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2023年1月21日 (土)

千石荘児童公園(京都市右京区)

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京都市の近代の公園めぐりの続き、春栄児童公園の後は太秦公園に寄って千石荘児童公園を訪ねました。
記録によると昭和14年にできた公園です。現地に行くまでは詳しいことを知らず、「立派なお屋敷があったのかな」ぐらいの感覚でした。
しかし、「千石荘」にはそれ以上の意味があったのです。

訪問は2020年の6月です。

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千石荘児童公園はすぐ脇を西高瀬川が流れています。
元はというと桂川から取水する運河です。

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西側から公園内を見ると公園の南縁に松などが植わっています。

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反対の東側から。公園の縁に松並木の遊歩道があるようなちょっと変わった公園です。

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なぜ千石荘なのかの答えは公園に説明板がありました。
なんとこの公園には千石船が置かれていたとのこと。京都市内で千石船とは。
昭和16年に地元婦人会で見学会が行われた時の写真が掲示されています。
残念ながら昭和25年といいますからジェーン台風で破壊され、撤去されたそうです。

千石船の由緒を示す石碑があるとのことなのでそちらも見てみます。

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これです。いつもならここで解読してみるところですが、京都市は石碑をアーカイブ化してくれていますので、それを引用させていただきます。

京都市歴史資料館情報提供システム「フィールド・ミュージアム京都」より「長栄丸移据の由来」

 長栄丸移据の由来
此船は長栄丸と称して籍を若州遠敷郡に有し表
高八百七十五石実際は千石則ち四万貫目を積載
し日本海の怒濤を蹴つて遠く北海道に定期航海
をなし其都度万円以上の収益を上げたる功労抜
群の船なり
 抑我徳川幕府の治世には千石積以上の造船を
厳禁したれば物資供給交通利便の権威者として
は千石船を以て最となしたり明治の中興に至り
和船航海の不利に鑒み三百石以上の和船建造を
禁ぜられたれば大和大型の船は自然廃滅に委す
るの姿となり当時彼尨大を以て誇りし千石船も
近き将来に於ては全く其影を没するに至るべし
想ふに我京都の如き四方皆山の地にありては船
舶を見ることすら罕なるをまして千石船の如き
其実際を知ること最も難し余適々長栄丸を見其
雅趣の津々なるを愛す而して其船主の他に移ら
んとするを聞き若し此船を陸に上げ其命を保た
しめば一は船の偉績を存し一は市人の参考に資
するを得んと終に進んでこれを求め此地に移据
することゝはなりぬ乞ふ曳*の士よ余が徴衷を
酌み船を山に登せし愚挙をして徒為たらざらし
め賜はんことを
大正丙寅仲春
清水庵の主人誌す

 

HPには「長栄丸は若狭国と北海道との間を定期運航していた千石船であったが,転売されて大正14年に地元の実業家篠田幸二郎の邸内の庭園に移された。昭和14年に庭園と千石船は京都市に寄附され,庭園は児童公園となり,千石船は一般に公開された。」とも説明されています。

千石船が置かれていた別荘なので「千石荘」なのですね。
大正時代の地図を見ると、公園の西側道路をはさんだ向こう側に千石荘の建物はあったようです。
船の名前は長栄丸で、若狭国遠敷郡といえば小浜のあたりを拠点とする船だったようです。
石碑の建てられたのは大正丙寅ですので大正15年です。

またリンク先には、2012年に公園が再整備された際に石碑も移動されたという説明がありますので、その時点で公園の姿も変わってしまったのでしょう。

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その横にあるのが同時期の大正15年に建てられた明治天皇御製の歌の歌碑です。
これも京都市でアーカイブ化されています。

「明治天皇歌碑」

千石船にちなんだ歌ということで置かれているようです。

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さらにもう一つ、スウェーデン国皇太子夫妻が千石船を見学した時の記念碑というのもあります。
これもアーカイブ化されています。

「瑞典皇太子同妃殿下千石船御台覧記念碑」

この記念碑も同時期の大正15年に建てられています。
千石船を見る目的ではなくて、近くの天塚古墳を見に来られたついでとはいえ、興味津々で見学された様子が伺えます。

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改めて公園を見渡すとあちこちに庭園の名残りの石らしいものがあります。

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それぞれに個性的な石ですよね。

改修されたためか、それ以外ではあまり昔の公園らしさは感じられませんでした。

ところで、千石荘公園に来る途中、太秦公園に寄ったと書きました。

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太秦公園はこんな場所にあります。
御室川(左)と付け替えられた天神川(右)が合流する三角地という変わった立地です。
石段を下りていくような合流の仕方も面白い。

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太秦公園は名前から受ける印象に反して、これぐらいの小さな公園です。

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 <京都市情報館「第6回京都市都市計画施設等見直し検討委員会」(2013.1.9)資料3より>

元々太秦公園は、上記資料によれば「昭和16年に防空緑地として決定し,一度は用地が確保されたが,戦時中,食料事情により耕作地としていたため,戦後,自作農創設特別措置法(農地改革,昭和21年)の対象となり,政府が買収して耕作者に売り渡されたと推定される。その後宅地化が進行し,開園区域(0.05ha)は開発行為により設置されている。」
と説明されています。ですので、実際の公園設置は平成12年です。それにしては人研ぎの滑り台もありますが・・・。
本来はもっと広い公園(上図の赤枠内)になる予定だったのですね。既に宅地化していますのでそれはなくなりました。

防空緑地起源の公園として訪ねてみましたが、このような状況なので簡単に触れるだけにとどめました。

<関連記事>
 日常旅行日記「近代の公園目次」

 

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