以前から訪ねようと思っていた奈良市の菖蒲池を訪ねました。
ただし、あやめ池遊園地のあった駅北側を回る時間は今回なくて、南側のみです。
ぷにょさんのブログ「まちかど逍遙」の記事「あやめ池温泉とパレス温泉」を参考にさせていただきました。
あやめ池遊園地のあった頃は何度か連れて行ってもらったのですが、その頃の面影はなく、2004年の閉園後にこういうすっきりした駅前になっています。
※クリックすると拡大します
駅前の地図で確認します。
上があやめ池遊園地の跡。
東洋民俗博物館(昭和3年)も今度行ってみたいところ。
駅の南にも池があって蛙股池と言います。
こちらが今回の目的地。
どちらの池も、元々は東向きの谷を堰き止めたため池のようで、周辺はアップダウンの多い、複雑な地形です。
菖蒲池駅の南側には線路をくぐって渡ります。
大阪方面に帰るには必然的に通るはずですが、記憶にありません。
駅前脇にはレトロな建物が並んでいます。
※クリックすると拡大します <筆者蔵>
さて、今回訪ねた一番の目的というのは、この建物の跡を確認するためです。
村野藤吾がごく初期に設計監修したという菖蒲池温泉場(昭和4年)です。
ドイツ風の魅力的な建物。どの程度関わったかよく分からないとのことなのですが・・・
※クリックすると拡大します <筆者蔵>
内部の様子もあります。
遊戯室です。上の写真でいうと左側の建物の1階部分だそうです。
ぼんぼり状のシャンデリアが面白いです。
話が飛ぶのですが、この周辺を一通り歩いた後、昼ごはんを食べようと寿司屋の「うおよね(魚米)」さんに入りました。ここで大きな出会いがあったんです。ご主人に絵葉書をお見せしたところ、懐かしんでいただいて、エピソードが次々と。資料もいろいろと見せていただきました。
寿司屋さんをされているのはここ20年ほどで、80年ほど前から魚屋をされていたそうなんです。
菖蒲池温泉場についてもよくご存じで、というのは父親に付いて、温泉場に入っていたホテルに魚を届けていたから。
上の写真で、左側の建物の1階が遊戯室、ご主人の記憶ではダンスホール(どちらが時代的に先なのかは未確認)。2階が映画館でした。
右側の建物に男湯・女湯の大浴場があって、右に大軌経営のホテルが入っていたそうです。
また、魚屋さんなので、あやめ池遊園地にアシカのエサとなる魚も届けていたそうです。
子ども時代の遊び場でもあったので、どこに何があったか記憶が鮮明で、記憶をもとに小さな紙にスケッチをたくさん描かれています。これはすごいです。全部で13枚あります。
※クリックすると拡大します
一通り撮らせていただいたのですが、例えば、駅から菖蒲池温泉場の周辺の様子。
どんな木が植わっていたかまで記憶されています。
うおよねさんの向かいには射的場があったと教えていただきました。
菖蒲池の新地は賑やかで、髪結いの人などもいたそうです。駅北には市川右太衛門が設立した全勝キネマ撮影所があり、映画関係者が出入りし、セルロイド職人などもおられたとか。撮影所は火災で焼失したそうなのですが。
※クリックすると拡大します
またあやめ池の遊園地内。
猿山、ゾウ舎、大劇場、プールから植生まで、こちらも詳細に描かれています。
新聞の切り抜きやあやめ池遊園地が閉園したときの記念パンフレット、参考書(『奈良町風土記 続編』(山田熊夫著))などまで見せていただきました。
最後に名刺をいただいて、聴きたいことがあったらまた尋ねてくださいとのことでしたので、改めてお話を伺いに行きたいなと思っています。
さて、うおよねさんに行く前の話に戻ります。
菖蒲池温泉場の跡地はマンションになっていて、当時の様子をしのぶのは難しいです。
菖蒲池温泉場の建物は、戦後、OSK歌劇団の学校として使われていたそうです。
マンションが建てられたのは37年前。
その手前に新地の跡があります。
この通りの両側に旅館が建ち並んでいました。
※クリックすると拡大します
この建物はご主人によると旅館「紀の庄(きのしょう)」の建物だったそうで、医院がそのまま使っています。
2階部分に照明が並んでいます。
新地だったところも見に行きました。
これは新地時代の建物ではないと思いますが、玄関周りをタイルで埋め尽くしているのが新地っぽいなあと思います。
こういう古い長屋も残っています。
ひさしにむくりがあるのがしゃれていて良いです。
今回はうおよねのご主人との出会いがあったおかげで、思いがけず収穫の多い探訪となりました。
昼ごはんも1軒目のピザ屋さんは満員、2軒目のうどん屋さんは定休日で、たまたまここになったので、これも縁ですね。
忘れられないうちに、ぜひまた訪ねてみたいと思います。
最近のコメント