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2024年3月

2024年3月28日 (木)

四国みぎした旅行(24)安田中心部を歩く(高知県安田町)

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2023年GWの高知旅行の続きです。
伊尾木洞の後、東の安田町に移動しました。
土佐くろしお鉄道の安田駅は高架の上、トンネルを抜けてすぐの場所にあります。
安田町は周辺の安芸や田野・奈半利に比べると狭い平野です。
駅からは早くからこの地域で取り入れられたビニールハウスが見渡せました。

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駅から安田の町までは500mほど。
安田の集落に入ったあたりに「南」「玉の井」ブランドの日本酒を出している南酒造場があります。
また後で出てきますが、高知県最大手の土佐鶴酒造もあります。
安田川の伏流水を利用した酒蔵の立地だそうです。
この小さな町に有名な酒蔵が2つもあるのはすごいこと。

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南酒造場の蔵。水切り瓦が付いています。

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向かいには乗光寺。
この門は大正末期のもので、登録有形文化財だそうです。
安田町には登録有形文化財が多く、現地に解説が掲示されています。
三菱との交流で鉄筋コンクリート造が採用され、鉄製の扉は戦時中に金属供出されたと書かれています。

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こちらも同様に登録有形文化財の南商店。
洋服や食料品、雑貨などを扱う商店で、大正中〜後期の建築だそうです。
昔盛んだったお伊勢参りを通じて三重の建築様式が伝わったと書かれていますが、私にはどのあたりがそうなのか、よく分かりません。
(土佐の水切り瓦に目が行ってしまうので)

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向かいの商店のモザイクタイル。
懐かしさを感じさせる貼り方です。

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海沿いの道路は高くなっていて、そこから散髪屋さんの勝手口に私設の橋が架かっていました。
2階の高さです。

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その道路脇には安田川橋の親柱(大正14年12月)と災害復興記念碑が立っています。
記念碑は室戸台風からの復興記念碑でしょうか。裏には回れませんでした。

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旧道を歩いていくと、公開されている旧柏原家住宅(右の和風建築。昭和前期)と旧市川医院(左の洋風建築。大正2年)があります。
ともに開業医でした。残念ながらこの日は休館日で入れませんでした。

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こちらが旧市川医院(大正2年)です。
開いていれば企画展などが見られます。

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向かいの並びには安田町お試し滞在施設がありました。
将来の移住希望者が最大1ヶ月滞在できるそうです。

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こちらは土佐鶴酒造の本社。昭和の現代的デザインです。

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裏に回るとコンクリートの建物。

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大きな蔵も並んでいました。

土佐鶴の酒蔵はここだけでなくて、東の丘の上に平成8年・12年に大規模な酒蔵を建設しています。

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旧道をもう少し西に進みました。
浄土真宗・誓願寺の赤煉瓦塀が見えます。

右手前の胸像は安田鰹鮪船主開館の前に立つ坂田秀継翁像(昭和36年)です。
漁業関係に功績のあった方らしいです。

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その先には山本○吉氏頌徳碑がありました(昭和7年?)。
これも漁業関係者の記念碑のようです。
裏に碑文があるのですが、自然石の表面そのままに刻まれていて、木で隠れている部分もあるのでよく分かりません。

このあたりでそろそろ引き返します。

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古い住宅という訳ではないですが、飾り瓦に凝ったものがありました。
これは鷹です。

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こちらは梅にウグイスの飾り瓦。

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帰りは海岸沿いを歩きました。遠くに見えるのは羽根岬でしょうか。

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再び駅に戻ってきました。
この時に知ったのですが、安田駅の南側、安田町文化センターに無料のレンタサイクルがあるようです。
安田の中心部なら徒歩で良いですが、安田川左岸の魚梁瀬森林鉄道の跡をたどったりするならレンタサイクルが便利かなと思います。

コンパクトな町ながら、農業、畜産、木材、漁業、酒造など様々な産業があり、その分、様々な歴史が蓄積していることが感じられました。
映画館の大心劇場も訪ねてみたいところです。

安田町の隣町が田野町で、ここで前年の旅行とつながりました。
次の話は室戸市に飛びます。(実際の旅程ではこの後に夜須に行きました)

<関連記事>
 「四国みぎした旅行(23)昔話のような伊尾木洞(安芸市)」 前の記事

 「四国みぎした旅行(15)田野町の街道を歩く(田野町)」 東の隣町

 「四国みぎした旅行(1)高知県境の町へ」 シリーズ最初の記事

 

 

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2024年3月26日 (火)

