カテゴリー「日常旅行(兵庫)」の記事

2026年4月 8日 (水)

武庫川取水場(兵庫県西宮市)

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越水浄水場を訪ねる前、たまたま武庫川取水場に出会ったことがあったので紹介します。
武庫川取水場は越水浄水場から東に直線で3.5kmほどのところにあります。武庫川から直接取水している訳ではなく、新堀川沿いの旧瓦木村の菰池から伏流水を取水して、越水浄水場に送っていました。取水開始は大正12年7月のことです。昭和11年11月の第一次拡張では出水池に集水井を設置して施設能力を拡充しました(参考:西宮市HP「水道施設の概要」)どの部分が菰池でどの部分が出水池なのか、私にはわかりません。

集水井というのがどんなものか調べてみると、鉛直に掘った井戸から放射状に水平に集水管を伸ばし、伏流水を効率的に集める仕組みのものらしいですね。

(訪問日:2023年4月16日)

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武庫川取水場はフェンスに囲まれていて入ることはできませんが、新しいフェンスは内部がよく見えるようになっていて、外から見学できるようにしているのかなと感じられました。敷地が細長いので間近に見られます。
こちらの取水塔はニテコ池の取水塔にも通じる所のあるデザインです。

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取水塔の前の管理用の橋はコンクリート製です。
橋の欄干にも丸窓。

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取水塔の反対側。丸窓がアクセントになっています。建物自体にも丸っこさがあります。

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今は水がありませんが、池になっていたようです。
右に丸い筒状のものが見えます。

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池の左側。地下に水槽があるのでしょうか。

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取水場のメインの建物。
昭和11年の建物らしい。両端に丸窓が付くなど、取水塔と共通したデザインがあります。

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建物正面にある低い塀?もデザインが入っています。

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取水場は松並公園に隣接していて、公園側からもこの建物を見ることができます。
裏側(西側)は非常に窓の多いデザインです。

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建物の北側に記念碑が見えます。
角度と距離があって読みにくいのですが、「上水道擴張工事 竣工記念碑 昭和拾壱年○○月 西宮市」と右から書いているように思われます。
昭和11年に第1次拡張工事が行われた時の記念碑かと思います。

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その北にはクアトロフォイル型の池。
デザイン的に古いものではないかと思います。

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手前にも井戸らしきものがありました。

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取り外されたドア。
丸窓がはまっています。

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こちらは敷地の北の方です。ドーム屋根に丸窓という共通するデザインが使われています。

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取水場境界の低い塀はデザインが入って、古いものに思われます。

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こちらは塀が続いている区間です。

このように昭和11年の改修時のデザインが多く継続しているように見えました。
非公開ながら、見通しの良い塀や柵に囲まれているので、見学はしやすい施設だと思います。

<関連記事>
 「越水浄水場・桜の通り抜けで遺構見学」
 「越水浄水場の外にある遺構」
 「水道施設だったニテコ池」
 「武庫川取水場」 この記事

 

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2026年4月 6日 (月)

水道施設だったニテコ池(兵庫県西宮市)

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前回、前々回取り上げた越水浄水場に関連するニテコ池のお話です。

苦楽園駅から越水浄水場を目指すと、小さな尾根を越え、池の畔は通ることになります。
この池がニテコ池です。江戸時代から谷を堰き止めたため池だったようで(採土場の跡という話も)、上中下の3段に分かれています。
明治期の地図を見ても今とほとんど形は変わっていないように見えますので、そのまま利用したのでしょう。

武庫川水源地からの水を補完する目的で利用され、大正13年の越水浄水場2期工事において、水分川と剣崎谷の表流水をニテコ池に貯めての浄水が開始されたそうです。(参考:西宮市HP「水道施設の概要」

(訪問日:2023年6月3日(下池)、2024年3月31日(上池・中池))

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まずは上池から。
丸いコンクリートの筒が水面ぎりぎりに顔を出しています。
それと下流側の堰堤に管理用の橋が突き出しているのが見られるぐらいです。

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もう少し近づいてみると、曲弦ワーレントラスというのか、美しいトラスの通路になっています。
このサイズで構造的にそんな凝ったことする必要があるのかと思いますが。
先端にはハンドルが付いていますので、ここで池の水を調整できるのでしょうか。

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ここから上流側を見ると、甲山が見えます。
この甲山を借景とする眺めがニテコ池を特色づける景観になっているそうです。

