カテゴリー「日常旅行(京都)」の記事

2023年1月21日 (土)

千石荘児童公園(京都市右京区)

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京都市の近代の公園めぐりの続き、春栄児童公園の後は太秦公園に寄って千石荘児童公園を訪ねました。
記録によると昭和14年にできた公園です。現地に行くまでは詳しいことを知らず、「立派なお屋敷があったのかな」ぐらいの感覚でした。
しかし、「千石荘」にはそれ以上の意味があったのです。

訪問は2020年の6月です。

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千石荘児童公園はすぐ脇を西高瀬川が流れています。
元はというと桂川から取水する運河です。

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西側から公園内を見ると公園の南縁に松などが植わっています。

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反対の東側から。公園の縁に松並木の遊歩道があるようなちょっと変わった公園です。

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なぜ千石荘なのかの答えは公園に説明板がありました。
なんとこの公園には千石船が置かれていたとのこと。京都市内で千石船とは。
昭和16年に地元婦人会で見学会が行われた時の写真が掲示されています。
残念ながら昭和25年といいますからジェーン台風で破壊され、撤去されたそうです。

千石船の由緒を示す石碑があるとのことなのでそちらも見てみます。

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これです。いつもならここで解読してみるところですが、京都市は石碑をアーカイブ化してくれていますので、それを引用させていただきます。

京都市歴史資料館情報提供システム「フィールド・ミュージアム京都」より「長栄丸移据の由来」

 長栄丸移据の由来
此船は長栄丸と称して籍を若州遠敷郡に有し表
高八百七十五石実際は千石則ち四万貫目を積載
し日本海の怒濤を蹴つて遠く北海道に定期航海
をなし其都度万円以上の収益を上げたる功労抜
群の船なり
 抑我徳川幕府の治世には千石積以上の造船を
厳禁したれば物資供給交通利便の権威者として
は千石船を以て最となしたり明治の中興に至り
和船航海の不利に鑒み三百石以上の和船建造を
禁ぜられたれば大和大型の船は自然廃滅に委す
るの姿となり当時彼尨大を以て誇りし千石船も
近き将来に於ては全く其影を没するに至るべし
想ふに我京都の如き四方皆山の地にありては船
舶を見ることすら罕なるをまして千石船の如き
其実際を知ること最も難し余適々長栄丸を見其
雅趣の津々なるを愛す而して其船主の他に移ら
んとするを聞き若し此船を陸に上げ其命を保た
しめば一は船の偉績を存し一は市人の参考に資
するを得んと終に進んでこれを求め此地に移据
することゝはなりぬ乞ふ曳*の士よ余が徴衷を
酌み船を山に登せし愚挙をして徒為たらざらし
め賜はんことを
大正丙寅仲春
清水庵の主人誌す

 

HPには「長栄丸は若狭国と北海道との間を定期運航していた千石船であったが,転売されて大正14年に地元の実業家篠田幸二郎の邸内の庭園に移された。昭和14年に庭園と千石船は京都市に寄附され,庭園は児童公園となり,千石船は一般に公開された。」とも説明されています。

千石船が置かれていた別荘なので「千石荘」なのですね。
大正時代の地図を見ると、公園の西側道路をはさんだ向こう側に千石荘の建物はあったようです。
船の名前は長栄丸で、若狭国遠敷郡といえば小浜のあたりを拠点とする船だったようです。
石碑の建てられたのは大正丙寅ですので大正15年です。

またリンク先には、2012年に公園が再整備された際に石碑も移動されたという説明がありますので、その時点で公園の姿も変わってしまったのでしょう。

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その横にあるのが同時期の大正15年に建てられた明治天皇御製の歌の歌碑です。
これも京都市でアーカイブ化されています。

「明治天皇歌碑」

千石船にちなんだ歌ということで置かれているようです。

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さらにもう一つ、スウェーデン国皇太子夫妻が千石船を見学した時の記念碑というのもあります。
これもアーカイブ化されています。

「瑞典皇太子同妃殿下千石船御台覧記念碑」

この記念碑も同時期の大正15年に建てられています。
千石船を見る目的ではなくて、近くの天塚古墳を見に来られたついでとはいえ、興味津々で見学された様子が伺えます。

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改めて公園を見渡すとあちこちに庭園の名残りの石らしいものがあります。

