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2023年3月

2023年3月22日 (水)

四国みぎした旅行(15)田野町の街道を歩く(高知県田野町)

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2022年GWの四国旅行の続きです。

奈半利の旧市街をぐるっと回った後、列車には乗らず、そのまま街道を歩いて奈半利川を越え、田野町に入りました。
田野町は四国一小さな町だそうです。総面積は6.53平方キロ。

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街道は田野町に入るとジグザグに進みます。
途中、小さな川が現れました。護岸の石垣は古そうに見えます。

奥に見えるのは土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の高架です。

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寄せ書きのようなユニークな遍路道の道標がありました。
手の合図に従って右に曲がります。

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廃業したパチンコ屋さん。
脱色されてすっきりした色になっていました。
腰壁のタイルも糸くずのような模様で味わいがあります。

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街道から東に少し外れたところに古そうな洋館付き住宅のようなものがありました。
サイディングの内側には古い壁が残っているのではと思います。

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角度を変えるとこんな感じ。
木製サッシの縦長窓があり、奥に続く建物も下見板張りで縦長の窓です。

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再び街道筋へ。岡御殿という建物がありました。

豪商の岡家が藩主のために建てた宿泊所(現存は天保15年建て替えのもの)だそうです。
公開時間を少し過ぎていたので入れませんでした。またの機会に。

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また小さな川を越える所に新町橋が架かっています。
「昭和3年3月架換」と書かれていて古い橋です。
こちら側は草書体?で、向こう側は楷書体で書かれているのが面白いところです。

橋の向こうには「美丈夫」で有名な濵川商店の酒蔵が見えます。

この橋の左手には以前、国登録有形文化財の旧田野町役場があったらしいのですが、解体されて平成27年(2015年)4月に登録解除されています。

 →(参考)近代化産業遺産総合リスト・高知県安芸郡田野町編」

 

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新町橋を渡ると街道は西へ折れ、長い直線の街並みになります。
この街道に並行して数本、上の写真のような道があり、こちらにも水切瓦のある立派な蔵などが建っていました。

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メインストリートに建っていた看板建築風の商店跡。
表は洋風です。

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しばらく街道を歩いて振り返ったところ。
こんな風に一直線に街道の街並みが続いています。

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北に向かっては鳥居があり、田野八幡宮に向かう専用の参道になっていました。

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反対に海の方を見ても、参道の延長として角柱が並んでいます。

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参道を進むと、水切瓦のある建物が並んでいました。

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最後に参道は階段になり、陸橋として道を越えています。

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この陸橋、奈半利の法恩寺跨線橋と同様に、魚梁瀬森林鉄道の上に架かる八幡山跨線橋です。
昭和8年に架けられた鉄筋コンクリート造のガーダー橋で、法恩寺跨線橋と2年ほどしか違わないのに随分趣きが違います。

線路跡は跨線橋をくぐって左へとカーブしています。
魅力的なY字路。

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跨線橋の上部はこのようになっています。
「八幡宮橋」という名称と「昭和八年四月架設」ということが記されていました。

このあたりでそろそろ引き返す時間となり、この日の街巡りは終了しました。
あと1つ2つの町、できれば安芸まで進もうと思っていましたが、予定通りにはいきませんね。
予定以上に時間が必要なのは喜ばしいことでもあるけれど。

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土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の田野駅は、道の駅と一体化していました。

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高知に向かう列車には時間があったので、下りの列車で奈半利駅に戻りました。
ここも高架の駅です。

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土佐くろしお鉄道で西へ。
この地域に波のように並ぶビニルハウスを夕陽が照らしていました。
こういうところでできた野菜を食べているのですね。

土佐くろしお鉄道は、後免でJR土讃線につながっています。

この日はそのまま高知まで行き、高知で泊まりました。
高知では楽しい出会いがありましたが、それはまたお話する機会があれば。

高知に行ったのはある目的のためで、次はその話を書きます。

<関連記事>

 シリーズの最初の記事
 (1)高知県境の町へ

 

 

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2023年3月17日 (金)

四国みぎした旅行(14)奈半利の北側(高知県奈半利町)

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2022年GWの四国旅行の続き、奈半利の後半です。
国道55号線を渡って見えてきたのは水切瓦のある齊藤家住宅(登録有形文化財)でした。
案内板によると昭和13年築の蔵で、昭和23年に設立された奈半利町農業協同組合の倉庫として使われたと案内板にあります。
少しオープンな蔵です。

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続いては野村家住宅(登録有形文化財)です。
大正11年の建物。藩政時代には年貢米を集めた場所だとのこと。
敷地をぐるっと囲む石積みの塀が目立っています。

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このように半割の楕円形のカラフルな石が積み上げられています。
半割すると色調が美しいですね。

