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2024年1月

2024年1月31日 (水)

南公園の交通広場(愛知県岡崎市)

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前回に続き、岡崎市の南公園を紹介します。
南公園が今年4月1日から3年間の大規模な再整備工事に入ることを紹介しました。

再整備の方針は「南公園基本計画」(令和4年(2022年)3月)に書かれています。
また再整備の状況については、「南公園整備事業について」のページがあって随時更新されているようです(現在は事業者が決まったところ)。

その中で大幅にリニューアルされることが決まっているのが、今回取り上げる交通広場です。
交通広場がオープンしたのは昭和50年(1975年)のことで、当時の交通事情が反映されています。
懐かしさを感じさせる交通広場を見られるのは今のうちです。

ただし、保存車両については「交通広場内のSLをはじめとする日本の経済成長期の発展を担った車両等については、未来へのレガシ―として継承するため、保存会等との協力を高め引き続き保存・継続展示する」と書かれているので、改修後も残るようです。

訪問日:2023年8月27日

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まず交通広場の配置から。
案内所を通って入場します。外周がゴーカートのコースになっていて、十字の道路で分割されています。
その外側にきのこ広場などがあります。

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案内所の建物は飾り気がありません。

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遊園地の料金も安かったですが、交通広場の乗り物も安いです。
ただしゴーカートに乗れるのは中学3年生まで。
2人用は中学3年生までの子どもを乗せる保護者の場合に限り、大人も乗れます。

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南公園の無料貸し出し物品が掲示されていました。
意外に幅広く貸し出されています。双眼鏡、バドミントンラケット、フリスビーなんてものも。

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案内所の2階は休憩室になっています。
この日は暑かったのでありがたかった。

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休憩室はまた交通広場を眺めるのにも良いです。

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さて暑いけど広場に入っていきます。
これはゴーカートの乗り場です。

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残らなさそうだけど残ってくれたら嬉しいNo.1はこれ。
モノレール(?)の歩道橋。案内図には特に触れられてないけれどレトロなデザインがかわいらしいです。

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中はピンク!

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秀逸なのが歩道橋なのに滑り台が付いているんです。
モノレールに付いていると緊急脱出シューターみたいですが。

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こちらはきのこ広場の傘亭。
ZINEの八画文化会館叢書Vol.4「公園手帖2 キノコ公園」にも紹介されていました。

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そしてキノコの滑り台。
逆光で見にくくてすみません。

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吊り橋もあります。

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ここから保存車両です。

まずD51 688号蒸気機関車。
昭和17年製造で、東海道本線はじめ全国を走り、昭和48年(1973年)7月30日、ここに設置されました。

このSLについては「D51688号蒸気機関車保存協力会」があって、毎月みがく活動が行われています。
大切にされてますね。

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モ401。大正15年、旧美濃電気軌道時代に新造された木造の110型モ111型の車両を2両改造して連接したもので、岐阜県の名鉄揖斐、谷汲線で活躍していたと解説にありました。
設置は昭和49年(1974年)2月です。

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車両の中にも入ることができます。
ちょっとした旅行気分が味わえます。
この車両も中はピンクですね。

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岡崎市消防署の屈折はしご付消防ポンプ自動車。
昭和56年1月から平成13年12月まで使われていたそうです。

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保存車の最後は、リニアモーターカーHSST-03。
静かな余生を送っていますが、昭和59年に製造された後、つくば科学博(昭和60年)、カナダ国際交通博で走行展示、葵博岡崎'87(昭和62年)に合わせて岡崎市に寄贈、岡崎公園で平成2年8月まで走行展示され、計145万人を超える人が乗った車両だそうです。

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そして交通公園なのになぜか恐竜がいます。
それを言うならキノコもですが。

懐かしさにあふれる交通広場でした。
これを味わえるのはしつこく言いますが3月までです。

なお、南公園のHPに3月末のラスト1週間に行われるお別れイベントの告知が出ています。

「南公園 お別れイベントを開催します!」

地味に気になるのが「ゴーカートの上限年齢制限フリー」!
大人も一人で乗れるチャンスです。
南公園の思い出の写真も、とても古い写真があるなら興味があります。

 

<関連記事>

 「再整備前の南公園へ」
 「高知の旅2018(9)比島交通公園」

 

 

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2024年1月30日 (火)

再整備前の南公園へ(愛知県岡崎市)

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高知の話はひとまず置きまして・・・

昨年8月、青春18切符を使って愛知県の岡崎市に出かけました。
目的は南公園を見に行くことです。

南公園はJR岡崎駅からさらに南にあります。

訪問日:2023年8月27日

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「岡崎市全図」(発行年の表記はありませんが昭和12年頃と推定)