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それぞれに個性的な石ですよね。

改修されたためか、それ以外ではあまり昔の公園らしさは感じられませんでした。

ところで、千石荘公園に来る途中、太秦公園に寄ったと書きました。

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太秦公園はこんな場所にあります。
御室川(左)と付け替えられた天神川(右)が合流する三角地という変わった立地です。
石段を下りていくような合流の仕方も面白い。

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太秦公園は名前から受ける印象に反して、これぐらいの小さな公園です。

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 <京都市情報館「第6回京都市都市計画施設等見直し検討委員会」(2013.1.9)資料3より>

元々太秦公園は、上記資料によれば「昭和16年に防空緑地として決定し,一度は用地が確保されたが,戦時中,食料事情により耕作地としていたため,戦後,自作農創設特別措置法(農地改革,昭和21年)の対象となり,政府が買収して耕作者に売り渡されたと推定される。その後宅地化が進行し,開園区域(0.05ha)は開発行為により設置されている。」
と説明されています。ですので、実際の公園設置は平成12年です。それにしては人研ぎの滑り台もありますが・・・。
本来はもっと広い公園(上図の赤枠内)になる予定だったのですね。既に宅地化していますのでそれはなくなりました。

防空緑地起源の公園として訪ねてみましたが、このような状況なので簡単に触れるだけにとどめました。

<関連記事>
 日常旅行日記「近代の公園目次」

 

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2023年1月17日 (火)

春栄児童公園(京都市右京区)

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京都市の近代の公園をめぐるシリーズの続きです。
2020年の緊急事態が解除された後で、西院周辺の公園を回りました。

阪急の西院駅から出発して北西方向へ。最初は春栄児童公園からです。「しゅんえい」と読むのでしょうか。
昭和13年に開設された公園です。

この公園の特徴は、道路を挟んで東西に分かれていることです。
上の写真は南側から公園を見たところです。

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まず西側から。南門は古いデザインの門柱と壁を残しているようです。

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このように流線型の柱に凹みが入っています。
縦に公園名の標示があった痕跡もあります。

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コンクリートの欠けた部分からは煉瓦が露出していました。

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こちらは古いタイプと思われるコンクリートの砂場。
頂部と角が丸く、内側に平らな縁が回っています。

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六条院公園など京都の古い公園で時々見かける謎の土管遊具もありました。

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京都でおなじみの人研ぎ滑り台もあります。

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北側部分は緑が豊か。
こちら側の公園は西院幼稚園と一体化していて、公園の柵は全体をぐるっと取り囲んでいます。
西院幼稚園の沿革によると、昭和5年開園で公園よりも古いようです(建物は新しい)。

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公園の北門。
西院幼稚園とグラウンドに挟まれた通路が公園に続いています。

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続いて、東側の公園について見ます。
こちらの南門門柱は西側の公園よりシンプルです。

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こちらにも砂場がありますが、頂部はフラットで内側の縁もなくシンプルです。

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東側の公園には木々が多いのですが、そのうちの1本には脇に御影石の石柱があり、「皇太子殿下御降誕記念」と書かれています。

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裏側には「昭和八年十二月二十三日」と刻まれていて、明仁上皇の御生誕時のものと分かります。

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真っ直ぐ育っていますね。

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東側の公園には地蔵堂もありました。

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また幼児用プール(ちびっこプール)もあります。
こういう形式が残っているのは嬉しいところ。

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春栄公園については以上ですが、後は阪急西院駅から公園に来るまでに気になったものなど。
京都市農業協同組合西院支部の建物は木造で古そうです。

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その南側は西院春日神社です。平安時代の天長十年(833年)、淳和天皇が譲位して淳和院(西院)に移られた時に奈良の春日神社から勧請されたというのが由緒らしいです。

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西院春日神社の境内に西院村道路元標がありました。
元々は神社の前にあったのでしょうか。

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またその南に和洋を接続したような2階建ての町家がありました。

公園めぐりは、太秦児童公園に続きます

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 日常旅行日記「近代の公園目次」

 

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2023年1月 5日 (木)

西ノ京児童公園(京都市中京区)

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京都市の公園めぐりの続きです。
朱雀公園の後は、すぐ近くの西ノ京児童公園に向かいました。
昭和14年に開設された公園ですので期待できます。

