橘児童公園とラジオ塔(京都市上京区)
料亭跡地を買収して、昭和14年に皇太子殿下御誕生紀念公園として整備された公園です。面積も6119㎡とそこそこ広い。
期待して行ったのですが、この公園表示を見ても分かるように真新しくなっています。
京都市のHPによれば、ワークショップにより公園デザインを決定し、リニューアルされたらしいです。その際、ケヤキの木が残され、多目的に使える、防災に対応した公園に生まれ変わったようです。2013年の3月に完成記念式典が行われています。
訪問日:2018年9月22日
公園の大部分はグラウンドで占められています。
その向こうに何か立っているのが見えますか?
そうラジオ塔です。街頭でラジオを聴けるようにしたもの。
『ラジオ塔大百科2017』のデータでは、昭和14年にできたとのことなので、公園整備と同時にできたようです。
裾がひろがって、側面には装置の格納スペースのようなものがあります。
逆から見ると、灯籠とは違う、特徴的なデザインが分かります。
またこちら側の窓には桟が残っています。
正面には大理石のようなものに「橘公園愛護會」のプレートがはめられています。
遊具のゾーンを見てみます。
おや、黄色い規制線のテープが張られています。
根こそぎ倒れてしまったケヤキ。
訪問時は9月ですので、9月初めの台風21号で倒れてものと思われます。
逆方向から見ると、既に枝などは切断されていますが、手すりがぐにゃっと曲がっていて、倒れ込んできた様子が分かります。
公園のリニューアルでせっかく残されたケヤキが倒れてしまって悲しいことです。
砂場のコンクリートは真新しいので、リニューアル時のものかと思います。
ラジオ塔以外に昔の様子がよく分からないなと思っていたところ、2010年に訪問された方の記事を見つけました。
こちらを見ると、2010年には、
・篆書体や行書体で公園名の書かれた門柱
・階段状のデザインの水飲み場
・ベンチと一体化した扇形のテラス
・三角形の砂場
・脚がアーチのコンクリートベンチ
・ラジオ塔
などがあったことが分かります。
また別のサイトによれば、2007年までは25mプールが残っていて、保存運動が行われていたようです。
ラジオ塔しか残ってない・・・
思えば、京都でラジオ塔が再評価されたのは2009年頃のことです。
そのことが、ワークショップで何を残すか考える時に、ラジオ塔を残すことにつながったのでしょう。公園の他のモダンなデザインは消えていきました。もし2009年の再評価がなければ、よく分からないものとして、ラジオ塔も消えていた可能性はあると思います。
やはり、早く見に行っておくこと、発信して注目してもらうことの大事さを感じます。
過去の姿を記録しておくことも。
<関連記事>
日常旅行日記「近代の公園目次」
| 固定リンク
「日常旅行(京都)」カテゴリの記事
- 元代用公園の耳塚児童公園(京都市東山区)(2024.06.14)
- 元代用公園の松原橋児童公園(京都市東山区)(2024.06.12)
- 北白川の住宅地を歩く(京都市左京区)(2024.06.06)
- 高原児童公園の改修前と後(京都市左京区)(2024.05.30)
- 飛鳥井児童公園(京都市左京区)(2024.05.28)
「公園」カテゴリの記事
- 元代用公園の耳塚児童公園(京都市東山区)(2024.06.14)
- 元代用公園の松原橋児童公園(京都市東山区)(2024.06.12)
- 高原児童公園の改修前と後(京都市左京区)(2024.05.30)
- 飛鳥井児童公園(京都市左京区)(2024.05.28)
- 明田児童公園と殿田公園(京都市南区)(2024.04.30)
コメント