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次に中池です。ここには目立つ構造物が2つあります。

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一つにはかわいらしい取水塔です。管理用の橋はさっきと同じタイプのアーチ。
丸い筒状の建物に丸い窓、ドーム状の屋根と丸が多用されています。昭和11年(1936年)に最初に作られたそうなのですが、見た感じは新しい。それもそのはず、阪神淡路大震災(平成7年(1995年))で壊れ、平成8年(1996年)に全く同じ形に復元されたのだそうです。

ただ取水自体は平成19年度(2007年度)で終了しています。

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もう一つは下流側にあるこの施設です。
同様のトラス構造をしていて、同じく水量調整のための施設なのでしょうか。

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続いて下池です。
ここから急にお天気になるのは、2023年の写真だから。
下池の下流側堰堤上は車道になっています。木々も多くて、上池・中池とはちょっと違った雰囲気。

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ここには丸い屋根の施設が下流側にあります。
中池の取水塔をぐっと細く、シンプルにしたような、でも共通性も感じられるデザインです。
管理用の橋もアーチがなくてずっとシンプルです。

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下池は細長い形をしています。

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丸い屋根越しに、中池の取水塔や甲山が見えます。
こうしてみると丸い屋根も甲山に合わせていると見えなくもありません。

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下池の東端には溢れた水を流す水路が作られています。

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下流側から見るとこんな風になっています。古くは感じません。
堰堤も阪神淡路大震災で崩れたそうなので、その時に改修されたのでしょうか。

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下池の堰堤の下はすぐ水田になっていました。
上水道の取水をしなくなったニテコ池は、江戸時代のため池に戻ったとも言えそうです。
西宮の上水道の歴史を伝える、眺めの良い散歩道としても親しまれているようです。

<関連記事>
 「越水浄水場・桜の通り抜けで遺構見学」
 「越水浄水場の外にある遺構」
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2026年4月 2日 (木)

越水浄水場の外にある遺構(兵庫県西宮市)

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前回は越水浄水場の普段非公開のエリアについて記事にしましたが、今回はいつでも見られる公開エリアについてです。
まず入り口から。貯水池のニテコ池を背にしています。

緩やかな上り坂が、越水浄水場の中心へと続いています。
右側は低い谷で、西宮震災記念碑公園となっています。

左側は高くなっています。さらに左には、明治45年に開かれた満池谷(まんちだに)墓地があります。

西宮市HP@「【満池谷】越水浄水場の竣工」に鳥瞰図が出ているので、それを見ながらだとわかりやすいと思います。

(訪問日:2024年3月31日、一部2023年6月3日)

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まずは西宮震災記念碑公園となっている谷の方から。
階段を降りたところに気にあるものがあります。

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これです。小さな水場です。

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浄水場の構内で見たのと同じ、西宮市章入りの銅製酒樽型吐水口があります。

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その横には慰霊碑。いつ頃のものかはわかりませんが、鳥瞰図に出ています。
(同じものではないかも)

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前回見下ろした噴水跡が間近に見られます。
ただし入れません。柵の間から見られるということです。

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反対側の階段。この先は住宅地です。

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公園は大部分グラウンドになっています。
ここもかつては浄水場関連の敷地だったようです。
左奥がニテコ池です。

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公園の中には「阪神淡路大震災 西宮市 犠牲者追悼の碑」があります。
西宮市内の犠牲者の方のお名前が刻まれています。
公園名の由来はこれですね。

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公園にはまた「小説火垂るの墓 誕生の地」という2020年に建った記念碑もあります。
野坂昭如氏が疎開した親戚の家が満池谷にあったということです。

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古そうにも見える階段。
スタート地点に戻って、今度は左の山側を歩いてみます。

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今は空き地になっているこの場所も、鳥瞰図を見るとかつては公舎などが建っていたようです。

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丸い花壇。かつては木が植っていたのでしょうか。

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左側の土地は段々になっていて、階段で結ばれています。
この階段も古そう。

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公園との境界の柵はスリットが入っています。
古そうにも見えるデザインです。

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左側の敷地の最上段には石垣とコンクリートの柵に囲まれた土地があります。

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屋根のかかった門柱。
この先には今は何もありませんが、鳥瞰図では神社が描かれています。
水神社があったらしいです。

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手水鉢の遺構がありました。

公開エリアでもこれだけのものが見られますので、桜の通り抜けに訪れるなら、こちらも見ていただけたらと思います。
時期が合わなければ、こちらだけでもいいですけどね。

<関連記事>
 「越水浄水場・桜の通り抜けで遺構見学」
 「越水浄水場の外にある遺構」 この記事
 「水道施設だったニテコ池」
 「武庫川取水場」 

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2026年3月29日 (日)

