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2025年4月 6日 (日)

四国村の灯台エリア(香川県高松市)

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長らく更新が止まっていましたが、高松への旅行、「野外博物館・四国村」の続きです。
前回、四国村(ミウゼアム)全体について紹介しましたが、今回はその敷地の中でも一番高いところにある灯台エリアについての紹介です。

このエリアには明治時代の3ヶ所の灯台の退息所(灯台守の宿舎)と1基の灯台が移築されています。

訪問日:2022年9月10日

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こんな風に時代も場所も違う宿舎が一列に並んでいます。

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古い方から順に紹介しようと思います。
こちらは江埼灯台退息所(明治4年)です。四国ではなくて、淡路島北端にあった灯台です。
日本の灯台の父・英国人技師のブラントンによるもので、外国人の灯台守が入ることを想定して内部も洋風です。

石造ですが、阪神淡路大震災の震源に近く、倒壊してしまったものを移築したそうです。

公式の解説と内部写真

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暖炉のある部屋。壁も天井も白く塗られています。

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廊下も全く洋風です。

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もう少し時代が下って、鍋島灯台退息所(明治6年)。
鍋島は坂出沖の島です。

こちらもブラントンの設計。屋根は和風です。
すぐ隣の与島の花崗岩が使われているそうです。

公式の解説と内部写真

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壁が白く、洋風の家具や暖炉がありますが、天井は竿縁天井で、和洋折衷になっています。

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玄関前のベランダ。
円柱が並んで軒下の空間を作っています。
風通しのよさそうな天井。

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建物横に石造の貯水槽もあります。
小さな島なので水が得にくいのでしょう。

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続いては大久野島灯台(明治26年)です。
花崗岩石造の灯台です。

公式の解説と内部写真

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初点(灯)・明治27年5月のプレートが掲示されています。

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内部は狭くて、灯火部分に上がるひねりの効いた螺旋階段がありました。

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<2022年10月8日>

ちなみにたまたま翌月に大久野島を訪ねる機会があり、二代目の大久野島灯台を見に行きました。
ここに建っていた訳です。
古そうに見えますが、1992年の建築です。

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最後に松山沖にあったクダコ島灯台退息所(明治36年)です。
前2つの退息所に比べて無機的な感じがします。
構造は煉瓦造のモルタル仕上げ。屋根は日本風です。

この頃には吏員が日本人になっていたので、建物も日本化が進んでいるようです。

公式の解説と内部写真

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玄関はとてもシンプル。
玄関前に池があるのは元々そうなんでしょうか。

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玄関を入ると土間になっていて、沓脱石があります。
かなり和風です。

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土間の天井を見ると風通しのよさそうな天井。
照明器具かなにかが付いていました。

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建物の脇には付属屋があります。

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こちらには煉瓦を積んだ五右衛門風呂がありました。

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前にはクダコ島灯台の日時計も移設されていました。

時代の違う灯台の退息所の違いが見比べられるのが面白いところです。
見晴らしの良い高台に灯台施設を配置するというのもふさわしい配置だと思います。

<関連記事>
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