四国みぎした旅行(23)昔話のような伊尾木洞(高知県安芸市)

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2023年GWの高知旅行の続きです。
安芸の街を歩いた後、列車で1駅移動して伊尾木(いおき)駅へ。

前年の旅行の時に、SNSでOさんにお勧めいただいた伊尾木洞を見学するためです。

線路に並行して旧道を東へ少し歩きます。

訪問日:2023年5月2日

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旧道が小さな川を越えるところに欄干のとても低いコンクリート橋があります。

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昭和二年と書かれた古い橋です。橋の名前は「洞川橋」でしょうか。
アスファルト舗装した時に埋もれてしまったようです。

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この川の先に伊尾木洞があります。

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入口には観光案内板が立っていました。
だいたいの位置関係を把握しておきます(列車の時間があるので)。

観光ガイドや無料の長靴貸出もあるようですよ。
詳しくはこちら→安芸市HP「伊尾木洞」

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さて入口。入場ゲートなどはなくて、そのまま入っていけます。無料です。
この洞窟は海食洞、つまり波に削られてできたものらしいです。
その後、川にも侵食されています。

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ちゃんと整備された遊歩道になっています。洞窟はそんなに長くはなく(40mほど)、すぐ向こう側に出ます。
洞窟は縦に細長くて、天井は結構な高さがあります。
高さ5mほどといいますが、体感的にはもっと高いです。

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振り返るとこんな感じ。荒々しい岩肌です。

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その先は両岸が切り立っています。
シダが群生し、光が射す、とても美しい情景です。

約40種類のシダが群生しているそうです。

伊尾木洞は前日泊まった旅館の方にも勧められました。
ちょうどNHKの朝ドラで牧野富太郎が取り上げられ、そこに出てくるので観光客が増えているという話でしたが、混んでいるという程でもありません。

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だんだん崖は低くなっていきます。
人も少なくなっていきます。

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だんだん道も狭くなり、丸木橋を渡ったり木のはしごを降りたり。

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最後には滝にたどり着きます。
ここからまた引き返す人が多いようですが、私はこの先の道を登るコースにしました。
ここまでのような特別感はなく、ただ山道を登っていきます。

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崖の上に上がるとそこはのどかな田園風景。
なんだか狐に化かされたようです。

普通に農家の建物も並んでいます。

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そんな建物を覗き込むと、え、人形?

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農作業をしているのも人形。

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ベンチに座っているのも人形。

農作業をされている普通の人間もおられたので、まだ現実感がありましたが、人形だけだとゾッとします。
この流れは日本昔話のようです。別に驚かすつもりはないのでしょうが。

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やがて田んぼが広がり、その向こうには海。
広々した景色です。

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とここでもう一段の驚きがあります。
やはりここは崖の上だったのです。

元の集落に戻るにはこの坂を降りないといけません。

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こんな風に景色がくっきり分かれています。

下から眺めた斜面の上にまさかこんなのどかな世界が広がっているとは。

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下の集落に降りて、少し旧街道を歩きました。
駅の近くのこの建物が気になりました。

再び伊尾木駅まで戻って約50分。
列車はだいたい1時間に1本なので、ちょうどいい時間です。

わずかの時間でとても不思議な体験ができました。
教えていただいたOさんありがとうございました。

<関連記事>
 「四国みぎした旅行(22)安芸の旧市街を歩く」 前の記事

 「四国みぎした旅行(1)高知県境の町へ」 このシリーズ最初の記事

 

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2024年3月20日 (水)

四国みぎした旅行(22)安芸の旧市街を歩く(高知県安芸市)

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2023年GWの高知旅行の続きです。
安芸駅前で無料レンタサイクルを借り、郊外の土居廓中や岩崎彌太郎生家などを回った後は、安芸旧市街に入って一気に海岸まで出ました。
海岸にはしらすの天日干しの風景が広がっていました。(後で昼ご飯にしらす丼を食べました)。

訪問日:2023年5月2日

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振り返ると道路の反対側には加工場が並んでいます。

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その背後には古そうな木造の倉庫が並んでいました。
福祉施設に転用されているものもありました。

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自転車なので一走りで旧市街の西の端まで。すぐそこは安芸港です。
カリヨン広場に石を貼り付けたような変わった建物があります。
実はこのあたりにかつて土佐電気鉄道安芸線の終点・安芸駅があったそうです。
駅舎は路線廃止後もバス待合所として使われていましたが、解体されて、その後に作られた安芸線の記念モニュメントがこれです。