南公園は昭和12年頃、既にあった公園です。図の下中央を御覧ください。
(以前岡崎公園(岡崎城)、東公園には行ったことがあります。まだ記事化していません)

ただ、岡崎市のHPでは開設は昭和37年(1962年)となっていて(「岡崎市都市公園一覧」)、私は地図にある南公園がいつできたのか確認を取れていません。

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現在の園内マップはこちらです。右が北なのでご注意ください。
比較すると、昭和12年頃の南公園はほぼ野球場のあたりのみのように見えます。形もそのまま野球場です。
また2つの大きな池は当時からあって、ため池を園内に取り込んだように見えます。

国土地理院の空中写真でも確認してみます。

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<出典:国土地理院・空中写真 1948年12月8日>

昭和23年(1948年)、野球場の形が分かります。
その周辺は木が育っていません。
ため池の形は、上下の池を区切る鍵型の堰堤も含めてほとんど変わりません。
現在の公園エリアは3つの丘と2つのため池、その下の水田だったことが分かります。

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<出典:国土地理院・空中写真 1961年5月1日>

南公園が開園する1年前、昭和36年(1961年)です。
野球場がいったん平らにされているように見えます。
南側では木が育っている一方、北側の、現在では公園内のエリアに民家があるようにも見えます。

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<出典:国土地理院・空中写真 1973年9月25日>

昭和48年(1973年)。中央の白い部分は前年にできた市民プール、その左側には庭園があるようです。
右下では2年後にオープンする交通広場の造成が進んでいます。
昭和55年(1980年)にオープンする遊園地はまだありません。

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現地で確認します。
公園の西側入口につながる道(手前が公園側)。
ここがメインの動線のようで、桜並木があります。

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西の入り口を入ってすぐの場所は古くから公園内だと思いますが、現在は駐車場として利用されています。
左に野球場の照明が見えています。

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市民プールの隣の広場。
松の木が大きく育っています。
右の広場は庭園だったこともあるようですが、ここも駐車場になっています。
全体に南側エリアは駐車場などに当てられています。

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野球場と遊園地の間の斜面にロックガーデンがありました。
どの時期のものかはわかりません。

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上下の池を区切る堰堤はそのまま遊歩道として活用されています。

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とそんな風に見て回っていると張り紙に気付きました。

なんと今年の4月から、梅林と芝生広場を除いて3年にわたる再整備のため閉園されるということです。
すると気になるのは再整備によってどう変わるのか。

岡崎市の『南公園基本計画』(2022年3月)という資料が公開されていました。
先ほどの施設の開業年はこの資料によりました。

主な施設についてみると
◯遊園地 →現状維持(H17年度にリニューアル済。利用者からの人気も高い)
◯梅林・野鳥の森 →現状維持
◯市民プール →親水広場に変更
◯交通広場 →現在の交通事情に合わせてリニューアル(逆にいうと昔の交通事情が体感できるのは今のうち!)
◯野球場・庭球場 →撤去(人気がないので仕方ないですが野球場は元々あったので惜しい)

新たに屋根付き多目的広場、屋内遊戯場が新設されます。

そういったことも踏まえて、さらに園内を紹介します。

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この夏は営業を休止していた市民プール(1971年オープン)。
ここは撤去されて親水広場に衣替えします。

子供用プールの白鳥の滑り台、お椀型の噴水が面白いです。
部分的にでも残したら面白いんですけどね。

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プール以外のスペースがやたらと広いです。
かつては人でごった返したのでしょうか。
こちらは競泳用プール。

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テニスコートも廃止対象です。

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現状維持で存続する遊園地でシンボル的な観覧車。
そんなに高くないですが、園内で一番高いところに立っているので眺めは良いです。

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この南公園の遊園地で特筆すべきなのは乗り物料金の安さ。
その安さで時々話題に登っているようです。

紙の回数券というのがあって、20円券が11枚綴りで200円。

私は「今のうちなんだから」と恥ずかしさを抑えて、回数券を買いました。
私のプランは観覧車(100円)+子供汽車(60円)+サイクルモノレール(60円)でちょうど回数券分。
園内をいろんな角度から見られます。

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まず観覧車で園内を俯瞰。これは遊園地エリアです。
ため池や周囲の地形もよく分かります。

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続いて子ども汽車。線路がため池の上を走ります。
正面に見えているのが上下の池を区切る堰堤遊歩道。

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最後にサイクルトレインで空中から。
開放感があります。

遊園地については現状維持で存続が決まっているので、乗り物も無事なのだとは思いますが、料金については見直されることもあろうかと思いますので、お得感を味わうには今のうちなのかなと思います。