公園を北西角から見たところ。木々の豊かな公園です。

訪問日:2019年7月7日

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外周道路との間は低い塀で区切られています。
角柱と四角い凹みのある塀が交互にリズムを作っています。
デザインから見てオリジナルじゃないかなと期待します。

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各入り口はカーブを描いてすぼまっていて、そのカーブの部分が植栽になっています。

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公園の標示は「西ノ京兒童公園」と書かれています。
右から書いてありますし、オリジナルでしょう。

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植栽のなくなっている門でデザインを確認すると、花壇のカーブから門塀のカーブへとつながっています。

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北東側から公園を見たところ。
北側のグラウンド部分と南側の遊具部分に分かれ、間にフェンスがあります。
グラウンドの中にも木が植わっているのが古い公園らしいでしょうか。

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周囲を見ていくと、北東のあたりにありました!
国旗掲揚台です。流線型デザインで、当初のものではないかと思います。

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裏に凹みがあり、金具が残っているので、国旗掲揚台で間違いないでしょう。

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もう一つ気になったのはこちらのベンチ。ベンチも角丸で脚も端が丸まっています。

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真横から見ると、座面の底は斜めに脚につながっています。
美しいシルエットです。

脚にアーチが入ったベンチとはまた違ったタイプですが、シンプルながら美しいベンチだと思います。

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もう一種類、たぶん時代は下るコンクリートのベンチもありました。
こちらは座面が凹んでいて、二本脚で支えられています。

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公園の遊具のある部分。
結構盛り沢山です。

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まず藤棚。一段高くなって、ここから保護者の方がグラウンドや遊具で遊んでいる子どもを見守れるようになっています。

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厚みのある四角いテーブルにベンチ。
ちょっと一組だけだと少ない気もしますが。

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小さな砂場。角は丸いですが、上部はフラットなタイプです。

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京都でおなじみ、人研ぎの滑り台。

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口を開けたカバと馬の椅子、汽車の遊具もあります。

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シーソーはちょっと減ってませんか。

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端には地蔵堂もありました。

この日最後に訪れた西ノ京児童公園は、昔のものが比較的残っている公園で、満足して帰路につきました。

なお、現地で見てもよくわからないのですが、西ノ京児童公園の東側部分は御土居(秀吉が築いた土塁)の遺構と重なっています。円町児童公園からの延長上にあると言えます。古い京都の町の境界部分にこうして近代の公園が散らばっているというのは面白く思います。

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 円町児童公園(京都市中京区)

 朱雀公園(京都市中京区)

 

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2023年1月 3日 (火)

朱雀公園(京都市中京区)

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北町児童公園の後は、南下して朱雀公園を目指しました。
途中、御前通を下っていると、気になる換気口面格子が。ヒナギクでしょうか。京都は繊細なものが多いですね。

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途中、アメリカンケーキを売っているシーシーズさんに立ち寄りました。
アメリカンなのに店内はなぜか民芸風。喫茶もできます。

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旧丸太町通と七本松通の角、古そうな住宅です。

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窓の上にオーナメントのような装飾があるのが良いです。

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山陰線をくぐってさらに下り、旧二条通。
長屋の一部を改修して四角い洋館風になっていますが、改修自体、昭和初期ぐらいではないのでしょうか。クリーム色のタイルの質感からして。

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こちら四角い洋館付きの長屋。西ノ京内畑町のあたり。
洋館部の扉に逆三角の窓が付いているのがおしゃれです。

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これはどこか忘れてしまいましたが、このあたり四角い洋館付きの長屋が多いんでしょうか。

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そうこうしながら朱雀公園に着きました。
朱雀公園は昭和19年に防空緑地として指定された3.07haの一部として昭和19年24年に開園しました。
昭和19年というと公園のデザインに凝れるような時期でないので期待薄ではあります。
広いグラウンドの南東端に小さく、遊具が置かれたスペースがあります。

(追記)京都市の資料により開園年を訂正しました。本来は西ノ京中学校及びその間の住宅地も防空緑地として指定されていました。しかしながら、その部分については長年未着手で既に利用されているため、2013年3月末にその部分の公園計画の廃止が決定しました。
 京都市情報館HP「都市計画施設等の見直し」

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「朱雀公園」と達筆な文字で刻まれています。
門柱とそれに続く塀は非常にシンプルです。

