« 岡崎旧市街中心部の建物(愛知県岡崎市) | トップページ | 県立農業大学校から東公園へ(愛知県岡崎市) »

2024年2月 7日 (水)

岡崎旧市街東部の建物(愛知県岡崎市)

160814okazakieast1

2016年夏の旅、「岡崎旧市街中心部の建物」の続きです。
さらに東に向かって歩いていきました。
訳あって一週間後の再訪です。

スタートはこの林弓具店から。(現在も営業中)
両脇に太い柱を立てたようなデザインの看板建築です。

訪問日:2016年8月21日

160814okazakieast18
<岡崎市街全図(昭和12年頃)>

昭和12年頃の東部はこんな感じです。
立ち寄っていませんが、東遊町のあたりは遊郭らしい町割りになっていますね。

この地図の左端あたりからスタートしています。
左端に右から「花崗町」と書かれているのが分かりますでしょうか。
これは花崗石を加工する石屋が集まっていたかららしいです。
岡崎は岡崎型狛犬でも有名です。付近にお寺が多いのも立地に関連がありそうです。
現在このあたりを通る道は石屋通りとなっています。

160814okazakieast2

花崗町には現在も何軒か石材店があります。(2023年1月現存)

160814okazakieast17

近くにあった灯籠を見ると、鯉の鱗やひれまで繊細に表現されていて、彫刻技術の高さを感じます。

160814okazakieast3

久右衛門町で印象に残った建物。理髪店(理容ヤマモト)、薬局(キクヤ薬品)、たばこ屋、切手販売所が一体化しています。
残念ながら、2020年11月〜2021年11月の間に解体されて現存しません。

160814okazakicenter17

旧東海道の伝馬通りには2軒(3軒?)並びの看板建築がありました。
曲面にタイルを貼ってみたり、奥行きをもたせたりしています。
左の学生服のアサヒヤさんは現在も営業されています。(ともに2023年1月現存)

160814okazakicenter18

向かいにある中根佛壇店東店も面白い壁面です。
正方形で埋め尽くしているよう。(2023年1月現存)
伝馬町。

160814okazakieast4

門前通りの中根太郎八商店は近代建築っぽい建物です。
繊維原料商の事務所です。(2022年9月現存)

160814okazakieast16

同じ門前通りの後藤内科。(2022年9月現存)
こちらは戦後建築と思われます。面格子なども面白いデザインです。
サッシが木製なので1950〜60年代でしょうか。

160814okazakieast15

日本福音ルーテル岡崎教会は、1953年(昭和28年)の建築で登録有形文化財です。

160814okazakieast5

十王町にある岡崎市役所を通り過ぎて、これも岡崎市の近代建築として有名な旧額田郡公会堂に到着しました。
大正2年(1913年)に現在地に建てられ、大正5年の市政施行によって岡崎市に譲渡されました。国の重要文化財です。
昭和44年からは岡崎市郷土館本館棟として活用されてきましたが、耐震の問題で平成22年度(2010年度)から内部非公開になっています。

160814okazakieast7

裏側には同年に建設された旧額田郡物産陳列所があります。
可愛らしいデザインですね。同じく重要文化財です。
元々はせきれいホールの位置に南向きに(ということは公会堂と向かい合って)建てられていました。
上の地図にも公会堂として3つの建物が描かれています。

昭和36年に県勤労会館(現せきれいホール)を建設するのに際して、現在地に北向きに移築されました。
岡崎市郷土館時代は収蔵庫棟として使われていたので、こちらは元々非公開だったのでしょうか。

以上の情報は、岡崎市HPの紹介ページを参照しました。

互いに近すぎて全体が見づらくなっているのが惜しい。

160814okazakieast14

物産陳列所玄関の持ち送り。

160814okazakieast6

旧額田郡物産陳列所看守人室(大正2年)

160814okazakieast8

また東に向かって歩きます。

すぐ近くの若宮町に、グリーンの洋館付き住宅がありました。(2023年1月現存)
物産陳列所のグリーンに触発されたのかと思うような。
四つ割菱の換気口もユニークです。

160814okazakieast9

三河染色整理加工協同組合事務所?※現存せず。2016年8月〜2019年9月に解体。左側の門柱のみ残る)
若宮八幡宮の西側。本来の目的地をかなり外れていて、今思い返しても、なぜここに行ったのか思い出せません。建物に呼ばれたのでしょうか。

160814okazakieast10

その手前にはのこぎり屋根2連の小さな工場もありました。※現存せず。2016年8月〜2019年9月に解体)

160814okazakieast11

最後は東公園内の旧本多忠次邸にゴール。
元々は昭和7年(1932年)、東京の世田谷区に建てられた住宅です。
なぜここに移築されたのかというと、建てたのが旧岡崎藩主の末裔だから。

岡崎市が整備して無料公開しています。

参考:おかざきおでかけナビ「旧本多忠次邸」

160814okazakieast12

壁泉の一部も移築されています。

160814okazakieast13

内部も素晴らしくて、この海中にいるような浴室も面白いでしょう?
他の部屋も素晴らしいので、上記のリンクや他の方の発信をご覧ください。

今回見にくい写真が多かったような気がします。すみません。

東公園については翌年再訪しましたので、改めて記事にします。

<関連記事>
 「岡崎旧市街西部の建物」(2016年8月)
 「岡崎旧市街中心部の建物」(2016年8月)
 「柱公園とその周辺の建物」(2023年8月)

 

|

« 岡崎旧市街中心部の建物(愛知県岡崎市) | トップページ | 県立農業大学校から東公園へ(愛知県岡崎市) »

建築」カテゴリの記事

国内旅行(愛知)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 岡崎旧市街中心部の建物(愛知県岡崎市) | トップページ | 県立農業大学校から東公園へ(愛知県岡崎市) »