« 2024年3月 | トップページ | 2024年5月 »

2024年4月

2024年4月30日 (火)

明田児童公園と殿田公園(京都市南区)

210403aketapark1

御霊児童公園を見た後、近くの明田(あけた)児童公園と殿田(とのだ)公園を訪ねました。
隣り合う公園ですが、明田児童公園は憩いや遊戯の公園で、殿田公園は野球・ソフトボール場という違いがあります。殿田公園は昭和15年、明田児童公園は昭和16年の開設です。

訪問日:2021年4月3日

1946aketapark
<国土地理院HP・昭和21年米軍撮影空中写真に文字・枠追加>

先に戦後すぐの空中写真を見ておきます。
両方、名前に「田」が付くように、大正の初めまで田んぼの広がる場所で、大正の後半から都市化が進んだエリアのようです。
殿田公園は戦後すぐには畑にされていたような様子がうかがえます。

210403aketapark3

明田児童公園の公園標示は独特です。
スタンドに支えられたコンクリートの板に「明田児童公園」と書かれた石がはまっています。

210403aketapark2

公園の塀もまた少し変わっていて、頭でっかちな柱と低い煉瓦の塀が交互に続いています。
そんなに古いデザインにも見えません。

210403aketapark4

ただ煉瓦を見ると、江州煉瓦の丸にGの刻印に17(他には20なども)の刻印が添えられています。
江州煉瓦は滋賀の守山市に工場があり、昭和47年頃まで製造されていたそうです。

(参考)関西地方の煉瓦刻印HP「江州煉瓦」

210403aketapark11

この塀がぐるっと公園の南・西・北面を囲んでいます。

210403aketapark10

公園内に入ります。植栽の多い公園です。

210403aketapark5

真ん中に砂場があり、ハスのような造形物が置かれています。

210403aketapark6

何でしょう。この形には噴水が似つかわしい気がします。
元は砂場ではなく、池だったりしないでしょうか。

210403aketapark12

北側の門も南側と同じデザインです。
同じく明田児童公園の名前が書かれた板が掲げられています。

210403aketapark7

遊具は公園の北側に固まっています。
すっかり見慣れた京都の人研ぎ滑り台もあります。

210403aketapark8

公園の北西隅には扇型の砂場があります。
断面がかまぼこ型で、これは戦前からのものかもしれません。
昭和21年の空中写真でも同じ位置に同じような形の枠が写っているように見えます。

210403aketapark9

ベンチはシンプルなコンクリートのベンチです。
戦中〜戦後期でしょうか。

210403aketapark13

続いて隣の殿田公園です。
東側に開く門の形は、御霊児童公園と似ている気がします。
門柱はこちらの方が少し凝っています。

210403aketapark14

殿田公園の標示は大理石風で縦書きです。

210403aketapark15

公園の南東側から。ほぼ前面が野球・ソフトボールのグラウンドとして使われていますので、探索する余地はほとんどありません。

210403aketapark16

もう少し内側から。フェンスで囲まれています。

210403aketapark17

少し気になるものとしては、公園北東のコンクリート門柱です。
時期は分かりませんが、年季を感じさせます。

この日はスタートが遅かったので、この3つの公園だけ回って帰りました。

<関連記事>

  御霊児童公園

  目次・近代の公園

 

| | コメント (0)

御霊児童公園(京都市南区)

210403goryopark1

再び京都の近代の公園めぐりです。

この時は南区の公園を回りました。JR京都駅の南の方、地下鉄九条駅の周辺です。
最初に訪ねたのは御霊児童公園で、昭和14年に開設されました。

最初の写真は南側の入口です。

訪問日:2021年4月3日

210403goryopark2

公園のコンクリートの門柱は昭和初期にしてはシンプルすぎる感じです。
大理石に左から御霊児童公園と刻まれていて、新しくはないものの戦後のようです。
車止めもちょっと気になります。

