四国みぎした旅行(18)白と黒の和食(高知県芸西村)
高知県東部にある芸西村の和食を訪ねました。
和食(わしょく)ではなくて、和食(わじき)と読みます。
土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線は高架を走る区間が多く、その中でも和食駅はなかなかの景色。
南はすぐ太平洋が広がっています。
訪問日:2023年5月3日
北側を見ると山に囲まれた平野に住宅が立ち並んでいます。
線路に並行して旧街道があるのでそこを東に歩いていくと、すぐT字路があり、和食村道路元標が立っています。
てっぺんに窪みがあるのは、何か立てていたのでしょうか。
ここを左に曲がると一直線に和食のメインストリートです。
国道55号線を歩道橋で渡ります。
並行して建設中の高架橋脚が見えます。
高知東部自動車道の一部、南国安芸道路で、芸西西ICから西は既に開通しています。
来年春には四国横断自動車道と接続するらしく、このあたりの様子も変わってくるのでしょうか(安芸方面はまだ)。
最初の目的地にしたのは列車から見えて気になっていた洋館です。
メインストリート沿いにありますので難なくたどりつけます。
これは医院兼住居だった「末延医院」で、現地の看板によれば、昭和2年竹中工務店の設計だそうです。南ドイツ風というのは、医院だったことと関連するのでしょうか。鮮やかに塗り直された焦げ茶と白のコントラストが、高知の青空に映えてきれいです。
野良時計に次いで県で2番目の登録文化財とも書かれていました。
さらにその西側には清酒「土佐しらぎく」の仙頭酒造場の酒蔵群があります。
ここで気になるのが水切瓦とともに、軒下に残る戦時迷彩らしき墨の跡。
そこここの蔵に残っていました。高知ではよく見かけます。
南の海から米軍がまず到達するのが高知の海岸であることや、土佐漆喰の強さというのがたくさん見られる条件にあるのでしょうか。
(関連)「奈半利の戦時迷彩」9枚目の写真
たくさんある仙頭酒造場の建物の中でも気に入ったのがこの小さな小屋です。
元はペンキで真っ白に塗られていたのでしょうね。
和食のまちのあちこちでは木造の小屋を見かけます。
こちらは黒く塗られていたようです。
再びメインストリートに戻って、これは農協倉庫でしょう。
下見板張りの建物。今は電気工事会社が入っています。
軒下が白いので、元は全面が白く塗られていたものと思われます。
妻の部分を囲っているのはなぜでしょう。
ここでも家紋入りの門扉を見かけました。
空よりも鮮やかな青に塗られています。
(関連)「高知市種崎の門扉」
屋根が二段になった小屋。
メインストリートを歩いていくと建物が途切れました。
道はまだまっすぐ山に向かっていますが、このあたりで深入りはやめておきます。
ここから東に進みました。丘の上に上がると見渡す限りのビニールハウスが見えます。
芸西村は施設園芸が盛んなところで、ナスやピーマン、花卉などが栽培されています。
東に寄り道したのは芸西村伝承館(平成元年開館)を見に行くためです。
が、残念ながら閉まっていました。
主に伝承されているのは、サトウキビを原料とした黒砂糖づくり、竹の皮とひごで縫う「まんじゅう笠(タケノコガサ)」、炭焼きだそうです。
現在は需要期(黒砂糖の製造期11月中旬〜12月)のみ開館していると書かれていました。
戻る途中、道路脇で気になったもの。
これ道路看板を再利用していますよね。
丘の上を歩いていると白いビニールハウスの波の向こうに海が見えます。
町中を歩いているとまた違った良さがあります。
芸西村文化資料館(昭和60年開館)にも立ち寄ってみました。
コンクリートで校倉造を表現したような建物です。
幕末の坂本龍馬・おりょう関係の展示(写真不可)、民具、地質、和食川河口改修、首相官邸のタイル、企画展示室(この時はベーゴマ)、2階に筒井美術館など様々な展示がありますが、個人的に興味を持ったのは農業関係の展示です。
野菜箱に使うステンシルなども展示されていました。
和食には蔵や下見板の白壁や黒壁、延々と続くビニールハウスの白い波が青空や海とコントラストを描く風景がありました。
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