今年3月いっぱいまでで、次は3年後になってしまいますので、今のうちにいかがでしょうか。

交通広場についてはリニューアルが決まっていますので、別に一記事を使って詳しく紹介します。

<関連記事>

 「大正時代の日下遊園地」
 「東山動物園の旧モノレール」 
 「海中から現れる阪神パーク跡」

  ◇目次◇ 近代の公園

 

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2024年1月26日 (金)

高知の旅2018(10)沢田マンション

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2018年GWの高知旅行、「(9)比島交通公園」の続きです。

以前から行ってみたかった沢田マンションに行ってみました。
高知駅からみて北東の薊野で山を背にして建っています。
上の写真はほぼ全景です。5階建て、一部6階建ての白い建物。

ここは建築好きの人にはかなり有名なセルフビルドの物件です。
私にとってのきっかけは『高知遺産』での紹介と、2006年大阪での「けんちくの手帖」というイベントでの紹介でした。

この建物は建築の専門ではない故沢田嘉農さんと裕江さんご夫妻が、1971年から自分たちで建設を始め、3工期に分けた工事で1985年にほぼ現在の規模になったそうです。上の写真で左(西)側から順に建てられていきました。第1工期の1階・6戸ができた1972年にもう入居者を入れながら工事を続けたというのがたくましい。残念ながら違法建築なので増築は行わないそうですが、改築は進められているようです。

沢田マンションは書籍になったり、テレビで取り上げられたり、もちろんネット記事になったりしていますので、詳しいことはそちらを見ていたければと思い、ここでは簡単に紹介します。

手元にある本は下記の2冊で、上の文章もこれを参照しました。沢田マンションの売店で買ったものです。

<参考>
 ・古庄弘枝著『沢田マンション物語』(2009年)
 ・加賀谷哲朗著『驚嘆!セルフビルド建築 沢田マンションの冒険』(2015年)

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沢田マンションの東側から。東隣にも似た雰囲気の建物が建っています。

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1階に展示されているのは発動機のコレクションでした。

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「沢田マンション建設のきっかけとなった発動機」という説明があります。

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1〜4階は住人の皆さんのスペースということで写真は禁止で、沢田さん一家の住む5階と屋上は撮影可というお話でしたので、写真はそこだけです。なお、1階にはカフェなども入っていました。
スロープで上まで上がれるようになっていて、車でも3階まで上がれます。

このドームの中は沢田家のリビングルームらしいです。

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屋上には菜園や水田も。元々断熱のために土を乗せたそうなのですが、菜園や庭園として有効利用されています。
ちなみに上に伸びる柱は、まだ増築するつもりで伸ばしておかれたものです。

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リフトで屋上まで物を上げられるようになっています。

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手作りのクレーン。リフトのできる前、5階の製材所に木材を吊り上げていたそうです。

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5階と屋上をつなぐ螺旋階段の通路。はりまや橋というそう。
屋上から見ると郊外ロードサイドの風景が広がっています。

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5階に温室などもあります。

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5階の庭園。

沢田マンションを構想して作り始めた嘉農さんが2003年に亡くなってもう20年が過ぎていますが、この建物が今も家族や住人によって住まわれ、手を加えられ続けていて、若い人が多く集まったり、遠くからも人が訪ねて来たりしているというのはすごいことだと思います。

<関連HP>
 ・沢田マンションHP

2018年の高知旅行の記事はひとまずここまでで終わりです。
この後、阿波池田・徳島経由で大阪に帰りました。

そして2023年の高知旅行の話に続きます。

 

<関連記事>

 この続きは
 ・(16)高知市の東側を歩く 2023年の高知旅

 高知の旅2018の最初は
 ・(1)近代の高知公園

 四国みぎした旅行(2022年)の最初の記事は
 ・(1)高知県境の町へ

 

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2024年1月25日 (木)

高知の旅2018(9)比島交通公園

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2018年GWの高知旅行、「(8)喫茶店でモーニング」の続きです。

交通公園ってご存知でしょうか。公園の中に信号や交通標識、横断歩道などのミニチュアがあって、子どもたちが安全に遊びながら交通ルールを学べる公園です。おそらく交通戦争と呼ばれた昭和30年代以降に子どもたちの交通事故を減らそうとして実施された試みの一つかと思います。日本初の交通公園は昭和38年(1963年)に尼崎市にできた西武庫公園らしいです。

私は主に戦前の公園に興味を持って見て回っていますが、戦後の公園では交通公園に特別な興味があります。
その理由は公園施設のユニークさ、特異な時代背景がありその後廃れたこと(改修されて一般の公園になったものもあります)、当時の街の構成が残っていたりすることなどです。