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伝統的な建物と異なって洋風な下見板壁で覆われた森家住宅(登録有形文化財)。
主屋や石塀は大正7年だそうです。土佐の交通王と呼ばれた野村茂久馬邸で、戦後は料亭だったという解説がありました。
内部が気になります。

 こちらに少し内部の様子が紹介されていました。

 →なはり浦の会「森家住宅の特徴」

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森家住宅の東側の塀には煉瓦のアーチ門があります。
塀は丸石を積み上げています。

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旧市街の北端あたりに来たところで少し寄り道。
立派な門を持つ洋館付き住宅がありました。

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その先にあるのが藤村製絲株式会社です。
大正6年に創立され、四国で唯一の製絲工場として平成17年(2005年)まで操業していたそうです。意外と最近ですね。
驚くのがこの工場を閉鎖した後もブラジルで工場を立ち上げて操業を続けたこと。残念ながらそれも閉鎖されたようですが。
正面の蔵は明治32年築の酒蔵(登録有形文化財)で、のち繭蔵として使われていたという解説がありました。6段の水切瓦は奈半利で最も大きいとんことです。

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この敷地を覗き込むと新しい建物が建っていて、藤村製絲記念館でした。
幸いにこの日はGWの谷間の平日で、平日しか開いていない記念館に入ることができました。

担当の方が土佐の言葉で案内してくださいます。

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記念館の中にはパネル展示とともに工場で使われていた各種の機械が展示されています。
こちらは日産製の自動繰糸機(繭の糸を撚り合わせて生糸にする機械)です。日産はそんな機械も作っていたんですね。
藤村製絲では昭和32年に繰糸を自動化したそうです。

なお記念館の床には工場の床材が使われています。ノコギリ屋根の工場は操業停止後もしばらく残っていましたが、2013年末に解体され、記念館の窓から見える工場跡地は太陽光パネルで埋め尽くされていました。

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職員の方に、お庭が工場時代のものであると伺って見学しました。
各種趣向を凝らした形の橋が架かっています。

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もう少し北に行くと、駅前食堂だった建物がありました。下村食堂の文字が残っています。
ここには魚梁瀬(やなせ)森林鉄道の樋之口駅があったそうです。

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ここからまた旧市街の道を南に下っていきます。
また石塀の住宅があって、こちらは改田家住宅という明治初期の建物だそうです。
ご当主は藤村捕鯨株式会社の役員だったという説明がありました。

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道を進んでいくと何やら古めかしい腐食した看板がありました。
「子どもの道」という文字があります。

見たことないような看板だったので気になりましたが、高知新聞の記事に情報がありました。

高知新聞Plus「1972年 子どもの安全見守る―《あの日あの時》ちいきのおと(78) 百石町1丁目(高知市)」(2022年7月10日)
※記事を読むには会員登録が必要です

この記事によると、1972年「「県貯蓄推進委員会」(当時)が県に80基寄贈し、南国市、土佐市、高知市などのスクールゾーンに設置された」県内独自のものだそうです。当時は交通戦争が問題になっており、各地に交通公園や遊戯道路などが作られたのと同様のローカルな取り組みなんですね。今でも残る貴重な一基です。

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さらに行くと2階建ての煉瓦の蔵がありました。
浜田家住宅(増田屋)レンガ蔵です。明治後期に建てられました。私は刻印を確認できませんでしたが、奈半利で見られるレンガの多くは阪神地方に木材を運んだ船の帰り荷だそうです。

このレンガ蔵の向かいに津波避難タワーがあり、そこから眺めることもできます。

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津波避難タワーから見た浜田家住宅(増田屋)の明治36年築の主屋(登録有形文化財)。
造り酒屋と質屋を営んでいたそうです。
水切瓦が斜めに付けられているのがユニークです。水切れが良さそう。
通りに水を流さない工夫でしょうか。

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この浜田家住宅の前が旧街道になっていますが、その四つ辻の角に奈半利町道路元標がありました。

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その南側には控え壁のある煉瓦塀。何の建物があったのでしょう。

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向かいには木製の文字でレストランヒロタと書かれたお店がありました。
営業はされていないようです。

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入り口脇に手洗いがあって、どう使われていたのでしょうね。

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ぐるっと旧市街を一周した後は旧街道を西へ。
このあたりは野根山街道起点の高札場跡という案内板が出ていました。
私が通ってきた室戸岬経由の道でなく、尾根道を通ってショートカットで甲浦に向かう道です。

昔は人通りが多かったのでしょうね。

この後は隣の田野町に向かいました。

<関連記事>

 シリーズの最初の記事
 (1)高知県境の町へ

 

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2023年3月15日 (水)

四国みぎした旅行(13)奈半利の南側(高知県奈半利町)

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2022年GWの四国旅行の続きです。

室戸を歩いた後、高知東部交通バスに乗り、今度は海岸沿いに西を目指しました。
昨日泊まった吉良川を通過してさらに西へ。
だんだん空が明るくなってきます。

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奈半利(なはり)が近づくと海岸沿いに貯木場が見えました。

