元・代用公園の上柏野児童公園(京都市北区)
まだ京都の近代の公園の記事が続きます。(この日だけで11公園回りましたので)
橘公園の後、北上して上柏野児童公園を目指しました。
紙屋川の両岸に近代の3公園が固まっています。
訪問日:2018年9月22日
千本鞍馬口から斜めに入る鞍馬口通を進むと、街を出て山道に入って行く趣きがあります。
大正末の地図を見ると、建物はぽつぽつで全くの田畑。
このあたり、気になる建物がいくつもありました。
例えばこれ、3つの住宅で1つの建物を構成しているように見えます。
一体的に設計されたのでしょう。
煉瓦積みの基礎に乗っている建物。
玄関まで直角に登る階段が付いています。
絵になる建物です。
こちらの長屋、向こうに見えている緑が、上柏野児童公園です。
ちなみにこの道をまっすぐ行くと、紙屋川を越えて金閣寺につながります。
この長屋も基礎部分に煉瓦が積まれています。
階段の取り付け方といい、さっきの建物と同じ造り。
お店が入っていましたが、時間がないので先を急ぎました。
タイトルに元・代用公園と書きました。
土井勉さんの「京都市の公園形成史 -第二次大戦前まで-」(『土木史研究』、1991年)によれば、「代用公園」というのは、大正8年の都市計画法施行後も公園の整備が遅々として進まない中、寺院などの土地を借用してブランコや滑り台などの公園遊具などを置いたものらしいです。その時点で判明しているものとして、大正時代に6ヶ所(すべて寺院)、昭和時代に11ヶ所が挙げられています。公園の予算獲得が難しい状況で、臨機応変に場所を確保したため、後に消滅したものもありますが、いくつかは後に用地確保がなされて公園となったらしく、この上柏野公園もその一つです。
この公園は三角形をしていますので、道路除地だったのでしょうか。
公園の門柱はちょっとアールがかかっていますが、そんな凝った風でもありません。
上柏野児童公園の文字は毛筆で書いたような書体。
コンクリート柱に鉄パイプのフェンスで囲まれています。
これは昭和中期ぐらいか。
公園の北の端から見たところ。
公園に面した住宅があるのが古い公園らしいところ。
公園は緩い傾斜地にあるので、途中数段の階段で上下に分かれています。
丸い砂場がありました。
代用公園という成り立ち上、もともとあまり凝ったデザインなどは期待できないのかもしれません。
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