいようにものものしい入り口は避けたそうです(一方で外国大企業の預金獲得にも頑張ったようですが)。左端の旧中国銀行だけ3階建てなのは、当時の建築規制によります。設計者は中国人の陸謙受・呉景奇です。中国銀行青島支店はこう見えて、1936年の預金額第一位の銀行で、貨幣も発行していました。
同じく中山路にある旧大清銀行(のちの中国銀行)青島支店。今は中信銀行。こちらはもっと古くて、ドイツ時代の1906年から1909年にかけて建設されました。イオニア式石柱、メダリオン、軒蛇腹など装飾はいろいろ付いていますが、小ぶりなので親しみやすい感じがします。
大清銀行青島支店は、関税の一部代収と、公金の出し入れをしていました。大清銀行の消滅後、1928年には預金・貸出・為替業務を主とする義聚合銭荘がここに開業し、1938年には華北臨時政府の中央銀行青島支店となり、戦後、中央銀行に接収されました。
同じく中山路の旧交通銀行です。今は中国建設銀行になっています。コリント式の列柱が6本並ぶ、いかにも銀行建築という建物。1929年から1931年にかけて建設されました。設計者は庄俊で、中国で最も早期の建築留学生かつ中国建築師学会の創始者・会長だった人だそうです。
交通銀行は紙幣を発行し、膠済鉄道のお金を収納し、一般の預金・貸付業務も行いました。
中山路には中国電影院(旧山東大戯院)という古い映画館もあります。
青島では映画は最初、ホテルの音楽ホールなどで上映されていましたが、専門の映画館として1921年、中山路に福禄寿電影院、1931年にこの山東大戯院がオープンしました。山東大戯院は中国資本、上海の建築家による設計の映画館で、750〜800席あり、主に国産映画を上映しました。京劇やスペイン歌舞団、上海女子歌舞団も上演されたそうです。
山東大戯院は1938年、日本人により国際劇場と改称され、日本映画専用の上映館となりました。さらに1945年には青島保安隊に接収され、中国劇院となりました。
劇場の上部の装飾はラジエーターを思わせます。
この写真では見えませんが、突起の間や玄関上の半円部には細かな模様が描き込まれています。
せっかくなので、ここで映画を観ることにします。
現在は3スクリーンあり、「功夫之王」(「ドラゴン・キングダム」)が上映中でした。チケットは25元(375円)です。
上映まで時間があるので周辺を散策しました。
裏手に回ると映画セットのような街並みです。石畳の坂を登ってゆくと、丘の上には霧に霞む双塔の聖ミハエル大教会がそびえ、ぞくぞくするような光景です。
○関連ブログ
ヨウタロウさんの中国・青島@建築探訪記「チンタオの天主教堂」
こちらは博山路3号にある旧天主堂医院です。1907年に建設されました。ここでいう天主堂はカトリックの教会ですが、聖ミハエル大教会が完成するのは1934年なので、それより前のものです。
この医院は中国人向けのもので、修道女によって担われました。医薬品はドイツから輸入し、経費は主に教会が出して、医院は無料で診療を行っていたそうです。
坂のある街はいいものです。
街中でも生活感があります。
さて「功夫之王」(ドラゴン・キングダム)は、ジャッキー・チェン、リー・リンチェイ、アメリカ人の少年が主演のカンフー映画です。アメリカ映画なんですが、ジャッキー・チェンが酔拳を披露したり、リー・リンチェイが僧の姿で登場したり、カンフー映画に対する愛を感じます。神話時代の中国にタイムスリップしたアメリカ人の少年が、ジャッキー・チェンらの助けを借りながらカンフーの腕を磨き、悪逆非道を尽くす将軍のもとに乗り込んでいくという、分かりやすい映画でした。
しかし、それにしても・・・
観客が私1人だったんです。上映期間の最後だったのかもしれませんけど、そんなので大丈夫かと思いました。第3スクリーンは全席ペアシートで営業努力は感じましたが。
夜に入ってもまだ霧。
街灯がにじむ幻想的な道をホテルまで歩いて帰りました。
○参考資料
竇世強・李明『画説 青島老建築』、2004年、青島出版社
魯海『老楼故事』、2003年、青島出版社
魯海『老街故事』、2003年、青島出版社
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