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内部の壁面には安芸線に関する様々な古写真や資料が貼られていました。
安芸線は後免から始まって安芸まで。

ちょうど夜須で歩いたサイクリングロードが安芸線の廃線跡で、ここが終点ということになります。

ちなみにモニュメントの向かいには高知東部交通の本社があり、バスがたくさん止まっていました。

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安芸港に出てみると「日本一高い防波堤 海面より16.0m 安芸漁港」と書かれています。
海が見えません。台風の高潮に(地震による津波にも?)備えているのでしょうね。

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その後はまたゆっくり旧市街の北側を走っていきました。
旧市街を歩くとすぐわかるのですが、海に向かって細長い丘が続いています。
これは元砂丘で、安芸市街は海岸砂丘の上に東西に長く伸びているということになります。

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安芸平野の西側を北から南へほとんどまっすぐ流れてきた江の川は、旧市街の手前で急に東に大きく曲がり、旧市街を巻くように流れて安芸川の河口付近に流れ込んでいます。砂丘に行く手を遮られたためです。

ここで一旦、自転車を返して、後は歩きで回りました。

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実際に歩いたルートはあっち行き、こっち行きなのですが、それだと分かりにくいので本町通りを西から東に紹介します。
本町通りはこの町の古いメインストリートで、砂丘の一番高いところからは一筋だけ海寄りを通っているようです。

「本町四丁目」のバス停が立っているのは喫茶田園の前です。
このあたりはとても静かです。

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少し歩くと道をまたいで通されているパイプがゲートのようです。
この両側は菊水酒造です。

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本町通りにも古い倉庫のようなものがありました。

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カトリック教会聖母献身会と書かれていて、前村記念博物館ブログによれば、司祭館で昭和26年築だそうです。

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煉瓦塀と煉瓦壁の建物もありました。天理教赤野分教会の一角です。

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さらに進むと元旅館・東陽館。阪神タイガース安芸キャンプの宿舎だったそうです。
黒い戸袋に漆喰で「東陽館」の骨太の文字が残っています。
水切り屋根のつく伝統的な建物。
「売物件」の張り紙が貼られていました。

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こちらは松本外科。洋風の診察室でしょうか。

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旧街道は町の東でいったん北に折れます。
その途中にある洋風看板建築。軒蛇腹が入ります。
元々は窓手すりが付いていたようですね。

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古い町家をぶち抜いたようなげいようハイヤーの建物。
端に簡易郵便局も入っています。

旧街道はこの門でまた東に折れます。

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やがて旧市街の東の端に来ました。
迂回してきた江の川を渡るところに梶橋が架かっています。
上の写真は渡った先から旧市街を振り返ったところです。
達筆な文字で「昭和十七年二月架換」と書かれていました。

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橋の欄干にまた橋の形が入ったようなかっこいいデザインです。

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親柱には鉄の格子が入り、機械を思わせるような装飾です。
昭和17年にしてはデザインにゆとりを感じます。

ここまでで旧市街の探訪は折り返しました。

今回の記事は旧街道の建物について近代建築寄りに紹介しましたが、かなり端折っています。
水切り瓦の蔵や瓦塀など、伝統を感じる町並みがありますので、機会あれば歩いてみてください。

<関連記事>
 「四国みぎした旅行(20)野良時計と土居廓中」(安芸市)
 「四国みぎした旅行(21)岩崎彌太郎生家と旧街道の建物」(安芸市) 前の記事

 「四国みぎした旅行(1)高知県境の町へ」 このシリーズ最初の記事

 

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2024年3月17日 (日)

4月から改修の西宮中央運動公園(兵庫県西宮市)

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高知の旅の話の途中ではありますが、急いだ方がよい記事がありますので、先に取り上げます。
先日、近代の公園の探訪で西宮中央運動公園を訪ねました。
西宮運動中央公園(西宮市民運動場)は、昭和17年の開設です。

上の写真は公園東南側の歩道橋から撮ったもので、右に見えるグラウンドは野球場です。
左奥にスポーツセンターや体育館が見えます。

訪問日:2024年3月9日

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<国土地理院空中写真・米軍1948年撮影>

元々公園エリアの真ん中を江戸時代には西国街道が突っ切っていました。
街道は明治時代にはもう少し東寄りのルートに変わったようですが。
これを見ると現在の公園の範囲は(戦後の食糧難で?)ほとんど田畑になっているように見えます。
現在のテニスコートの場所には小さな建物が立ち並んでいます。
これが1949年になると現在の陸上競技場の原型となるトラックが確認できます。