各地の交通公園に折々立ち寄ってきたつもりで過去記事を再確認したところ、ほとんど何も書いてませんでした。
ぱっと思いつくところでは西宮交通公園(久保公園)が面白いので機会あればぜひ。

この高知市の比島交通公園については、高知駅から北東方向の沢田マンション(次の記事に予定)に歩いていく途中、たまたま通りがかりました。

訪問日:2018年5月5日

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ちなみに比島交通公園の紹介の前に、途中で気になったものも紹介しておきます。

ビルのような高砂湯。この時は通りがかっただけで入っていません。
現在はサウナで有名みたいです。

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高知県東部でよく見かける水切瓦の蔵。

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こちらも水切瓦の蔵。高知市内でも見られます。

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比島交通公園に到着しました。
正式名称は「高知県立 交通安全こどもセンター」です。

「交通公園の歴史と目的」によれば、元々昭和41年10月に柳原児童交通公園(鏡川の河原で現在は鏡川みどりの広場か)が開設され、その後、昭和45年(1970年)5月5日(訪問した日!)に高知県立交通安全こどもセンターが比島公園内に開設されたという流れです。

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案内図がありました。このように遊具がある公園を格子状の道路が囲む配置になっています。
外周でぐるっとループしているのはゴーカートのコースです。
交通公園の花形遊具はゴーカートで、これは今も人気のようです。

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ゴーカートコースの立体交差部分。

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ゴーカートのコース。

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ゴーカートの券売機。
この時は1人乗りが1周100円、2人乗りは1周160円でした。(2024年1月現在も変わってません)

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交通公園として実物展示もあって、これはバス図書館です。

 

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SL(C58型蒸気機関車)もあります。
昭和18年4月から昭和43年7月まで土讃線を走っていた機関車で、昭和45年5月交通安全こどもセンターの開園に当たり、国鉄四国支社(JR四国)から提供されたと説明がありました。

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こんなものもありました。

「交通安全を願う群像(受難の像)」です。
説明によれば、この像が作られたのは高知県の交通事故死者が198人を記録し、第一次交通戦争といわれた1971年(昭和46年)で、作者は県内の3人の美術教師(河野功氏・町田祐一氏・永吉海心氏)です。
元々は帯屋町1丁目の高知大丸前に設置されており、1991年の中央公園拡張工事などに伴い、ここに移転したと記されています。

この公園のために作られたものではないですが、ここにふさわしいものです。

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これがマップにある円形ベンチです。コンクリートのベンチ。

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不思議な遊具もありました。

昭和45年(1970年)に建設された時の状態を色濃く残しているのではないかと感じられます。

 

<関連記事>

 高知の旅2018の最初は
 ・(1)近代の高知公園

 

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2024年1月24日 (水)

高知の旅2018(8)喫茶店でモーニング

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2018年GWの高知旅行、「(7)高知あたご劇場で映画を」の続きです。

余談的ですが、今回は高知で入った喫茶店3店+1の話です。

旅先の朝食は、機会あれば純喫茶でのモーニングにしています。
「この街ならこの店に行くぞ!」と気合いの入ったものではなく、通りすがりやマップで良さげなお店があれば(なければ適当に)入ります。

高知は喫茶店の数が多いところらしいです。
しかしながら朝早くからやっている所は少なくて選択肢は限られました。

最初に選んだのは、大橋通のアーケードを西に抜けた所にある「メフィストフェレス」です。
名前からして気になります。建物もとても装飾豊か。

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入り口には色ガラスがはまっています。

中に入ると結構広くて、黒系統の落ち着いた雰囲気。
クラシックが流れていました。

ほとんど開店と同時に飛び込んだのですが、出る頃には一杯になっていました。

メフィストフェレスの創業は1964年だそうです。ホームページを見ると当初の名前は喫茶「現代」で、2回増築しています。
2階にはミニシアターがあるらしく、文化的な活動もされているようです。
経営は現代企業社という会社で、五台山展望台のカフェもここの経営でした。
先行して1959年に開店した喫茶「ショパン」(現在はカフェ「FAUST」という名前。休業中)というお店もあるらしい。
ローカルに手広くこだわりのレストラン等を展開されています。

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普通のモーニングはカジュアルモーニング(460円)ですが、写真のはボリュームモーニング(590円)です。値段は2018年の価格です。
特別感があります。パンは同じ系列の黒猫ベーカリーで作っているそうです。

そして驚いたのが食後にハブ茶が出てきたこと。

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翌日の朝はメフィストフェレスの隣にある「SPOON」に入りました。

こちらはもう少し一般的な純喫茶です。
創業は1971年。隣同士で50年以上というのも凄いですね。

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こちらがSPOONのモーニング。
メモ忘れてましたがこの時は450円ぐらいではなかったかと思います。
王道モーニングです。

