北木島の豊浦(岡山県笠岡市)
笠岡諸島の北木島を訪ねた記事の続きです。
レンタサイクルで北木島の西海岸に回り込むと、テクノスケープというのか、採石・加工関連の施設が増えてきます。しかも今まで見てきたものよりも新しく見えます。山も採石による崖が目立ちます。
こんな風に海岸に工場が並んでいます。
外周道路と海の間には広い空き地があり、ここに石材を積んであったのでしょうか。
内側にも細い道があって、こちらを自転車で走りました。
工場の裏はすぐ丁場(採石場)です。
石切場はどこもこんな感じで、崖の手前に池があります。
地下に掘り進んだところに水がたまったもので、すごく深いのではないでしょうか。
ぽつんと立っていた鳥居。
豊浦の集落に入るとすぐ、鮮やかな水色の近代建築が目に入りました。
「公会堂」と書かれた古い額が掛かっていて、ここは豊浦公会堂(昭和9年)です。
現在も使われているようです。
その隣には旧豊浦幼稚園があります。
見た感じ昭和20〜30年代の建物に見えるのですがどうでしょう。
現在は、NPOのかさおか島づくり海社が入っています。
広いグラウンドがあって、片隅に備前焼の二宮尊徳像がありました。
刻印を見ると、伊部窯元の興楽園となっています。
大浦の神社で見た備前焼狛犬と同じ窯元です。
ここには北木島小学校豊浦分校がありました。
明治15年開設で、昭和16年の古い校舎がありましたが、学校統合に伴い平成13年3月末で廃校となり、校舎は解体されて写真左に見える集会所が建てられています。
>出典「想いでの校舎 笠岡市立北木小学校豊浦分校」
隣接して八幡宮があります。
ここの石灯籠がかなり巨大。
さらに集落に入っていくと洋風な住宅がありました。
洋館付き住宅の一種と言っていいのでしょうか。
逆の方向から。
独立した玄関があって事務所っぽいです。
さらに北木島郵便局。古く見えますが、1957年(昭和32年)らしいです。
>(参考)文化遺産オンライン
出典が昭和32年に撮られた写真ということでもないのでしょうか。
階段にも石材が使われています。
玄関ポーチ支柱の束石も。
この郵便局、島にとっては大事な意味を持っていて、後で出てくる畑中平之丞という人が、石材を全国に売って行くには郵便局が必要ということで明治31年に郵便局を作り、初代局長になったそうです。
集落を歩いている面白い塀がありました。
これは舗装に使われるインターロッキングではないでしょうか。
実際、入口にはインターロッキングを敷いています。
こういう風景を見ると産地らしいなと思います。
共同井戸とポンプ室らしきものもありました。
港には畑中平之丞(天保14年〜昭和5年)の像というものがあります。
北木石の採掘と販路開拓の祖と呼ばれる方なので、こういう形で昭和54年に顕彰されています。
碑文によると児島湾干拓にも北木島の石が使われたのですね。
彼の尽力により、日本銀行本店、横浜正金銀行、靖国神社大鳥居など数々の有名建築に使われています。
>(参考)北木ノースデザインプロジェクトHP「北木石の先人達」
最後に豊浦港の遠景。
この港には笠岡からのフェリーが入ってきますので、豊浦に来るならそれが便利。
海岸にある豊浦公会堂の空色は遠くからも目立っています。
豊浦は島の中でも近代建築的には一番見どころが多いと思います。
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日常旅行日記「笠岡諸島へ」
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