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2021年8月 1日 (日)

宮崎の旅2019(2)宮崎の蔵など(宮崎市)

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2019年GWの宮崎の旅の続きです。
神戸からのフェリーを宮崎港で降りた後、徒歩で宮崎駅を目指しました。
お天気も良く、平坦な道です。

屋敷森が見えたので、近寄ってみました。
そこには和洋折衷の石造の蔵が!

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窓の両脇には松竹梅のレリーフ、下には菊水(?)のレリーフ。
装飾的な屋根も架かっていますし。
瓦屋根の下にはコーニスとロンバルディア帯風の装飾も入っています。
柔らかそうな石は凝灰岩でしょうか。

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さらに1階と2階の間は帯状に出していて、角には植物風の装飾が入っています。

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拡大するとこんな感じです。
表面の仕上げを変えることで、数種類の石材を使っているかのような変化を付けていますね。
角の石材は手前に出ています。

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母屋脇の馬小屋?も腰壁までは石を積んでいます。

後で宮崎の図書館に行って『宮崎県の近代化遺産-宮崎県近代化遺産総合調査報告書-』(平成29年)を見たのですが、そこに宮崎県の石造倉庫について、かなり大きく取り上げられていました。

「宮崎県を含む南九州(鹿児島県全域、熊本県球磨地方)には、溶結凝灰岩(本県では「ハイ石」と呼ぶ)を利用した石造倉庫が数多く見られる。(中略)宮崎県内には、住宅の附属屋としての石造倉庫が残されている。この石造倉庫は、基礎部分から軒部分までを石造りで建築したもので、約170棟の石造倉庫が残されている。」(p19)

 この蔵もそのうちの一つなのでしょう。

 また年代の分かるものでは、明治8年から昭和40年建築のものまで、約90年にわたっているそうです。

 さらに宮崎地区の石造倉庫について、
「宮崎地区は石造倉庫の建築数が最も多く、構造的にも意匠的にも完成度の高いものが多く見られる。この地区の石造倉庫の殆どが寄棟屋根2階建て造りで、小屋組の構造材、2階床の構造材を支えるために蛇腹(西洋では「コーニス」と呼ぶ)が軒部分と壁面中央部分に施されている。(中略)石材は、高岡町浦之名と清武町黒北から調達しており、石工もこの石材産地に居住して石造倉庫の建築に関わっていた。」(p29)

 と書かれています。全く特徴が一致しています。

 改めて自転車を借りて石造倉庫を見て回りたいなと思っていますが、まだ実現していません。

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 さてまた歩きはじめます。
 木造下見板の市営住宅っぽいものがありました。

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 このあたりは低湿地で、ところどころ暗渠の通路がありました。

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これはセメントでしょうか。
古そうな門柱です。

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コンクリート基礎杭を逆さに使った門柱。

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もう一つ石造倉庫を見かけました。
こちらは木々に覆われていて、ほとんど見えません。

2019年末か2020年に解体されたようです。グーグルストリートビューに解体直前、周囲が刈られて全体が見えるようになった姿が残っていました。

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石を積んだ塀。屋根部分も石でできています。
屋根部分は石造倉庫と同様の石材に見えます。

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次に見えてきた森は吉村八幡神社でした。
文明8年(1476年)に宇佐八幡宮から勧請された神社だそうです。

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周囲の石垣にも同様の石材が見られます。

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興味深かったのが折れた鳥居を使ったモニュメント。
裏に「昭和六年十一月二日午後七時ノ大地震ノ為前石鳥居破壊シタルニ付今度鉄筋コンクリートニテ改築ス」
と書かれています。知らなかったのですが、日向灘地震(M7.1)というのがあったそうです。

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玉乗りでポーズを取っているような狛犬。
皇紀2600年(昭和15年)に、四国21回参拝記念として地元の68歳の男性から奉納されています。

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宮崎の中心地が近づいてきました。
宮崎中央公園。滑り台が植物のようなデザインです。

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宮崎中央公園にある宮崎科学技術館の前には、H-Ⅰロケットの実物大模型が置かれていて目立っていました。

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宮崎駅に到着。新しいデザインです。
列車の待ち時間があったので、駅を抜けて、西側に少し離れた繁華街の方にも行ってみました。

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文化ストリート商店街という場所があり、昔の雰囲気が残っていました。
表に出れば繁華街なので、ほんとに隙間のような場所です。

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こちら看板建築風の建物。
かき氷屋さんがオープンしたばかりのようでした。
この日はこれぐらいで、宮崎駅から列車に乗って延岡に向かいました。

宮崎市街については戻ってから改めて歩き回りました。
そちらを先に紹介しようと思います。

宮崎神宮の記事に続く。

 

 

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