210403goryopark6

西側の門も同じ形式で、こちらの方が全体の形が分かりやすいと思います。
外に向かって開いたハの字です。

210403goryopark13

公園を南西側から。
柵は低いコンクリートの角柱がシンプルに丸管でつながれていて、見通しの良い柵です。

ここで昭和21年の空中写真を見てみます。
下の黄色で囲んだ部分が御霊児童公園です。

1946goryopark
<国土地理院HPより昭和21年米軍撮影写真>

解像度の問題で分かりにくいですが、現在の配置と似通っています。
具体的に見ていきます。

210403goryopark3

まず敷地の一部(ここでは東側)が一段上がっているという昔の公園でよく見る設計です。
ただ、一段上がった所に藤棚があって全体を見渡せるようにするという設計にはなっていません。藤棚は段の下です。

210403goryopark4

段差にはコンクリートの階段があります。
奥には京都でよく見かける人研ぎの滑り台があります。
これは戦後のはずですが、空中写真でもこの位置に滑り台らしきものがあるので、同じ位置で更新されたのかもしれません。

210403goryopark7

こちらが藤棚です。全方位に目が届くという意味でこの位置なのかもしれません。
藤の周囲は一体的にコンクリートで四角く囲まれています。

210403goryopark8

碁盤のようなテーブルとベンチは京都の公園でよく見かける組み合わせです。
コンクリートの質感が違いますので、V字に凹みのあるベンチの方が後から更新されているのかもしれません。

210403goryopark5

公園の北東隅には砂場があります。
空中写真でも同じような位置に形が写っているので、もしかしたら昔からのものなのかもしれません。

210403goryopark10

つぼみのようなベンチ。

210403goryopark9

公園遊具としては一般的なブランコやジャングルジムがあります。
でもこういうジャングルジムもあまり見かけなくなってきたような。

210403goryopark11

不思議なのがこの遊具。どういう遊び方が想定されているのでしょうか。
子どもは立って歩きそう。

210403goryopark12

公園の北側にも入口があって、こちらは車止め程度です。
出た所にある4軒長屋は空中写真にも写っていて、戦前からの建物かと思います。

御霊児童公園はデザイン的に目立つものはありませんでしたが、今どきの公園には改修されておらず、まだ昔の趣きを留めているようです。

次は明田児童公園に向かいました。

<関連記事>

  明田児童公園・殿田公園

  目次・近代の公園

| | コメント (0)

2024年4月17日 (水)

四国みぎした旅行(28)むろと廃校水族館(高知県室戸市)

230501suizokukan1

2023年GWの高知旅行のラストです。
実際はここが最初の訪問地でした。
ここまで読んでこられたら、いきなり華やかな場所で驚かれるかもしれません。
「むろと廃校水族館」と言って、ど真ん中とは言わないまでも観光地です。

室戸岬の東側にあり、前年の旅行の時は寄るかどうか迷ってパスした場所です。
本数の少ない路線バスの旅で、下車できる回数に限度がありますので。

訪問日:2023年5月1日

230501suizokukan2

「廃校」と付いている通り、廃校をリノベーションした水族館です。
具体的には「室戸市立椎名小学校」でした。
椎名小学校は明治7年(1874年)に創設され、昭和5年(1930年)に現在地に移転しました。現在の校舎は昭和59年(1984年)完成ですが、平成13年(2001年)に休校してそのまま平成18年(2006年)に廃校となりました。
そして平成30年(2018年)にむろと廃校水族館としてオープンします。

230501suizokukan3

小学校の建物を使ったというだけでなく、積極的に学校の要素を取り入れています。
例えば開閉館時間は始業・下校。

230501suizokukan4

普通の教室も残してあります。
卒業生にとっては、かつて通った学校が廃校になったとはいえ、このように見て回れる状態であるというのは良いことかもしれません。
そうでなければ、解体されたり、鍵がかかって入れない場合もあるのですから。

230501suizokukan7

展示の仕方もふるっています。
手洗い場を触れられる水槽にしています。黒板も活用。

230501suizokukan8

かと思えば、跳び箱に水槽を仕込むという仕掛けも。

230501suizokukan9

こちらはOHPを水槽に。
OHPとは何かという解説も書いてありました。
プロジェクターが普及するより前、原稿をスクリーンに投影する機械です。
(私は使ったことあります)

