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2023年2月13日 (月)

四国みぎした旅行(10)隆起する室津港(高知県室戸市)

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2022年GWの四国旅行の続きです。

吉良川からはバスで少し後戻り、室戸市役所のある中心部、室津(狭い意味での室戸)を目指しました。
吉良川の海岸からは室戸岬に向かってカーブしていく海岸とそこにかかる暗い雲が望めました。これからそこに突っ込んでいくのかとややためらいはありましたが、果たしてポツポツと雨が降り出します。
室戸バス停を降りた後、なんとなく室津港に向かいました。

歩いて出たところは室津港の一番奥で、船を引き上げるレールが海中に突っ込んでいます。
右が室津の市街、左は港に覆いかぶさるような森です。
結構高さがあるのが分かると思います。

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港の奥はこんな風に崖になっています。

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港の奥の左手には小さな住吉神社がありました。

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入口付近から見た室津港。
逆L字に折れ曲がっています。

非常に角ばっていることが分かると思いますが、ここの港は実は天然の港ではありません。
このあたりに天然の良港がないためにわざわざ荒磯を掘り込んで作られた人工の港なんです。
江戸時代、土佐藩の家老・野中兼山により、手結港(香南市)、津呂港(室戸市)に次いで3番目に手掛けた掘込港だそうです。
平安時代には土佐に赴任していた紀貫之が京に帰るとき、「室戸の津」に10日間足止めされたことが「土佐日記」に書かれているそうなので小さな港はあったようですが、江戸時代の1629年(寛永6年)、最蔵坊という僧侶が初めて港を掘ったそうです。ただ工事は難航し、工事を引き継いだ野中兼山も途中で失脚させられたため、最終的に一木権兵衛が後を継いで1667年(延宝7年)に完成させたそうです。40年近くかかっていることになります。港が整備されたことで室津が捕鯨基地、カツオ・マグロ基地となる礎となりました。(参考:国土交通省・高知港湾・空港整備事務所「室津港のあれこれ」

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一木権兵衛は工事の障害になっていた岩が除かれることを神に祈り、無事に工事を終えたので、人柱として身を捧げたという話が伝わっています。港を望む奥の丘、四国八十八ヶ所の津照寺がある丘の一角に一木神社として祀られています。写真の中央に見えている建物がそうです。

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室津港にはジオパークの案内看板が立っていました。
これはその一部分です。
ここに「隆起を記録した港」と書かれていますが、やっかいなことに室津港は作っておしまいというわけにいかず、南海地震があるたびに1mほども隆起してきたそうなんです。隆起するたびに港は使い物にならなくなるので、再び底を掘るということを繰り返して、掘った土砂を周囲に積んでいった結果、このように海面から高い港町になりました。この港町は「港の上」と呼ばれています。大変な苦労ですね。

この室津港で隆起を繰り返したサイクルが実は、次の南海トラフ地震が何年後に起こるかの確率計算の根拠になっているらしいです。

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室津港の一角にはこのように煉瓦積みの擁壁がありました。
ここも元々の設置位置から上昇していると思われます。

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港の上には陶器製の繋留杭がいくつかありました。
ロープの食い込んだ跡があります。

向こうの海面と比べるとかなり高い位置にあることが分かります。

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港の上の向かいには桜の並木が覆いかぶさっています。
実はこの背後の堤防の上にも住宅があります。

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現在の海面の高さにある係留用ボラード。5tと書かれています。

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室津港の入り口に気になる構造物がありました。
石垣の上に丸い台座があります。

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近くに見に行ってみるとこのように回り階段が付いています。
石の質感からみて、そこそこ古そうな構造物です。

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上から見るとドーム型にコンクリートの覆いがありました。
小さな灯台のようなものが乗っていたのでしょうか。

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少し離れたところには四角いコンクリート台座もありました。
これも何でしょう。クレーン台座とかでしょうか。

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なお明治以降、海運と漁業の発展による船舶の増加と大型化で、それまでの港が手狭になったため、大正13年から港の拡張工事が始まり、昭和19年、東側に現在の前港が完成しました。それまでの港は「内港」と呼ばれています。(参考:国土交通省・高知港湾・空港整備事務所「室津港のあれこれ」)上の写真が前港です。

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魚市場は内港の外側にあります。

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ところで漁協の建物の裏に気になる建物がありました。
表から見るとこんな建物ですが、

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裏から見るとこんな感じです。港の裏側の斜面上に建っています。
表は改修されているかもしれませんが、裏側はどうも古そうです。
窓が縦長の木製上げ下げ窓ですし、

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柱の頂部は2段になっていて、屋上隅の柱にはリベット状の装飾が入っています。

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遠くから見るとこんな感じ。右隣は「鰹鮪会館」です。

漁協の前に漁師さんらしき方がおられたので尋ねてみると、この建物は以前は漁協の婦人部が使っていたそうです。その後はインドネシア(?)からの漁業研修生の研修施設として使われていましたが、現在は使われていないようです。その方は戦前の建物ではないとおっしゃっていました。

いずれいつの何のための建物か判明すると良いなと思います。

港を訪ね歩くと「天然の良港」と呼ばれる港に出会うことが多いですが、この「人工の良港」も度々隆起してきた歴史も含めて味わい深いものだと思えました。

もう少し室津の話を続けます

<関連記事>

 シリーズの最初の記事
 (1)高知県境の町へ

 

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