そしてこちらも食後に温かいハブ茶が出されたのでした。
高知の古い喫茶店ではこのようにお茶を出す慣習があるそうです。(←この記事でこれが一番言いたかったこと)
面白いですね。ハブ茶というのも私は馴染みがないですが、高知ではポピュラーみたいです。

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余談の余談、2018年の旅行ではもう1店、愛宕町にあるイートイン付きのパン屋さん「mona mona」も利用しました。

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1946年創業のパン屋さん「ヤマテパン」が経営するお店です。
高知のローカルパン「ぼうしパン」も売ってます。

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2023年GWの旅行では、はりまや橋の珈琲店亜羅琲珈(あらびか)に入りました。
こちらは小さなビルの2階にある小ぢんまりとした純喫茶です。
「喫茶のすたるじあ」でも取り上げられていました
創業は1978年頃のようです。

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あらびかのモーニング(400円)。

右のは何?と思うかもしれませんが、ゼリーです。

こんな感じでいいお店に恵まれました。

次回はまた建物・公園の話に戻ります。

 

<関連記事>

 高知の旅2018の最初は
 ・(1)近代の高知公園

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2024年1月23日 (火)

高知の旅2018(7)高知あたご劇場で映画を

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2018年GWの高知旅行、「高知城周辺の近代建築など」の続きです。

昔ながらの映画館というのは本当に希少になって、そこで映画が観られるなら観ておきたいなと思っています。
そんな映画館の一つが高知市のあたご劇場です。

高知あたご劇場は1955年(昭和30年)に洋画封切館「愛宕劇場」としてオープンしたそうです。建物はその時のまま。建築好きにはむしろありがたいことです。

この映画館の歴史については、専門の方々が詳しく書いておられるのでそちらを見ていただいた方が良いかと思います。

参考:高知あたご劇場公式HP
   港町キネマ通り「高知あたご劇場」
   振り返ればロバがいる「高知あたご劇場を訪れる」

さすがに昼間の上映を観ると街歩きの時間が減りますので、夕方からの上映にしました。

訪問日:2018年5月4日

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愛宕劇場の「愛宕」は周辺の町名です。
「あたごまち」の商店街のゲートがいくつも並んでいて、かつての賑わいを物語っています。

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映画館の両隣は空いているので、建物全体の形もよく分かります。

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入り口はアールになって人を誘い込んでいます。
昭和30年にはまだアールの流行が残っていたのでしょうか。

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そのアールの部分にチケット売り場が据えられています。
壁面にはびっしりとモザイクタイル、床にはクリンカータイル。

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ピンク色の正方形のタイルも深緑の長方形のタイルも、どちらも単色ながら懐かしさを感じさせます。

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この日の上映作品はこれ。「ゴッホ 最期の手紙」でした。

(今気付きましたが、窓口の上にはメタリックなタイルが使われてますね)

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キックプレート付きのむっちりしたオレンジの扉!
「御入口」のサインも良いです。

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売店には懐かしいピンクの電話もありました。

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ロビーにはあたご劇場の初上映作品の紹介がありました。

西部劇などだったんですね。

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スクリーンは1つのみ。二階席があるのが嬉しいです(なんとなく)。

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これぞ映画館の椅子という、勝手に跳ね上がるワインレッドの椅子。懐かしい。

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素直に一階席で観ます。

映画「ゴッホ 最期の手紙」はゴッホの油絵風のアニメーション映画ということで、大画面で観るにふさわしい映画だったと思います。
貴重な映画体験でした(今となっては感想を書けない・・・)。

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映画を観終わるとあたりはすっかり真っ暗です。

高知あたご劇場は現在も元気に営業されていますし、末永く上映を続けていただきたいなと思います。
皆さんも機会ありましたらぜひ。

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この日は清水湯に入りにいきました。
こちらも趣きのある良いお風呂でしたよ。

<関連記事>

 ・「さよなら豊岡劇場」(2012.3.20)※ちゃんと復活されてます
 ・「増田清建築ツアー(2)精華小学校と新世界国際劇場」(2011.9.25)
 ・「最初で最後の新世界公楽劇場」(2006.3.26)

 高知の旅2018の最初は
 ・(1)近代の高知公園

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2024年1月22日 (月)

高知の旅2018(6)高知城周辺の近代建築など

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「高知の旅2018(7)五台山公園に登る」の続きです。

翌日は高知城周辺の近代建築などを見て回りました。
とくに目当てがあったわけではないので、見たものを記録する感じです。

まず高知城の東側にある高知追手前高校(旧城東中学校/昭和6年)です。
高知県営繕課の設計ですが、中学時代に高知に住んでいたことのある武田五一が指導したり、高知小津高校の設計者・狩野宗平も関わっていたとのことです(「高知県の近代化遺産総合調査報告書」)。

