四国みぎした旅行(22)安芸の旧市街を歩く(高知県安芸市)
2023年GWの高知旅行の続きです。
安芸駅前で無料レンタサイクルを借り、郊外の土居廓中や岩崎彌太郎生家などを回った後は、安芸旧市街に入って一気に海岸まで出ました。
海岸にはしらすの天日干しの風景が広がっていました。(後で昼ご飯にしらす丼を食べました)。
訪問日:2023年5月2日
振り返ると道路の反対側には加工場が並んでいます。
その背後には古そうな木造の倉庫が並んでいました。
福祉施設に転用されているものもありました。
自転車なので一走りで旧市街の西の端まで。すぐそこは安芸港です。
カリヨン広場に石を貼り付けたような変わった建物があります。
実はこのあたりにかつて土佐電気鉄道安芸線の終点・安芸駅があったそうです。
駅舎は路線廃止後もバス待合所として使われていましたが、解体されて、その後に作られた安芸線の記念モニュメントがこれです。
内部の壁面には安芸線に関する様々な古写真や資料が貼られていました。
安芸線は後免から始まって安芸まで。
ちょうど夜須で歩いたサイクリングロードが安芸線の廃線跡で、ここが終点ということになります。
ちなみにモニュメントの向かいには高知東部交通の本社があり、バスがたくさん止まっていました。
安芸港に出てみると「日本一高い防波堤 海面より16.0m 安芸漁港」と書かれています。
海が見えません。台風の高潮に(地震による津波にも?)備えているのでしょうね。
その後はまたゆっくり旧市街の北側を走っていきました。
旧市街を歩くとすぐわかるのですが、海に向かって細長い丘が続いています。
これは元砂丘で、安芸市街は海岸砂丘の上に東西に長く伸びているということになります。
安芸平野の西側を北から南へほとんどまっすぐ流れてきた江の川は、旧市街の手前で急に東に大きく曲がり、旧市街を巻くように流れて安芸川の河口付近に流れ込んでいます。砂丘に行く手を遮られたためです。
ここで一旦、自転車を返して、後は歩きで回りました。
実際に歩いたルートはあっち行き、こっち行きなのですが、それだと分かりにくいので本町通りを西から東に紹介します。
本町通りはこの町の古いメインストリートで、砂丘の一番高いところからは一筋だけ海寄りを通っているようです。
「本町四丁目」のバス停が立っているのは喫茶田園の前です。
このあたりはとても静かです。
少し歩くと道をまたいで通されているパイプがゲートのようです。
この両側は菊水酒造です。
本町通りにも古い倉庫のようなものがありました。
カトリック教会聖母献身会と書かれていて、前村記念博物館ブログによれば、司祭館で昭和26年築だそうです。
煉瓦塀と煉瓦壁の建物もありました。天理教赤野分教会の一角です。
さらに進むと元旅館・東陽館。阪神タイガース安芸キャンプの宿舎だったそうです。
黒い戸袋に漆喰で「東陽館」の骨太の文字が残っています。
水切り屋根のつく伝統的な建物。
「売物件」の張り紙が貼られていました。
こちらは松本外科。洋風の診察室でしょうか。
旧街道は町の東でいったん北に折れます。
その途中にある洋風看板建築。軒蛇腹が入ります。
元々は窓手すりが付いていたようですね。
古い町家をぶち抜いたようなげいようハイヤーの建物。
端に簡易郵便局も入っています。
旧街道はこの門でまた東に折れます。
やがて旧市街の東の端に来ました。
迂回してきた江の川を渡るところに梶橋が架かっています。
上の写真は渡った先から旧市街を振り返ったところです。
達筆な文字で「昭和十七年二月架換」と書かれていました。
橋の欄干にまた橋の形が入ったようなかっこいいデザインです。
親柱には鉄の格子が入り、機械を思わせるような装飾です。
昭和17年にしてはデザインにゆとりを感じます。
ここまでで旧市街の探訪は折り返しました。
今回の記事は旧街道の建物について近代建築寄りに紹介しましたが、かなり端折っています。
水切り瓦の蔵や瓦塀など、伝統を感じる町並みがありますので、機会あれば歩いてみてください。
<関連記事>
「四国みぎした旅行(20)野良時計と土居廓中」(安芸市)
「四国みぎした旅行(21)岩崎彌太郎生家と旧街道の建物」(安芸市) 前の記事
「四国みぎした旅行(1)高知県境の町へ」 このシリーズ最初の記事
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