屋島に登る(香川県高松市)
2022年の高松旅行、「ジャンボフェリーで屋島へ」の続きです。
いよいよ屋島に登ります。
屋島山上シャトルバスを利用する方法もあるのですが、この時は途中に何があるのか見たいこともあり、徒歩で登りました。
いくつかある登山道のうち一番登りやすそうな遍路道を登ります。
四国は各所に遍路道が整備されていて、お遍路をしていない私も恩恵を受けることが多いです(とくに山道)。
訪問日:2022年9月10日
登り始めると加持水と呼ばれる旧跡がありました。
弘法大師が仏天を供養し、誦呪加持(呪文を読み、仏の加護保持を祈祷すること)をした水と言われるそうです。
少し歩くと今度は「不喰梨」(くわずなし)という旧跡があります。
弘法大師が屋島に登った時に梨がおいしそうなので所望したところ、持ち主は「うまそうに見えても食べられない不喰の梨です」と嘘を言って断ったところ、後にこの梨が石のように固く、本当に食べられないようになってしまったという話が書かれていました。
このように遍路道を歩くと、時々弘法大師ゆかりの旧跡があって飽きさせません。
右側の石碑は折れた石碑に「やすみ所」と書かれています。よく分かりません。
帰り道、上に欠けた部分を含む石碑があってようやく意味が分かりました。
「東宮殿下御やすみ所」
皇太子殿下が屋島に登った折、休憩された場所ということのようです。
私は途中で遍路道を離れ、屋島城に登っていくショートカットの道に入りました。
というのは屋島ケーブルの山上駅跡に立ち寄りたかったからです。
屋島ケーブルについては、次回の記事にします。
階段の続く、私にはきつい道です。
階段を登り切ると石垣が現れました。
これは2007年から復原された屋嶋城(やしまのき)の城壁です。
説明によると淡い茶色の石がもともと城壁に使われていた安山岩で、黒や灰色の石は復原工事の際に補われた石だそうです。
屋嶋城というのは日本書紀に出てくる城で、663年の白村江での敗戦の後、倭国防衛のため中大兄皇子が築かせた山城の一つとのことです。
長らく幻の城で、再発見されたのはつい最近の1998年です。
城門を通して見る高松方面。
さっき歩いてきたルートが眺められます。
屋島はテーブル状の地形で、南嶺と北嶺に分かれています。
この時に歩いたのは南嶺のみです。
テーブル状なので上がってしまえば平坦で歩き回りやすい道です。
まず東側から回りました。
源平の戦いで有名な屋島の戦場は、東側の入江の奥です(現地に行って初めて知りました)。
屋島に登るとその古戦場が一望できます。
(粗いつなぎのパノラマですみません)
この写真は談古嶺からのもの。景色を眺めながら「昔はあそこであれやこれや」と語り合う場所ということでしょう。
左が北です。瀬戸内の島や庵治の採石場など、見どころがたくさんあります。この後、向こう側に行きましたのでまた紹介します。
写真では視界が開けていますが、この日は霧がたびたび上がってきて、視界が白く覆われました。
同じエリアの古いパノラマ絵葉書がありますので見比べてください。
源平の史跡が紹介されています(右の方に固まっています)。
源義経は徳島方面から山を越えて攻め込んだんですね。
右側の湾の奥には塩田があり、そこが現在では宅地化していることがわかります。
この時点でも既に採石場が広がっているようです。
昔の絵葉書の瞰蹟亭。談古嶺より南にあります。
「史跡を見下ろす場所」ということなのでしょう。
この建物ではないですが、今も展望台があり、ここからの眺めも良いです。
屋島山上の東側には廃墟や空き地となった旅館が目立ちました。
賑わいの中心は西に移ったようです。
これは元ホテル甚五郎です。1階の窓は割れていて、アーケードゲームなどが見えました。
談古嶺の標石柱。
裏には「香川縣國立公園協會」と書かれています。
いつのものかは記されていませんが、旧字体なので古そうです。
屋島山上の西側に回りました。
ここからは高松の港や市街、瀬戸内の海が眺められます。
山上には新屋島水族館もあります。
沿革を見ると、屋島山上水族館ができたのは昭和44(1969)年のこと。
令和元(2019)年に新屋島水族館の第1期リニューアルオープンとなっています。
山の上に水族館というだけでも意外性がありますが、右の説明によると回遊魚のハマチを展示するため「世界初となるアクリル製ドーナツ型回遊水槽が誕生」、その後、世界の水族館でアクリルを使った水槽展示が行われるようになったと書かれています。
そんな画期的な水族館だったのですね(でも入らなかった)。
この変わった建物は「やしまーる」(高松市屋島山上交流拠点施設)という展望台を兼ねた施設です。設計者は周防貴之氏。
開業は2022年8月5日なので、訪問時は開業してまだ1ヶ月でした。
次々新しい施設ができている西側エリアは、廃墟の目立つ東側エリアや使われなくなった屋島ケーブル山上駅のある南側エリアとは対照的です。
でも自分は古いものに興味があるので、こういうものを見に行きます。
「東宮登臨之地碑」というものがありました。
隣に説明を書いた石碑があります(大正15年)。
碑文によると、大正11年11月、摂政宮殿下(のちの昭和天皇)が陸軍特別大演習を統監するため四国に巡啓し、20日に屋島に登られた際、官民挙げて山上で奉迎したそうです。そのできごとを記念した石碑です。
恐らく「やすみ所」の記念碑もその時のものなのでしょう。
なお、「東宮登臨之地碑」の先に西尾根展望台があります。
ここからの展望は高松平野を見渡す開放的な眺めでおすすめです。
他の展望台に比べて訪れる人は少ない気がします。
屋島は各方面で全く違った展望があるのが楽しいですね。
屋島寺も訪ねました。四国八十八か所霊場の第84番札所です。
ここだけは創建が鑑真和上で、唐から渡ってきた鑑真和上が奈良に向かう途中の754年、北嶺に普賢堂を建て、これを815年に訪れた弘法大師が今の南嶺に移したそうです。
その屋島寺の門前に屋島村道路元標がありました。
道路元標は大概、町の中心地や入り口に立っているので、こんな山の上にあるのは珍しい気がします。
この場所の重要性を示しているようです。
今回の記事はかなり端折っていて、屋島山上には他にも興味深いものがたくさんありました。
一般的な観光地については、屋島の公式観光情報サイト「all YASHIMA」などをご覧ください。
次の機会があれば、北嶺にも行ってみたいと思います。
次回は屋島ケーブルについてです。
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