八幡公園と擬木(滋賀県近江八幡市)
今年BIWAKOビエンナーレが開催されたのを機会に、前にどなたかの投稿で気になっていた八幡公園に行ってきました。
近江八幡の市街と琵琶湖の間にある八幡山の東麓にある古い公園です。
公園の入り口には自然石を利用した公園標示がありました。
訪問日:2020年11月8日
裏面には土に埋もれて全部は見えませんが、「昭和5年 花」の文字が見えます。
この公園は、昭和天皇の御大典記念事業として計画され(昭和3年に八幡町議会で公園設置を決議)、昭和5年に1.5haが完工しました。
その後、数度の拡幅を経て、現在は総面積4.76haとなっています。
なぜこの場所に公園ができたかというと、こちら。
羽柴秀次の館跡及び家臣団の館跡があるためです。
山頂に城郭があったとのことです。
城が築かれたのは1585年ですが、1590年に秀次は尾張清洲に移り、秀次が謀反の疑いをかけられ高野山で自刃させられた1595年には廃城させられています。わずか10年。
公園内には羽柴秀次の銅像(昭和54年)も建てられています。
全体の配置はこのようになっています。
公園は棚田状に造成されていて、秀次・家臣団の館跡と隣接しています。
他にも史跡はいろいろあって、公園を登っていくと石碑が並んでいます。右が高田義甫(よしなみ)、左が宮田義昌(初代蒲生郡長)の記念碑です。
高田義甫は江戸時代には勤王派として活動し、明治に入ってからは法律相談所を開設したり、水産会社の会長をしたり、新聞社や銀行を設立したりした方だそうです。この碑は没後の明治27年に帝国水産株式会社によって立てられています。
こちらは西村太郎右衛門供養塔。
慶長8年(1603年)近江八幡に生まれた商人で、20歳の時に朱印船に乗って安南(ベトナム)に向かい25年。鎖国になったため、国に戻ることができず、安南で没したそうです。この供養塔は太郎右衛門の兄が弟を偲んで屋敷内に建てたものです。その後、公園内に移築されました。
こういうお社もあります。
杉春稲荷大明神と書かれています。
公園の東の端にはちょっとした段の奥に2つの蔵が並んでいます。
ここは公園の案内では、北脇邸跡と書かれています。
北脇家というのはどういう家かと調べてみると、住友鉱山の近代化に功績のあった広瀬宰平の生家のようです。ただし、元は八夫村(現在の野洲市)にあり、北脇本家は明治32年頃にこの八幡山麓に移ってきたそうです。
公園内には東屋が何ヵ所かあり、公園内だけでなく、近江八幡の市街が眺められるようになっています。
公園内で標石以外に公園当初のものを確認できなかったのですが、この公園で気になったのが(最近気になっている)擬木です。
これは新しいタイプの擬木ベンチ。あちこちに擬木が使われています。
こちらは輪切りにした擬木をテーブルと椅子にしたもの。
こちらも写真では分かりにくいかもしれませんが、角材風の擬木ベンチです。
こちらは丸太風の擬木の柵。
これはよく見かける気がします。
このテーブルなどは普通にコンクリートのテーブルじゃないの?と思いますが。
よく見ると年輪が入っていて板材・角材の擬木です。
このひょうたん池も周りは石ですが、橋は木橋風の擬木です。
昭和61年竣工の「きぼうのはし」と書かれています。
公園からは八幡山に登る登山道が伸びています。
その階段の土留めがまた擬木です。
5本セットのユニットになっているようです。
と擬木に注目してみましたが、上の方に上がれば、近江八幡市街を望める眺めの良い公園です。
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