中央に屋根を頂いた時計塔が聳えているのが印象的です。

この時は外周の塀の改修工事中でした。
改修後にも訪れましたが、塀は元のものを活かしているようです。

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外周の塀を見ていくと雷文が入っている部分があります。

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これも高知城の東側の煉瓦塀のある住宅。

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赤煉瓦塀のある住宅。石灰岩の白との対比が美しいです。

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江の口川に架かる豊栄橋(昭和3年)。アールデコのデザインが入っています。親柱の凹みが埋められていますが、銅板などが埋められていたのかもしれません。

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愛宕町の住宅。洋風部分が組み込まれているように見えます。

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大川筋の洋館付き住宅。 

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大川筋武家屋敷資料館(旧手嶋家住宅)。
江戸時代末期の武家屋敷で、平成8年に改修が行われて無料公開されています。

→高知市HP「大川筋武家屋敷資料館

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蝶の釘隠などがありました。

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聖パウロ教会礼拝堂(昭和5年)
門柱も古いものが残っていました。

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永国寺町の住宅。
表からはよくわかりません。

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本町4丁目にあった建物ですが、2020年前後に解体されたようです。

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織田歯科医院(大正14年)。
小ぶりながらRC造らしいです(県内最初期とか)。

「織田歯科医院の歴史」

現在は、結婚式場「サロン・ドゥ・レ・プリュ」として活用されています。

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織田歯科医院南側の煉瓦塀。

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駅前の野並会ビル。
元は銀行の支店だったようなのですが、外壁だけ残したまま、後ろに新築という不思議な工事をしています。

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駅前の丸窓のあるビル。
詳細は分かりません。

高知市街は広範囲にわたって空襲の被害があったので、残っている建築は少ないようなのですが、あちこち見ていくと古そうな建物もあるようです。2023年GWの旅行では市街の東の方を歩きましたのでそれは後日、別記事にします。

→参考:国立公文書館デジタルアーカイブ「戦災概況図高知」

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 ・(1)近代の高知公園

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2024年1月21日 (日)

高知の旅2018(5)五台山公園に登る

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2018年GWの高知旅行の続きです。

種崎を回った後、再び高知市街方面のバスに乗りました。
途中、五台山公園に立ち寄りたいと思い、バスの運転手さんに相談して、三ツ石通で下車しました。
ここは五台山の南側に当たり、五台山への登り口の一つとなっています。

向こうの山が五台山です。

訪問日:2018年5月4日

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住所で言う五台山の集落を歩いていると赤煉瓦の長い塀がありました。

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見ると「K3」の刻印があります。
K+数字の刻印は、「関西地方の煉瓦刻印」によれば、播州地方の煉瓦製造業組合またはそれらを専売していた徳島の会社の関係と推察されており、徳島の会社なら高知に来ているのもある程度納得がいきます。

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ここでも家紋らしきものがはいった門扉がありました。

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住宅地を抜けていくと、山に登っていく階段が現れました。
入り口に道標が立っています。

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指差しの道標で、多くは読み取れませんが、「五臺山」の文字が見えます。

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道は山に入り、森の中の石段の道になります。
五台山は展望台以外にも四国八十八ヶ所霊場の竹林寺や牧野富太郎記念館・植物園がある観光地で、車で登れる道があるので、こんな道を登る人はあまりいないようです。誰とも出会いません。

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迷いながらも五台山公園の展望台に着きました。
展望台は変わった形をしていますが、昭和44年(1969年)に開業した五台山ロープモノレールが昭和53年(1978年)に休業した後、昭和59年(1984年)山頂駅の見国停留所を改修して「五台山展望サービスセンター」(右側の建物)、コンクリート製ワイヤーロープ巻き付け躯体の基礎を利用して展望台(中央)を整備したものだったらしいです。ユニークな建物でした。

参考:失われたロープウェイ「五台山ロープモノレール」

過去形なのは、耐震性の問題で令和4年(2022年)4月28日に施設が閉鎖され、既に解体されたためです。
もう少しいろんな写真を撮っておけば良かったと思います。
現在は仮の展望台ができており、令和7年(2025年)に二枚貝の形をした新たな展望テラスがオープンすることになっています。

参考:高知新聞プラス「施設デザインは貝?高知市の五台山展望台が25年にオープン、レストランも予定」(2023.3.23)

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このユニークな眺めは過去のものとなってしまいました。
新たな展望台も同じ高さが確保されていて、同様に高知市街が一望できるようです。

