四国みぎした旅行(24)安田中心部を歩く(高知県安田町)
2023年GWの高知旅行の続きです。
伊尾木洞の後、東の安田町に移動しました。
土佐くろしお鉄道の安田駅は高架の上、トンネルを抜けてすぐの場所にあります。
安田町は周辺の安芸や田野・奈半利に比べると狭い平野です。
駅からは早くからこの地域で取り入れられたビニールハウスが見渡せました。
駅から安田の町までは500mほど。
安田の集落に入ったあたりに「南」「玉の井」ブランドの日本酒を出している南酒造場があります。
また後で出てきますが、高知県最大手の土佐鶴酒造もあります。
安田川の伏流水を利用した酒蔵の立地だそうです。
この小さな町に有名な酒蔵が2つもあるのはすごいこと。
南酒造場の蔵。水切り瓦が付いています。
向かいには乗光寺。
この門は大正末期のもので、登録有形文化財だそうです。
安田町には登録有形文化財が多く、現地に解説が掲示されています。
三菱との交流で鉄筋コンクリート造が採用され、鉄製の扉は戦時中に金属供出されたと書かれています。
こちらも同様に登録有形文化財の南商店。
洋服や食料品、雑貨などを扱う商店で、大正中〜後期の建築だそうです。
昔盛んだったお伊勢参りを通じて三重の建築様式が伝わったと書かれていますが、私にはどのあたりがそうなのか、よく分かりません。
(土佐の水切り瓦に目が行ってしまうので)
向かいの商店のモザイクタイル。
懐かしさを感じさせる貼り方です。
海沿いの道路は高くなっていて、そこから散髪屋さんの勝手口に私設の橋が架かっていました。
2階の高さです。
その道路脇には安田川橋の親柱(大正14年12月)と災害復興記念碑が立っています。
記念碑は室戸台風からの復興記念碑でしょうか。裏には回れませんでした。
旧道を歩いていくと、公開されている旧柏原家住宅(右の和風建築。昭和前期)と旧市川医院(左の洋風建築。大正2年)があります。
ともに開業医でした。残念ながらこの日は休館日で入れませんでした。
こちらが旧市川医院(大正2年)です。
開いていれば企画展などが見られます。
向かいの並びには安田町お試し滞在施設がありました。
将来の移住希望者が最大1ヶ月滞在できるそうです。
こちらは土佐鶴酒造の本社。昭和の現代的デザインです。
裏に回るとコンクリートの建物。
大きな蔵も並んでいました。
土佐鶴の酒蔵はここだけでなくて、東の丘の上に平成8年・12年に大規模な酒蔵を建設しています。
旧道をもう少し西に進みました。
浄土真宗・誓願寺の赤煉瓦塀が見えます。
右手前の胸像は安田鰹鮪船主開館の前に立つ坂田秀継翁像(昭和36年)です。
漁業関係に功績のあった方らしいです。
その先には山本○吉氏頌徳碑がありました(昭和7年?)。
これも漁業関係者の記念碑のようです。
裏に碑文があるのですが、自然石の表面そのままに刻まれていて、木で隠れている部分もあるのでよく分かりません。
このあたりでそろそろ引き返します。
古い住宅という訳ではないですが、飾り瓦に凝ったものがありました。
これは鷹です。
こちらは梅にウグイスの飾り瓦。
帰りは海岸沿いを歩きました。遠くに見えるのは羽根岬でしょうか。
再び駅に戻ってきました。
この時に知ったのですが、安田駅の南側、安田町文化センターに無料のレンタサイクルがあるようです。
安田の中心部なら徒歩で良いですが、安田川左岸の魚梁瀬森林鉄道の跡をたどったりするならレンタサイクルが便利かなと思います。
コンパクトな町ながら、農業、畜産、木材、漁業、酒造など様々な産業があり、その分、様々な歴史が蓄積していることが感じられました。
映画館の大心劇場も訪ねてみたいところです。
安田町の隣町が田野町で、ここで前年の旅行とつながりました。
次の話は室戸市に飛びます。(実際の旅程ではこの後に夜須に行きました)
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