下津井のアーケード(岡山県倉敷市)
2023年1月の岡山旅行の続きです。大畠の後、電動自転車で岬を回り、瀬戸大橋をくぐって下津井の町に入りました。
鷲羽山をはさんで、大畠の反対側に当たります。
下津井は北前船の寄港地として知られていますので、以前から行ってみたい町でした。
『北前船 寄港地と交易の物語』では、下津井では廻船問屋が争いを仲裁するための一種の自治制度があったと紹介しています。また下津井の問屋は積極的に迎えに行くスタイルで、西は白石島(笠岡市)まで出迎えたそうです。競争が激しかったのでしょう。下津井の賑わいはとくに江戸時代中期以降、備前・備中で干拓が進んで、棉・菜種・イグサなど商品作物の栽培が盛んになり、中でも棉には大量の肥料が求められたことが一因だそうです。
そういう港町のイメージに浸ろうとしつつも、否応なく目に入るのは瀬戸大橋(下津井瀬戸大橋)の存在です。
訪問日:2023年1月5日
メインの通りは、港のカーブに沿って、くるんくるんくるんと何度も曲がりながら続いています。
下津井はただ1つの港があるのではなくて、東から田ノ浦、吹上、下津井、下津井西と4つの港が連なっています。
途中気になったのはこの洋風の建物です。
中央にYとNを組み合わせたロゴマークが入っていて、事業所のようです。
こちらの建物もちょっと変わっていて、蔵のような作りにアーチの窓が付いています。
彫刻の入った持ち送り。
海鼠壁の蔵も見られます。
通り過ぎてないか不安になりかけた頃に、むかし下津井回船問屋に着きました。
館内の説明によれば、ここは江戸時代に廻船問屋への金融業と倉庫業で財を成した荻野家の分家、西荻野家に始まり、それを明治9年に廻船問屋の高松屋(中西家)が購入したものです。大正時代に入って廻船が廃れると足袋製造業に転業、昭和になると学生服の製造・販売業を営んだそうです。
建物は明治時代のもので、資料館になる際に廻船問屋時代の形に可能な限り復元されています。
床は土間ではなくて石敷き。
ぐるっと回って帰ろうとした時に、「あれ、ぷにょさんが『日本全国タイル遊覧』でタイルを紹介してなかったっけ?」と思い出し、回り込んで確認できました。本業タイルに染付便器。縁側の先にあったので危うく見逃すところでした。
むかし下津井回船問屋は、広い敷地を生かして、展示施設の他、レストラン、土産物店、貸館もある複合施設になっています。
なお私はランチタイムを逃して、レストランで食べ損ねました。
裏側に出ると昔の海岸線を示す防潮堤の跡が残っています。
むかし下津井回船問屋の展示によると、下津井は四国の金比羅さんと児島の瑜伽さんを結ぶ信仰のルート上でもありました。
私は初めて知ったのですが、この2ヶ所を対で回る風習があったらしいです。
また児島八十八ヶ所霊場(島四国の一種なのでしょう)の古い看板もあり、多様な目的の人が行き交う場所だったようです。
さてようやくタイトルのアーケードの話になります。
海岸から一本入ったメインの道から直交して何本もの道が背後の山に伸びています。その道ではあちこちに建物ごとのアーケードが見られました。
このように右から左からそれぞれに差し掛けられるアーケードが変化に富んだトンネルを作っています。
こちらはタバコ屋さんのアーケード。
このように大掛かりなものもあります。
アーケードはここで尽きていました。
集落の中にある共同井戸のある広場。
何に使われたのか大型の倉庫もありました。
こういたところを彷徨っていると、陽も傾いてきました。
レンタサイクルは便利なのですが、時間内に返さないといけないのは制約です。
旧下津井駅まで足を伸ばす時間はなくなり、まっすぐ丘の上のサイクリング道を目指しました。
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