越水浄水場・桜の通り抜けで遺構見学(西宮市)

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2024年の春、西宮市の越水浄水場で開催されていた桜の通り抜けを見学しました。

昭和23年から開催されている恒例の行事です。
2026年(令和8年)は4/1(水)〜4/12(日)までの開催で、
平日は10:00〜16:30、土日は9:00〜17:00です。
詳しくはこちら↓
西宮市HP「越水浄水場一般開放(桜の通り抜け)について」

越水浄水場が開設されたのは大正13年のこと。
西宮市HP「【満池谷】越水浄水場の竣工」に当時の写真なども含めて紹介されています。
水源は、当時瓦木村の武庫川水源地(現在は松並町の武庫川取水場)で武庫川の伏流水が取水されて送られるとともに、それを補うため夙川からも取水されていました。

桜については、大正13年、水道創設記念で浄水場からニテコ池にかけて100本余りが植えられたのが最初です。
その後、昭和7年、第2浄水場の完成を機に増植。昭和29年から30年にかけて、水道創設30周年記念として、桜の研究家・笹部新太郎氏の指導で武田尾などの演習林から山桜、里桜、彼岸桜など苗木260本余りが植えられたそうです。(浄水場内の看板より)
なので桜も一斉に咲くのではなくて順に咲いていくようです。

と言いながら、私としては目的は桜よりも遺構です。
この後、紹介するように構内にはいくつか大正13年来の浄水場の土木遺産が見られます。
実は構外にも遺構はあって、それはいつでも見られるものなので別記事とします。→こちら

越水浄水場の最寄りは阪急甲陽線の苦楽園口駅です。
有名な桜の名所の夙川を越え、貯水池であるニテコ池などを見ながらなので、見どころの多い道です。

(訪問日:2024年3月31日)

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門をくぐって最初に見えるのはこの眺め。
外から見えて気になっていたものに近付けます。

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まずはこの石碑。「紀徳碑」(大正13年)です。

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ありがたいことに下に解説が書かれていて、碑文が読み下されています。
要約すると、宮水で有名な西宮の地下水はその取水可能な範囲が限られる上、冬場の酒造シーズンになると一斉に汲み上げられて水が不足する状況だったそうです。そこで実業家の辰馬吉左衛門(白鹿)が50万円、八馬兼介が30万円を寄付して水道が整備されたことを記念しています。

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西宮市HP「【満池谷】越水浄水場の竣工」には越水浄水場の鳥瞰図が出ていて、そこには現在空き地になっている場所にも建物が建っていたことがわかります。このような階段も建物につながっていたものなのでしょう。

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こちらも階段と柵。

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谷を見下ろすと噴水の遺構が見えます。このエリアに入ることはできません。
黒い柵の向こうは、いつでも入れる西宮震災記念碑公園です。かつてはニテコ池までつながる水道施設内でした。

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さらに進むと空堀のようなものに囲まれた配水池があります。
残念ながら配水池を飾っていた装飾は今はありません。
ただ柵や擁壁などはあります。

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一部、変わった作りの階段がありました。
位置的に今はなくなった噴水がある直線上だと思われ、水が流れていたのかもと思う形です。

 

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浄水場内の眺め。桜のピークを外していて、人は少なめでした。
写真は撮りやすいけど。

造幣局の通り抜けのように人の波に乗って一方向に進まざるをえないといったことはなくて、通り抜けだけど回遊できます。通り抜けることもできます。

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メインの通路から左に折れた正面にもう一つの見どころがあります。

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一段高くなったところに登る階段と、その中央にある壁泉です。

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もう少し近付いてみます。
吐水口からの水を半円の皿で受けています。

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この吐水口、酒樽の形をしているんですよ。
おまけに西宮市の市章(大正15年制定)が入っています。

この形は敷地外にもう一つあります。

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階段の上には池のあるエリアがあって、庭園だったようです。

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池を別の角度から。

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裏門に続く道。コンクリートの柵があります。
広田神社の方に抜けることができます。

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コンクリートの柵の一部。気になる形です。

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いろんな桜が植っているので、中には満開の桜もありました。

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桜は古いものだけでなく、平成29年に宮城県女川町から寄贈された津波桜なども植っていました。

桜の通り抜けは越水浄水場の構内に入れる限られたイベントですので、この機会に見学はいかがでしょうか?

