四国みぎした旅行(16)高知市の東側を歩く
再び高知の話に戻ります。ここからは2023年GWの旅の記録です。
ブログでは「高知の旅2018(10)沢田マンション」の続きになります。
高知県の東に向かって紹介していきます。
さてこの時の旅でも、高知市に宿泊しました。
東に戻っていく前に、歩いたことのない高知市の東側を少し歩きました。
まず気になったのが、宿の近くのはりまや町の住宅です。
洋風が混ざっており、玄関周りを見ても、このように戦前の住宅っぽさがあります。
建物の影になる側面には下見板張の壁面や木製の小屋裏換気口が残っていました。
そのまま東に進むと現れるのが百足屋産業株式会社です。
昭和26年の建築らしいです。
その名の通り、ムカデをリアルに図案化した社章です。
足袋を作っていた会社なのでムカデを選んだらしいです。
玄関周りに戦前建築からの連続性を感じます。
左の車庫も同時期の建物に見えますね。
と百足屋産業について調べていたところ、昨年の10月中旬までに解体されたらしいことが分かりました・・・
これが見納めになるとは。
>建通新聞「百足屋のはりまや町事務所跡地は賃貸へ」(2023.10.5)
さらに東に進むと新堀川を渡ります。
この時、新堀川の水面を利用した道路拡幅の工事が行われていました。
新堀川は江戸時代の初めにできた運河かつ、お城の堀だったようです。
工事の案内です。令和7年3月31日までと書かれているので、現在も進行中です。
この新堀川の東側に「桜井」跡の碑がありました。
新堀川の東は新たに開かれた町なのですが、水質が悪かったため、1800年になって町奉行が近江から職人を招き、「もみぬき」により井戸掘りに成功したことを記念したものです。もみぬきというのは錐のように岩盤を打ち抜いて、その下の帯水層から水を得る、当時の最新技術だったようです。
(石碑は戦災で失われ、現在の石碑は戦後復元されたものとのこと)
→高知市HP「文化財情報 史跡 桜井跡」
隣には秋葉神社の祠もありました。
火除の神様で、もともと北新町・中新町・南新町の新堀川沿いにあった3社を、道路拡幅のため1社に合祀したものらしいです。
ここから先、この地図で見ると右の黄色く塗られた部分が江戸時代、新たに開かれた街です。
この地域は国立公文書館の「戦災概況図高知」を見ると戦災を免れた地域です。
残された壁。少し袖壁のデザインが残っています。
不思議な階段。物置の屋根に向かって階段が伸びています。
元は右側に建物があって、そこに登るものだったのでしょうか。
住宅地は今よくあるような区画で、何かありそうな印象は受けませんが、その中にも古そうな住宅がありました。
表の妻壁には小屋裏換気口の脇に装飾があります。
奥の妻壁にも装飾レリーフが入っています
歩いていると自由民権運動の結社の一つ、共行社跡の碑(昭和12年)がありました。
高知市内には自由民権運動の史跡が散在しているようです。(「民権史跡案内図」)
散髪屋さんのモザイクタイル柱。
この日は適当なところで引き返してしまいましたが、戦災を免れた地域であり、見ていくとまだ何かあるのかなと思います。
<関連記事>
「近代の高知公園」
「高知城周辺の近代建築など」
四国みぎした旅行の最初
「(1)高知県境の町へ」
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