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遊園部分のほぼ全景。

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ベンチは木製で昭和中〜後期でしょうか。

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四角い砂場もあります。面取りはしてますが、アールは入ってません。

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人研ぎの滑り台。京都に非常に多いタイプです。

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藤棚はそんなに古いタイプではありません。

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トイレはかまぼこ屋根のデザイン性のあるもの。
かなり開放的。

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遊園部分からグラウンドを見た所。
公園のほとんどはグラウンドです。

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グラウンドの周りを一周してみました。
南側の門の痕跡。この部分だけはアールが入って古そうです。

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グラウンドの中を覗き込むと四角いコンクリートベンチがありました。

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グラウンドの北側の門。

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グラウンドの北側に沿ってヒマラヤスギが植わっています。

朱雀公園についてはこれといったものは見つけられませんでした。

ちなみに公園のすぐ北側には花の湯さんがあります。

この後は西ノ京児童公園に向かいました。

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 円町児童公園(京都市中京区)

 鹿垣児童公園(京都市中京区)

 内野児童公園(大極殿公園)(京都市中京区)

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2023年1月 2日 (月)

北町児童公園(京都市中京区)

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京都の近代の公園めぐりの続きです。

円町児童公園の後は、北町児童公園に行きました。
こちらも昭和15年に開設された公園です。
近づくと鬱蒼とした木々が見えてきました。
ちょうど花が咲いていて、アオギリでしょうか。

訪問日:2019年7月7日

なお、北町児童公園は2020年に改修工事が行われ、グーグルストリートビューで見る限りは、すっかり見通しの良い公園になりました。
ですので、この記事は既にありし日の公園の姿ということになります。
改修後は未訪問ですので、変化したところは分かる範囲で触れながら話を進めます。

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西側の中央の門は木々をくぐって公園に入るようになっています。
治安上はよろしくないので改修されるのでしょうが、こういうのいいなと思ってしまいます。

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北町児童公園の公園標示は御影石に彫られています。
「児」の字が「兒」でないので戦後のものかと思います。
これは改修後も残っているみたい。

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公園の全景。
本当はもう少し遊んでいる子どもたちがいたのですが、視界から消えた時に写真を撮っています。
寂しいわけではないです。

鬱蒼とした樹林も道路側だけで、中に入れば比較的すっきりしています。
ちなみにコンクリート製のすべり台は改修後に撤去され、公園中央に新しいすべり台が設置されたようです。

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公園の北西部は少し高くなっていて、一部金網が設置されています。
砂場などがあり、どちらかというとこちらが小さい子どもたちのスペースで、ボールなどが飛んでこないための金網なんでしょうか。
この金網は改修後、撤去されたようです。

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段差部分、低い階段があります。

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北東隅にコンクリート製の砂場がありました。

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縁が丸くて二重になっています。さらに角もアールに。
古いタイプの砂場かなと思いますが、確認は取っていません。

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重量感のあるコンクリートのベンチ。
京都の古い公園で見かけるタイプです。
シンプルながら、脚がアーチになっていて好きなデザインです。

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古い公園はこんな風に公園に出入りできる裏口があるのが面白いです。
裏に抜ける通路もあります。

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ちょっと気になった石の痕跡。
水飲み場の跡でしょうか。

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トイレと水飲み場は昭和中〜後期といった感じ。
改修後にトイレは京都風の新しいものに変わったようです。

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最後に植物に埋もれていた掲示板。
屋根が木の板なので古めのものだったかと思います。
改修後は撤去されたようです。

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公園の近くには「西之京瑞饋(ずいき)神輿保存会 集会所」というものがありました。
周辺農家で作られるズイキ・米・千日紅などで飾られた神輿を毎年作っているそうで、祭りとしては平安時代から五穀豊穣を感謝して、菅原道真公の神前に新穀・野菜などを奉納していたことに始まるそうです。神輿の形になったのは1607年からとか。

京都の中心部とはまた違う、郊外らしい文化伝統があるのですね。

詳しくはこちら
(公財)京都市文化観光資源保護財団HP「京都の文化遺産を守り継ぐために 「西之京瑞饋神輿 ~野菜神輿の不思議な魅力~」」

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また公園の西向かいには、旧御典医だった奥溪家住宅長屋門があります。享保11年(1726年)に再建されたものだそうで茅葺きです。江戸時代の主屋もあります。

