四国みぎした旅行(21)岩崎彌太郎生家と旧街道の建物(高知県安芸市)
2023年GWの高知旅行の続きです。
土居廓中(かちゅう)を見た後、安芸平野を西に横切って、岩崎彌太郎生家を訪ねました。
三菱グループの創業者です。
このあたりの集落は、等高線に沿うように山裾を南北に通る旧街道から下る斜面に連なっています。
この茅葺屋根の建物は、岩崎彌太郎の曽祖父が江戸時代の1795年に建てたものを修復保存しています。
外観は撮影OKですが、建物内部の撮影・上がることはNGでした。
左側に見える「岩崎彌太郎生誕之地」の記念碑は、三菱グループが1963年に建てたものです。
生家の向かいにはボランティア観光ガイドの詰所があって、数人のガイドの方がおられました。
ここでフラフのことなども教えていただきました。
訪問日:2023年5月2日
庭の石組みは日本列島を模したもので、十代の岩崎彌太郎が作ったという説明がありました。
これを眺めては雄飛を志していたようです。
母屋の裏には三菱の紋が入った蔵があります。
彌太郎の没後に建てられたものだそうです。
蔵がいくつもあって豊かに見えますが、生家の元々の敷地は母屋の幅ぐらいで、もっと狭かったとか。
広い裏庭には祠などもありました。裏庭には入れません。
敷地の境界には竹垣がありました。
ほんとに元々竹垣だったんでしょうか。
彌太郎が暮らしていた頃よりかなり立派になっているような。
生家から坂を下ったところに岩崎彌太郎像がありました。
元々は市街地の江の川上公園に昭和61年に建てられ、平成27年にこの場所に移築されたそうです。
視線の先には安芸市街地と太平洋があるのでしょうか。良いロケーションです。
生家の近くには一宮神社があります。
この狛犬は岩崎彌太郎が寄進したそうです。
この後は街道に沿って安芸市街を目指しました。
小高いところを等高線に沿うように続くので眺めもよく、快適な道です。
途中気になったのが、このように青い壁の住宅を見かけること。
「群青漆喰」と言われ、安芸市周辺で昭和初期まで使われていたという情報がありました。
古民家ホステルの東風ノ家さんに関する情報がほとんどなのですが。
こちらも1階に群青色の壁があります。
水切り瓦の蔵も多いですね。
こちらは湯気抜き・煙抜きというのか換気用というのか、小さな屋根が乗っていて、どういう使われ方をしていた建物なのか気になります。
水切り瓦の付いた蔵は次々現れます。
なお、右奥に見える山は妙見山と言って山頂に星神社があり、彌太郎がよく登っていたそうです。
北極星を崇める妙見信仰は高知にもあるんですね。
さらに水切り瓦の蔵。
途中、工事中の高架橋脚がありました。
建設中の南国安芸道路です。
こんなふうに、旧街道の脇には水切り瓦の蔵がたくさんありました。
しかも1階は平瓦を貼っていたりします。目地を盛り上げたなまこ壁のもありますが、むしろ目地が沈んだものの方が多い気もします。
何と呼ぶんでしょう。
古い集落を見ながら走るとそのまま安芸市街に入りました。
このあたり、自転車で走るのに良いところです。
<関連記事>
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