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公園に行って初めて知ったのですが、4月から公園を通り抜けられなくなるという張り紙がありました。
期間はなんと5年間。

西宮市のHPに情報がありました。

西宮市HP「西宮中央運動公園再整備事業について」

リンク先を見ていただくとわかるのですが、第1期として陸上競技場・野球場・遊具広場が解体されます。
その後、新体育館・新武道館、新陸上競技場(これは現位置に)が建設され、完成後に第2期の現中央体育館・西宮スポーツセンター解体工事が始まります。野球場はなくなるようです。公園の様相が大幅に変わりますので、今のうちにお伝えしておく必要があると感じました。気になるものがありましたら、3月中に見に行ってください。

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現在の様子を紹介します。
まずは南側にある門。丸石を貼り付けた門柱が立っています。
両脇にも小ぶりな門柱が添えられています。

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右側の門柱を拡大しました。
いつ頃のものかは分かりません。少なくとも昭和40年代以前だろうなとは思います。

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南門から続く中央の通路には屋根のないアーケードのようなモニュメントがあります。
この通路は西国街道の代替ルートという趣きもあります。

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北門には片側の門柱だけ残っていました。
南門の脇の柱ぐらいのサイズです。

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北門の近くにコンクリートの手洗い場がありました。
木材で芯が作られています。
時期は分かりません。

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遊具エリアを見てみます。
円形の砂場と円弧状の藤棚がありました。

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藤棚の真ん中には寄り添う幼児の像。
尼崎市の公園でも似たような像を見ます。

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遊具で異彩を放っていたのはこの宇宙船のような滑り台です。
この近未来感は1960〜70年代の遊具でしょうか。

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土管型遊具の発展形もありました。

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砂場には擬木の遊具。

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遊具公園脇には別のデザインの水飲み場がありました。
なんとなく1960〜70年代を思わせる人研ぎの水飲み場です。

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こちらは陸上競技場です。

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西宮市立中央体育館(昭和40年(1965年))。
上から見ると八角形の屋根の形をしています。

令和9年からの第2期工事で解体されます。

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隣には西宮スポーツセンター(昭和45年(1970年))。
これも令和9年から第2期工事で解体予定です。

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大きめの木としてはこの松の木がありました。
外周にはサクラやキョウチクトウなどが植えられています。

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公園の北西にある壁打ちテニスコート。
壁打ちのテニスコートは残りますが、このままなのかは不明です。

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テニスコートのクラブハウス。
戦前とまではいかないかもしれませんが、そこそこ古いと思われる下見板張りの建物です。
色遣いにもレトロ感があります。

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屋根から大きな木製のひさしが伸びていて、その下が通路になっています。

テニスコートは工事の計画に入っていないようです。
個人的にはこのクラブハウスは残ってほしいなと思います。

最終的にどう変わるのか、確認できるのはまだ先のことになります。

<関連記事>
 「再整備前の南公園へ」(愛知県岡崎市)※同様に2024年4月から大規模改修

 近代公園のインデックス

 

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2024年3月14日 (木)

四国みぎした旅行(21)岩崎彌太郎生家と旧街道の建物(高知県安芸市)

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2023年GWの高知旅行の続きです。
土居廓中(かちゅう)を見た後、安芸平野を西に横切って、岩崎彌太郎生家を訪ねました。
三菱グループの創業者です。

このあたりの集落は、等高線に沿うように山裾を南北に通る旧街道から下る斜面に連なっています。

この茅葺屋根の建物は、岩崎彌太郎の曽祖父が江戸時代の1795年に建てたものを修復保存しています。
外観は撮影OKですが、建物内部の撮影・上がることはNGでした。

左側に見える「岩崎彌太郎生誕之地」の記念碑は、三菱グループが1963年に建てたものです。

生家の向かいにはボランティア観光ガイドの詰所があって、数人のガイドの方がおられました。
ここでフラフのことなども教えていただきました。

訪問日:2023年5月2日

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庭の石組みは日本列島を模したもので、十代の岩崎彌太郎が作ったという説明がありました。
これを眺めては雄飛を志していたようです。

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母屋の裏には三菱の紋が入った蔵があります。
彌太郎の没後に建てられたものだそうです。
蔵がいくつもあって豊かに見えますが、生家の元々の敷地は母屋の幅ぐらいで、もっと狭かったとか。

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広い裏庭には祠などもありました。裏庭には入れません。

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敷地の境界には竹垣がありました。
ほんとに元々竹垣だったんでしょうか。