かつて山中で刈られた魚梁瀬(やなせ)杉は、最初は川で、後には魚梁瀬森林鉄道で運ばれ、ここ六本松に昭和6年開設された貯木場から阪神方面に出荷されたといいます。鉄道はとうにありませんが、物流の慣性はまだ働いているようです。

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次の目的地としていた奈半利(なはり)の街に到着しました。
奈半利駅まで行くと行き過ぎのような気がして、奈半利竪町のバス停で下車。ちょうどいい場所だったようです。

ここは街並みを資源とする観光地で、大きな観光地図が掲示されています。
奈半利は土佐東部の陸海交通の要衝として、中世より木材の積出港、明治以降は樟脳や捕鯨、製糸業、運送業など様々な産業が興りました(なはり浦の会「なはり 路地がおもしろい」)。

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バス停の近くに水切瓦の付いた蔵がありました。

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貼られていた解説板を読むとこの建物が「「土蔵のギャラリーのある家」竹崎家住宅(高田屋)」で、明治23年頃築の登録文化財であることが分かります。樟脳業で栄えた商家だそうです。
この種の看板が要所要所の建物に掲示されていましたので、解説板を読みながら歩くだけでも情報は入ってきます。

お店をされているので入ってみたのですが、どこからか声は聴こえてくるものの、あまりズカズカ入っていくのもためらわれて引き返しました。

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細い道を挟んだ向かいには「集落活動センター なはりの郷」がありました。
大正初期頃の旧弘瀬家住宅を活用しています。
ここでガイドマップなどをもらって少しお話を伺いました。
職員の方のお話では向かいの竹崎家住宅のご主人はこの街にとても詳しい方だそうです。

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マップを見ていると、奈半利は南北の紡錘形の道沿いに、古い町並みが固まっていることが分かります。
そこを今来た国道55号線と旧街道が東西に貫いています。
ですので、この紡錘形の道を一周することにしました。

吉良川の「いしぐろ」同様、このような石積みの塀をよく見かけます。
種類も半割だったり、丸石だったり様々です。

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南に進むと薬局をされている東山家住宅(登録有形文化財)がありました。
元は明治38年頃に建てられた土蔵で、初代当主は製材業を営んでいたそうです(解説板より)。
「便所・風呂棟は改築されているが、当家の建築当時の青色の模様のある装飾タイルが使われている」と説明されています。

 →なはり浦の会「藍色のタイルが貼られた風呂・厠棟」

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この建物を見上げると何やら墨の模様が。
この描き方からいって戦時迷彩(第2次大戦中、白壁が空襲の標的になることを恐れ、墨を塗って目立たなくしたもの)ではないでしょうか。軒下部分が風雨にさらされずに残ったように見えます。
もしそうだとすれば、貴重な歴史の痕跡であるとともに、70年以上も傷まない土佐漆喰の強さを示していることにもなります。

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この建物の横の塀が可愛らしい形でした。
隅石は四角く、白壁に丸石が埋め込まれています。

このあたりが旧市街の南の端ですが、見たいものがあって、ここから東に大きく寄り道しました。

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途中にあった和洋折衷の下見板張りの建物。
医院っぽいつくりにも見えますが不明です。
空き家のようです。

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その近くの濱田典弥住宅(登録有形文化財)は、大地主の家で、右奥の土蔵は明治後期、主屋や石塀などは昭和9年築だそうです。

 →なはり浦の会「濱田典弥家住宅の特徴」

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水切瓦は古い住宅だけでなくて、このように新しい住宅でも使われていて、生きたデザインという感じです。

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神社の前を緩やかにカーブする道。
この道は実は、魚梁瀬杉を貯木場まで運搬するための魚梁瀬森林鉄道の軌道跡です。
この区間の奈半利川線は昭和8年に開通して、昭和35年頃まで使われていたようです。
そして奥に見えるのは・・・

 

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法恩寺跨線橋(昭和6年頃)です。
旧道から左の丘の上の三光院に参るための参道です。
マップのイラストを見て訪ねてみたくなり、寄り道してここを訪ねました。

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石造のアーチ。
馬蹄形の美しいアーチです。

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石の階段は斜めになっていました。

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跨線橋の欄干の繊細な縁取り。

魚梁瀬森林鉄道については、詳しい方が何人も書かれていますのでそちらに譲ります。

<例えば>
 なはり浦の会「魚梁瀬森林鉄道」
 歩鉄の達人「廃線探索 魚梁瀬森林鉄道」

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旧市街に戻るついでに、奈半利港も覗いてみました。

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正覚寺の石塀はあまり加工していない石を積み上げているようです。

このあたりまでが奈半利の旧市街の南側です。
続いて北側を回ります。

<関連記事>

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