野里を歩く(大阪市西淀川区)
姫島の記事を書きましたのでついでに野里のことも。
姫島を歩く少し前に、隣の旧集落である野里を歩きました。
野里のメインの通りには昨年(2020年)中頃までアーケードがあったそうですが、この時には撤去されていました。
最近アーケードを撤去するケースが多いですね。
通りを歩いていると四角い洋館付き住宅がありました。
この角の店舗兼住宅も昔からのもののようです。
ここからアーケードが始まっていました。
その向かいにあるのが野里住吉神社。
この右側の石垣、存在感があります。
実は淀川が改修される前、中津川の右岸堤防だったそうです。
この石垣や玉垣は大正9年に堤下茂兵衛という方によって寄進されています。
明治18年の大水害をきっかけに明治29年から始まった淀川の改修工事は明治43年に完了しますが、記録によると大正6年にも大きな水害があったようです。その復旧時の工事なのかもしれません。
石垣を北側から。
北の端にもまた石垣と玉垣の改修を示す石柱が。
こちらも同じく堤下茂兵衛さんによるものです。
神社の北側には各町の神輿庫と太鼓の蔵が並んでいました。
結構サイズがまちまちですね。
西側には御大典記念の玉垣記念碑。
力石もありました。
家を低い塀で囲っているのも浸水対策でしょうか。
野里住吉神社の西側を北上すると近代建築っぽいデザインの建物が。
医院でしょうか。右側の入口は増築のようにも見えます。
看板建築風で存在感があります。
野里住吉神社の北側に出ました。
右にある石には「槲(かしわ)の橋跡 野里の渡し」と書かれています。
この標石自体は近年のものですが、ここから先が中津川で、橋が架かっていたり、渡しがあったようです。
戦後っぽいですが、シュロの並ぶ住宅。
旧中津川の向こう側には板張りの住宅がありました。
そしてこちら、蔵がその幅の石垣の上に乗っています。
ここに案内板が掲示されていて、ちょうど野里住吉神社の対岸、旧中津川の左岸堤防が残っているということです。
面白いですね。
これが全景です。
お屋敷が一軒乗っかっています。
(おまけ)鼻川神社の裏で見かけた石像。鼻川神社は淀川改修工事で河川敷となるために明治30年、姫島神社に合祀されますが、大正13年に分離を果たして、昭和9年、現社地に社殿を建てたそうです。左は鯱でしょうか、その時のもの?と思うぐらい少しアールデコの入ったデザインです。
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コメント
初めてコメントさせていただきます。
そこそこに古い建物が好きで
よく撮影や見学に行くのですが
こちらのブログもよく参考にさせていただいています。
この間野里~塚本を歩いたのですが
塚本駅の近く花川2丁目に正和荘という
かなり時代を遡れそうなコンクリートだかモルタルだかの3階建てアパートがありました。
凄く雰囲気のいい建物でしたが調べても何もヒットしなかったのでもし興味がおありでしたらお勧めします。
投稿: 豊中市民 | 2021年10月 9日 (土) 21:06
豊中市民さま、情報ありがとうございます。
私も正和荘、撮っていました。外階段の印象的な、ちょっと不思議な雰囲気の建物ですよね。
古いアパートは大好きなので、また見つけられたらぜひ教えて下さい。
投稿: びんみん | 2021年10月16日 (土) 23:47