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2020年4月30日 (木)

あおい公園/旧下鴨膳部公園(京都市左京区)

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京都市の近代の公園めぐりの続きです。
地蔵本児童公園の後、疎水分線沿いに進み、高野川を越えて、この日は京都工芸繊維大学や写真の松ヶ崎浄水場に寄り道しました。
松ヶ崎浄水場は昭和2年、蹴上浄水場に次いで京都で二番目にできた浄水場です。この建物は昭和2年当初の旧最高区ポンプ室(電気室)とのことです。

訪問日:2019年2月9日

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松ヶ崎浄水場の南側を流れる疎水分線にかかる橋。
煉瓦の構造物も気になります。

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住宅地に入ると焼きすぎ煉瓦の塀を持つ家がありました。
凝ってます。

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蔵と洋館付きの住宅。

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こちらも2階建て洋館付きの住宅。
窓の格子が面白い形です。

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古い住宅の眺めながら歩いて行くと正面に、あおい公園(旧下鴨膳部公園・昭和10年)がありました。
さすがにこの時期の公園は凝っていて、ここも門柱脇の壁が手前に広がるカーブになっている上に帯の模様が付いています。

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この公園前は住宅地設計上のポイントとなる場所らしく、ハの字に開く石橋が架かっています。
先ほどの住宅はこの右手にあり、住宅地の中でも重要な通りなのではないでしょうか。
ちなみに流れる川もただの川ではなくて、高野川の宝ヶ池付近で取水され、下流では下鴨神社の糺の森を流れる泉川です。
この水路が公園に沿うように折れています。

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あおい公園の南側の門も同じデザインでした。

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公園のほぼ全景。
そんなに目立つものがないように見えるかもしれませんが、面白いものがいろいろありました。

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なんといってもこれ。
大きな岩に「記念」とだけ書かれています。
一体何の記念?と疑問ですが、そういうときは裏に回ります。

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裏側に碑文がはめ込まれていました。
右側の石には関係者の名前が刻まれていました。

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そして左側の石にはこの碑文です。
書き起こしてみます。


昭和六年二月、下鴨土地区画整理組合成立
時は市長を組合長に推し、鞍馬街道以東高
野川右岸に至る下鴨学区の北部及び松ヶ崎
学区の一隅を画して、農耕地帯の市塵化を
図りしが、市当局の援助と組合員二百余家
の協戮とに因り、諸般の準備著著緒に就き
翌年二月興工十月完竣。所投の資金十七万
二千余円。所整の地面十四万七千七百余坪
街路溝渠井井縄縄居住安便、方域殷賑の基
を開けり。乃ち梗●を石に●して新開の遊
園に安し、以て永遠の記念に備う。
昭和八年三月誌す


 ※旧字体は可能な限り新字体に変更しました。
  送りがなはカタカナをひらがなに改めました。
  適宜、改行や句読点を追加しています。
  不正確かもしれませんので参考程度にご利用下さい。

 つまりは下鴨土地区画整理事業の竣工記念碑です。

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また、国旗掲揚台も残っていました。

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裏側に回るとちゃんと旗竿を固定する凹みと金具が残っています。

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また隣の葵小学校との間に石柱が立っています。
小学校と行き来できるように門があったのでしょうか。

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もう一対、南側にもありました。

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シンプルな砂場。

公園には、平成になってから設置された三等三角点などもありましたが、記事のボリュームの関係で省略します。

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公園から続く葵小学校の塀は、アーチの小窓のような装飾が付いていて古そうです。

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もう一つ、周辺の見どころとして、先ほどの泉川にかかる石橋があります。
公園沿いの住宅は泉川を石橋でまたいで正門というつくりになっていて、この石橋が立派なんです。
蔵・洋館付きの住宅自体も良いですが。

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こちらもきれいな石橋です。
下鴨土地区画整理事業の区域内には古い住宅が多数あるようですが、この日は公園メインでしたので、次の公園に向かいました。

 

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 日常旅行日記「近代の公園目次」

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