四国みぎした旅行(11)室津の煉瓦塀(高知県室戸市)
2022年GWの四国旅行の続きです。
前回に続き、室戸市の室津です。
今回は室津の煉瓦塀を取り上げます。
話が戻りますが、バスを降りて最初に気になった物件がこれでした。
井戸があって、その周りを煉瓦塀やコンクリートブロック塀が囲んでいます。
近づいてみると石碑があって、右から「室津旭井戸」また「大正十二年旧四(?)月竣工」、そして世話人のお名前が列挙されています。
大正時代に掘られた井戸のようです。煉瓦塀も大正時代なのでしょうか。
室津旭井戸の裏側から。
この煉瓦塀の上には煉瓦が平で乗せてあり、日本煉瓦(堺)の四弁花の刻印がいくつか見られました。同社は明治創業で昭和22年まで煉瓦を製造しているらしいので、時期的にも合います。「関西地方の煉瓦刻印」の日本煉瓦の項によると「古い構造物に見られる印ほど数字を内包していることが多いようである」と書かれています。
刻印が見やすいので、雨は少しだけありがたいです。
さらにその通りを港に向かって歩いていくとまた煉瓦塀が現れました。
上の方が広がっていく積み方で、こういう積み方は実はありがたいです。
というのは、下から覗き込むと平面にある刻印が確認できるからです。
果たしてここにも日本煉瓦(堺)の四弁花の刻印、それも真ん中に数字の「17」が入った刻印が確認できました。
この後、行く先々に煉瓦塀が現れました。しかも結論を先に言うと、日本煉瓦(堺)の刻印がほとんどです。
港の奥の階段脇にも低い煉瓦塀がありました。
菱形の刻印のようでしたが、不明瞭だったので保留。
港の奥付近の民家の煉瓦塀。
このように塀の上部に斜めに煉瓦を並べ、その上に幅広く煉瓦を並べて屋根のようにした装飾的な塀は、室津のあちこちで見かけました。
上に平面が出ているので観察しやすいです。
ここでも日本煉瓦(堺)の四弁花の刻印がありました。
室津の堤防側の集落の煉瓦塀。
ここでは「菱形にS字」の下野煉化(シモレン)のものとされる刻印がありました。
甲浦に続いての出現。なぜこんな遠くにと思います。
(追記)「関西地方の煉瓦刻印」に四国産業の煉瓦刻印として、この菱形にSの刻印が掲載されています。地域的にもこちらの方が妥当だと考えますので、訂正いたします。(2023.5.27記)
これもその近くの煉瓦塀。
やはり上部に斜めに並べた煉瓦をはさんでいます。
こちらは「港の上」の隅切りのある煉瓦塀です。
下から覗き込むと日本煉瓦(堺)の四弁花の刻印があります。
見つかった写真だけ載せていますが、そう都合よく見えるものでもないので、この動作を繰り返しているうちにだんだん頭がクラクラしてきました。
だんだん裏面の確認はおろそかになっていきました。
こちらも「港の上」の港に面する通りの煉瓦塀。
お屋敷の奥に煉瓦蔵も見えました。
その裏手の煉瓦塀。
一木神社の近くでも崖の上に煉瓦塀が残っていました。
両栄橋を渡って浮津の方へ。
ここでもいくつか煉瓦塀を見たのですが、その中でも大規模だったのがこの敷地です。
医院の駐車場で、もしかして元々医院の敷地だったのでしょうか。
ここでも塀の上に、日本煉瓦(堺)の四弁花の刻印を確認できました。
吉良川では、阪神方面に備長炭などを運んだ帰り荷として煉瓦が運ばれたという話がありました。
室津の場合は何が運ばれていたのでしょう。魚を運んだ船で煉瓦を積んで帰るというのはイメージしにくいですけど。
またなぜこんなに日本煉瓦(堺)がほとんどなのか、下野煉化らしきものがあるのか(甲浦にもあったのでたまたまではなさそう)も今後の課題にしたいと思います。
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シリーズの最初の記事
(1)高知県境の町へ
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