彌太郎が暮らしていた頃よりかなり立派になっているような。

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生家から坂を下ったところに岩崎彌太郎像がありました。

元々は市街地の江の川上公園に昭和61年に建てられ、平成27年にこの場所に移築されたそうです。
視線の先には安芸市街地と太平洋があるのでしょうか。良いロケーションです。

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生家の近くには一宮神社があります。
この狛犬は岩崎彌太郎が寄進したそうです。

この後は街道に沿って安芸市街を目指しました。
小高いところを等高線に沿うように続くので眺めもよく、快適な道です。

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途中気になったのが、このように青い壁の住宅を見かけること。
「群青漆喰」と言われ、安芸市周辺で昭和初期まで使われていたという情報がありました。
古民家ホステルの東風ノ家さんに関する情報がほとんどなのですが。

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こちらも1階に群青色の壁があります。

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水切り瓦の蔵も多いですね。
こちらは湯気抜き・煙抜きというのか換気用というのか、小さな屋根が乗っていて、どういう使われ方をしていた建物なのか気になります。

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水切り瓦の付いた蔵は次々現れます。
なお、右奥に見える山は妙見山と言って山頂に星神社があり、彌太郎がよく登っていたそうです。
北極星を崇める妙見信仰は高知にもあるんですね。

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さらに水切り瓦の蔵。

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途中、工事中の高架橋脚がありました。
建設中の南国安芸道路です。

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こんなふうに、旧街道の脇には水切り瓦の蔵がたくさんありました。
しかも1階は平瓦を貼っていたりします。目地を盛り上げたなまこ壁のもありますが、むしろ目地が沈んだものの方が多い気もします。
何と呼ぶんでしょう。

古い集落を見ながら走るとそのまま安芸市街に入りました。
このあたり、自転車で走るのに良いところです。

<関連記事>
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2024年3月 6日 (水)

四国みぎした旅行(20)野良時計と土居廓中(高知県安芸市)

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2023年GWの高知旅行の続きです。
この日は安芸に泊まり、中心部を回るより先に、野良時計、安芸城址、武家屋敷の土居廓中(どいかちゅう)などのある土居地区を訪ねました。
上の写真は野良時計です。説明は後ほど。

訪問日:2023年5月2日

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中心市街地からは少し離れるので、安芸駅ぢばさん市場の無料レンタサイクルを借りました。
平坦なので、普通の自転車で問題ありません。

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土居地区の集落は水路に沿って連なっているので、その末端部分である安芸川の近くをまず目指し、そこから水路を遡っていくことにしました。
安芸川の近くの集落にあった住宅の洋風部分。

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安芸川には、昔、船が着いたらしき場所があります。

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ここから古い道をたどっていくと、祠や井戸があります。

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水路沿いに建つ水切り屋根の蔵。

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水路の分岐部分。これは下流を向いていますが、上流側でも2つに分かれていました。
水路の交差点?

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売りに出ていた農業倉庫。売物件はちょくちょく見かけました。

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水路は、登録文化財の森澤家住宅の敷地に沿って折れています。

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その斜向かいには、美しい瓦塀がありました。

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その近くに野良時計はあります。
私はトップページのような風景をイメージしていたので(実際そう撮ることはできるけれど)、こんな大きな道路に面しているとは思いませんでした。せせらぎまで作ってあります。野良時計の見学は外観のみです。

野良時計は、明治5年、地主の息子だった畠中源馬少年が11歳の時にアメリカ製の八角掛時計を買ってもらい、それを何度も分解しては組み立てて構造を学び、明治20年頃といいますから26歳の頃に分銅や歯車などの部品から自作して作ったものらしいです。村人が農作業の際に時間を見ることができるように、3面に時計が付いています。

>結構少しずつ違う情報が出回っていますが、ニッポン旅マガジンの「野良時計」の記事を参照させていただきました。

120年余り動いていたのですが、平成16年(2004年)にお孫さんの畠中秀雄さんが亡くなると止まってしまったという話は、まるで「おじいさんの古時計」ですね。その後は動かせる人が常時はいないので、時々動かされているそうです。(参考:Web高知「野良時計」

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さらに進むとノコギリ屋根の工場もありました。

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このあたりから土居廓中(かちゅう)と呼ばれる武家屋敷の町並みに入ります。
江戸時代の町割を留め、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
戦国時代につくられた安芸城の周辺に、江戸時代、土佐藩家老の五藤家により町並みが整備されました。