<関連記事>
 「越水浄水場・桜の通り抜けで遺構見学」 この記事
 「越水浄水場の外にある遺構」
 「水道施設だったニテコ池」
 「武庫川取水場」 

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2026年1月17日 (土)

再度山(神戸市北区)

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再度(ふたたび)公園を訪ねた日の続き、余談です。
前々回に書きましたが、再度公園の中心、修法ヶ池(しおがいけ)の向こうに見える再度山は、明治の中頃までは禿山でした。
それが明治36年から植林事業が始まり、段々畑のように石垣を築いて土砂の流出を防いで、松などを植林したことで現在のような緑の山になっていきました。現在は永久植生保存地として保護されています。

その石垣を見に行きたいと思いました。

訪問日:2024年5月26日

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再度公園から南へ、大龍寺に続く峠道の大師道があります。
これは開発当初の地図にも出ている道です。

このように山を左に谷を右に見る幅の広い道が続いています。

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振り返ったところ。勾配はきつくなく、歩きやすい道です。

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この道から再度山の方を見上げると、谷に石垣が見えます。
これが植林の際に作られた石垣の一部のようです。

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峠まで来たところに山に入っていく道があり、そこに石標がありました。
「神戸市界」「七十七号」と書かれています。
ここから先が神戸市であって、公園所在地は山田村だったようです(ただ、ややこしいのですが、神戸市神戸区がこの辺りの山林を持っていて、それを公園用地として寄付したようです)。

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裏側には「明治三十三年建〜」と書かれています。
植林事業の始まる3年前です。

再度山に入る道から、何人も降りてくる人がいました。

そちらに行けば、石垣がよく観察できるかもと思い、登っていく人についていきました。

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しかし、石垣は森に埋もれてよくわからず、歩いていくとすぐ再度山山頂に着いてしました。

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再度山山頂の少し下からは大阪湾を見渡すことができます。
神戸市街地こそ手前の山に隠れてほとんど見えませんが、ポートアイランドや神戸空港などは見えています。
この日はもやってましたが、空気が澄んでいる日ならかなりいい眺めだと思います。

再度公園に行ったら、再度山に足を伸ばすのも良いと思います。
また先ほどの峠道を降りていくと、布引貯水池を経て新神戸まで出るルートにつながっているようです。

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2026年1月 6日 (火)

再度公園の休憩所(神戸市北区)

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前回に続き、神戸市の六甲山地にある再度(ふたたび)公園の話です。
今回は修法ヶ原(しおがはら)池畔にある休憩所を取り上げます。写真多めに載せたかったので(ここが気に入ったので)別記事にしました。

これは休憩所を正面やや左から撮った写真です。

訪問日:2024年5月26日

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<神戸市「失業応急山地開発再度公園道路新設工事報告」(昭和12年)の付図の一部>

上の写真と見比べてほしいのですが、特徴がほとんど変わっていないことが分かると思います。
例えば、腰壁に石を貼り付けてあるところとか、柱に斜めの補強材が入っているところなどです。

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<神戸市「失業応急山地開発再度公園道路新設工事報告」(昭和12年)の表紙の一部>

さらには報告書の表紙にもこの休憩所が写っています。
注意すべきは、この写真を見る限り、奥の壁はありません。風除けのために後から塞がれたのではないでしょうか。
真ん中に白く四角いものは見えていますが、これは後でそれらしきものを説明します。

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ユニークなのは休憩所が左右非対称で、西側にアール型の突出があることです。
絵図には表現されていないんですが。

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入り口の様子。入り口まで石が敷かれています。
絵図に現れている基礎部分のコンクリートもあります。

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内部の様子。それほど広くはありません。
右側には新そうな石張りの壁があります。ここの造りを覚えておいてください。

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アールの突出部はこのようにぐるっと回るベンチになっています。
外の人と会話したり、池を眺められます。

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屋根の構造。部分的にトラスになっています。

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休憩所の東側から。このあたり、石の貼り方が面白いですね。
遊び心があります。

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問題の裏側。中央にずんぐりした煙突のような部分があります。
思い出してもらうと、内側は壁になっていて、煙突はありません。
報告書表紙に写っていたのは煙突ではないのでしょうか。
元々は火を焚いたりできるようになっていたのかななどと想像しますが、確証はありません。

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そして公園内にはもう一つ、西山の遊歩道上に、休憩所跡らしきものがあります。

「神戸市勢要覧第18回」(昭和13年)の再度公園に関する記載に「山の家風の四阿も森林逍遥路に添って各所に建設されてゐる」と書かれています。これがその痕跡ではないかと思います。

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見ると柱の跡やベンチの付いていた跡のようなものが見られます。

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反対側にも同様のものが観察できます。

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この遺構に続く道には石敷きがあり、今では普通の山道になりつつありますが、おしゃれな逍遥路だった名残が伺えます。

