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2023年3月17日 (金)

四国みぎした旅行(14)奈半利の北側(高知県奈半利町)

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2022年GWの四国旅行の続き、奈半利の後半です。
国道55号線を渡って見えてきたのは水切瓦のある齊藤家住宅(登録有形文化財)でした。
案内板によると昭和13年築の蔵で、昭和23年に設立された奈半利町農業協同組合の倉庫として使われたと案内板にあります。
少しオープンな蔵です。

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続いては野村家住宅(登録有形文化財)です。
大正11年の建物。藩政時代には年貢米を集めた場所だとのこと。
敷地をぐるっと囲む石積みの塀が目立っています。

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このように半割の楕円形のカラフルな石が積み上げられています。
半割すると色調が美しいですね。

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伝統的な建物と異なって洋風な下見板壁で覆われた森家住宅(登録有形文化財)。
主屋や石塀は大正7年だそうです。土佐の交通王と呼ばれた野村茂久馬邸で、戦後は料亭だったという解説がありました。
内部が気になります。

 こちらに少し内部の様子が紹介されていました。

 →なはり浦の会「森家住宅の特徴」

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森家住宅の東側の塀には煉瓦のアーチ門があります。
塀は丸石を積み上げています。

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旧市街の北端あたりに来たところで少し寄り道。
立派な門を持つ洋館付き住宅がありました。

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その先にあるのが藤村製絲株式会社です。
大正6年に創立され、四国で唯一の製絲工場として平成17年(2005年)まで操業していたそうです。意外と最近ですね。
驚くのがこの工場を閉鎖した後もブラジルで工場を立ち上げて操業を続けたこと。残念ながらそれも閉鎖されたようですが。
正面の蔵は明治32年築の酒蔵(登録有形文化財)で、のち繭蔵として使われていたという解説がありました。6段の水切瓦は奈半利で最も大きいとんことです。

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この敷地を覗き込むと新しい建物が建っていて、藤村製絲記念館でした。
幸いにこの日はGWの谷間の平日で、平日しか開いていない記念館に入ることができました。

担当の方が土佐の言葉で案内してくださいます。

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記念館の中にはパネル展示とともに工場で使われていた各種の機械が展示されています。
こちらは日産製の自動繰糸機(繭の糸を撚り合わせて生糸にする機械)です。日産はそんな機械も作っていたんですね。
藤村製絲では昭和32年に繰糸を自動化したそうです。

なお記念館の床には工場の床材が使われています。ノコギリ屋根の工場は操業停止後もしばらく残っていましたが、2013年末に解体され、記念館の窓から見える工場跡地は太陽光パネルで埋め尽くされていました。

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職員の方に、お庭が工場時代のものであると伺って見学しました。
各種趣向を凝らした形の橋が架かっています。

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もう少し北に行くと、駅前食堂だった建物がありました。下村食堂の文字が残っています。
ここには魚梁瀬(やなせ)森林鉄道の樋之口駅があったそうです。

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ここからまた旧市街の道を南に下っていきます。
また石塀の住宅があって、こちらは改田家住宅という明治初期の建物だそうです。
ご当主は藤村捕鯨株式会社の役員だったという説明がありました。

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道を進んでいくと何やら古めかしい腐食した看板がありました。
「子どもの道」という文字があります。

見たことないような看板だったので気になりましたが、高知新聞の記事に情報がありました。

高知新聞Plus「1972年 子どもの安全見守る―《あの日あの時》ちいきのおと(78) 百石町1丁目(高知市)」(2022年7月10日)
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この記事によると、1972年「「県貯蓄推進委員会」(当時)が県に80基寄贈し、南国市、土佐市、高知市などのスクールゾーンに設置された」県内独自のものだそうです。当時は交通戦争が問題になっており、各地に交通公園や遊戯道路などが作られたのと同様のローカルな取り組みなんですね。今でも残る貴重な一基です。

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さらに行くと2階建ての煉瓦の蔵がありました。
浜田家住宅(増田屋)レンガ蔵です。明治後期に建てられました。私は刻印を確認できませんでしたが、奈半利で見られるレンガの多くは阪神地方に木材を運んだ船の帰り荷だそうです。

このレンガ蔵の向かいに津波避難タワーがあり、そこから眺めることもできます。

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津波避難タワーから見た浜田家住宅(増田屋)の明治36年築の主屋(登録有形文化財)。
造り酒屋と質屋を営んでいたそうです。
水切瓦が斜めに付けられているのがユニークです。水切れが良さそう。
通りに水を流さない工夫でしょうか。

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この浜田家住宅の前が旧街道になっていますが、その四つ辻の角に奈半利町道路元標がありました。

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その南側には控え壁のある煉瓦塀。何の建物があったのでしょう。

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向かいには木製の文字でレストランヒロタと書かれたお店がありました。
営業はされていないようです。

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入り口脇に手洗いがあって、どう使われていたのでしょうね。

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ぐるっと旧市街を一周した後は旧街道を西へ。
このあたりは野根山街道起点の高札場跡という案内板が出ていました。
私が通ってきた室戸岬経由の道でなく、尾根道を通ってショートカットで甲浦に向かう道です。

昔は人通りが多かったのでしょうね。

この後は隣の田野町に向かいました。

<関連記事>

 シリーズの最初の記事
 (1)高知県境の町へ

 

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