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2024年6月 6日 (木)

北白川の住宅地を歩く(京都市左京区)

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2021年12月、京都の高原児童公園を見た後、北白川の住宅地を通って吉田山まで歩いた話を書いておきます。

今回の記事はさらっと見た建物を紹介するだけにしますね。
近代化遺産の調査や近代和風建築の調査と照合するなどして、後日補足していくかもしれません。

以前、「北白川・小倉町住宅地」という記事を書いたことがあります(2009年)。
その記事と一部建物は重複します。

このあたりの住宅地には近代の住宅がたくさんありますので、もっとじっくり回った方が良いのですが、この時は白川疏水に並行して直線的に歩きました。

前置きはそれぐらいにして、最初の写真は北白川平井町の近代和風と思われる住宅です。

訪問日:2021年12月4日

 

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少し洋風が感じられる住宅。年々、以前だったら反応しなかったような住宅にも反応するようになります。
きれいに改修されています。

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この建物は和風の中に洋風の要素があります。
門柱はコンクリートにボーダータイルを散らして、洒落ています。

よく見ると玄関扉に丸窓があったり、窓の上にも窓があり、採光を意識しているようです。

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こちらは藤井厚二設計の旧喜多邸(大正15年)。
左隣がヴォーリズ設計の駒井邸(昭和2年)ですが、今回はパスします。
手前が白川疏水です。

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白川疏水を渡って南へ。
二階建ての洋館付き住宅。

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北白川小倉町に入ります。
赤い屋根の洋館付き住宅。

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これも控えめながら洋館付き住宅。
屋根が日本瓦だけれど。

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ほぼ和風なんですが、角でつなげて窓を広く取るのは近代の和風建築ですよね。

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洋館付き住宅。

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これも二階建ての洋館付き住宅といって良いのでしょうか。
窓の桟の入れ方が変わっています。
道路側のは中華風にも見えます。

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極端に窓の少ない2階建て洋館付き?住宅。
なぜここまで窓が少ないのか気になります。

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これは住宅ではなく、京都大学 人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター(旧東方文化学院京都研究所・昭和5年)。
設計者は武田五一・東畑謙三。
いつか見学してみたい建物です。

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2009年の記事にも書いた、その向かいの邸宅も健在でした。
庭の木がますます育って、一層見えなくなっています。

その後も疏水に沿って進みます。
2009年の記事に書いた「小倉町 久保田町 西部 公同組合」の国旗掲揚台らしきもの(昭和13年)も確認しました。

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今出川通りを渡って神楽岡通りへ。
入り口に天皇陵への道標が立っていました。
昭和4年に大阪の皇陵巡拝会が立てたものです。

同様のものは大阪の古市古墳群でも見たことがあります。
団体名はちょっと違ったかもしれません。

皇陵巡拝会がどんな団体かについては、下記資料に詳しく書かれています。大正6年に設立され、皇陵巡拝を普及させる活動の一環として、各地に石柱を寄進したらしいです。現存するもので70本ほどあると書かれています。

徳田誠志氏「本山彦一と『歴代帝陵巡拝図』について」(関西大学学術レポジトリより)

 

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神楽岡通りの医院。壁は新しく塗り直されていますが、古い医院のように思われます。

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通りにあるスパニッシュ様式の上西家住宅(昭和9年)。
登録有形文化財です。

文化遺産オンライン

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ここから神楽岡の住宅地に入って行きました。
京都市京セラ美術館で開催された「モダン建築の京都展」(2021年)で吉田神楽岡旧谷川住宅群として紹介されていて気になっていたところです。大正後期から昭和初期にかけて開発された住宅地です。

→(参考)京町家まちづくりファンド「吉田神楽岡旧谷川住宅群プロジェクト」

ゲートのように石の門柱が立っています。

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住宅地は階段状になって東に開けており、大文字山がよく見えます。

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大きめの住宅。通路の脇には低いコンクリートの塀があります。
住宅からだけでなく、通路からの眺めも良いです。

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登りきったところにカフェの茂庵。元々は谷川運輸倉庫を興した谷川茂次郎氏が大正時代、吉田山山頂に作った8つの茶室(今は2つが残る)などからなる広い茶苑だそうです。カフェとして使われているのは旧食堂棟です。
この時は普通に入れるカフェでした。行っておいて良かったと思います。
その後、一時閉店を経て、現在は予約制のカフェ・お茶会などのイベントスペースとして営業されています。

この日のゴールはここでお茶をして帰りました。

<関連記事>
 「北白川・小倉町住宅地」(2009年)
 「洛北土地区画整理地区」(2009年)

 「高原児童公園の改修前と後」(2021年、2023年)

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