今回は再度公園で気になったポイントについて少し詳しく紹介いたしました。

以前訪ねた公園では枚岡公園の休憩所を思い出します(まだ残っているのかな)。

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2026年1月 4日 (日)

再度公園(神戸市北区)

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今回から数回、兵庫県の近代の公園について紹介します。まずは再度(ふたたび)公園。
六甲山地にある再度公園は、昭和12年に開設された公園です。
公共交通では、三宮から4/1〜11/30の土日祝のみ運行される神戸市営バス25系統・森林植物園前行きで行くことができます。

バス停から森の中を歩いていくと、再度公園の中心である修法ヶ原(しおがはら)池に到着します。
新緑の鮮やかな気持ちの良い日でした。

自然に囲まれた公園ですが、修法ヶ原池は堰堤のある元ため池ですし、向こうに見える再度山はかつて禿山でした。

訪問日:2024年5月26日

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<園内の看板より>

 公園開設以前の明治35年、薪採取のために荒廃していた再度山の北斜面で植林事業が始まりました。
この写真のように石積みをつくって土砂や水の流出を抑えた上で、植林がなされました。
昭和49年(1974年)に、この森の一部が「再度山永久植生保存地」に指定されています。

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また公園以前の歴史として、公園の奥には弘法大師が入唐の前後に修法したとされる場所に大師堂が建てられています。
修法ヶ原池の名前もこれにちなんでいます。

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<公園内案内板>

再度公園のエリアは、公園および再度山永久植生保存地と外国人墓地からなっています。

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堰堤の側から修法ヶ原池を見たところ。
左に見える建物はカフェRE-encounterです。

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松林も後から植林されたものです。
季節が良いので、あちこちでテントやタープを張ってお昼寝している人がおられました。

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売店などもあります。とても便利。

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外国人墓地の方にも来てみました。
墓地自体は墓参者か一般公開(春秋の月1回・抽選)の参加者のみで、一般の人は入れません。
ただ、墓地を見渡せるエリアが公開されていて、ここには誰でも入れます。

見渡せるといっても、木々に埋もれていてよく見えませんが。

外国人墓地は神戸市街にあった小野浜墓地(慶應3年〜)や春日野墓地(明治31年〜)が手狭となっていたため、既に昭和5年からこの地への移転計画があり、昭和12年の再度公園計画にも組み込まれていました。しかし、阪神大水害や戦争によって計画が遅れ、ようやく戦後の昭和27年になって移転が始まったそうです。

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公開エリアには勇士の慰霊塔(大正10年)が建っています。
これは第一次大戦の時に祖国のために出征して戦死した英仏国人19名を慰霊しているそうです。

元々春日野墓地に建てられ、移転してきました。

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公開エリアには礼拝堂があって、ここが意外にも再度公園や外国人墓地に関するビデオやパネル展示がある資料館的な場所になっているんです。
興味のある方は行ってみてください。

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<神戸市「失業応急山地開発再度公園道路新設工事報告」の付図コピー>

ここのビデオで大事な資料の存在を知ることができました。
神戸市「失業応急山地開発再度公園道路新設工事報告」(昭和12年)です。
後日、図書館に資料を閲覧しに行きました。

地図が添付されていて、これが公園の当初の姿を知るのにとても役立つんです。もちろん本文も重要ですが。

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この資料を読んで分かったのが、どうも修法ヶ原池畔にある休憩所が当初の姿を留めているらしいということです。
じっくり紹介したいので、これについては別記事にします。少しお待ちください。

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また地図に出てくるものとして、修法ヶ原池の堰堤を降りていったところにある石の太鼓橋があります。

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ここに出てくる「しあん橋」(思案橋)だと思われます。
開設当初からある橋ということになるのでしょうか。

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それ以外についてはちゃんと特定はできていませんが、堰堤に続く園路の階段なども古いのかなと思います。

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こちらは時期はわかりませんが、公園内の橋です。

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これも公園内の別の橋。

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幅の広い階段。これも古いものかも。

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水路を渡る飛び石。

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修法ヶ原池畔の手水鉢。

地図を見て気づく現状との違いについて、現在は公園の東側を通過する自動車道が元は園内を通っていたこと、西側の園路については砂防工事でルートが変更されていること、北側部分の園路は外国人墓地内に取り込まれていることなどが分かります。もう一度地図を見ながらじっくり現地を歩いたら、もう少し気づくこともあるかもしれません。

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2024年5月 8日 (水)

廃をたどる(兵庫県播磨町)