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なかなか写真では広がりが分かりにくいですが絶景です。

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左の方に目を転じると浦戸湾に浮かぶ玉島などが望めます。
さっきまでいた種崎や御畳瀬は山かげとなって見えません。

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この時は展望レストランのスープカレーを遅い昼食にしました。

新たな施設にもレストランが入る予定だそうです。

なお、五台山公園は大正15年に太政官布告に基づいて設置されました。
これに先立って明治42年に長岡安平による設計図案があるのですが、実現されていないようです。

五台山公園は展望台周辺しか歩いていませんので、遺構については十分確認できていません。

帰りはバスで一気に高知市中心部まで戻りました。

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 ・(1)近代の高知公園

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2024年1月20日 (土)

高知の旅2018(4)種崎の門扉

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2018年GWの高知旅行の続きです。

種崎では特徴的な鉄の門扉が目に付きました。
様式としては、だいたいアーチ状の扉で、上半分が面格子的なデザインの柵、下半分が家紋のようなものが抜かれた鉄板となっています。
錆びてはいますが、色は赤・緑・白・茶・ねずみ色などカラフルです。

説明不要なものが多いので今回は説明少なめです。

上の写真のものは煉瓦塀が建物より古そうです。

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これはかなり変異型。真ん中が下がっていますし、下半分も面格子的です。

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ここからは対岸の御畳瀬(みませ)です。

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これはおまけ。鉄板を抜いた後の廃材ではないでしょうか。
柵として利用されています。

以後、高知を旅行する時は門扉が気になるようになりました。

 

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2024年1月19日 (金)

高知の旅2018(3)渡船で御畳瀬へ

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種崎からは浦戸湾対岸の梶ヶ浦まで無料の県営渡船がありますので乗ってみました。
お遍路さんのルートとしても使われる渡船です。
昼間は1時間に1本の便があります。

県営渡船のHPによると、ここの渡船自体は明治時代からあるそうです。
昭和47(1972)年の浦戸大橋開通後に自動車の利用がなくなり、かつて多かった造船所への通勤者も造船不況により昭和60年頃から少なくなったらしいです。

県営渡船HP

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渡船の定員は110名です。この時の利用者は数人でした。

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右の山際にあるのが梶ヶ浦の渡船場です。

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待合所に貼られていた渡船のルート。
距離は600mほどです。5分ほどの船旅。

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梶ヶ浦渡船場の向かいには大きなお屋敷ありました。
煉瓦塀が続いていますが、木々に覆われて建物はよく分かりません。

帰りの便まで45分。まっすぐ長浜に行くか、右手の御畳瀬(みませ)に行くか迷って、御畳瀬にしました。
難読地名で「畳」は読めませんね。

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御畳瀬のほぼ全景。小さな漁村です。

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建物も木造倉庫のようなものがあります。これも漁業関係なのでしょうか。

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歩いていくと道路脇で魚を干していました。

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さらに歩いていくと干魚店がありました。
地方発送も受け付けて結構賑わっています。

せっかくなのでメヒカリの干物など買って帰りました。

 

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御畳瀬の中心部に装飾的なコンクリートの時計台がありました。
「御大典記念・青年団」と書かれています。昭和3年でしょうか。
新しい時計が入っていますが、もともとの時計がはまっていたのではと思います。

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その裏にはこちらも装飾的なコンクリートの記念碑がありました。
「大正十一年二月 三大工事竣成記念」と書かれています。

三大工事が何を指すのかは分かりません。

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ここから長浜地区に抜ける国光トンネル(1988年)がありますので、これをくぐりました。

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川に沿って下っていくと、ゴミを止める柵があります。

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船溜まりがありました。

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船溜まりは水門で閉じられるようになっています。
地図には「塩谷ポンプ場」と書かれていました。

長浜の集落も気になりますが、もう時間がないので戻らないといけません。
後で調べると好きな酒蔵の酔鯨酒造の本店などがあるようです。また改めて。

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新川川の下流から塩谷ポンプ場の方を振り返ったところ。

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梶ヶ浦の渡船場に戻ってきました。

渡船でまた種崎に戻ります。

旅情のある渡船ですので、できれば次回も利用して、次は長浜まで歩いてみたいと思います。

 

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2024年1月18日 (木)

高知の旅2018(2)リゾート地種崎と種崎千松公園

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高知の旅2018(1)高知公園 の続きです。

2018年GWの高知の旅では、高知市中心部からリゾート地・種崎を目指しました。
高知の街は北に深く切れ込んだ浦戸湾の奥にあります。湾口には東西から岬が伸びていて、西から伸びて太平洋に面しているのが有名な桂浜で、その内側に東から伸びているのがこの種崎です。見事な波除けになっています。

