宮崎の旅2019(5)八紘之基柱の石材
八紘之基柱(あめつちのもとはしら・現在は平和の塔)について、もう一つ紹介することがあります。
塔の概要については前回の記事で。
この塔の台座には、国内外各地から寄贈を受けた石材が使われています。
見た目にも、バラバラなのが分かると思います。
まるで石のカタログのようです。
『ある塔の物語』によれば、「この計画は新聞のキャンペーンや、その他のマスコミを通じて、国内はもとより、世界各国へ広く発信された。(中略)縦四十五センチ、横六十センチ、幅十五センチ切石は、団体からに限られたが、県内市町村をはじめ、国内各地、朝鮮半島、台湾、中国、さらには、ペルー、シンガポール、ハワイ、ドイツ、イタリアなどの日本人会から続々と集まり、全部で千七百八十九個が寄せられた。これらの切石には、それぞれの寄贈者名が刻み込まれた。」とのことです。規格化されていたのですね。
その一部を紹介します。
左下に「栃木県農会」
左下に寄贈者名を書くのが決まりだったようです。
「西米良村青年団」
県内からのものです。サイズが規格と異なりますね。
「福井県織物組合」
斜めに刻まれた線は織物をイメージしているのでしょうか。
「信濃教育会」
「東京市役所」
「福岡県神社協会」
「岐阜県町村長会」
「愛知県土木協会」
「和歌山学校歯医会」
学校担当の歯医者さんの組合というのもあったのですね。
「台北台湾石材会社」?
大理石のようです。
「朝鮮総督府」
「カナダ日本人会」
かなり変わった模様の石です。
「南京日本居留民会」
細かいレリーフが刻まれていて、建物から切り取られたように見えます。
この石と南京産の石あと2つについては、2015年に中国側から文化財として返還要求がありましたが、県が断ったというできごとがあったようです。
→宮崎日日新聞「南京市民ら、平和の塔石材返還要望 宮崎県「応じられない」」(2015.10.27)
「南支志賀中山隊」
中国方面の軍によるものも結構多いです。
これもレリーフが刻まれています。
「綏遠省黒田石田隊」
これもうっすらレリーフが入っているようです。
「青島宮崎県人会」
「中支第四水輪隊」
「上海宮崎県人会」
宮崎県人会などの宮崎関係が多いといえば多いですが、それを超えて全国的な運動になっていたことが窺えます。
実はこの石材の出所については、「八紘一宇」の塔を考える会が全て調べて本にされています。
「新編 石の証言 「八紘一宇」の塔[平和の塔]の真実 改訂版」
また1999年にテレビ宮崎が『石の証言〜平和の塔の真実〜』というドキュメンタリー番組を制作しています。
この中で重要な証言として、中国に展開していた陸軍部隊に対し、部隊司令部付近と最前線の石各1個を送るよう指示が出ていたという話があります。それで中国からの石が多いのですね。
番組内容についてはこちらに詳しく書かれています。
→番組構成師[izumatsu]の部屋「石の証言〜平和の塔の真実〜」
結果として、この塔はほとんど建設された当時のままの姿ですが、そのために、この塔をじっくり眺めていくと、その当時の状況がよく分かり、意味があるように思います。
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