恵我之荘住宅地(大阪府羽曳野市)
もう1年以上前になってしまいますが、羽曳野市の恵我之荘住宅地を見に行きました。
恵我之荘住宅地は、大阪鉄道(現在の近鉄南大阪線)の恵我ノ荘駅開業(大正13年)に合わせて、大阪鉄道によって開発された郊外住宅地です。むしろ住宅地開発のために駅を作ったというべきか。
住宅地は駅前からすぐ広がっています。
撮影日:2016年9月4日
駅から北は商店街が続いていて、古いお店らしきものもあります。
住宅地に入っていって、古そうな住宅を見つけました。
こちら、切妻屋根を組み合わせた平屋の建物です。
こちらの建物も屋根が改修されていますが、建物は古そうです。
門扉の桟も美しい。
またこちらは生け垣に遮られて見えにくいですが、古い建物のようです。
もう少しディテールに注目していくと、こちらは籠を編んだような玄関灯。
生け垣から流れるように連続する門扉。矢羽根模様が刻まれています。
駅の南に回ると、かなり改装していますが、元お医者さんぽい古い建物がありました。
この部分、新しくなっていますが、本体は古いのではないでしょうか。
恵我之荘住宅地は、とくに目立つ洋風建築などはないものの、生け垣などにも高級な住宅地の雰囲気が残っています。
朝日新聞大阪地方版の週刊まちぶら(2009年5月17日)によれば、昔は住宅地にポプラ並木があったそうです。
なお、興味深いものとして、駅南側の池の側に辻本善三郎翁の碑というものがあります。
大正14年に建てられたものです。
書かれている内容をかいつまんで紹介すると、辻本善三郎翁は、この丹下地域が度々旱害に見舞われることを憂いていたところ、大阪鉄道会社が設立されて線路敷設工事用に土砂を求めていると聞き、大阪鉄道に持ちかけて野登りヶ池堤防の一部、池床の浚え、あら池中央築島、中堤防の土砂を大正10年11月下旬から提供したそうです。これによりため池は大きくなり、鉄道会社は土砂を入手でき、お互いにメリットのある取引だったようです。
この記念碑は長年、墓地の片隅にひっそりと置かれていたのを、平成9年に池の側に移設したとのこと。
どのように土地の改変が行われてきたかの一端が分かる説明で、興味深い記念碑です。
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目次「近代の郊外住宅地と別荘地、社宅」
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