大正の鶴舞公園(名古屋市)
鶴舞公園平面図、大正初期(佐藤昌『日本公園緑地発達史・下巻』、1977年、p349)
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名古屋の鶴舞(つるま)公園探訪の続きです。
鶴舞公園は第10回関西府県連合共進会の会場となった後、明治45年から跡地の本格的な整備に入り、大正時代にほぼ完成しました。
今回の記事では大正時代の鶴舞公園について紹介します。
今回の写真もとくに注釈がなければ、2015年1月のものです。
公園内に掲げられていた私立名古屋図書館の解説板。
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大正年間には公園内に文化・スポーツ施設が整備されていきました。
大正2年、共進会時の林野別館を改造して、竜ヶ池畔に私立名古屋図書館が開館しました。
写真を見て分かるように、浮見堂のたもとにありました。
大正12年、図書館は市立名古屋図書館となって鯱ヶ池(今はベビーゴルフ場)畔に移転し、現在の図書館は昭和59年に新築された名古屋市鶴舞中央図書館です。
大正2年には運動場も整備されます。
平面図で見ると今の運動場をトラックと野球場の2つに分けたような状態です。
さらに昭和7年、鶴舞公園運動場が開設されます。
スタンドがとても低い。
運動場外周の石垣。
どの時代かは分かりません。
小さな門。古そうにも見えます。
運動場の土手上にあった水飲み場。
石造なのがレアに思います。
園内解説板によれば、大正7年、私立浪越動物園より寄贈を受けて、市立動物園が開園しました。
現在、通用門の門柱のみが残っています。
動物園があった場所。
面積1.2ha、飼育動物は250種800点に及びました。
動物園は昭和12年に東山に移ります。
大正12年には沼沢地を改造して菖蒲池ができました。
戦時中はイモ畑、麦畑になりましたが、戦後復元されました。
胡蝶池から流れる川をまたいで、石積の橋があります。
橋の親柱はアーチのデザインです。
未来派といえば良いのでしょうか。
菖蒲池ができたのと同じ、大正12年の文字が入っています。
前の記事でもこの写真を使いましたが、関西府県連合共進会の会場の北部18406坪は明治44年に県立愛知医学専門学校・愛知病院の用地として譲渡され、大正3年に新築移転してきました。
現在は名古屋大学医学部と附属病院です。
建物は新しくなっているものの、校門が残っています。
愛知県立医学専門学校の正門。
正門両脇の壁と柱は、スクラッチタイルとテラコッタ、石の組み合わせで、は虫類の皮膚のようです。
こちらは県立愛知病院の正門。
学校の正門との違いがほとんど分かりません。
もう一つ、鶴友会館の門があって、こちらは塀と同様のスクラッチタイル+テラコッタ+石の正門です。
ゆるやかな傾斜がついているので、塀が少しずつずれて上がっていくのが面白いところです。
『名古屋市全図』(大正15年)より鶴舞公園周辺
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そして大正末年にはこんな配置になっていました。
右端の八幡山古墳が公園に取り込まれたのは、大正8年のことです。
既に周囲の都市化が進んで、学校や住宅地に囲まれています。
(参考)
名古屋市みどりの協会HP「鶴舞公園の歴史」 愛知県教育委員会『愛知県の近代化遺産』(平成17年)
佐藤昌『日本公園緑地発達史・下巻』(昭和52年)
(関連記事)
*名古屋の近代公園
「中村公園のラジオ塔?」 「名古屋のラジオ塔、再び」 「東山動物園の旧モノレール」 「東山動物園の恐竜像」 「東山公園・動物園」 「東山植物園の温室」 「道徳公園のクジラ像」 *全国の近代公園
「近代の公園」(目次)
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