他にはAEDのケースも水槽になっていました。

230501suizokukan6

今風の展示も。
これはクラゲではありません。ビニール袋です。
他にもルアーなど海洋ゴミを「生態」展示していました。

230501suizokukan5

遊び心があちこちにあって、こちらはボラのエサをガチャガチャで売っているんですが、「花火で例えると線香花火のような風情です。迫力は求めないでください」とか書いてあります。

230501suizokukan10

これは「飼育員らくらくシステム」という水槽の窓拭きを来場者にやってもらうシステム。

230501suizokukan11

剥製コーナー。室戸の漁師は捕鯨やマグロ漁で世界の海に出かけた際、現地でお土産として剥製を買ったり、生体を捕獲して持ち帰ったりしたそうです。その意味で地域に根ざした展示です。ここには室戸市内の廃校から集められた剥製などが並べてありますが、個人宅にはカンガルーやコアラ、トラなどまであるそうです。ペンギンを飼っていた人もいたとか。

230501suizokukan12

これは室戸高校の生徒が作った廃校水族館の歌。
「歌作りました!」と持ち込まれた歌をこうして展示するあたり、地域との関係の近さが出ています。

そもそも水族館に展示されている生き物は、主に近隣の椎名漁港・三津漁港・高岡漁港の3ヶ所の定置網にかかった生き物を持ち込んでいるそうです。

230501suizokukan13

理科室には各種の標本。

230501suizokukan14

図書室には魚介の資料などの他に、郷土資料もあります。
時間が余ったらここで調べ物ができます。

他にも保健室、音楽室などそれぞれに活用されていました。

230501suizokukan15

昭和52年(1977年)に完成した屋外プールは、大水槽として使われています。

230501suizokukan16

雨天の屋外用に懐かしい黄色い傘。

230501suizokukan18

プールではウミガメが飼われています。

230501suizokukan17

プールの隣には昭和53年(1978年)完成の体育館。
こちらはバックヤードの作業場所や保管場所として使われています。公開はされていません。
天井も高いですし、作業にはぴったりですね。

230501suizokukan19

表の屋外にも展示があって、これは右から捕鯨砲、小型捕鯨三連銃、錨です。
地域の海の産業として展示されています。

230501suizokukan20

これは室戸岬水産高校で使われていた練習艇です。
室戸岬水産高校は平成11年(1999年)3月末に他の二校とともに閉校され、合併して、土佐市に県立高知海洋高等学校として開設されています。
もう一つの廃校のものも受け継いでいる訳です。

軽い気持ちで立ち寄った場所ですが、地域に根ざした展示内容の水族館になっていて興味深く見学しました。

ちょっと普通の魚介の写真が少なかったかな。
フォルダを見返してもほとんど撮ってませんでした。

以上で四国みぎした旅行の高知編は終了です。
続きとして徳島編も予定していますが、その前にいくつか寄り道をします。

<関連記事>
 「四国みぎした旅行(27)津呂の白い町」(室戸市)前の記事

 「四国みぎした旅行(1)高知県境の町へ」 シリーズ最初の記事

 

| | コメント (0)

2024年4月15日 (月)

四国みぎした旅行(27)津呂の白い町(高知県室戸市)

230501tsuromachi1

2023年GWの高知旅行の続きです。そして津呂の3話目です。
今回は津呂の町の様々な建物について。白いペンキ塗りの建物が印象に残りました。
そんな建物を好んで撮るので、そこまで多かった訳ではないかもしれません。
東洋町の白浜や和歌山県の南部も白いペンキ塗りが多い印象があります。