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 円町児童公園(京都市中京区)

 西町児童公園(京都市上京区)

 鹿垣児童公園(京都市中京区)

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2022年12月22日 (木)

円町児童公園(京都市中京区)

非常に久しぶりの投稿です。

京都の近代の公園めぐりの続きを書きます。
訪問はコロナ前で、ようやく書けました。

この日は京都市中京区の公園を見に行きました。
まずは以前、日没後に見た円町児童公園(円町公園)から。
昭和15年に開設された公園です。

訪問日:2019年7月7日

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この右側の石垣の上が円町児童公園です。
この写真は南西側から。

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同じ道の北西側から。
南北に細長い公園です。

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そしてこの西側の道と公園とは段差があり、階段を登って入る形になっています。
なぜこの部分が高いのかというと、秀吉が京都の街を囲んで築いた御土居(土塁)がこの部分を通っていたため、その多少の名残りのようです。

2018年度に公園内の3ヶ所で試掘調査が行われ、御土居の基底部と構築土が確認されたそうですので、御土居の場所であることは確かです。

(参考)京都市考古資料館「遺跡見て歩きマップ 御土居跡[北半]」

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西側の門柱には「圓町児童公園」という石造の古そうな公園標示。

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公園自体はすっきり整備されていて、あまり古さを感じさせるものはありません。

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西側の公園境界は、新しい柵の外側に、頂部が丸いコンクリート製の柵が角柱をはさみながら続いています。
このあたりはもしかすると開園当時からの柵かもしれません。

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一方、敷地外と段差のない東側境界も同様のコンクリート柵が続いているのですが、改修された部分も元のデザインに合わせて改修されていることに好感が持てます(写真の白っぽい部分)。

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公園のほぼ全景。
滑り台など遊具は新しいものです。
真ん中のケヤキは改修前からのもののようです。
他の木はまだ育っていませんが、サクラ、モミジが植えられているとのこと。

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砂場も新しい。

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トイレも新しく、きれい。

もう少し早く見に来られれば良かったなと思います。

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円町児童公園を出て、次の公園に向かいます。
ちょっと気になる住宅。

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下立売通を東に進むと天神川に橋が架かっています。
この近くの鹿垣児童公園は以前訪ねました。

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橋の名前は「新下立売橋」で、石造の親柱が残っていました。

北町児童公園に続く。

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2020年5月 3日 (日)

下鴨中川原児童公園(京都市左京区)

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京都市街北部の近代の公園めぐりの続きです。
あおい公園(旧下鴨膳部公園)の後、中川原公園(昭和12年)、正式には下鴨中川原児童公園を訪ねました。

写真は、途中で見かけた2階建て洋館付きの大きな建物です。
売り家になっていました。旅館などされていたのかななどとも思ったのですが、窓は割れていますし、かなり傷んでいます。
今はどうなっているのでしょう。

訪問日:2019年2月9日

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途中見かけた不自然な空き地。
道路予定地にこういう状態の土地があったりしますが、近年廃止された計画道路の図を見てもここは載っていませんし、どういう経緯なのかは分かりません。

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南北に帯状に続いています。

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そこを抜けて中川原公園に着きました。

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昭和12年の公園ということで期待したのですが、あまりそれっぽい雰囲気はありません。
公園の門は煉瓦タイルの新しいものです。

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訪れたのが真冬というのもありますが、すっきりした公園内です。
ネット上の情報によると、以前は鬱蒼としていたのが、2018年の台風でスズカケノキの大樹が倒れ、安全のために他の木も刈られてこの状態になったようです。

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強いていうと、藤棚下のこの分厚いコンクリートのテーブルが昔ながらのデザインかなと思います。

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砂場は縁の丸いタイプです。

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ベンチは真ん中の凹んだコンクリートベンチ。
昭和中期ぐらい?

