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2025年4月11日 (金)

牟礼の塩田跡(香川県高松市)

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<屋島から見た牟礼の塩田跡>

 四国村を見学した後は、相引川に沿って屋島の東側にある牟礼(むれ)に向かいました。
 フェリーターミナルから屋島までの間も塩田跡でしたが、こちらも塩田跡です。

 上の写真は屋島の山上から見た眺めです。
 この埋立地はほぼ塩田跡です。

 訪問日:2022年9月10日

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<地理院地図をベースに兒玉洋一氏「高松地区塩田の史的研究」より塩田の位置を落としたもの。数字は築造年代>

 塩田の位置を地図に落とすとこうなります。屋島の東側・西側両方に江戸時代以来の塩田がありました。本来屋島はもっと島らしかったことが分かります。その間をつなぐのが相引川で、両端に河口がある珍しい川です。川というより海峡のようです。

 

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相引川に沿って歩いて行きました。
ちょっと珍しい木造の橋。通行止めになっていました。

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両端が海なので、潮位の変化が川の流れに影響します。
水位調整のための可動堰が設けられていました。

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細かく補修しながら使い続けられている橋。

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相引川は屋島の東から北へと流れを変えます。
この右側は塩田の跡です。

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牟礼の町に入っていくと、気になる建物がありました。
住宅になっていますが、元は住宅ではなさそうな古い建物です。

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右の神社は塩釜神社。塩田らしい風景です。

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そしてそこにあるのは源平合戦史跡の駒立石。
屋島の戦いで源氏方の那須与一が、漕ぎ寄せた平家方の船の扇を射落としたという有名な逸話で、この岩を足場に矢を射たという史跡です。

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<1947年米軍撮影空中写真より>

ここで古い空中写真を確認してみます。赤く印をつけたところです。
最初の地図でいうと明治の初めに築造された久通浜の入り口に当たります。

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<1947年米軍撮影空中写真より赤丸が上記の建物と思われる>

もう少し拡大するとこのようになっています。
現在と位置や屋根の形が変わらず、この建物は塩田時代から建っていた建物ではないかと思われます。

また昭和13年に設立された牟礼塩業組合事務所の住所がまさにこの場所で、組合事務所であった時期があるのかもしれません。
(『牟礼町史』p426)昭和36年に塩田施設は撤去されたようです。

ここに限らず四国の海岸では塩田でできた土地の形が、土地利用を転換して残っていることがよくあるように思います。

<関連記事>
 「ジャンボフェリーで屋島へ」
 「屋島に登る」
 「屋島ケーブル跡」
 「眺めて楽しむ屋島神社」
 「野外博物館・四国村」

 

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