四国みぎした旅行(15)田野町の街道を歩く(高知県田野町)
2022年GWの四国旅行の続きです。
奈半利の旧市街をぐるっと回った後、列車には乗らず、そのまま街道を歩いて奈半利川を越え、田野町に入りました。
田野町は四国一小さな町だそうです。総面積は6.53平方キロ。
街道は田野町に入るとジグザグに進みます。
途中、小さな川が現れました。護岸の石垣は古そうに見えます。
奥に見えるのは土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の高架です。
寄せ書きのようなユニークな遍路道の道標がありました。
手の合図に従って右に曲がります。
廃業したパチンコ屋さん。
脱色されてすっきりした色になっていました。
腰壁のタイルも糸くずのような模様で味わいがあります。
街道から東に少し外れたところに古そうな洋館付き住宅のようなものがありました。
サイディングの内側には古い壁が残っているのではと思います。
角度を変えるとこんな感じ。
木製サッシの縦長窓があり、奥に続く建物も下見板張りで縦長の窓です。
再び街道筋へ。岡御殿という建物がありました。
豪商の岡家が藩主のために建てた宿泊所(現存は天保15年建て替えのもの)だそうです。
公開時間を少し過ぎていたので入れませんでした。またの機会に。
また小さな川を越える所に新町橋が架かっています。
「昭和3年3月架換」と書かれていて古い橋です。
こちら側は草書体?で、向こう側は楷書体で書かれているのが面白いところです。
橋の向こうには「美丈夫」で有名な濵川商店の酒蔵が見えます。
この橋の左手には以前、国登録有形文化財の旧田野町役場があったらしいのですが、解体されて平成27年(2015年)4月に登録解除されています。
→(参考)「近代化産業遺産総合リスト・高知県安芸郡田野町編」
新町橋を渡ると街道は西へ折れ、長い直線の街並みになります。
この街道に並行して数本、上の写真のような道があり、こちらにも水切瓦のある立派な蔵などが建っていました。
メインストリートに建っていた看板建築風の商店跡。
表は洋風です。
しばらく街道を歩いて振り返ったところ。
こんな風に一直線に街道の街並みが続いています。
北に向かっては鳥居があり、田野八幡宮に向かう専用の参道になっていました。
反対に海の方を見ても、参道の延長として角柱が並んでいます。
参道を進むと、水切瓦のある建物が並んでいました。
最後に参道は階段になり、陸橋として道を越えています。
この陸橋、奈半利の法恩寺跨線橋と同様に、魚梁瀬森林鉄道の上に架かる八幡山跨線橋です。
昭和8年に架けられた鉄筋コンクリート造のガーダー橋で、法恩寺跨線橋と2年ほどしか違わないのに随分趣きが違います。
線路跡は跨線橋をくぐって左へとカーブしています。
魅力的なY字路。
跨線橋の上部はこのようになっています。
「八幡宮橋」という名称と「昭和八年四月架設」ということが記されていました。
このあたりでそろそろ引き返す時間となり、この日の街巡りは終了しました。
あと1つ2つの町、できれば安芸まで進もうと思っていましたが、予定通りにはいきませんね。
予定以上に時間が必要なのは喜ばしいことでもあるけれど。
土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の田野駅は、道の駅と一体化していました。
高知に向かう列車には時間があったので、下りの列車で奈半利駅に戻りました。
ここも高架の駅です。
土佐くろしお鉄道で西へ。
この地域に波のように並ぶビニルハウスを夕陽が照らしていました。
こういうところでできた野菜を食べているのですね。
土佐くろしお鉄道は、後免でJR土讃線につながっています。
この日はそのまま高知まで行き、高知で泊まりました。
高知では楽しい出会いがありましたが、それはまたお話する機会があれば。
高知に行ったのはある目的のためで、次はその話を書きます。
<関連記事>
シリーズの最初の記事
(1)高知県境の町へ
| 固定リンク
「国内旅行(高知)」カテゴリの記事
- 四国みぎした旅行(28)むろと廃校水族館(高知県室戸市)(2024.04.17)
- 四国みぎした旅行(27)津呂の白い町(高知県室戸市)(2024.04.15)
- 四国みぎした旅行(26)津呂の煉瓦塀(高知県室戸市)(2024.04.05)
- 四国みぎした旅行(25)津呂の港(高知県室戸市)(2024.04.04)
- 四国みぎした旅行(24)安田中心部を歩く(高知県安田町)(2024.03.28)
コメント