→参考:安芸市HP「安芸市土居廓中伝統的建造物群保存地区」

上の写真は寺村家住宅長屋門ですが、戦時迷彩が残っているようです。
同じ屋敷の蔵にも戦時迷彩らしきものがありました。
明治半ばに寺村家は医院を開院し、現在の建物はその時に建てられたもので、長屋門は患者の入院施設として使われたそうです。

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土居廓中の特徴はこの生け垣です。
ドヨウダケ、ウバメガシ、ナギなどが使われ、石を並べて側溝が作られています。

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その土居廓中で一軒、江戸末期の武家住宅である野村家住宅が無料公開されています。
畑のある庭に向かって開放的なつくりになっています。

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とそんな江戸時代の住宅ですが、江戸時代の便所とともに、近代に作られた便所もあります。
ここに興味をひかれました。窓ガラスが小紋ガラスです。

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便所は扉が閉まっていたのですが、内装が気になって、「開けて良いですか?」と確認して開けさせてもらいました。
そこに染付の小便器と大便器があったのにびっくり。大きなアシダカグモが2匹いたのにも怯みましたが。
大便器の写真は汚れがあるので自粛します。

私はすごいと興奮していたのですが、案内されている方は、「これは新しいよ」(江戸時代のものに比べたら)という反応でした。

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そのまま歩いていくとお堀があって、安芸城跡がありました。
そんなに高くも、広くもなくて、ちょっと古墳みたいな雰囲気です。

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城の中に入ると、五藤家安芸屋敷があります。
これは明治になって取り壊された後、明治20〜30年代に建てられたものという解説板がありました。

このほか、城内には歴史民俗資料館、書道美術館などがあります。
歴史民俗資料館で気になったのは、天体望遠鏡やプラネタリウムを製造する五藤光学研究所の創業者・五藤齊三氏がここの生まれということです。
何かものづくりの気風があるのでしょうか。

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安芸城跡の詰からの眺め。手を伸ばして撮りましたが。
眼下に土居廓中が広がり、遠くにビニールハウス、そして海が見えます。

今はすっかり郊外になってしまいましたが、城下町だったころの様子が少し伺えます。

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2024年3月 3日 (日)

四国みぎした旅行(19)極彩色の5月(高知県芸西村・安芸市他)

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2023年GWの高知旅行、「白と黒の和食」の続きです。
前回、芸西村和食(わじき)のことを書きましたが、その中で触れなかったことがあります。
それがこの旗です。

撮影日:2023年5月3日

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拡大してみましょう。
鬼退治後、宝物を得て凱旋する桃太郎が描かれています。
遠くには富士山でしょうか。

鯉のぼりとともに掲げられているので、しかも時期が5月初めなので、端午の節句の飾りであることが分かります。
しかも家紋や男の子の名前が書かれています(プライバシー保護の観点から、今回の写真では判別できる名前は消しました)。

岩崎彌太郎生家のボランティアガイドさんに教えていただいた話では、これは「フラフ」と呼ばれ、男の子が生まれると親族から贈られるものだそうです。語源は英語の「フラッグ」またはオランダ語の「フラハ」、つまり「旗」です。大漁旗をイメージされていて、高知県東部の風習だそうです。ちなみに西部は幟だとか。

(参考)高知市HP「フラフ(土佐の手づくり工芸品)」

 かなり手間のかかる製造工程ですね。

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この図案は京の五条の橋の上での、牛若丸と弁慶の戦い。

気付くと気になるもので、姿が見えると記録したくなります。風が一定していないと撮るのが難しいですが。
昔はもっとたくさん上がっていたらしいです。

高知の青空に映えて鮮やかです。鯉のぼりを圧倒する主役感がありますね。

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こちらも図案は違いますが、五条大橋での牛若丸と弁慶の戦いです。

ここまでは芸西村のもの。

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ここから安芸市です。

撮影日:2023年5月2日

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龍になろうとする巨鯉をつかむ金太郎の図案です。

富士山と海はお約束みたいですね。

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馬に乗る若武者?兜はかぶってないようですし、竹をムチにしています。何の場面なんでしょう。

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こちらは風が吹かなくて図案が確認できませんが、2つ並んでいました。

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これは主従の武者が描かれています。
何の場面でしょう。

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撮影日:2023年5月3日

このフラフのデザインは、高知市のはりまや橋の商店街でも使われていました。
その元ネタが分からなければ、理解できないところです。

2022年も同時期に旅行したのに記憶にないのはどういうことでしょう。

5月初めだから見られる高知らしい極彩色の風景です。

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