まず、バスを降りた室戸営業所バス停から南に歩いて出会った元お風呂屋さん。

訪問日:2023年5月1日

230501tsuromachi2

前面の道から一段低くなっているので、数段の階段があり、左右の扉に分かれています。
階段を降りるとひさしの下で、ベンチなどもあり、ちょっと良い空間になっています。

230501tsuromachi3

真ん中にはタイル画。
梅にウグイスのようです。

こんなタイル使いなら、浴室も期待するところです。

230501tsuromachi8

こちらは煉瓦塀と一体化したような白いペンキ塗りの小屋。
灰出し口のような煉瓦、配管、排水管があるので浴室でしょうか。

230501tsuromachi4

こちらもレトロな洋風を感じさせます。

230501tsuromachi5

再びバス通りへ。現在国道55号線は海岸寄りを通っていますが、ここは旧国道なのでしょう。
バスはこちらを通ります。緩やかな坂に白い雨戸の建物が並んでいます。

230501tsuromachi6

両脇にショーケースらしきものがあり、商店なのでしょうね。

230501tsuromachi20

ちょっと細い路地を山手にも入ってみました。
そんなに奥深くはないですが、細い路地が入り組んでいます。
軒下には丸い街灯。

230501tsuromachi7

港の南側へ。
ほとんど波板で覆われていますが、色ガラス入りの変形おたふく窓が顔をのぞかせています。

230501tsuromachi9

道端にあった記念碑は「昭和九年颱風海嘯記念碑」(昭和11年)
ここ室戸岬町では、室戸台風が起こした高さ40尺(約12m)の高潮に3度襲われ、死者63名、負傷者310余名、流失・全壊家屋550戸、半壊家屋678戸、流失・全壊船舶200艘という大きな被害があったことが記されています。
「海水天を蹴って怒号吼鳴し、風力猛烈に触るるもの皆摧(くだ)く。須臾<わずかの間>に大海の激浪、高40尺轟然海岸に襲来する3回」と凄まじい描写です。

230501tsuromachi10

まだ南に歩いていきます。
この建物、梁の端に市松模様が入っておしゃれです。

230501tsuromachi11

集落の外れに大きな医院がありました。
正面には立派なフェニックスやワシントンヤシが植わっています。

230501tsuromachi12

医院の建物は昭和中期でしょうか。
大きな玄関です。

230501tsuromachi13

向かいがたぶんお医者さんのお宅で、岬を借景に豪快な石積とソテツが出迎えるお屋敷です。

230501tsuromachi14

このお屋敷は非常に広くて、白い石灰岩の石垣が延々と続いています。

230501tsuromachi15

この屋敷の隣に祠があり、ここにも室戸台風の高潮が押し寄せたという記念碑が立っています。

このあたりで引き返します。

230501tsuromachi16

川の側の製材所。2階の正面が全面銅板張りで見事です。
1階は作業用にレールが敷かれています。

230501tsuromachi17

王子宮は津呂の氏神です。左端に立っている石柱は、室戸台風の高潮到達地点を示す柱です。

230501tsuromachi18

南極捕鯨船団一同の寄進があり、クジラの町でもあったことが分かります。

230501tsuromachi19

津呂にも高知でよく見かける装飾的門扉を見ました。

津呂は観光地ではありませんが、港や路地をじっくり歩いて味わいたいような町です。

<関連記事>
 「四国みぎした旅行(25)津呂の港」
 「四国みぎした旅行(26)津呂の煉瓦塀」

 「四国みぎした旅行(4)室戸岬」 室戸岬は津呂の南です(ここから下は2022年)
 「四国みぎした旅行(5)室戸岬灯台」

 「四国みぎした旅行(10)隆起する室津港」室津は津呂の北です
 「四国みぎした旅行(11)室津の煉瓦塀」
 「四国みぎした旅行(12)室津のいろいろ」

 「四国みぎした旅行(1)高知県境の町へ」 シリーズ最初の記事

 

| | コメント (0)

2024年4月 5日 (金)

四国みぎした旅行(26)津呂の煉瓦塀(高知県室戸市)

