加賀石の里めぐり(3)遊泉寺銅山跡
鵜川・遊泉寺地区で3ヶ所目、遊泉寺銅山跡を見に行きました。
ここには江戸時代から銅山もあったんです。
鵜川石切場跡を案内してくださった鵜遊立活性化委員会の方など地元の皆さんがこつこつと遊歩道を整備して、2006年から銅山の遺構を見て回れるようになりました。
現状はというとこんな感じの森。
まさかここに銅山町があったなんてイメージできません。
案内板によるとこんなに大きな町があったそうなんです。
大正5年頃には従業員1600人、人口5000人に達していたとか。
江戸時代の安永元年(1772年)に開坑し、盛衰はあったものの、加賀藩の有力な財源だったようです。
明治になると採掘権は、土佐藩の竹内綱のち長男の竹内明太郎氏に渡りました。
竹内明太郎氏は鉱山の近代化につとめ、明治40年には鉱山から小松までの軽便鉄道を敷設、神子清水発電所を建設して機械化を進めました。
この方が竹内明太郎氏です。
氏はまた機械工業の重要性を認識し、諸外国を視察して、遊泉寺銅山の私設鉄工所として小松鉄工所を設置しました。
鉱脈の不足や第一次世界大戦後の不況を受けて、遊泉寺銅山は大正9年に閉山に追い込まれますが、小松鉄工所は銅山の施設・物資と人員を引き継いで、大正10年に小松製作所として分離独立しました。これが今のコマツにつながっています。
ー以上、遊泉寺銅山跡記念碑より。
あのコマツはここから出発したんですね。
今回初めて知りました。
銅山跡の入口には立派なトイレが整備されています。
また駐車場もあります。
駐車場はもっと奥にもあります。
このあたりは公園になっていて、遊泉寺銅山のカラミ石も展示されていました。
ここのは四角柱になっているのが特徴だそうです。
他の鉱山では大型の煉瓦の形だったり、尾小屋鉱山の場合は六角柱だと聞きました。
最初に現れる遺構は真吹炉です。
銅鉱質の分析炉と説明されています。
周辺にはシャガが群生していて、ちょうど花の季節だったため、写真を撮りに来られている方もいました。
次に現れるのは、この銅山跡のシンボルともいえる、巨大煙突と煙道窓です。
煙突は高さ20mあるそうです。
あちこちに立入禁止看板が立っています。
鉱山跡なのであちこち穴が開いていたりして、危険があるようです。
竪坑跡。深さは150mあったそうですが、危険なため、今はコンクリートで覆われています。
ここから遊歩道は上りになります。
急な登り坂です。
登り切れば、平坦な尾根道になります。
精錬所から出るノロ(不純物)を引き揚げた巻き上げ装置の台座が残っています。
今度は谷筋を下っていくと、水源地跡があります。
ちょっと分かりにくいでしょうか。
谷が堰堤で堰き止められています。
解説のないところにも、斜面に穴が開いていたりしましたので、まだ遺構は埋もれているかもしれませんね。
遊歩道は一周1.5kmで、所要時間1時間程度です。
なお、小松市ではこの6月に5000万円の予算を盛り込み、今後5年かけて遊歩道を整備するそうです。
北国新聞社「遊泉寺鉱山跡を整備 小松市、煙突や炉巡る遊歩道」
今でも見て回るのに不都合はないので、こういう森の中の遺跡の雰囲気が好きな方でしたら、今のうちに行っておいた方が良いかも。
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