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おなじみのお地蔵さんもあります。
ここは延命地蔵さんです。

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手洗い場は新しそうで、ビー玉を埋め込んだデザインに手作り感があります。

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コンクリートブロックを積んだようなトイレ。
青海波ブロックが窓に使われています。
この表裏どちらからも使える手洗いは他の京都の公園でも見ました。

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今は珍しくなってしまったジャングルジム。

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そして京都でおなじみの人研ぎ滑り台もあります。

公園内はこんなところで、国旗掲揚台など古そうなものは見つけられませんでした。

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近くにあった2階建て洋館付き住宅。
やはり古い公園の近くには古そうな建物があります。

この日は最後に下鴨森ガ前児童公園に行きましたが、それは既に記事にしましたのでそちらをご覧下さい。

 

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 日常旅行日記「近代の公園目次」

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2020年4月30日 (木)

あおい公園/旧下鴨膳部公園(京都市左京区)

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京都市の近代の公園めぐりの続きです。
地蔵本児童公園の後、疎水分線沿いに進み、高野川を越えて、この日は京都工芸繊維大学や写真の松ヶ崎浄水場に寄り道しました。
松ヶ崎浄水場は昭和2年、蹴上浄水場に次いで京都で二番目にできた浄水場です。この建物は昭和2年当初の旧最高区ポンプ室(電気室)とのことです。

訪問日:2019年2月9日

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松ヶ崎浄水場の南側を流れる疎水分線にかかる橋。
煉瓦の構造物も気になります。

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住宅地に入ると焼きすぎ煉瓦の塀を持つ家がありました。
凝ってます。

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蔵と洋館付きの住宅。

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こちらも2階建て洋館付きの住宅。
窓の格子が面白い形です。

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古い住宅の眺めながら歩いて行くと正面に、あおい公園(旧下鴨膳部公園・昭和10年)がありました。
さすがにこの時期の公園は凝っていて、ここも門柱脇の壁が手前に広がるカーブになっている上に帯の模様が付いています。

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この公園前は住宅地設計上のポイントとなる場所らしく、ハの字に開く石橋が架かっています。
先ほどの住宅はこの右手にあり、住宅地の中でも重要な通りなのではないでしょうか。
ちなみに流れる川もただの川ではなくて、高野川の宝ヶ池付近で取水され、下流では下鴨神社の糺の森を流れる泉川です。
この水路が公園に沿うように折れています。

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あおい公園の南側の門も同じデザインでした。

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公園のほぼ全景。
そんなに目立つものがないように見えるかもしれませんが、面白いものがいろいろありました。

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なんといってもこれ。
大きな岩に「記念」とだけ書かれています。
一体何の記念?と疑問ですが、そういうときは裏に回ります。

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裏側に碑文がはめ込まれていました。
右側の石には関係者の名前が刻まれていました。

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そして左側の石にはこの碑文です。
書き起こしてみます。


昭和六年二月、下鴨土地区画整理組合成立
時は市長を組合長に推し、鞍馬街道以東高
野川右岸に至る下鴨学区の北部及び松ヶ崎
学区の一隅を画して、農耕地帯の市塵化を
図りしが、市当局の援助と組合員二百余家
の協戮とに因り、諸般の準備著著緒に就き
翌年二月興工十月完竣。所投の資金十七万
二千余円。所整の地面十四万七千七百余坪
街路溝渠井井縄縄居住安便、方域殷賑の基
を開けり。乃ち梗●を石に●して新開の遊
園に安し、以て永遠の記念に備う。
昭和八年三月誌す


 ※旧字体は可能な限り新字体に変更しました。
  送りがなはカタカナをひらがなに改めました。
  適宜、改行や句読点を追加しています。
  不正確かもしれませんので参考程度にご利用下さい。

 つまりは下鴨土地区画整理事業の竣工記念碑です。

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また、国旗掲揚台も残っていました。

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裏側に回るとちゃんと旗竿を固定する凹みと金具が残っています。

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また隣の葵小学校との間に石柱が立っています。
小学校と行き来できるように門があったのでしょうか。

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もう一対、南側にもありました。

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シンプルな砂場。

公園には、平成になってから設置された三等三角点などもありましたが、記事のボリュームの関係で省略します。

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公園から続く葵小学校の塀は、アーチの小窓のような装飾が付いていて古そうです。

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もう一つ、周辺の見どころとして、先ほどの泉川にかかる石橋があります。
公園沿いの住宅は泉川を石橋でまたいで正門というつくりになっていて、この石橋が立派なんです。
蔵・洋館付きの住宅自体も良いですが。

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こちらもきれいな石橋です。
下鴨土地区画整理事業の区域内には古い住宅が多数あるようですが、この日は公園メインでしたので、次の公園に向かいました。

 

