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2021年7月

2021年7月29日 (木)

宮崎の旅2019(1)船で宮崎へ

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2年前の旅行の記事を書いておこうと思います。
2019年5月のゴールデンウィーク、宮崎への旅行に出かけました。
旅のきっかけは紀元2600年(昭和15年)の観光地を訪ねてみようと思ったことです。
(今回の記事にはその話は出てきません)

幸い、宮崎には神戸からのフェリーが出ていますので、これを利用しました(GWでもチケットが取りやすいのもメリット)。
乗り場は神戸税関のちょっと先にある、神戸三宮フェリーターミナルなので便利です。前にジャンボフェリーで小豆島に行ったことはありますが、今回は宮崎カーフェリーです。
船は「こうべエキスプレス」でした。(帰りも同じく)

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出発までの時間は、甲板で暮れゆく神戸の街を眺めます。
海側から眺める港町というのは良いものです。

反対側には上海行きの新鑑真号が停まっていました。
昔、大阪南港のフェリーターミナルでアルバイトしていたこともあって、港の雰囲気は大好きです。

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さっそく船内も探検。船のデータを確認しておきます。
全長170mで11931トン。平成8年8月に進水した船です。
瀬戸内海ではなく、外海を走るので、スタビライザー(安定装置)が付いています。

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19時過ぎ、まだほのかに夕焼けが残る神戸から出航。

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こういうルートを通ります。宮崎までは500kmぐらい。
瀬戸内海を走ると途中、明石海峡大橋や瀬戸大橋などをくぐるイベントがありますが、四国の南側を回るので、まして夜なのであまりイベントはありません。

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今回は2等寝台にしました。
2等室(大広間)は安いですが、周囲が気になってどうも寝付けないので、このところ少なくとも2等寝台にしています。

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反対側には棚があるぐらい。2段ベッドが4台か6台入る8人または12人部屋です。
狭いですが、夜行バスと違って寝るまでは動き回れるのでそんなに気になりません。

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翌朝。晩は持ち込んだおにぎりで簡単に済ませましたが、朝は船のレストランで。

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こちら洋セットです。これにコーヒーが付きます。

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船内のお風呂。

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通路はこんな感じです。
船旅らしいスペース。早いものがちだけど。

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甲板にも出てみます。
実際には出たり入ったり。

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宮崎港内に入ると、狭いのでタグボートに押してもらって方向転換。
結構なスピードでした。

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初めて目にする宮崎の町。フェリーターミナルの周りにはヤシの木やらシュロやらフェニックスやらが並んで南国らしい雰囲気です。遠くにビル街と山並みが見えます。

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8時20分頃、接岸。繋留作業を見学します。

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宮崎港に到着しました。
市街地から少し離れているので、普通はここでバスに乗って市街に向かうのですが、お天気も良いですし、今回は初めての宮崎を体感するために歩いていくことにしました。

続きます。

 

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2021年7月25日 (日)

野里を歩く(大阪市西淀川区)

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姫島の記事を書きましたのでついでに野里のことも。
姫島を歩く少し前に、隣の旧集落である野里を歩きました。
野里のメインの通りには昨年(2020年)中頃までアーケードがあったそうですが、この時には撤去されていました。
最近アーケードを撤去するケースが多いですね。

通りを歩いていると四角い洋館付き住宅がありました。

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この角の店舗兼住宅も昔からのもののようです。
ここからアーケードが始まっていました。

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その向かいにあるのが野里住吉神社。
この右側の石垣、存在感があります。
実は淀川が改修される前、中津川の右岸堤防だったそうです。

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この石垣や玉垣は大正9年に堤下茂兵衛という方によって寄進されています。
明治18年の大水害をきっかけに明治29年から始まった淀川の改修工事は明治43年に完了しますが、記録によると大正6年にも大きな水害があったようです。その復旧時の工事なのかもしれません。

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石垣を北側から。

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北の端にもまた石垣と玉垣の改修を示す石柱が。
こちらも同じく堤下茂兵衛さんによるものです。

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神社の北側には各町の神輿庫と太鼓の蔵が並んでいました。
結構サイズがまちまちですね。

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西側には御大典記念の玉垣記念碑。

 

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力石もありました。

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家を低い塀で囲っているのも浸水対策でしょうか。

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野里住吉神社の西側を北上すると近代建築っぽいデザインの建物が。
医院でしょうか。右側の入口は増築のようにも見えます。

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看板建築風で存在感があります。

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野里住吉神社の北側に出ました。
右にある石には「槲(かしわ)の橋跡 野里の渡し」と書かれています。
この標石自体は近年のものですが、ここから先が中津川で、橋が架かっていたり、渡しがあったようです。

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戦後っぽいですが、シュロの並ぶ住宅。

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旧中津川の向こう側には板張りの住宅がありました。

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そしてこちら、蔵がその幅の石垣の上に乗っています。

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ここに案内板が掲示されていて、ちょうど野里住吉神社の対岸、旧中津川の左岸堤防が残っているということです。
面白いですね。

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これが全景です。
お屋敷が一軒乗っかっています。

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(おまけ)鼻川神社の裏で見かけた石像。鼻川神社は淀川改修工事で河川敷となるために明治30年、姫島神社に合祀されますが、大正13年に分離を果たして、昭和9年、現社地に社殿を建てたそうです。左は鯱でしょうか、その時のもの?と思うぐらい少しアールデコの入ったデザインです。

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