230501tsurorenga1

2023年GWの高知旅行の続きです。前回に続き、津呂。
津呂では至る所で煉瓦塀を見かけました。
前に室津(室戸市)でも多くの煉瓦塀を見かけましたが、室津では上部を広げたり、斜めに並べたりと装飾的な積み方が多かったのに比べると津呂では至ってシンプルです。

津呂の煉瓦で一番気に入った場所をまず紹介します。
それは参道の先に津呂港(室戸岬港)を望む八坂神社です。

訪問日:2023年5月1日

230501tsurorenga18

参道入口の鳥居から両脇に煉瓦塀が連なり、拝殿の前まで繋がっています。
上部が屋根のように広がって、派手ではないですが美しい煉瓦塀です。

230501tsurorenga19

鳥居をくぐってしばらくは平坦な道です。

230501tsurorenga2

最後に階段となり、レンガ塀は階段の上に達すると両側に分かれ、ゆるくカーブを描いています。

230501tsurorenga20

階段に入るところの流れるような煉瓦積み。

230501tsurorenga3

この両脇の煉瓦塀で多く見かけたのは、大阪窯業の刻印でした。

230501tsurorenga4

入口近くの塀では、菱形にSの刻印があります。
四国産業製と推測されている煉瓦です。

関西地方の刻印煉瓦「菱"S"刻印(四国煉瓦→四国産業)」

230501tsurorenga5

上部に透かしの入った煉瓦塀。
これはまだ装飾的な方で、

230501tsurorenga6

裏側を覗き込むとK4の刻印。Knの刻印は兵庫県系と考えられています。
他の刻印もあったように思います。

関西地方の刻印煉瓦「Kn」

230501tsurorenga14

平坦部の町の煉瓦塀。

230501tsurorenga15

ここでも菱にSの刻印が確認できました。

230501tsurorenga7

不鮮明で分かりにくいのですが、これはひょっとして丹治煉瓦(堺市)の刻印?

室津の煉瓦では日本煉瓦(堺)の四弁花の刻印を多く見かけたのですが、津呂では見かけません。
なおかつかなり種類がバラバラです。これは煉瓦の流通ルートの違いによるものでしょうか。

230501tsurorenga8

津呂の町は海岸線に並行する国道55号線から斜面に向かって住宅が立ち並び、細い路地があちこちにあります。
路地を歩くとこのように煉瓦塀を眺めながら歩くことになります。

230501tsurorenga9

これはセメントレンガでしょうか。

230501tsurorenga17

平坦部から上の町並みを眺めたところ。
レンガ塀が連なっています。

230501tsurorenga10

これも路地と煉瓦塀の組み合わせ。

 

230501tsurorenga11

煉瓦造の蔵もありました。

230501tsurorenga16

こちらも外壁に煉瓦を使い、表はコンクリートで化粧されています。

230501tsurorenga12

これも魅力的な、階段とともに流れるような煉瓦塀。

230501tsurorenga13

最後、岬屯所のバス停近くの家にも煉瓦塀がありました。
凹型のカーブが滑らかです。

室津とはまた少し違った煉瓦塀の風景に浸ることができました。

<関連記事>
 「四国みぎした旅行(11)室津の煉瓦塀」(室戸市)
 「四国みぎした旅行(25)津呂の港」(室戸市)

 「四国みぎした旅行(1)高知県境の町へ」 シリーズ最初の記事

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2024年4月 4日 (木)

四国みぎした旅行(25)津呂の港(高知県室戸市)

230501tsuroko1

2023年GWの高知旅行の続きです。
この時の旅行で一番印象深かった町は室戸市の津呂(つろ)でした。

そのうち今回は港を紹介します。現在では室戸岬港と呼ばれる港です。
以前訪ねた室津よりも南、室戸岬寄りにあります。

旧港はこの写真に収まるぐらいで、切り立った斜面に囲まれ、港口の漁協の建物が異様に存在感を放っています。
前年にも日が傾いてからこの港の脇を通り、そびえ立つ建物が印象に残っていました。
手結(てい)港よりは広く、室津港よりは狭い港です。

