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2019年7月12日 (金)

古城山公園(岡山県笠岡市)

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先日、尾道でトークショーを聴いた帰り、岡山県の笠岡市に立ち寄りました。
そこそこ大きな、行ったことのない街ということで、いつものように下調べせずの訪問です。

訪問日:2019年6月30日

線路の北側を一通り巡った後(その話は次回)、景色が良くて、サル舎がある古城山公園というのがあると知り、行ってみることにしました。動物舎のある公園は古い公園が多いので。

ただ地図を見てもどこが入口か分からず、とりあえず旧街道を山に向かって歩いて行くと、鳥居と山に向かう階段がありました。
この参道、JR山陽本線を越えながら高架道路をくぐるという変わったルートになっています。

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参道の手前左には手水舎。井戸もあります。
手水鉢が面白い形。

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そして、参道狛犬として岡山県らしく備前焼狛犬があります。
妙なバランスに見えますが、ひざを立てて前足を置いてます。
裏側の銘を見ると天保九年(1838年)の作です。

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参道を登っていって振り返るとこんな感じ(写真は帰りに撮りました)。
かなり急で、下りは手すりをもたないと不安です。

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古城山稲富稲荷神社の拝殿。
弘治元年(1555年)にこの山にあった笠岡城の城主・村上氏(いわゆる村上水軍の一族)によって城内の鎮守として勧請されたとのこと。
現在の拝殿は文政2年(1819年)に再建されたものだそうです。

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境内で目を引いたのがこの亀趺。
宝珠に干鰯仲買中の文字が刻まれています。
階段の登る途中にも干鰯の文字を見ました。
このあたりの有力な産業だったのでしょうか。

ここから山頂へは拝殿の右からでも左からでも登れます。
左から登った方が道が良いです。

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左の道を登っていくと、途中、芭蕉の句碑があります。
隣の案内板によると「世の中はさらに宗祇のやどりかな」と彫られています。
安永8年(1779年)に立てられたそうです。

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またその隣には、宗祇の休石というのがあります。
連歌師の宗祇が明応3年(1494年)に山口に向かう途中、笠岡の陶山一族を訪ねて「山松のかけやうきみる夏の海」と詠んだという説明があります。石碑は寛保2年(1742年)です。

それぐらい、古くから名勝だったのですね。

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さて、山頂に登ると、こんなグラウンドのような場所になっています。

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こちらの説明板を読むと、明治40年末に、なんと埋立用土砂採取のために削られて城の遺構が消滅してしまったそうです。
笠岡市のHPによれば、経緯としては明治39年に保安林として官有地が払い下げられ、明治40年に山頂部が削られ、明治42年2月18日に保安林解除、8月31日に笠岡町の公園となったという流れになります。明治42年に開園した非常に古い公園です。

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公園の一角には恐らく展望台として削り残された岩山があります。

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裏側には日本庭園があり、石橋なども架かっています。

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入口には古城山という記念碑。

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側面には「岡山縣十勝地 昭和十年十一月 山陽新報社選」という金属プレートがはまっています。
「岡山県十勝地」って何かな?と思って調べると、岡山県立図書館が質問に答えているものがありました。

岡山県立図書館「岡山県十勝地について」

山陽新報社という新聞社の企画で、昭和10年に県内の十勝十五景の投票を行ったそうで、その結果を引用しておくと下記の通り。

  10,502,570票 鹿久居島(和気)
   7,344,577票 吉備津彦神社(御津)
   5,522,521票 天王山(和気)
   5,020,922票 高松常昌院瀧(吉備)
   4,979,351票 少林寺山(岡山)
   4,861,750票 井原の櫻(後月)
   4,762,763票 笠岡古城山(小田)
   4,276,528票 福山城址(都窪)
   4,022,049票 酒津水門(都窪)
   3,617,329票 三野公園(岡山)

笠岡の古城山は第7位です。
それにしてもトップの鹿久居島は1000万票超え、古城山でも500万票近くで、投票の白熱ぶりが伺えます。

また、選ばれた十勝地には金属製記念額を贈ったということで、さっきのプレートがまさにそれですね。

以前、徳島の鳴門の小鳴門公園で、昭和3年、徳島日日新聞が主催した大典記念の徳島名所十五景の記念碑を見ましたが、この頃、各地で同様の投票が盛んに行われていたのでしょうか。

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この岩山に登るとなかなかの眺めです。パノラマで。

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もう少し拡大するとこんな感じ。
この先にも新しい展望台があります。
向こうに見えるのはJFEスチールの巨大な工場とその先には鞆の浦の仙酔島?

手前には緑の土地が広がっていますが、実はこれ埋立地なんです。

試しに戦後の埋立地をブルーに塗ってみるとこんなことに。
海辺の街だった笠岡がすっかり内陸の街になってしまっているのが分かります。
また今は地続きの神島地区が大きな島だったことが分かります。

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さて、古城山公園の探索を続けます。
こちらがサル舎。数匹のサルがいます。

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東屋は何カ所かありました。

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古城山公園でも特異なのは東側のこの一角です。
戦争の慰霊碑などが集まっています。
この門柱は紀元二千六百年記念(昭和15年)に建てられたものです。

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こちらの招魂碑は明治34年なので、日清戦争の戦没者を祀っているようです。
他に征清記念碑(明治31年)や日露戦役記念碑もあるようですが、この時は見落としていました。

明治期以来の公園らしく、石碑類がたくさんありました。
何より眺めがいいので、機会ありましたら訪ねてみて下さい。
車で上る道もあります。

<関連記事>

 日常旅行日記「近代の公園目次」

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