
今回から数回、兵庫県の近代の公園について紹介します。まずは再度(ふたたび)公園。
六甲山地にある再度公園は、昭和12年に開設された公園です。
公共交通では、三宮から4/1〜11/30の土日祝のみ運行される神戸市営バス25系統・森林植物園前行きで行くことができます。
バス停から森の中を歩いていくと、再度公園の中心である修法ヶ原(しおがはら)池に到着します。
新緑の鮮やかな気持ちの良い日でした。
自然に囲まれた公園ですが、修法ヶ原池は堰堤のある元ため池ですし、向こうに見える再度山はかつて禿山でした。
訪問日:2024年5月26日

<園内の看板より>
公園開設以前の明治35年、薪採取のために荒廃していた再度山の北斜面で植林事業が始まりました。
この写真のように石積みをつくって土砂や水の流出を抑えた上で、植林がなされました。
昭和49年(1974年)に、この森の一部が「再度山永久植生保存地」に指定されています。

また公園以前の歴史として、公園の奥には弘法大師が入唐の前後に修法したとされる場所に大師堂が建てられています。
修法ヶ原池の名前もこれにちなんでいます。

<公園内案内板>
再度公園のエリアは、公園および再度山永久植生保存地と外国人墓地からなっています。

堰堤の側から修法ヶ原池を見たところ。
左に見える建物はカフェRE-encounterです。

松林も後から植林されたものです。
季節が良いので、あちこちでテントやタープを張ってお昼寝している人がおられました。

売店などもあります。とても便利。

外国人墓地の方にも来てみました。
墓地自体は墓参者か一般公開(春秋の月1回・抽選)の参加者のみで、一般の人は入れません。
ただ、墓地を見渡せるエリアが公開されていて、ここには誰でも入れます。
見渡せるといっても、木々に埋もれていてよく見えませんが。
外国人墓地は神戸市街にあった小野浜墓地(慶應3年〜)や春日野墓地(明治31年〜)が手狭となっていたため、既に昭和5年からこの地への移転計画があり、昭和12年の再度公園計画にも組み込まれていました。しかし、阪神大水害や戦争によって計画が遅れ、ようやく戦後の昭和27年になって移転が始まったそうです。

公開エリアには勇士の慰霊塔(大正10年)が建っています。
これは第一次大戦の時に祖国のために出征して戦死した英仏国人19名を慰霊しているそうです。
元々春日野墓地に建てられ、移転してきました。

公開エリアには礼拝堂があって、ここが意外にも再度公園や外国人墓地に関するビデオやパネル展示がある資料館的な場所になっているんです。
興味のある方は行ってみてください。

<神戸市「失業応急山地開発再度公園道路新設工事報告」の付図コピー>
ここのビデオで大事な資料の存在を知ることができました。
神戸市「失業応急山地開発再度公園道路新設工事報告」(昭和12年)です。
後日、図書館に資料を閲覧しに行きました。
地図が添付されていて、これが公園の当初の姿を知るのにとても役立つんです。もちろん本文も重要ですが。

この資料を読んで分かったのが、どうも修法ヶ原池畔にある休憩所が当初の姿を留めているらしいということです。
じっくり紹介したいので、これについては別記事にします。少しお待ちください。

また地図に出てくるものとして、修法ヶ原池の堰堤を降りていったところにある石の太鼓橋があります。

ここに出てくる「しあん橋」(思案橋)だと思われます。
開設当初からある橋ということになるのでしょうか。

それ以外についてはちゃんと特定はできていませんが、堰堤に続く園路の階段なども古いのかなと思います。

こちらは時期はわかりませんが、公園内の橋です。

これも公園内の別の橋。

幅の広い階段。これも古いものかも。

水路を渡る飛び石。

修法ヶ原池畔の手水鉢。
地図を見て気づく現状との違いについて、現在は公園の東側を通過する自動車道が元は園内を通っていたこと、西側の園路については砂防工事でルートが変更されていること、北側部分の園路は外国人墓地内に取り込まれていることなどが分かります。もう一度地図を見ながらじっくり現地を歩いたら、もう少し気づくこともあるかもしれません。
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