津呂には高知東部交通の営業所があるので、ここを始発・終点とするバスもあり、比較的行きやすい場所です。

訪問日:2023年5月1日


S22muroto
<昭和22年米軍撮影空中写真 国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より>

戦後すぐの室戸岬港の様子です。
直近の昭和東南海地震で隆起したため、岩礁が顔を出しているようです。
その時、港内は掘り下げられました。
津呂の旧港は写真で一番右奥に当たります。
いかにも岩盤を掘り込んだという印象を受けます。

230501tsuroko3

港の北東には「昭和九年海嘯襲来地点」の標石が立っています。
昭和9年とは室戸台風のこと。海面からは結構高さがあるのですが、この高さまで高潮が押し寄せたということです。
同様の標石は集落の何ヶ所かで見かけました。

230501tsuroko10

港の南には、相似た2つの記念碑が並び立っています。

右が「紀貫之朝臣泊舟之處」、左が「野中兼山先生開鑿之室戸港」(ともに昭和3年)です。
まず紀貫之というと土佐日記。平安時代、土佐国司としての任期を終えた紀貫之が船で京へ戻る途中、この港(その頃はこんなに立派ではないですが)に10日間停泊したことを記念しています。

野中兼山は江戸時代、土佐藩の家老として藩政改革に取り組み、各地で土木工事も行ったのですが、港湾開発では先日取り上げた夜須の手結港を整備しました(1655年完成)。日本最初の掘り込み港と呼ばれる港です。
その後、この津呂港を港口を締め切っての掘り込み工事で寛文元年(1661年)に完成させました。すぐ次に室津港の工事に取り掛かったのですが、間もなく失脚したため、工事は後任者に引き継がれました。

230501tsuroko5

記念碑の脇には解説板が立っていて、紀貫之や野中兼山について解説されています。

230501tsuroko11

記念碑の脇には津呂村道路元標があります。
ここが町の中心ということになります。

230501tsuroko12

その間には遍路道の道標もありました。

230501tsuroko6

近くにあったレンガ積みの遺構。何なのかは不明。

230501tsuroko9

この港は西に開けていますので、西陽を浴びて情感が増しています。
1台の自転車が走っていきました。

隆起によって港は壁に囲まれるようになり、箱庭のような印象も受けます。

230501tsuroko8

この港で面白いのは南東部分が切れ込んでいること。
この部分の道路は高架になっています。

230501tsuroko13

その真下には水が流れ込むらしく、水場が設えてあります。
ここで漁具や魚を洗ったりしたのかもしれませんね。

230501tsuroko4

この部分にはむき出しの岩盤が露出しています。
(他の部分はほとんど石垣を積むか、岩盤をコンクリートで覆っています)

230501tsuroko2

港を通る道路と船が係留されている犬走りの間は何ヶ所か階段で結ばれています。
ほとんどは直線の階段ですが、この階段は岩盤の上を折れながら下っています。

230501tsuroko19

横から見るとこうなります。
コンクリートで固められた岩盤が張り出していることが分かります。

230501tsuroko14

下に降りてみると船を係留する係船柱があり、いくつかはコンクリートを充填された陶管です。
同様のものは室津港でも見かけました。

230501tsuroko15

こちらも同じく陶管の係船柱。
摩滅して味わいが出ています。

230501tsuroko7

港の周囲は低いコンクリート柵で囲まれています。

230501tsuroko16

港の海側には頑丈そうな建造物がありました。
冷蔵倉庫とかでしょうか。

230501tsuroko17

やがて日も暮れたので、もう歩き回るのはやめて岬屯所前のバス停でバスを待ちました。

230501tsuroko18

すっかり暗くなった港を日の名残りが淡く染めています。

この後来たバスで安芸に向かいました。

<関連記事>
 「四国みぎした旅行(10)隆起する室津港」(室戸市)
 「四国みぎした旅行(17)夜須の手結内港」(香南市)

 「四国みぎした旅行(1)高知県境の町へ」 ※シリーズ最初の記事

 

| | コメント (0)

« 2024年3月 | トップページ | 2024年5月 »