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2年前になりますが、JR土山駅の近くのギャラリーに伺う機会があり、播磨町が初めてだったので少し歩いてみました。
播磨町ってご存知ですか? 明石市と加古川市に挟まれ、海に面した小さな町です。

JR土山駅の西にゲートがあって、ここから遊歩道が始まっています。
「であいの道」とか「歴史とのであいミュージアムロード」とかいろんな名前が付いていますが、この道はかつて別府(べふ)鉄道土山線が走っていた廃線跡です。

訪問日:2022年3月27日

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遊歩道の脇を見ると線路を柱に「1984年 別府鉄道土山線廃線」と書かれています。
これがなかなか面白い趣向で、歩いていくと歴史を遡ってできごとが記されています。

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遊歩道=廃線跡は緩やかにカーブしながら住宅の間を抜けています。

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廃線跡(遊歩道)をたどっていくと、大中遺跡公園に着きました。
つまり時代を遡って古代に辿り着くわけです。
廃線跡は遺跡跡を突っ切ってまだまだ続きますが、私はここまで。

大中遺跡は昭和37年に播磨中学校の生徒3人が発見したと書かれています。
弥生時代後期を中心とした時代の集落の遺跡です。

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遺跡は集落跡を「跡」のまま見せている部分と、このように建物を復元している部分とがあります。
中に入れるものもあります。

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公園内には兵庫県立考古博物館もあるのですが、そちらは今回パスして、播磨町郷土資料館の方を見に行きました。

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入り口には阿閇(あえ)村道路元標が置いてありました。
当時の阿閇村役場横(本荘2丁目)にあったそうです。

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展示は私に興味深い内容がいろいろと。
こちらは江戸時代の初め、新井用水を開削した今里傳兵衛のコーナー。
逆サイホンの埋樋の模型もあります。

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こちらは江戸時代後期の廻船「栄力丸」の模型。
ユニークなのが漂流にポジティブに注目していることです。
栄力丸の漂流者の一人、ジョセフ・ヒコという人はアメリカ商船に救助され、サンフランシスコに渡ります。これが運命の転機となり、日本人として初めてアメリカの市民権を取得、通訳や貿易商として活躍しました。のちに日本で初めて海外新聞を発行し、高島炭鉱や大阪造幣局の設立にも関わったらしく、播磨町では郷土の偉人として大きく取り上げています。

播磨町HPの紹介ページ「新聞の父・ジョセフ・ヒコ」

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そしてもちろん別府鉄道の紹介コーナーも。
別府鉄道は加古川市別府町にある多木製肥所(現多木化学)が、製造した肥料製品などを官設鉄道まで輸送するために自前で建設した軽便鉄道です。大正10年に西へ向かう野口線が開通しました。続いて大正12年にこの東に向かう土山線が開通しました。
どちらかというと野口線が旅客中心、土山線が貨物中心だったそうです。

展示は結構詳しかったんですけど、ここではあまり深入りしません。

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館内の展示だけでなく、資料館の裏に回ると実際にディーゼル機関車(昭和28年製造)と客車(昭和5年頃製造)が里帰りして屋外展示されています。

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客車は中に入ることもでき、乗車気分が味わえます。

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ところで廃線跡の遊歩道を歩いていた時、大中遺跡公園の手前で気になるものがありました。
この古そうな工場です。

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帰りに表側に回ってみると古い小屋の前に「昭和フェルト株式会社」と書かれた看板が立っていました。
これが会社の名前のようです。

ネットで調べても断片的な情報しかないですが、『兵庫県工場名鑑1972年版』によれば、創業は昭和28年、業種は牛毛、粗毛フェルトの製造です。

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正面の門の前に来ました。木造の工場や蔵などが建ち並んでいます。
どうも操業はされていないようです。

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広場を囲むように様々な建物があります。

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<国土地理院HPより昭和22年米軍撮影空中写真(赤丸は筆者追加)>

なお、創業は昭和28年とのことですが、奥の2棟の大きな木造工場などは昭和22年の時点で既にあるようです。

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帰り道は廃線跡を外れて東の方を歩いたのですが、印象深い建物に出会いました。
要塞のような、というと適切ではないのでしょうか、コンクリートの存在感が強い建物です。
これは南から見たところです。

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土山共同センターという名前で、覗き込むと商店が並んでおり、1階が店舗、2・3階が住居の複合施設のようです。
不動産情報では昭和45(1970)年の建築という情報が出ていました。

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東側はまた違った表情を見せます。
住戸にはバルコニーの他、中庭も用意しているようです。
商店の関係者が上に住むことを想定していたのでしょうか。