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2020年4月29日 (水)

地蔵本児童公園(京都市左京区)

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一乗寺公園の後は、第二太田川・疎水分線を下ったところにある地蔵本児童公園(昭和13年)を訪ねました。
(途中、マヤルカ古書店があります)
ここはアールデコ・デザインの門がきれいに残っているようです。
手前に開くようにカーブさせた門壁に、カーブさせた花壇を組み合わせ、丸窓を2つずつ。
金属は後から付け直しているかもしれませんが、どうなんでしょう。

これは南側の入口です。全部で3ヶ所の入口がこの形でした。

訪問日:2019年2月9日

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地蔵本児童公園と縦書きの銅板っぽいプレートがはまっています。
丸窓には井の字の格子。これは北東側の門です。

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疎水分線から見るとこういう位置関係です。
奥が地蔵本児童公園。

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こちらは北東入口。全く同じデザインの門です。

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北東入口の門の左側。
この角度が形が分かりやすいでしょうか。
花壇に2本の線を入れているのがアクセントになっています。

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こちらは西側入口。同じデザインで、どれもきれいに残っています。

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間の柵はコンクリートの角柱を鉄パイプと低い壁でつないでいますが、角だけは五角形の柱でした。

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破損した柱。内部の鉄筋が露出しています。

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この公園で門以外に気になったのはこの遺構です。
今では何の役目も果たしていませんが、形からして国旗掲揚台ではないでしょうか。

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背面側から見たところです。
柱を取り付ける凹みがあれば確実なのですが、それは確認できません。

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あと謎の石柱。

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この石柱はこの場所にあります。
それ以外に気になるものは見つけられませんでした。

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京都の公園でよく見かける人研ぎの滑り台。

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円形の砂場。公園は手前(東)半分に遊具があり、奥(西)半分がベンチのある広場です。

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コンクリートのベンチ。昭和中期ぐらいか。

ネット情報では、かつて市電車両が児童館として置かれていたらしく、その状態が見られなかったのは残念です。

 

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2020年4月26日 (日)

一乗寺公園(京都市左京区)

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久しぶりの更新は、京都の近代公園編に戻ります。

現在、外出を控えているとはいえ、全く誇れることではありませんが、取材して記事にできていない写真が大量にあるので、たぶん一年以上それで記事が書けます。

ということで、今回は1年前に京都市街地北部の公園を巡った記録です。

まず最初は、京都市左京区の一乗寺公園です。
叡山電鉄のすぐ側にある公園ですので、車窓から見ている方もおられるかも。一乗寺駅の南側です。
昭和17年に防空緑地として整備された公園です。

上の写真は公園の北東角入口です。公園は西側が叡山電鉄、北・東・南は道路に接していて、北側の道沿いに、疎水分線に注ぐ第二太田川が流れています。

訪問日:2019年2月9日

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公園の表示はこんな感じ。
たどたどしく見えるのはなぞったから?
アールを描いていますが、非常にシンプルなのでアールデコなのかというとそこまで言いにくいところ。
昭和17年という時期的にそれほど凝った装飾はしていないと思います。

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公園の南東入口の公園表示は大理石に彫られているようで、こちらの方がオリジナルに近そうです。
こちらもアール。

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公園の南東入口。公園の門柱から鉄パイプでつながれて、シンプルなコンクリートの壁と柱が続いています。

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車止めに使われている花崗岩の石柱がちょっと気になります。

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公園東側の入口。門柱脇の壁に逆三角形の窓が開いているシンプルなデザインです。

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このデザインは何カ所かにあって、こちらは北西側入口です。

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公園内部はというと非常に整然としています。

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看板が立っていて、この公園の地下は第二太田川調整池として、平成27年に整備されたそうです。
写真のようなコンクリートの柱が並び、川の増水時に水を溜める空間にされたので、工事の際に公園は掘り返されて、埋め戻されたのかと思いましたが、平成21年(2009年)のGoogle streetviewの画像を見てもあまり変わりませんので、それ以前からこのようになっていたようです。

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公園の南半分は野球場になっていて、通常の公園部分とはヒマラヤ杉、隣接する一乗寺保育園との境は弧を描くケヤキ並木?で縁取られています。

 

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ベンチも古いものは確認できず、こんな木のベンチでした。

公園内部については、気になるものを見つけられずです。

 

 

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