ここに行ったきっかけ、というより旅行全体のきっかけが『高知遺産』(2005年)という本でした。個性を失いつつある高知(高知に限りませんが)で、「守り伝えるべき高知の「記憶」を「高知遺産」として記録するというのがこの本の趣旨です。全編魅力的な本です。

この本の中でほんの半ページですが、リゾート地種崎の紹介と洋館付き住宅の写真が出ていたのです。あと渡船のことも。

その日、私ははりまや橋のバス停からバスに乗り、浦戸湾の東側を南下していきました。
車窓からは浦戸湾がずっと見えています。大阪に住む私にとっては高知の街でも十分旅行気分がありますが、それ以上に旅している実感がありました。

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20分余りで、やがて終点の種崎バス停に着きます。
明るい日差しの下、映画に出てきそうな待合所、そして向かいには渡船場があります。

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浦戸湾はこのあたりで狭まって川のようです。
高知城下を往来する船がここを通っていたのでしょう。

種崎から向かいの桂浜には、浦戸湾をまたいで浦戸大橋(1972年)が架かっています。
GWとあって渋滞している車列が見えました。

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種崎の町は期待通りでした。
こういう立派な洋館付き住宅があります。

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少し離れたところからはこんな感じ。ゆったりした敷地です。

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こちらも別の洋館付き住宅。

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もう少し近くから。こちらも立派な建物です。

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和風建築ではこのように延々と塀が伸びる大きなお屋敷もありました。

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煉瓦塀の住宅なども。良い所にバス停があります。

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潮風に錆びたトタンの雨戸。商店の建物です。

 

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潮風に褪せたペンキも港町らしい。

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営業しているか分かりませんでしたが、民宿もありました。

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種崎の先に貴船神社があります。貴船神社というところに都とのつながりを感じさせます(どういう由緒かは知りませんが)。

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また種崎にはかつて造船所がありました。
新山本造船所と言います。前身の山本造船所は1900年創業で、新山本造船所は1978年に倒産、今治造船グループに入って立て直しをはかりますが、1986年には休業に入ったらしいです。この時は既に操業していません。

戦国時代や江戸時代にもこの近辺で船が作られていたらしいので、造船の町とも言えます。

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渡船から見た新山本造船所。

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門扉が魅力的だったのでそれは別の記事にします。
どこから来たのか、炭殻煉瓦らしき塀がありました。

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石灰岩なども混ざったカラフルな塀。

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種崎の集落の東側に種崎千松公園があります。
この公園は藩政時代に防潮林だった松林の一部を明治42年に公園化したもので、その名の通り、たくさんの松が植わっています。

あまり時間がなかったので全体は回れませんでしたが、少し立ち寄りました。

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公園の地図。公園の東は海水浴場です。
この時はそこまで行けませんでした。
地図に「記念碑」とありますが、それも確認できていません。

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公園の中はこのような松林が広がっています。
墓地もありました。

松林の公園や海水浴場はリゾート地としての大事な要素です。

次に行く機会があればじっくり公園を見たいものです。

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2024年1月 3日 (水)

2024年もよろしくお願いします

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今年は元日から大阪の都島区を歩いてきました。

とくに深い理由はないのですが(未訪問の公園を確認しに行ったというのはあるけど)、そうすると洋館付きの長屋に出会って喜んだりもします。
その意味では間に合ったと言えます。

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その隣では更地が広がっていました。
このような場所には何度も出会ってきて分かりますが、これはもうカウントダウンが始まっていると言えるでしょう。

2018年のストリートビューを見るとここに2階建ての洋風長屋があったことが分かります。
その意味では、遅かった。

こうして歩き回っている間に、地面が揺れたことには気付いていませんでした。
この瞬間に多くのものが失われてしまったことに。

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近くでは数年前に閉湯した淀川温泉の建物がまだ残っていました。

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駅に帰る途中、「こどものあそびば」の車止めがありました。

前に生野区でも見たことがあります。複数見つかると俄然興味が湧いてきます。
交通戦争の頃の産物なのでしょうか。こうしてまた新たなテーマが一つ生まれます。

この日引いたおみくじの旅行運には「早く行くが利」と書かれていました。
その通り、早く行かないと出会えないかもしれない。

毎年、間に合わないことも多々ありますが、それでもたくさんの建物などに出会ってきています。
その多くが写真フォルダと記憶の中に眠ったままになっています。眠ったまま、実物が消えてしまうことも。

毎度似たような反省と抱負を語っていますが、記事にして初めて定着できるのですから、改めてアウトプットを頑張っていこうと思います。

本年もよろしくお願いいたします。

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