この建物は有名物件らしく、ネット上でもいろいろと書かれているのが見つかりました。

この日は廃線跡、集落跡、工場跡と最後は廃にはなってませんが、期せずして廃をたどったようでした。歩いたのは播磨町北西のほんの一部ですので、別府鉄道跡の続きや新井用水などを歩いてみても面白いかもしれません。

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2024年3月17日 (日)

4月から改修の西宮中央運動公園(兵庫県西宮市)

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高知の旅の話の途中ではありますが、急いだ方がよい記事がありますので、先に取り上げます。
先日、近代の公園の探訪で西宮中央運動公園を訪ねました。
西宮運動中央公園(西宮市民運動場)は、昭和17年の開設です。

上の写真は公園東南側の歩道橋から撮ったもので、右に見えるグラウンドは野球場です。
左奥にスポーツセンターや体育館が見えます。

訪問日:2024年3月9日

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<国土地理院空中写真・米軍1948年撮影>

元々公園エリアの真ん中を江戸時代には西国街道が突っ切っていました。
街道は明治時代にはもう少し東寄りのルートに変わったようですが。
これを見ると現在の公園の範囲は(戦後の食糧難で?)ほとんど田畑になっているように見えます。
現在のテニスコートの場所には小さな建物が立ち並んでいます。
これが1949年になると現在の陸上競技場の原型となるトラックが確認できます。

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公園に行って初めて知ったのですが、4月から公園を通り抜けられなくなるという張り紙がありました。
期間はなんと5年間。

西宮市のHPに情報がありました。

西宮市HP「西宮中央運動公園再整備事業について」

リンク先を見ていただくとわかるのですが、第1期として陸上競技場・野球場・遊具広場が解体されます。
その後、新体育館・新武道館、新陸上競技場(これは現位置に)が建設され、完成後に第2期の現中央体育館・西宮スポーツセンター解体工事が始まります。野球場はなくなるようです。公園の様相が大幅に変わりますので、今のうちにお伝えしておく必要があると感じました。気になるものがありましたら、3月中に見に行ってください。

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現在の様子を紹介します。
まずは南側にある門。丸石を貼り付けた門柱が立っています。
両脇にも小ぶりな門柱が添えられています。

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右側の門柱を拡大しました。
いつ頃のものかは分かりません。少なくとも昭和40年代以前だろうなとは思います。

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南門から続く中央の通路には屋根のないアーケードのようなモニュメントがあります。
この通路は西国街道の代替ルートという趣きもあります。

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北門には片側の門柱だけ残っていました。
南門の脇の柱ぐらいのサイズです。

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北門の近くにコンクリートの手洗い場がありました。
木材で芯が作られています。
時期は分かりません。

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遊具エリアを見てみます。
円形の砂場と円弧状の藤棚がありました。

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藤棚の真ん中には寄り添う幼児の像。
尼崎市の公園でも似たような像を見ます。

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遊具で異彩を放っていたのはこの宇宙船のような滑り台です。
この近未来感は1960〜70年代の遊具でしょうか。

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土管型遊具の発展形もありました。

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砂場には擬木の遊具。

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遊具公園脇には別のデザインの水飲み場がありました。
なんとなく1960〜70年代を思わせる人研ぎの水飲み場です。

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こちらは陸上競技場です。

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西宮市立中央体育館(昭和40年(1965年))。
上から見ると八角形の屋根の形をしています。

令和9年からの第2期工事で解体されます。

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隣には西宮スポーツセンター(昭和45年(1970年))。
これも令和9年から第2期工事で解体予定です。

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大きめの木としてはこの松の木がありました。
外周にはサクラやキョウチクトウなどが植えられています。

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公園の北西にある壁打ちテニスコート。
壁打ちのテニスコートは残りますが、このままなのかは不明です。

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テニスコートのクラブハウス。
戦前とまではいかないかもしれませんが、そこそこ古いと思われる下見板張りの建物です。
色遣いにもレトロ感があります。

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屋根から大きな木製のひさしが伸びていて、その下が通路になっています。

テニスコートは工事の計画に入っていないようです。
個人的にはこのクラブハウスは残ってほしいなと思います。

最終的にどう変わるのか、確認できるのはまだ先のことになります。

<関連記事>
 「再整備前の南公園へ」(愛知県岡崎市)※同様に2024年4月から大規模改修

 近代公園のインデックス

 

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2020年8月 2日 (日)

須磨離宮公園(神戸市須磨区)

