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2020年2月 5日 (水)

港北公園と博覧会(名古屋市港区)

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このところ公園ブログみたいになっています。
古い話ですみませんが、名古屋の公園めぐりをした日のラスト、港区の港北公園を訪ねました。
白鳥西公園の後です。
既に日没で画像が暗くてすみません。

名港線の港区役所駅を降りると、すぐそこが公園です。
人工の築山に設置された滑り台が興味をひきました。

港北公園は昭和17年にできた公園です。
ただし今の形とはかなり異なります。

訪問日:2018年10月8日

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港北公園はこういうかなり変則的な形です。
東園と西園に分かれていて、地図上では移動させられていますが、西園は平和橋の左(西)に続いています。

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南端の港図書館のあたりから探索を始めました。
見たことのない大がかりなシーソー?があります。
ネットで吊されるタイプ。

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北に向かって進んでいきます。

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すると平和橋というアールデコデザインの橋があります。
橋といっても現在は陸橋。

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橋のたもとに解説板が設置されていました。
昭和12年に開催された名古屋汎太平洋平和博覧会にあたって約13万円を投入して建設された橋で、博覧会の記念として残る唯一のもの、とのことです。

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振り返ると、名古屋汎太平洋平和博覧会の写真入りの解説板もあります。
この博覧会は名古屋市の主催で昭和12年3月15日から5月31日までの78日間にわたって開催され、会場は現在の港北公園周辺の50万平方m、総事業費1600万円(博覧会自体には300万円)、国内の各道府県や外国29カ国が参加、総入場者数は約480万人という戦前の名古屋で最大規模の博覧会です。

解説の写真を見ると、運河の真ん中に掛かっているのが平和橋です。
主会場の西側部分はのちに東邦ガスの工場をへて、現在はららぽーと名古屋みなとアクルスとなっています。
たまたまこの時は、ららぽーとのオープン後10日ほどで、結構な人出でした。
また港区役所もこの会場跡地に建っています。

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名古屋汎太平洋平和博覧会の栞。
その序文を読むと「日本の名古屋から世界の名古屋へ!此の大飛躍の記念として花の“なごや”の春の空にありとあらゆる太平洋文化の粋を集めて築き上げる豪華なる文化の殿堂。これが我が「名古屋汎太平洋平和博覧会」である。
 熱田神宮、釈尊遺骨奉安塔、名城の金鯱は云うも更なり、百十万を突破する人口、近郊を合わせて十一億円に達する年工産額、聖世の隆運に疆りなく伸び行く大名古屋に昭和十二年からは海の玄関たる名古屋港と、陸の玄関たる名古屋駅とが世界的都市に相応しい壮麗さを以て登場して新たに世界交通の要衝となる、その他、国際飛行場、観光ホテル、さては世界屈指の大動植物園、大水族館等が相次いで竣工し、今や新興名古屋は躍進日本を表徴しつつ文化に産業に世界的都市としての新たなる発展の段階に入らんとしている。そしてこの画期的大飛躍の首途に当たって、太平洋の平和と新文化の建設を目指す一大事業、これが我が「名古屋汎太平洋平和博覧会」である。」
と当時の勢いを感じさせる非常に熱いメッセージが書かれています。

ちなみにこの時の参加国は、満州国、オランダ領インド、フィリピン、ブラジル、タイ、中華民国、オーストラリア、フランス領インドシナ、イギリス領インド、ビルマ、スリランカ、南アフリカ連邦、メキシコ、グアテマラ、ホンジュラス、コスタリカ、サルバドル、パナマ、ヴェネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、チリ、アルゼンチン、マイソール(インド)、シンガポール、トラヴァンコール(インド)、カナダ、アメリカ合衆国、その他となっています。汎太平洋なので、アジアと北中南米、オセアニアということのようです。

名古屋汎太平洋平和博覧会については、あちこちに書かれているので深入りはしないことにします。
興味ある方は、下記のページなども見てみてください。

港区HP「ミナトガタリ 第10弾なごや古道・街角案内人 第7章 汎太平洋平和博覧会について」

 

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さて平和橋に戻ります。
親柱はアールデコのデザインで、ラジエーターのような形が取り込まれています。
会場のシンボルであった平和塔とも似たデザインのようです。

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昭和十一年十月竣工となっています。

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建設は名古屋市の石原鈼治郎となっています。


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現在、平和橋の下は、港北公園の東園と西園をつなぐ通路のようになっています。
橋の構造を下からも眺められるということになります。

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車止めはアールデコのデザインを踏襲しているようでした。

『名古屋の公園』(昭和18年)によれば、港北公園は、名古屋汎太平洋平和博覧会の会長から寄附を受けた8万円で、敷地のうち4207坪を買収し、それ以前に港北土地区画整理組合から寄附を受けていた5000坪を合わせて工事費6万円で昭和16年に完成させたとのことです。当初は運河を短艇場として、そこを中心に北側に緑廊、露壇、運動場、相撲場を設け、南部にはテニス場、徒渉池、藤棚、ブランコ、滑り台等運動器具を備えていたそうです。

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また、平和橋の隣には公園の由来を示すこんな石碑もあります。

「港北公園は、中川運河の支線として開さくされた港北運河の一部を埋立て、公園として整備することにより、災害時における避難場所の確保、地域住民のレクリエーションの場の確保等“ゆとりとうるおいのあるまち”を目指し整備したものである。
 昭和59年3月 名古屋市」

 港北運河の東部が埋め立てられて港北公園が完成するのは、この石碑より後、昭和61年のことだそうです。(名古屋市HPの中川運河に関する年表

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平和橋の上から埋め立てられた運河の部分を臨む(東方向)。

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さて橋をくぐって西園にも行ってみます。

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平和橋をくぐった先にも遊歩道が続いています。
ここも埋め立てられた運河です。

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その先には運河の残りと、きれいな夕焼けがありました。
ここにはみなとアクルスの船着き場があって、中川運河の水上バスが着くようになっています。

今度は船で来ても良いかもしれません。

<関連記事>
 日常旅行日記「近代の公園目次」

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