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昨年春、神戸の須磨離宮公園を訪ねました。
名前に「離宮」と入っているように、終戦まであった武庫離宮の跡地を公園化したものです。
その来歴や見どころなどについては公園自身の紹介などもありますのでここでは簡単に紹介します。

この時はJR須磨駅から坂を登りましたが、最寄り駅は山陽電鉄の須磨寺駅か月見山駅です。

この写真は歩道橋の上から。
正門の向こうに見える森が須磨離宮公園です。

訪問日は2019年4月28日。
間もなく令和を迎えようという時でした。

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正門の門柱。亀甲積み(六角形に切った石をぴったり積む積み方)の石垣とともに、離宮時代からあるものらしいです。

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須磨離宮公園の案内図。本園は元武庫離宮ですが、植物園は岡崎財閥の旧岡崎邸跡です。
この時は時間がなくて植物園までは回れませんでした。

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公園内の要所要所には、このように解説板が立っています。
離宮100年を記念して立てられたもののよう。

もともとこの場所は西本願寺月見山別邸があった場所です。
月見山別邸は明治35年から37年(36年?)にかけて造成・建設されましたが、神戸周辺で離宮適地を探していた皇室の目に止まり、明治40年に売却、代替地として紹介された岡本に建てられたのが有名な二楽荘という流れです。3、4年しか使われなかったんですね。

明治40年に隣接地とともに買収後、離宮の建築設計には片山東熊ら、庭園設計には福羽逸人らという錚々たる顔ぶれで建設が進められ、大正3年に完成しました。その後、大正天皇や満州国皇帝溥儀の宿泊などに利用されましたが、昭和20年の空襲で焼失しました。そのため、現在残っている遺構はほとんど福羽逸人が手がけた庭園関連です。

戦後神戸市に下賜されましたが、昭和21年から31年まで進駐軍に接収され、射撃演習場として使われていたそうです。
神戸市への返還後、当時の皇太子御成婚事業として整備が進められ、昭和42年に須磨離宮公園として開園しました。ですので、公園としてはそれほど古い公園ではありません。

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公園の正門を入ると直線的な馬車道が伸びています。
奥で右に折り返して中門広場まで続いています。
解説板によると、この道の縁石も左側のカイヅカイブキ並木も、鉄筋コンクリートの壁も、右側の石積も武庫離宮当時のものだそうです。

以下、主に解説板に従って説明していきます。

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このあたりの石は自然の露頭に見えますが、フランスの庭園にならって人工的に石を配置した装石(ロカイユ)というものらしいです。

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庭園の名残らしき石塔がありました。

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中門広場。この大きなクスノキは、離宮造営前からあったものだそうです。
写真に写っていませんが、オリーブ栽培を導入した福羽逸人にちなんで、オリーブの木なども植えられています。

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中国風の獅子が迎える中門。
中門は建物としては唯一焼け残ったものです。

この左手にはかつて玄関口の車寄せがありました。

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中門の奥は潮見台(当時は物見台)という広場になっています。
この石垣風の手すりは当時のもの。柱の石材は小豆島産花崗岩です。

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潮見台(物見台)は、海に向かって弧状にベンチが設えられています。
遠くに紀淡海峡・友ヶ島まで見えていました。

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ベンチも小豆島産花崗岩でできています。

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休憩所では「よみがえる武庫離宮展」という展示が行われていました。
離宮時代の写真などが展示されていて、展示品の一つはかつての武庫離宮の配置図です。この図で赤で記された施設等が現存しているとのこと(推定)。結構いろいろなものが残されています。この図は公園のHPでも見ることができます。

他に植栽略図などもありました。

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遺構である鞍馬産自然石の灯籠。

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月見台にある四阿「傘亭」。
屋根は戦災で焼失して柱だけになっていましたが、平成23年に復元されました。

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この柱、立木に似せた青銅製の擬木(松?)でなかなかリアルです。

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他の遺構として、天皇の階段という園路があります。
天皇陛下が歩みやすいように踏み石を互い違いに組んだという「噂」です。
園路はいくつも残っています。

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見逃せないのが煉瓦の隧道。
一説には有事の避難路とか。
今はこのトンネルを抜けると長い滑り台になっています。

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そして敷地の上の方にはかつて浄水場だった広場。
階段はかつての遺構だそうです。

さらに1km上流に「天王の池」という水源地があるそうです。

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かつて離宮の館が建っていた場所は、噴水のある洋風庭園になっています。
竜巻型の面白い剪定の植木がありました。

公園としては古いわけではありませんが、離宮時代の見どころは多いですし、変化に富んで良い公園だと思います。

<参考>
 ・須磨離宮公園公式HP「離宮公園の歴史」

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